真なる恐怖
「──……へ、へい、か……?」
目の前で起きた、あまりにも残忍極まる惨劇に腰を抜かし、しばらく呆けていていたルドマンだったが。
「ぁ、あぁ……っ」
それでも、のっそりとした緩慢な動きを以て少し前まで王だった、もう人ですらない何かに向かわんと。
──した、その瞬間。
「──動くなよ、こいつみてぇになりたくなきゃな」
「あ、ぐぅ……っ!?」
突如、人狼から放たれた威圧で彼の歩みは止まってしまい、だらだらと顔から首にかけて流れる冷や汗も収まらず、まともに息をする事も難しくなっていた。
まさしく、蛇に睨まれた蛙の様に。
……蛇ではなく、狼なのだが。
そんな人狼の威圧を間接的にとはいえ、その身に受けていた聖女カナタは──既に、覚悟を決めていた。
戦う覚悟を、ではない。
命乞いをする覚悟を、でもない。
……命を奪われる覚悟を、だ。
(……仕方ない、わよね……)
実に千人もの民の命を犠牲にし、おそらく何も知らない筈の幼い少女を異世界から強制的に召喚して、そのうえ『失敗』だからと処分しようとさえした──。
自らの命を差し出す事に、もう何の躊躇いもない。
それだけの事を、しでかしてしまったのだから。
ガクリと膝をつき俯いた状態で王と同じ断罪の刻を震える身体で待っていた、カナタだったのだが──。
「──ねぇ、少しいいかしら」
「ぇ……?」
先程、大殺戮が行われた場としては決して似つかわしいとは言えない甘く優しい声が彼女に降りかかる。
カナタが顔を上げるとそこには亜人族たちの──いや、三つの人形の内の一つである栗色の鳥人が柔らかで妖艶な笑みを浮かべつつカナタを見下ろしており。
……何?
と、そう答えようとした瞬間──。
カナタは、すぐさま口を噤んでしまう。
聞き返す事自体が失敗だと考えたわけではない。
この時、彼女の頭をよぎったのは──先程の惨劇。
死を覚悟してはいても、その身を這い回る恐怖までは克服出来てなどいる訳もなかった彼女は本能的に。
「──……何、でしょう、か……?」
……目の前の鳥人に敬語を使う事を選んだ。
そんな彼女の心境などには微塵も興味を持っていないのだろう、その鳥人は表情一つ変えぬままに──。
「貴女が、あの子をここへ連れて来たの? 聖女様」
「……ぇ、あ……?」
あまりに突拍子もなく、そして確信めいて告げられた彼女の問いかけに、『何故』、『どうして』とカナタの頭はそんな疑問の言葉でいっぱいになっていた。
ミコと呼ばれたあの少女が召喚されて、その少女が抱えていた人形が亜人族へと姿を変えるまでの間、彼女は一度も自分が『聖女』だとは呼ばれておらず、カナタから率先して名乗ってもいない筈なのに──と。
「どうして、聖女だと……? それ、に……あの子を喚び出したのが、聖女だとは限らない、んじゃ……?」
最早、困惑しきった影響で思考が麻痺しかけていた彼女は、その呂律の回らない口で鳥人に問いかける。
何故、自分が聖女であると分かったのか?
そして何故、『聖女』という存在があのミコという少女名のを喚び出した張本人であると分かったのか?
そんな、ある意味では当然と言える二つの疑問に対して鳥人は、『うん?』と可愛らしく首をかしげて。
「……そういえばそうね、どうしてかしら?」
「え、えぇ……?」
何故か自分でも把握出来ていない様子を見せながらも、『何となくだけど』と前置きして更に口を開く。
「……一目視た時から貴女が聖女で、あの子を喚んだのも貴女だって頭に浮かんだ気がするのよねぇ……」
「……!」
その話を聞いた時──。
聖女どころか魔術という概念さえ理解出来ていない筈の鳥人の言葉に、カナタは一つ心当たりがあった。
──鑑定。
それは、この世界の人族や亜人族が十二歳の時に教会に対し、それなりのお布施をし祝福を受ける事で得られる、魔術とも違う『恩恵』という力の内の一つ。
神の祝福、或いは神の気まぐれなどとも称される事のある未だ謎めいた部分の多い力だが──さておき。
鑑定とは、その目で見た者が得ている恩恵や扱える魔術、魔術とも恩恵とも違う魔力を込めた体術である武技、そして剣士や神官といったその者が属する職業も、その者の名前さえも含めた全てを見通す力──。
本人がそれを望むか望まないかは別として、あらゆる情報を半強制的に見通してしまう──厄介な恩恵。
鑑定を賜った者の中には、もう見たくも知りたくもない情報の数々に辟易して目を閉ざす者もいるとか。
勿論、比喩表現ではなく文字通りに──。
(召喚勇者の所有物──恩恵持ちでも不思議じゃない)
この世界に住まう者たちが先天的に恩恵を授かっている事例もあるし、ましてや勇者の所有物──と結論づける中、鳥人とは違う方向から彼女に声がかかる。
「──ねぇねぇ、ボクからも質問いーい?」
「っ、ど、どうぞ、お好きに……」
またもこの状況に似つかわしくない明るく間延びした声で話しかけてきたのは、まだ意識を取り戻す様子のない少女を心の底から愛おしそうにその細腕に抱いたまま、水玉に乗りふよふよと浮かんできた人魚。
他の二人に比べれば遥かに温和そうに見えたが、あの惨劇に加担している以上は楽観視など出来ない、カナタはそう考えた結果としてやはり敬語で対応する。
すると、その人魚は『うんうん』と嬉しそうに頷いてから、『えっとねぇ』と口火を切ってみせて──。
「あそこにいる娘が聞いてたと思うんだけどさぁ」
「は、はぃ……」
ルドマンを除いた臣下たちに対し、『あたしらに二度と関わるな』という名目で脅迫の真っ最中であるらしい人狼が少し前に口にした、『あの少女を元の世界に、そして母親の下に帰せ』という旨の話を覚えているかと確認してきた事で、カナタは何とか首肯する。
……忘れられる筈もない。
何なら数日間は夢に出てきそうだとも思っている。
……もし、この場を生き延びたらの話だが。
その後、期待通りの返答があった事で満足げに頷いた人魚は、『んんっ』とわざとらしく咳払いしつつ。
「ボクたち帰れるんだよね? あぁ、もし帰れる人数に限りがあるなら最悪みこだけでもいいんだけど──」
元の世界に帰れないなどという答えは最初からないものとして考えているかの様な、ほんの少しも有無を言わせるつもりのない問いかけにカナタは戦慄する。
何故なら、その人魚の表情から先程までの爛漫な笑顔など消え失せて、とっくに敵意すらも超えて殺意までもを思わせる冷たく昏い笑みになっていたからだ。
その時、カナタは三体の人形が共通して抱く、あの幼い少女に対する強く深い想いを悟るとともに──。
俗に言う──『真なる恐怖』とは。
「──まさか、帰せないなんて言わないよね?」
決して暴力などではない、という事実を悟った。
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