黄泉返りし双頭狂犬
ドルーカ前の草原にて双頭狂犬との戦闘を開始した二人は、次から次へと巣穴から飛び出してくる犬たちを一頭、また一頭と確実に仕留めており──。
『『グルァ──ギャウ"ッ!?』』
「十と三──ふぅ、キリがないね」
「巣穴にも近づけねぇな……あの穴ん中に何か大事なもんでもあんのかね──っと!」
『『──グ、ギャアッ!』』
かたやアドライトが両腕に装着した弩弓から魔力を込めた矢を放ち、双頭狂犬の弱点である二つの首の間の部位を正確に撃ち抜いているのに対して、かたやウルは両手に展開した巨大な赤い爪で襲いくる双頭狂犬を手当たり次第に、そして力任せに蹴散らしていく。
「かもしれな──」
そんなウルの愚痴にも似た言葉に返事をしようとアドライトが振り返ったその時、今にもウルに飛びかからんとしていた一頭の双頭狂犬の姿が映り──。
「! ウル、後ろに──」
「よっと」
彼女は思わず警告の声を上げたが、当のウルは自慢の鼻で全て分かっていた為か身体を後ろに反らしながら、飛びかかってきた双頭狂犬の腹を逆立ちの要領で蹴り上げ靴底から放射状の炎を放ち、焼却した。
「──っと、やるね」
悲鳴を上げる間もなく消し飛ぶ双頭狂犬を見たアドライトは、『余計な心配だったかな』と苦笑する。
「……囲まれちまったな。 割と統率がとれてんじゃねぇか。 ま、別の巣穴を見落としてたってのもあるが」
そんなアドライトの称賛の感情を遮る様に呟かれたウルの言葉通り……双頭狂犬の群れは、もう一つの巣穴から飛び出してきた集団と素早い動きで充分な距離を取り、彼女たちを取り囲んでいた。
「……いや、あれはたった今作ったんだろう。掘削を役割とする個体が、この群れには多いと見て良さそうだね──ほら、あれがそうだよ」
一見すると自虐にも聞こえる呟きを漏らすウルに対してアドライトが首を横に振り、スッと少し遠くへ指を差した先には他の個体と比べると小さな双頭狂犬が、もう一つの巣穴からヒョコッと頭を出している。
……双頭狂犬は紛れもなく野生の獣であるが、言葉こそ扱えずとも高い知能とを有し、長となる個体を中心に高度な社会性を持つ事で知られていたのだった。
「……役割分担か……まぁいい、数だけ多くても無意味だって事を教えてやろうじゃねぇか」
アドライトの指差す方を見遣り、そして彼女の簡潔な解説を受けたウルは深く長い息をついた後、『バチン』と指を打ち鳴らして右手に真紅の業炎を宿し、望子の前では見せられない邪悪な笑みを湛えている。
現状、互いに背中合わせになる様に立っていた事もあってか、そんな彼女の表情が見えていないアドライトは『君らしいね』と、まるで長年の相棒であるかの如き発言とともに軽く微笑んでから──。
「……じゃあ、折角だから私も少しだけ本気を出そうかな──銀等級相応に、ね」
「……今まで本気じゃなかったのかよ」
何故か展開していた弩弓を『ガチャッ』という機械音にも似た大仰な音を立てて畳み始めた事にウルは驚き、その言動と行動……両方に疑問を抱いて真意を問うと、彼女はクスッと笑みを浮かべる。
「勿論だよ。 討伐とはいえ今回は素材の回収が主な目的だからね。 全力でやったら影も形も残らない」
「……そうかよ。 じゃ、お手並み拝見だな」
先程よりも低くなった様に感じる声音で答えたアドライトに怖気を感じたウルだったが、『気にしても仕方ねぇか』と発現させていた業炎を消し、気を取り直す為に両手で『パンッ』と頬を挟んでから呟いた。
「ふふっ、期待に添えられる様にしないとね」
ヒラヒラと手を振るウルの後ろ姿を見たアドライトは……展開はされておらず、されど納めている訳でもない弩弓を装着した右腕を高く掲げ、そこへ同じ状態で同じ形の弩弓が装着されている左腕を添えて──。
「──『魔弾装填、属性付与T、標的確認』」
この世界では俗に、『詠唱』と呼ばれる魔術の質を向上させる為に術名の前後に付与する呪文の様なものを呟き始めた瞬間、両腕に装着された弩弓が重ねられた両腕を支点として『ガチャガチャ』と音を立てて回転し、次第に強く大きく形を変えていく。
『『グルルル……!』』
『『ガウッ、ガウッ!』』
『『『『──ウォオオオオーーー……ッ!!』』』』
その時、『時間をかけるのは愚策だ』とでも吠え声による意思疎通をしたのか、いっせいに遠吠えを上げた双頭狂犬が輪を詰める様に襲いかかってきた。
「っ、おい来るぞ──っ!?」
それを察したウルが警告の叫びを上げてアドライトの方を向いたが、彼女は思わず言葉を失ってしまう。
……それも無理はないだろう。
彼女の両腕に装着されていた筈の弩弓が両腕どころか上半身を覆う様な形状の大砲へと変化を遂げ、今にも空へと向けて何かを撃ち出さんとしていたからだ。
「お、お前それ……!」
「『かの者に迅雷の雨粒を──『急襲雷雨』』」
『『グ──ギャ、ギャウ"ォッ!?』』
ウルの困惑を込めた言葉を無視して放たれた黄色い砲弾の様な魔力は、上空で強く輝くと同時に無数の雷の矢となって、『何事か』と一様に空を仰いでしまっていた双頭狂犬の群れめがけて降り注いだ。
双頭狂犬たちが一頭、また一頭と光の速さで降り注ぐ雷の矢に貫かれ絶命していく中、少しずつ対応しているのか躱す個体が現れたのを見たウルは──。
「ちっ、躱され──」
「ないよ、見てて」
強めに舌を打ちつつその個体を仕留めようとしたのだが、アドライトが彼女の言葉を継いだ瞬間、完全に躱され地面に落ちる筈の雷が妙な軌道を描き、躱したばかりの個体の二つの脳天を貫いてしまう。
「な、何だありゃ……?」
「命中って言ってね? 私が発射、及び投擲した物は必ず標的に命中するんだよ。 そういう恩恵なんだ」
得意げな表情で語る彼女の言葉通り……命中とは、授かった者が放った何かが標的へと着弾する前に破壊、或いは相殺されない限り必ず命中するという射手にとっては非常にありがたく、そうでない者も職業の鞍替えを検討する程に汎用性の高い恩恵であった。
……よくよく考えてみれば、アドライトが先程から放っていた矢は一度として外れていない。
「……とんでもねぇな」
二度、三度と躱していた個体にも躱してきた筈の雷の矢が軌道を変えて襲いかかる……その凄惨な光景にウルの口からは呆れた様な呟きしか出てこなかった。
「ふぅ……これで終わり──」
漸く目で見える範囲の双頭狂犬を始末し終えたと判断したアドライトが、再び『ガシャッ』と音を立てて大砲を弩弓へと戻して一息つこうとした瞬間──。
『『──ヴァオオオオオオオオーーー……ッ!!』』
「──っ!?」
「ぅ、おぉっ!? 何だぁ!?」
そんなアドライトの言葉を遮る様に、おどろおどろしい雄叫びが轟くと同時に彼女たちの視界に映ったのは……二人が最初に見つけた方の巣穴から無理矢理飛び出してこようとする、原形が分からない程にドロドロに溶けた二つの顔と血走った大きな四つの目。
──そして、何よりも。
「……あいつが群れの長、か──って、うあ"っ!? くっさ! くっさ!! 何だこの臭いはぁ!?」
その姿を視認した瞬間……ウルはあまりの激臭に自慢の嗅覚を持つ鼻を両手で覆って蹲ってしまう。
「腐敗……してるみたいだね。 しかも黄泉返りとは」
銀等級といえど耐え切れるものではないのか、アドライトも首元の襟で顔の下半分を覆っている。
「……れ、黄泉返り? 何だそりゃ」
「……そうだね、分かりやすく言えば──」
無論、黄泉返りなど知る筈もないウルが嫌という程に顔を顰めながら疑問を口にすると、アドライトは同じ様に表情を歪めつつも解説し始めた。
黄泉返りとは、この世界では当たり前に存在する動く死体……屍人や活死体の上位存在であり、それらと比べて遥かに多くの負の魔力を有しているとの事。
……しかし、そんな魔力を持ってしても黄泉返りの殆どは必ずしも……『悪』ではないらしい。
「あ、悪じゃない……? あんな臭いのがか?」
そう語り終えたアドライトの解説に対し、いまいち納得がいっていない様子のウルは再び視界に映る禍々しい存在について詳しく掘り下げようとした。
「多分だけど……あの個体は元々この群れの長だったんじゃないかな。 で……他の群れとの縄張り争いか、或いは別の何かを襲って返り討ちにあったか……とにかく、それらが要因となって死んでしまった」
「……」
すると、何故かアドライトは途端に整った顔を苦々しく歪めつつ、されどウルの疑問に答えたくない訳ではないのか、巨体に見合わない巣穴から這い出てこようとしている黄泉返りを警戒しながら憶測を語り、それを受けたウルは彼女の話を噛み砕いて理解する事が出来た様で、『それで?』とばかりに先を促す。
「更に憶測になるけど……多分、仲間を置いて死ねないって考えたんじゃないかな。 そして、運良く……いや、運悪くかな。 死の淵から戻ってきてしまった。 命は持たぬが意思は持つ──黄泉返りとして」
辺りに漂う腐敗臭が段々と強くなっていく中で、アドライトが語った憶測は決して間違っておらず、その個体は長としての役割を存分に果たしていた。
……生前も、死後も。
だからこそ双頭狂犬たちは……決して他の生物を自分たちの巣穴に近づけまいとしていたのだ。
──今度は自分たちが守らなければ、と考えて。
「……まぁ理由はどうあれ、やるしかねぇんだろ? だったら──あたしがやる」
決して憶測の域を出ないとはいえ、ただ一心にこちらを睨み続けている長に少し同情してしまう二人だったが、気を取り直す為かウルは再び両手で頬をパンッと挟み、一歩前へと……長の方へと足を運ぶ。
「しかし……大丈夫なのかい? その……」
一方、鈍感な人族に比べて感覚の鋭い森人である自分でさえ、ここまで嫌悪感を覚えてしまっている事で、『私がやろうか?』という旨の提案を控えめに告げようとしたアドライトは、ウルが鋭い嗅覚を持つ人狼である事を慮っていたのだが──。
「臭いの事を言ってんなら全く大丈夫じゃねぇが……お前の憶測が正しけりゃあ蘇ってまで守りたかった仲間をあたしらが殺しちまったって事だ。 だったらせめて……あたしの手で仲間んとこに送ってやる」
しかしウルは……最早、兵器とまで呼べる程に激臭を放つ長に顔を顰めつつも、『他に看取ってやれる仲間もいねぇんだからな』と憐む様な呟きを漏らす。
(……優しい、いや……甘い、って言うのかな。 そこもまた、魅力的だけどね)
『『ヴォルルルル……!!』』
そんな中、漸く狭い巣穴を突き破る様にして姿を現した長の身体は全身が朽ち果ててしまっており、辺りに転がる仲間たちの死体をその目に映すやいなや低く唸って、さも親が子を慈しむかの様な視線をウルに向けていたアドライトごと二人を強く睥睨した。
──お前たちか、と血の涙を流して。
「──悪かったな、双頭狂犬の長。 今から放つ一撃は……あたしからの餞別だ。 受け取ってくれよ」
瞬間、ウルが両手を地面について……奇しくも眼前の双頭狂犬と同じ四足歩行の姿勢を取る。
「っ!? ウル、何を……っ!?」
アドライトは声を荒げてしまったが……無理もないだろう、何しろ彼女からはウルが唐突に這いつくばって降伏した様にしか見えなかったからだ。
「あたしは……あいつらとは違うぞ……てめぇの力ぐらい……乗りこなしてやらぁああああっ!!!」
しかし、ウルがその姿勢のまま全身に赤く輝く魔力を纏ったかと思えば……双頭狂犬と同等か、それ以上の大声で魔力を込めた叫びを放ち、彼女を覆っていた真紅の魔力は超巨大規模の竜巻の様に立ち昇る炎となって……少しずつその形を変えていく。
「な……!? 火焔蜥蜴……いや、龍……!?」
目を見開いて驚愕するアドライトの視界には、燃え盛るウルの炎で象られた巨大な爬虫類……所謂、暴君竜が双頭狂犬の長と対峙する光景が映っていた。
……かつての海竜や、翼竜と同じ様に。
『──ルァアアアアアアアアアアアアッ!!!』
『『……ヴァオオオオオオオオーーーッ!!!』』
かつて太古の地球を我が物顔で闊歩していたのだろう怪物を模したウルの、強大かつ超高温の雄叫びにも長は怯む事なく、ありとあらゆる物を腐敗させる黄泉返りの固有武技『腐乱息吹』を吐いて応戦し──。
──そして、両雄が激突する。
『ウルルル……ッ! ルァアアアアアアアアッ!!!』
『ヴォ、ァ──!』
双頭狂犬の長は決して後ずさる事をしなかったが、最期にはあまりに絶望的な大きさの業炎の口に呑み込まれるも悲鳴は上げず……二度目の生を終えた。
「──はっ! ウル……ウル! 無事かい!?」
流石は銀等級、吹き飛ばされたりはしなかったものの呆然としていたアドライトは、いつの間にか消失していた暴君竜がいた場所に仰向けに倒れていたウルに声をかける。
その場所は完全に焦土と化しており、あれ程に次から次へと湧いてきていた双頭狂犬たちも、あまねく業炎に焼かれて死んだのだろうと察せられた。
……巣穴にいたであろう、非戦闘要員ごと。
「──っつつ。 ぁあ、何とかな……悪い、肩貸してくれねぇか。 あいつがどうなったか確認しねぇと……」
「あぁ、勿論だよ。 よっと……ふふ、あんな凄い魔術を行使したとは思えない程に軽いね、君は」
そんな折、ウルが服に僅かに移った小さな火種を払いながら、アドライトに対して『運んでくれ』と片方の腕をゆるりと伸ばした事で、ウルより更に細身である筈のアドライトは、それでも軽々とウルの身体を肩にかかった腕ごと持ち上げて微笑んでみせた。
「う、うるせぇ……それよりも──お、上手くいってたみてぇだな……良かった良かった」
「うん? ……! まさか、これを狙って……?」
自分にわざわざウインクなんてしてくるアドライトに、珍しく照れ臭そうな態度を見せて話題を切り替えたウルの視線の先……正確には、双頭狂犬の長が二度目の生を終えた場所に何かが落ちており、それが何なのかを理解したアドライトは思わず目を見開いてしまう。
「……あいつらには、負けてらんねぇから、よ……」
「……ウル?」
その一方で、そんな彼女の驚愕と疑問のこもった声に対する返答が、少しずつ途切れ途切れになっていくのを気にしたアドライトがふと目を遣ると。
「……すかー……」
どうやら先程の魔術の行使によって疲れ切ってしまっていたらしく、だらしなく口を開けて眠っていた。
(無理もない……あれだけの威力だ。 しかも、本来の目当てである牙と魔石には焦げ目一つ付いていないときた。 一体どれ程の精神力を消費していたのやら)
……そう、先程まで黄泉返り《レヴナント》が存在していた筈の焼け野原には、とてもではないが双頭狂犬のものとは思えない程に禍々しい牙と、長だからとはいっても随分と大きく……何より黒々とした魔石が転がっている。
かつて似た様な力を行使した二人とは違い、『乗りこなしてやる』と豪語してみせたウルの言葉通り、彼女はあの状態にあっても冷静だったのだろう。
「……ふふ、ますます興味が湧いたよ。 ウル、君にも……そして、君の仲間たちにもね」
アドライトは小さく呟いてから可能な限り牙と魔石を回収し、ウルをおぶって帰還したのだった。
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