痩せ我慢、からの──
──察しておったのではないのか?
コアノルは、確かにそう言ってのけたし。
事実、他に言い様のない嫌な予感はずっと抱いていた。
最後にぬいぐるみに戻す直前の、ウルたちの発言も。
命が宿っていた為か、その手に抱えた時に感じていた人肌に近い温かみを、どういう訳か感じなくなっていた事も。
あらゆる要素が、望子の不安を煽っていたものの。
どうしても、認めたくなかった。
……認める訳には、いかなかった。
望子に力を与える為の贄となった二体の魔族、フライアとヒューゴが死んだと聞かされた時も当然ながら深い哀しみを抱いたし、つい先程キューやピアン、ファタリアやウェバリエ、エスプロシオたちが死んだと聞かされた時も涙こそ流れずとも膝をつき、肩や声を震わせる程の哀しみに暮れたが。
この時の望子の悲哀は、それらの比ではなかった。
とても世界を救った勇者のものとは思えない程に青白くなった望子の顔は、そうして彩られた絶望をありありと伝え。
よく立っていられるな、そう思っても仕方ない程に足を震わせるその姿は、まるで何の力も持たない少女の様だった。
「……ミコ嬢、残念であるが今の精神状態では──」
最早、勇者どころか冒険者と呼ぶにも相応しくはない状態に陥ってしまっていた望子に対し、まるで親か何かの様な優しい声音で〝勇者としては選ぶべきではない選択肢〟を選ばざるを得ないのでは、とローアが提案しようとしたその時。
「──だい、じょうぶ。 わたし、ちゃんとやるから」
「ミコ、嬢……? しかし……」
肩に置かれたローアの手を優しく払い除けた望子がそう言って力なく笑うも、その黒い双眸からは光が失われており。
何をどう解釈すれば大丈夫だと思えるのか、ローアが聡明だからこその疑念の渦に呑み込まれていくのをよそに。
「なまえを、よべばいいの? みんなみたいに……?」
「う、うむ、おそらくは……」
「ほんとは、ぜったいいやだけど……わたしのおうちにつれてかえりたくなんかないけど……このせかいのために──」
一歩、また一歩と小さな歩幅と緩やかな速度で前に出ていく望子に、ある意味では気圧されるかの如く言葉に詰まりながらもローアは少女からの問いかけに肯定し、それを受けた望子は改めて魔王への嫌悪感を内心どころか言葉にしつつ。
「──ぬいぐるみに、するよ。 いいよね?」
『願ってもない。 是非、枕元にでも置いて欲しいのぉ』
「……ぜったいやだ」
『ふはは! 嫌われたものよ!』
「っ、うるさい! ほら、てをだして!」
『うむ、これで良いか?』
それでもなお、この世界を救う為なら魔王を母が待つ家に連れて帰る事も厭わないという覚悟を決めた望子の小さな白い手と、コアノルの半透明かつ美しい褐色の手が重なり。
「……まおう、こあのる──……こあのる=えるてんす!」
明らかに最後まで言い切りたくない様子で詰まってしまったものの、どうにか覚えていた魔王の名を叫んだその瞬間。
──ぽんっ。
という間の抜けた音が心臓を護っていた部屋の中に響き。
「おっと」
魔族らしい角と羽と尻尾が魔王らしく幾つも生えた褐色肌のぬいぐるみが空中に投げ出され、それを受け止める気はないだろう、と分かっていたからこそローアが受け止めた時。
時間が再び動き出した様な感覚──『何だそれは』と言われても、そう表現する他ない──を肌で感じた途端、時が止まる寸前まで続いていた魔王城の揺れと崩壊が徐々に緩やかになっていき、この大陸が魔王の支配下から逃れたのだと理解したローアが、ふと手の中のぬいぐるみに視線を落とし。
(……あれ程までに世界中の愛らしい物をかき集めておられた魔王様ご自身が、斯様にも愛らしい人形と化そうとは……)
何の因果か、それが己の生きる意味だと言わんばかりに愛らしい生物や道具などを手中に収めていたコアノルが、あろう事か愛玩物になってしまうとは難儀なものだと、とても主に向けるものとは思えぬ皮肉めいた笑みを浮かべていると。
「……ねぇ、ろーちゃん」
「……如何した?」
勇者としての役目を終えた望子が、声をかけてきた。
何を言おうとしているのか、ローアは分かっている。
今にも決壊してしまいそうな、その悲哀の表情を見れば。
光の代わりに涙で濡れた、その黒い双眸を見れば──。
「もう……みんなと、おはなしできないの……?」
「うむ」
ぽたっ。
「もう、いっしょにごはんもたべられないの……?」
「……うむ」
ぽたり。
「もう……っ、にどとあえないの……!?」
「……」
「う……うあぁ……っ」
ぽたぽた。
……もう、限界だった。
「うわあぁああああああああああああ……っ!!」
「ミコ嬢……」
元の世界でも異世界でも、ずっと大切にし続けていた三つのぬいぐるみを抱きしめ、かつてない程に泣き崩れる望子。
ローアはただ、そんな少女を見ているしかなかった。




