愚者の最期
亜人族という種族は、おおよそ二種の分類を持つ。
一般的な獣が服や靴を身に着けて二足歩行になった様な『純血』、耳や翼、尻尾などといった特定の部位を除き限りなく人族に近い姿をした『混血』の二種。
単純な身体能力や群れの統率力なら純血、知能や魔術適正の高さなら混血といった差異はあれど、この二種に共通している事も同じ亜人族である以上はある。
ひとたび対立してしまったのなら、およそ脆弱で惰弱な人族に勝ちの目は殆ど無いに等しいという事だ。
……そんな亜人族が──三体。
突然の事態に呆然とするカナタの視界に映る亜人族たちは、その全員が混血の雌である様に見受けられ。
鰭の様な形状の耳、後ろに束ねた透き通る様な空色の長髪、海豚の下半身を大きな水玉に埋めて宙に浮かんだまま、その腕で優しく少女を抱きかかえる人魚。
何処か高貴ささえ漂わせる亜麻色の長髪、手首から二の腕の付け根辺りまで生えた栗色の美麗な翼、鳥獣特有のすらっとした脚と、その先に有した見るからに鋭利な爪を隠そうともせずにこちらを睥睨する鳥人。
そして三体の中では最も人族に近しい見た目でありながらも腕や脚、短い髪から生えた耳や腰の下辺りから生えた尻尾といった狼の部分に朱を差した、さも威嚇するかの様に鋭く凶暴な牙を剥き出しにする人狼。
その外見にこそ極端に薄着である事以上の統一性はないが、抱えられたまま気を失っているあの少女を護ろうとする意志だけは共通している様に感じられた。
この場にいる誰もが口を開く事さえも憚られる様な緊迫した状況の中にあったが、カナタは意を決し深呼吸して気持ちを落ち着かせてから声をかけんとする。
言葉が通じるかどうかなど、考えてもいなかった。
「──人形……なのね? 貴女たちは……」
「「「……」」」
そして、カナタが亜人族たちに対して『少女が持っていた人形なのだろう』と半ば確信めいた問いかけをしたところ、カナタの問いに亜人族たちが微かに反応を示し、カナタの方へ殆ど同時に視線を向ける一方。
「……な、何だと!?」
「人形!? あれがか……!?」
「そんな筈はない! あれは完全に亜人族だぞ!」
「いや待て、もし聖女の言葉が本当なら──」
「人形に生命を与えたという事に……!?」
「そっ、それは凄まじい! 流石は勇者だ!」
この儀式ですら自分たちの功績の一つとして加えかねない勢いの臣下たちは、あまりにも唐突に降って湧いた少女の可能性についての議論を再開していたが。
──……気づいてなかったの?
と、カナタは呆れ返って彼らに侮蔑の視線を送る。
……どう見たって、そうとしか思えないだろう。
さっきまで少女が大事に抱えていた筈の三体の人形が、いつの間にか綺麗に姿を消しているのだから。
その後、カナタの声に反応を見せてから思案する様に唸っていた人狼が、かなり重々しい息を吐き──。
「──……なぁ、ここ何処だ? 日本じゃねぇよな」
「っ!?」
きょろきょろと無駄に広い謁見の間を物珍しそうに見回しながらも、ここが日本ではないという事だけは分かっているらしく一体ここは何処だと問いかけた。
問いかけた様に──聞こえた。
そう、あの少女のものと違い言葉が分かるのだ。
どうして、この人狼の言葉だけは理解が出来るのかという事を考えても答えに辿り着けそうにないと分かっていたカナタは、それを一旦置いておく事にして。
ニホンというのは、おそらく話の流れからして地名なのだろうと推察したカナタは、もう一度意を決し。
「……ここは、ルニア王国。 その王都──ぇ」
この王都の名を代表して伝えようとした彼女に対して人狼は、おそらく無意識の内に何らかの『魔術』を行使し己の右手を赤く輝く巨大な爪へ変化させ──。
──振り下ろした。
死──。
その事実が一瞬で頭をよぎったカナタだったが、どういう訳か彼女に届く寸前で人狼はその爪を止めて。
「──……んな事が聞きてぇんじゃねぇよ。いいから早くあたしらを……いや、ミコを母親んとこへ帰せ」
強い怒りのこもる低い声で、おそらく少女のものなのだろう名を挙げつつ目の前の聖女を脅しにかかる。
「ぁ、あの、それ、は──」
あの子は、ミコって言うのね──と、カナタはたった今この瞬間に死にかけた割には冷静に脳を回していたものの、どうやら身体の方は極めて恐怖に忠実であったらしく全身が震えて口も上手く回ってくれない。
──その時だった。
「──素晴らしい」
「……あ?」
先程まで魂が抜けた様に聖女と亜人族たちのやりとりを眺めていたリドルスが、パチパチと手を叩き心にもない乾いた音を鳴らして拍手しつつ、褒め称える。
──無論、少女ではなく亜人族たちを。
「……其方らが殺めた兵どもは、その命を捨てても余を護ることを余が許した精鋭であった──が、よい」
その後、『兵の命一つ取っても余の裁量次第だ』とまるで自分を中心に世界が回っていると言いたげな国王の言動に、カナタは信じられないといった具合に軽蔑の視線を向けるが、それでも王の口は止まらない。
そして、ついにその時が訪れる──。
「其方らが余の剣となり盾となれば魔の者どもを余す事なく殲滅するなど容易かろうぞ──あぁ、その小娘は必要ない。 さっさと処分してしまって構わぬぞ?」
「「「は?」」」
亜人族を持ち上げるとともに、その少女を不要だと断じた──断じてしまったリドルスの非情な言葉に。
カナタに怒りと爪を向けていた人狼だけでは飽き足らず、まだ意識を手放したままの少女から離れようとしない人魚と鳥人も彼に対してあらんばかりの怒気を放ち、ゆっくりと少女をその場へ横たわらせてから一歩、また一歩と玉座へと歩を進め始めたではないか。
リドルスは、そんな亜人族たちを見て自分が下した王命を承認したのだと判断し、また愚かにも同じ考えを持つ臣下たちも心なしか安堵している様に見える。
およそ十数秒かけて玉座の前に集まった亜人族に。
「……よろしい。 では手始めに其方らの手で、その小娘を始末せよ。 これから魔の者どもとの戦に消耗品として戦いに明け暮れるであろう其方らに情など──」
リドルスは如何にも満足げに頷きながらも錫杖で床を打ち鳴らし、それから痩せ細った指を未だ目覚めぬ少女に向けて、あろう事か亜人族たちにさえ消耗品などという不名誉な呼び方をしつつ少女の始末を命じ。
──必要ない。
そう言って話を締め括ろうとしたのだろうが──。
彼がそれを言い切る瞬間は二度と訪れる事はない。
──幾重にも重なり極端に鋭くなった水の槍。
──数える事も馬鹿らしくなる程の無数の風の刃。
──先程よりも遥かに強い輝きを放つ真紅の爪。
最早、怒りを通り越し我を忘れた亜人族たちの全力かつ無意識下での魔術による攻撃をその身に受けたリドルスは、もうまともな形を留めてさえおらず──。
二度の勇者召喚によって犠牲になった民たちの想いも碌に理解出来ぬまま、かつて『賢王』と呼ばれ親しまれた国王リドルス=ディン=アーカライトは──。
──あまりにも呆気なく、この世を去った。
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