側近への現状報告
ここから三章です!
「──ふぅ」
……ここは、魔族領に存在するたった一つの城、魔王コアノル=エルテンスの坐す魔王城。
魔王コアノルの側近、上級魔族のデクストラは豪華な机の上に置かれた数多くの書類に目を通しつつ、溜まる疲弊を隠そうともせずに軽く息をついていた。
(……異世界よりの召喚勇者様……もといミコ様を魔王様の元へとお連れする為の隊の編成……魔王様直々の命だというのもあるのでしょうが……)
そう脳内で呟く彼女の目の前……机の上には所狭しと書類の束が並べられており、その一枚一枚には魔王軍に所属する下級から上級に至るまであらゆる魔族たちの名と、その能力が履歴書の様に記されている。
本来であれば、積極的に王命を遂行せんとしている部下たちの意欲に感心すべきなのだろうが──。
(希望者が多過ぎます。 『傷つけてはいけない』という事を真に理解している者がこの中にどれ程いるか……)
如何な魔王軍といえど全てが全て精鋭という訳にはいかず、烏合の衆と呼んで差し支えのない落ちこぼれも数多く存在する事は紛れも無い事実であった。
ゆえに彼女は溜息をつきながらも漏れなく全ての書類を目を通し、彼女自身も把握しきれていない有能な部下たちを発掘し、選抜しようとしていたのである。
(幹部の一人が消え、多少の動揺や戦意の喪失もやむなしと考えていた以上、嬉しい誤算ではありますが)
……そう、魔王軍三幹部の一角が勇者一行に消された今、その意欲だけを見るのであれば落ちこぼれの全てが不利益とは言い切れず、そう考えて軽く微笑んでいた彼女の耳に扉をノックする音が届いた。
「……? はい、どなたでしょう」
今はこれといった指示も出しておらず、誰かが訪ねてくる事も無い筈……脳内で予定を確認していた彼女は書類から目を離し、扉へ視線を向けて声をかける。
「はっ、観測部隊所属、ヒューゴであります。 御命令通り、召喚勇者の現状報告に参りました」
すると扉の向こうの魔族はハキハキとした高めの男声で、自身の所属部隊と参上した理由を述べた。
……観測部隊とは、魔王コアノルがとある大陸を掌握し魔族領を作り上げた後、デクストラが『必要ですので』とコアノルに進言して発足させた部隊。
彼らに与えられる役割としては、未だ魔族たちの支配下に無い大陸や国家の偵察、或いはこの世界に満ち満ちている魔素を絶えず観測し、その情報を各部隊へと通達する……などといったところなのだが──。
(……私が世界各地に振り分けていた部隊を、コアノル様が勝手に動かしたんでしたっけ。 全くあの方は……)
自らの欲望のままに部下たちを振り回す……ある意味で魔王らしい行動にズキズキと痛む額に手を当てつつも、もう片方の手を扉に向け中指を下ろす。
「……どうぞ、鍵は開けましたから」
「はっ、失礼いたします」
ガチャッと鍵の開いた音とともに彼女が扉の向こうへ声をかけると同時に極めて控えめに扉を開けたのは、褐色、角、翼、尻尾……これらの要素が無ければ、単なる好青年の様にも思える若い魔族だった。
「ご苦労様です──おや、貴方は確か……懲罰部隊所属だった様に思うのですが」
彼を一瞥した後すぐに書類に目を戻したデクストラは、されど再び彼の方に向き直り、彼女の記憶の片隅にあった彼の所属部隊について問いかける。
……ちなみに懲罰部隊とは文字通り、基本的に魔王コアノルの元に一枚岩ではあれど、魔王軍も組織である以上裏切り者というのは現れてしまう訳で、そんな魔族を罰する為の……戦力は元より規則を重んじる比較的真面目な魔族が所属する部隊だった。
「お、覚えて下さっているのですか?」
「えぇ、それはもう。 基本的にあらゆる部隊を動かす権限は私に任されていますから、部隊に所属している者たちの顔くらいは記憶していますよ」
一方で、たかだか中級の自分を魔王の側近たる彼女が覚えてくれていた事実に、きょとんとした顔のヒューゴと名乗った魔族が聞き返すと、『コアノル様はあんな感じですし』とは口が裂けても言えない彼女は魔族特有の昏い笑みを湛えて『察しろ』と暗に告げる。
「こ、光栄です……実は魔王様が直々に私の下へいらっしゃいまして、『お主にはこれより勇者ミコの観測を命じる! 確と励み、妾を満足させよ!』と……」
そんな彼女の妖艶な表情に少し顔を赤らめたヒューゴは報告用の書類を抱きかかえながら、満面の笑みで自分を見上げていた魔王を脳裏に浮かべつつ配属先が変更になった理由を簡潔に述べてみせた。
「はぁ……相変わらずですね。 まぁ、あまり深く考えない事です。 コアノル様の鑑識眼は確かですから、貴方にそれを任せるだけの能力があると判断されたのでしょう。 誉れある事ですよ……一応は、ですが」
ほぼ想定通りだった魔王の口説き文句に彼女は深く溜息をつきながらも、これも側近の役回りだとばかりに諦め、主と目の前の部下を同時に持ち上げる。
「そう、ですか……で、ではそろそろ報告を……」
「えぇ、お願いします。 あぁ、手は止めませんが話は聞いてますので……お気になさらず」
「はっ、まず勇者ミコの現在地ですが──」
随分と浮かない顔をする彼女を見て、『話題を切り替えるべきか』と判断して報告に移ろうとするヒューゴに対し、デクストラは羽根ペンを走らせながら下を向き、『どうぞ?』と先を促してきた為、彼は軽く敬礼しつつも報告を開始しようとした。
……その瞬間。
「──ミコ様、或いは勇者様、ですよ」
「えっ……?」
何故か途端に目の前の上司の声音が低く……そして冷たくなり、妖しく光る薄紫色の双眸だけをこちらへ向けている事実に彼は言葉を失ってしまう。
「あの少女はコアノル様のお気に入りです。 不用意な敬称略は身を滅ぼしますよ……比喩抜きでね」
望子に、ではなくあくまでも自身の主たるコアノルに不敬だと告げて……もし彼が下級であれば、それだけで昏倒してしまいかねない程の威圧を放った。
「し、失礼致しました。 以後、気をつけます」
「えぇ、そうして下さい」
それを思い切り受けてしまったヒューゴは露骨に畏怖し、冷や汗を流しつつもバッと頭を下げて、目の前の上司と……ここにはいない魔王への心からの謝罪を口にした事で、デクストラは軽く息を吐いて威圧を解き、多少なり呆れた様子で先を促す。
「で、では改めまして……勇者様の現在地はサーカ大森林を抜けた先にあるドルーカの街となります」
「……概ね想定通りですね」
その後、彼は改めて報告を開始するとともに書類をパラパラと捲りつつ勇者一行の現在地を伝えるも、どうやらデクストラは望子たちの動向を見抜いていたらしく、自身の予想がほぼほぼ合致していた事にも彼女は特に表情を崩さず、手を止める事もない。
「ですが……二つ程、問題がありまして」
「? 何でしょう」
しかし、彼女の意に反してヒューゴは随分と浮かない声とともに報告用の羊皮紙を捲っており、そんな彼の様子に違和感を覚えたデクストラは彼を一瞥する。
「……サーカ大森林にて、デクストラ様が赴かれて精錬された魔素溜まりについてですが、勇者様が連れ立っている亜人族によって取り除かれてしまい……」
「……あの森には洗脳した蜘蛛人もいた筈ですが?」
その後、苦々しい表情と声音で報告する彼の言葉を聞いてすぐに、デクストラは自分が負かして洗脳した筈の雌の混血の蜘蛛人の存在を思い返していた。
……あの個体であれば並大抵の冒険者や傭兵、或いは亜人族であっても負けないだろうし、勝利する事は出来ないまでも追い払えはすると踏んでいたのだが。
「確証はありませんが……どうやら人狼の一撃で正気に戻った様で……結局、勇者様と親密に……」
「そう、ですか……はぁ、私もまだまだですね……それで、もう一つの問題とは?」
ヒューゴが渋面を湛えて『最悪とは言わずとも決して良くはない』報告する一方、デクストラは羽根ペンを机に置き、落胆した様子で未熟さを恥じつつ、気を取り直して二つ目の問題をと促した。
「は、はい。 サーカ大森林とドルーカの間にある草原に、あの方が放った魔改造済みの──」
「あぁ、暴食蚯蚓でしたか? あの辺り一帯の生態系を変化させる目的であれに改造させたのでしたね……まさかとは思いますが、それも?」
すると彼は、随分と言い憚られる様な事なのか何故か一部を……特に、何某かの名をぼかすかの如く報告をする彼の言葉をデクストラが遮る様に、彼がぼかした何某かが改造して放し飼いにしていた蚯蚓型の魔蟲の名と、その目的を口にしたデクストラだったが……怪訝な表情で『もしや』とヒューゴに尋ねる。
「……はい。 人狼と鳥人によって一撃の下に……魔石も回収されてしまいました……」
「……ふむ」
その時、彼が空いた方の手をぎゅっと握ったのを見たデクストラの脳内に一瞬、『貴方が戦えば良かったのでは?』とそんな考えが過りはしたものの──。
(元懲罰部隊の彼なら、そこそこ戦えはするのでしょうけど……観測部隊に配属された以上、戦闘よりも報告が至上命令ですし……責められませんね)
彼はあくまでも命令と規則に従って行動したまでであり、そんな彼を責めるのはお門違いだと判断して彼女は首を横に振り、その考えを訂正する。
「……それと、勇者様一行はしばらくの間、ドルーカの街を拠点とする様でして」
「……? 何故です?」
「いえ、そこまでは……ですが、戦力増強が目的の可能性もあります。 あの街には奴がいますので……」
そんな折、ヒューゴが思い出した様に付け加えた勇者一行の現状についての報告の理由をデクストラが問うと、詳細までは調べきれなかったものの自分なりの解釈とともにヒューゴは何某かの存在を仄めかした。
「……『火光』、ですか。 先の大戦で随分こちらの戦力を削った狐人……確かにあり得る話ですね」
一方、彼の言葉に心当たりがあったらしいデクストラは羽根ペンをクルクルと回しつつ、かつての他種族との戦において魔王コアノルにも匹敵する程の力を持つ蒼炎を操っていた狐人を脳裏に浮かべる。
「一手、打ってはいるものの……早めに行動に移すべきですかね……あぁ、報告ありがとうございました。 もう下がってもらって構いませんよ」
「はっ、失礼いたします!」
どうやらデクストラはサーカ大森林や草原の一件以外にも何やら手を打っているらしく、思案を続ける彼女を見て『邪魔をしてはいけない』と沈黙していた彼に対し、優しく気配りの出来る上司の様な表情で『ご苦労様でした』と告げると、ヒューゴはビシッと綺麗な敬礼をしてデクストラの執務室を後にした。
「──さて、善は急げ……あぁいや、悪も急げ、ですかね。 ふふ……『限定通信』」
彼女はクスクスと笑みを浮かべて小さく呟き、自分の首元に手を添えつつ薄紫の魔法陣を浮かべて──。
「『──厳正なる審査を通過し私の声が届いた諸君らは、これより『勇者招集部隊』へ配属となる。 可及的速やかに、正門前へ参集せよ』」
限られた者のみに自分の声を届け、自分も彼らに一声発破をかける為に指定した場所へ向かっていった。
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