悪しき天啓
(──どう、したら)
……聖女カナタは逡巡していた。
目の前の亜人族たちへ、どう事実を伝えるべきか。
そもそも、この無情な事実を伝えていいものか。
……いいや、言える筈がない。
帰り方なんて知らないどころか、そんな方法が存在するかどうかさえ分からないなんて言える筈がない。
……ただ殺されるだけならば、それでもいい。
元より死する覚悟自体は出来ているのだから。
だが、この亜人族たちが王を殺害した際の残虐さや冷徹さ、あの幼い黒髪黒瞳の少女を一心に想う病的な程の慈愛の感情を垣間見た今となっては、きっと殺されるだけでは済まない──そう思ってしまっていた。
既に、カナタの中では上書きが行われている。
決して軽くはない筈の死への覚悟を、この亜人族たちへの恐怖があっさりと上回ってしまっているのだ。
「──……ねぇ、聞いてんの?」
「ぃ、いや、その……っ」
そんな中、何やら口ごもったまま返答しようとしないカナタに痺れを切らしたのか、どちらかと言えば綺麗と言うより可愛いの方が勝る整った表情を、ほんの少しずつ苛立ちで歪める人魚に、カナタは狼狽する。
──怖い。
この十五年で──いや、カナタが覚えている限りの約五年という短い人生において、ここまで強い恐怖の感情を抱かされた事は一度だってなかった筈である。
何しろ、カナタは『聖女の素質あり』として、おおよそ十歳くらいの時に王国に拾われた捨て子であり。
選ばれし者──などという大仰な二つ名をつけられたのも聖女として活動する様になってからで、それまでの十年間は何処で何をしていたかも覚えておらず。
ましてや王国に拾われてからは、まるで貴族令嬢か何かかの様な超高待遇を受けていた為、当然ながら恐怖とは無縁の比較的穏やかな生活を送っていたのだ。
……怖くない筈がない。
人を殺したその手で、きっと何より大切なのだろう少女を愛おしそうに抱きかかえる異常な人魚を──。
怖がるな──という方が無理があった。
(どうすれば、どうしたら──……あっ)
……その時、カナタは『とある案』を思いつく。
だがそれは──あくまでもカナタにとっての天啓であり、少女たちにとって良い案とは決して言えない。
しかし、これを信じてさえくれれば或いは──と決意を固め、いつの間にやら一様に意識を手放していたらしい臣下たちに興味をなくしたのか、こちらへ歩み寄ってきていた人狼を含めた三人の亜人族に向けて。
「──……帰る方法は、あります」
如何にも、『機密事項だ』とばかりの神妙な面持ちで告げた事で亜人族たちは三者三様の反応を見せる。
「そうなの? よかったぁ」
ある者は腕に抱く少女の黒髪を優しく撫でつつ。
「……ふぅん……?」
ある者は訝しむ様に翠緑の光沢を放つ瞳を細め。
「……嘘だったら、あれと同じ目に遭うと思えよ」
またある者は露骨に聖女の虚偽を警戒している。
やはり、どれだけ甘く見ても信用されてはいない。
……しかし、それもこれから話す内容次第。
虚構の話を考える時間もない為、即興になるが。
「お三方が大切にしている少女は『勇者召喚』という秘術──禁術を以て、この世界を救う勇者として私たちが……いえ、聖女である私が喚び出しました……」
「……この世界は随分と平和と程遠いのね」
まず第一に、この四人が異世界に召喚される事になった発端を嘘偽りなく明かす事で警戒を和らげる、というカナタの思惑は取り敢えず成功したらしく、きっと地球──というか日本の様な戦争と無縁な世界ではないのだろうと察した鳥人が独り言ちつつ先を促す。
……尤も、この少女が住んでいた地球という世界が本当に平和かどうかと問われれば甚だ疑問なのだが。
「……百年前。 突如として現れた魔族によって、もう既に世界の半分以上が支配下に置かれているのです」
「そんなもん、お前らがどうにかしろ──って言いてぇとこだが強そうな奴の匂いしねぇしな、この辺は」
「におい?」
「あぁ」
促されたカナタは頷きつつ震える声音を以て、この世界が置かれている絶望的な現状を説明し、それを聞いた人狼が如何にもな無表情で『あたしらには関係ねぇだろ』と正論を叩こうとするも、『匂い』を根拠にしてルニア王国周辺に魔族とやらの危機を退けられそうな強者の存在を感じないと語る彼女の言葉に、すんすんと鼻を鳴らした人魚を見遣った人狼は首肯し。
「……どう説明すりゃいいのか分かんねぇが、あたしより強い奴がいたら匂いで分かる──……気がする」
「へー、便利──うーん……いや、そうでもない?」
「……あたしに聞くなよ」
「キミに聞かないで誰に聞けばいいのさ」
何となく、何となーく嗅覚で自分より強い奴の存在を感知出来る──らしいと告げた彼女に、そこそこ便利な力じゃないかと思った人魚だったが、よくよく考えると分かるだけじゃ別に意味ないかもと思い直す。
そこから繰り広げられる漫才の様なやりとりを又聞きしていた鳥人は、『はぁ』と浅くない溜息を溢し。
「……話が逸れてるわ、続けてくれる?」
「はっ、はい……っ」
二人の会話を半強制的に終わらせて、そのまま会話のバトンを渡された──放り投げられたとも言うが。
ここからが正念場だ──そう捉えていたカナタは深呼吸をして、つい先程までの会話の続きに移行する。
「……勇者召喚とは、この世界を侵す魔族を──延いては、その魔族たちを統べる『魔王』を討伐せしめんとする勇者を異界から喚び出す為の禁術なのですが」
そして、いよいよ即興での虚偽に取り掛かるべく少女を喚び出した禁術についての詳細を語り、どうにか言いたい事を察してくれないかと願っていたところ。
「……成る程。 そういう事ね」
「んん? どういう事?」
「要は、だ──」
おそらく、この三人の亜人族の中では最も聡明なのだろう鳥人が、カナタの言いたい事を誰より早く悟って頷く一方、何が何やらといった様子の人魚が首をかしげていると、どうやら同じ様に察せていた人狼が。
「──その魔王ってのを、あたしらに倒せって事か」
「……! は……はいっ。 そう、なります……」
「……ふーん……」
人魚の抱く疑問を解消してやる様に、そして何よりカナタが伝えたかった事を言葉にしてやる様にと告げた事で、カナタが『信じて、もらえた?』と僅かながらの希望を抱く中、人魚は何故か表情に影を落とし。
されど、それには気づかぬままカナタは安堵する。
……それも無理はないだろう。
この三人の亜人族たちが現れてから今の今まで、カナタの心が休まる暇などほんの少しもなかったから。
「面倒くせぇ──……つっても、ミコの為だしなぁ」
「……望子が目を覚ましたら話し合いましょうか」
「うんうん、それからでも遅くないよね!」
そんな折、亜人族たちは亜人族たちでミコと呼ばれた未だ目覚めぬ少女を中心としつつ、これからの事を話し合おうと試みるも、それは少女が目覚めてからの方がいいと判断したらしく結論を後回しにして──。
「──なぁ」
「ひゃ、は、はいっ!」
突如、何の前触れもなく声をかけられた事で過剰なくらいに驚いてしまったカナタだったが、そんな事は気にも留めない人狼は特に笑顔を浮かべる事もなく。
「王様がいたって事ぁ、ここは城なんだよな?」
「え……そう、ですが……それが何か……?」
人の形を留めていない、かつての賢王を指差したまま随分と今更な質問を投げかけてきた事で、カナタは彼女の機嫌を損ねない様に言葉を選びつつ聞き返す。
「なら金目のもんの一つや二つ、あって当然だよな」
「……ぇ、えぇ……まぁ、おそらくは──」
「じゃあ、そこ連れてけ」
「……えぇっ!?」
すると人狼は、およそ勇者の所有物とは思えない邪悪極まる笑みを湛えて、『城には宝物庫がある』という知識を何処から得たのかは分からないが、さも何でもないかの様に告げられた『窃盗宣言』なのだろう言葉に、カナタはその整った表情を驚愕の色に染めた。
……勿論、城には宝物庫があるにはある。
しかし、この世界においては『勇者』と並んで大きな意味を持つ『聖女』という役割を担うカナタでさえも、この城の宝物庫に足を踏み入れた事はなく──。
「そっ、それは私の一存では……!」
だからこそ、あの宝物庫には簡単に触れてはいけない様な何かがあるのかもしれない──そう考えていたカナタは、どうにか人狼の命令を却下せんとするも。
「……でも、貴女が決めるしかないんじゃないの? 多分、貴女より位の高そうな人は──あんな状態だし」
「え──……あっ……」
そこに割って入ってきた鳥人の声を聞き、ふと彼女が指差している方へと目を遣ると──そこでは。
「──……あ、あぁ……へいか……あぁぁ」
唯一、意識を手放してはいなかった宰相ルドマンが元賢王の肉片や衣類の切れ端が散らばる血の池に手をついて、ぶつぶつと何かを呟きつつ血を掬い、その血を肉片にかけ、また血を掬い──を繰り返している。
──彼はもう、壊れていた。
その後、露骨に視線を逸らしてから完全に諦めたカナタは三人の亜人族を引き連れて、宝物庫へ向かう。
(……ごめんなさい)
脳内で呟かれた謝罪は勿論、誰にも届かなかった。
……勇者はまだ、目を覚まさない。
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