言葉も理解出来ぬまま
「──……ここ、どこ? あのひとたち、は……?」
あの怖い夢からやっと目が覚めたかと思ったら、今度は知らない部屋で知らない人たちに囲まれている。
齢八歳の少女でも分かる異常事態の中にあって、それでも望子がパニックに陥っていないのは、夢の続きだと思っているからか──それとも、彼女にとって最初のお友達である三つのぬいぐるみが一緒だからか。
そして脳内が疑問符で埋まっている望子が目の前にいるというのに、こそこそと意見をぶつけ合う彼ら。
異界より喚び出された少女の処遇、力の確認、そして──もし、『失敗』だった場合の責任の所在など。
……十年、いや百年前から何も変わらない。
この世界の貴族を始めとした上流階級の者たちは常に、自らの保身のみを第一に考慮して行動している。
(……生物としては、間違っていないのでしょうけど)
そんな折、聖女カナタは彼らに侮蔑の視線を向けると同時に突然の召喚に戸惑う少女へ憐れみの表情を向けつつ、その少女の姿をもう一度よく確認し始めた。
絹糸の様に細く艶のある綺麗な長い黒髪に、自分たちの邪な思惑を見透かされているかの様な黒い瞳。
空色の布地の所々に星々が描かれた寝間着の様な服と、その細く小さな腕に抱えられた三体の──人形。
……最早、確認するまでもない事だが。
少女がいた世界は、きっと平和だったのだろう。
剣も魔術もない様な、そんな世界の可能性もある。
そして何よりも、カナタはその少女を一目見た瞬間に何故か無性に守りたくなる様な──所謂、庇護欲の様な感情で心の中がいっぱいになっていたのだった。
もしも百歩譲って召喚された勇者が見るからに屈強な男か何かだったとすれば、カナタとしてもその勇者に大きな期待を寄せる事が出来ていたかもしれない。
だが、こんなに幼く吹けば飛んでしまいそうな少女を無遠慮に喚び出し、あろう事か世界を救ってほしいなどと、とてもではないがカナタには言えなかった。
それゆえに、カナタは自らに残っていた尊い良心に従って、王に発言の許可を得ようとしたのだが──。
「──処分せよ」
「「……はっ?」」
思いがけずに重なった困惑と呆然の入り混じったその声、一つはカナタの──そしてもう一つは王の傍らに控えていた壮年の宰相、ルドマンのものであった。
「へ、陛下!? 一体、何を仰っておられるので!?」
当然ながらルドマンは自らの主たる王の真意を探る為に、ほんの少し語気を強めて問いただそうとする。
……あの少女と同じくらいの娘がいるからだ。
「……余が所望していたのは、この世界を覆う闇を打ち払う力を持った者──勇者だ。 逆に問おう、ルドマンよ。お主はあれに、その様な力があると思うか?」
「そ、それは……ですが……!」
しかし、そんな宰相の問いかけにもリドルスは表情一つ変えずに淡々と、この儀式で喚び出そうとしていたのは『勇者』であって『勇者になり得るかもしれない者』ではないと言い、ルドマンに対し『何か間違った事を言っているか』と正論であるかの様に告げた。
事実、リドルスの主張は、この場に居合わせるカナタとルドマンを除く全員の総意だったかもしれない。
それでも、どうしても召喚された少女と娘の姿が被って見えてしまって仕方ないルドマンは、あの少女を処分するなどという王の発言を認めたくはなかった。
……かつての『賢王』を、信じたかった。
その後、ルドマンが何とか撤回してほしいと考えて再度進言しようとした時、年齢を感じさせない俊敏な動作でリドルスが手にしていた見るからに絢爛な錫杖を逆手に持ち、ルドマンの喉元に当て──口を開く。
「──余に意見するとは、偉くなったものだな」
「……っ」
……痩せても枯れても、王は王。
怒りと失望の感情を剥き出しにし、その年齢相応に窪みながらも鋭く、そして妖しく光る双眸で睥睨されたルドマンは一歩、また一歩と確実に後退って──。
少女の処遇を、王に託した。
……託して、しまったのだ。
「──構え」
そして、リドルスの重々しい一声とともに近衛兵たちが身の丈程もある槍を少女へ向けた──その瞬間。
『……ぇ、あ……? あぶないよ、そんなの……や、やだよ、やめて……! だれか……だれか、たすけて!』
少しずつ、ゆっくりと寄ってくる兵士達に怯える少女が周囲の者たちに助けを求めるも、ここは異世界。
……残念ながら、言語が違う。
(……言葉は分からなくても、あの子が何を言ってるかは分かる……助けて、やめて、そう言ってる……っ!)
そんな中、カナタは怯えて涙をポロポロと流す少女に目を奪われながらも、脳内でそう考えて衝動的にその少女を庇おうと動いたが──それすらも叶わない。
「邪魔をするでない、次の召喚に備えなければならんのだ──お主の下らぬ情など、どうでもよいのだよ」
「なっ!?」
カナタの行動を事前に察した王は冷徹な表情と声音でそう告げつつ、いつの間にか玉座から随分と離れていたルドマンに、カナタを抑えておく様にと命じた。
(邪魔しないで下さい! あの子が……!)
ルドマンによって肩や腕を抑えられたカナタは、それでも何とかして助けなければと、おそらく自分と同じ考えを持っている筈のルドマンを味方につける為に説得しようと試みるも、ルドマンは首を横に振って。
(分かっている……! 私だって分かっているんだ! だが、こうなってはもう誰にも止められんのだ……っ)
自分と同じ様に悔いているのだろう悲痛な声音での言葉を聞いたカナタは、これから目の前で起こるだろう惨劇を予感し溢れんばかりの涙を流しながら祈る。
──せめて、次に生まれ変わる時は。
あの少女を元の平和な世界に──と。
(私の、せいで……っ、ごめんね、ごめんなさい……)
そして、いよいよ近衛兵達の槍が少女を貫かんとしたその時、少女は大きく息を吸い──何かを叫んだ。
『──たすけて……っ、みんな……!!』
その瞬間、少女の身体が──いや、少女が抱えていた人形がそれぞれ赤、青、緑の三色の強い光を放ち、この謁見の間とそこにいる全員を眩く照らす。
「──う!? うあぁああっ!?」
「な、何だぁ!?」
「け、警戒しろ! 何かが起こるぞ!」
「王を! 王をお護りせよ!!」
今まさに少女を処刑せんとしていた近衛兵は、あまりに突然の事態に混乱の極みに陥ってしまっていた。
(な、にが──)
召喚時の魔方陣の放つ光にも目を逸らさなかったカナタやリドルスでさえ、目を逸らしてしまう程の光。
しばらくするとその光も先程の様に弱まり、その場にいた者たちはまず、どういう訳か固まったまま動こうとしない近衛兵の姿を視認し──一様に困惑する。
──次の瞬間。
近衛兵たちが一人、また一人と倒れ始めた。
彼らは皆、誰の目から見ても明らかに。
……死んでいた。
──ある者は強固な鎧ごと全身を砕かれ。
──ある者は見るも無残な裂傷状態にあり。
──ある者は何故か濡れ鼠になり溺死していた。
優に二十人はいた筈の近衛兵たちが倒れ切った時。
中心にいた少女は既に限界だったのか意識を手放しており、その少女を守る様に囲む何かの姿が見えた。
それは、この世界においては然程珍しくもない。
人魚、鳥人、そして──人狼。
──三体の、亜人族の姿だった。
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