奪い返さない理由
──……そもそも、そもそもだ。
望子の持つ魔呪具、禁忌之箱の創造主が真に魔王コアノルその人だと言うのであれば。
望子の抵抗を無謀だと一笑するのならば。
奪い返してしまえばいいのでは──?
と、そう思うかもしれない。
尤も、コアノルは禁忌之箱を全解放させた状態の望子相手に苦戦などしていないし、わざわざ奪い返す必要もないと言えばないが。
それでも望子の姿や力に多少なりとも感心を覚えた以上、自分の喉元や心臓に届き得ると判断したと言い換えても差し支えない筈。
故に、リスクを冒してでも望子の攻撃を躱すついでに禁忌之箱を掠め奪ってしまえば。
反撃の芽の一切を摘む事が出来るのに。
何故それを実行しないのかと問われると。
しないのではなく、出来ない。
奪い返さないのではなく、奪い返せない。
が、正しい答えとなる。
何故なら、あの小さな立方体は──。
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──……と、その前に。
望子が放つ蒼炎と闇黒の弾幕を、さも舞踊の如く優雅に、そして流麗に躱してみせている魔王コアノルの思考を覗いてみよう──。
それは遡る事、千年以上も前。
世界の掌握を至上目的として掲げた他種族との戦争の傍ら、いくつもの魔呪具を手慰みに創造していた魔王コアノル=エルテンス。
その中には、いわゆる決戦兵器とさえ呼べる暴虐的な力を持つ代物から、たとえ所有者が下級であったとしても上級近くにまで存在の格を昇華させる万能な代物まで多種多様。
その全ては当然、魔王が掌握──。
──……可能な筈だったのだが。
たった一つ、たった一つだけ創造主であるコアノルの手から離れた魔呪具が存在した。
(……運命之箱は妾が所有しておった魔呪具の中でも殊更に異質。 魔王たる妾が手ずから創造してやったというのに、さも魔呪具そのものに意思が宿ったかの様に、『闇』しか纏えぬ妾たち魔族には扱えぬ代物となりおった)
そう、それこそが運命之箱。
言うまでもなく当たり前の事ではあるが。
魔呪具、及び魔道具に意思などない。
生物ではないのだから当然である。
しかし、その魔呪具は──運命之箱は。
まるで魔王に、延いては魔族という種そのものに自らを扱わせまいと抵抗する様に、この世界に存在する属性の内、闇しか纏う事の出来ない魔族の手に余る代物と成り果てた。
当時は、いまいち要領を得なかったが。
(ユウトが異世界に召喚されたのは運命之箱を完成させる直前だったとか。 今思えば、ユウト召喚の余波で発生した魂魄付与の影響を受けて、半生物となっておったのじゃろうな)
今になってみれば、あらゆる無機物に己の魂を切り分ける事で付与し、それを己の武器や仲間とする異能──魂魄付与を持って召喚された先代勇者、勇人が喚び出された直前に創造してしまったが為に、その余波を受けて意思を持ってしまったのだろうと推測する。
その推測は──……正しかった。
実際、運命之箱は言語による会話は出来ぬものの明確な意思を持ち、コアノルを始めとした全ての魔族に抗わんとしてみせたのだ。
文字通りの魔の手から逃れる為に。
しかし、その推測が正しいのならば。
運命之箱は何日、何ヶ月、何年もの時間をかけて様々な人族や亜人族の手を渡って、いずれは勇人の元へと辿り着く筈だったのだ。
召喚勇者である勇人の所有物となり、武器か或いは仲間となって、コアノルに勝利する為に必要な欠片の一つとなる筈だったのだ。
……そういう運命の下にあった筈なのだ。
(……そして本来、運命之箱はユウトの手に渡る筈じゃったが、あいにくユウトは魔呪具を必要とせぬ程の圧倒的な力を有しておった)
だがしかし、かつてのユウトの力は今の望子よりも更に強く、そもそも魔呪具の力を借りずとも魔王と互角以上に渡り合えており。
そこに、かつての──否、今の世界でも最強の亜人族であるリエナを始めとした仲間たちや当時の聖女の助力、更には望子の母親であり女神でもあるジュノの加護をも厚く受けていた以上、魔呪具など不要であったのだ。
だからこそ、その魔呪具は──。
(巡り巡ってミコの手に渡ったという訳じゃの)
千年もの時を経た後、勇人の実の娘であり勇人と同じ様に勇者の素質ありとして喚び出された少女、望子の元へ辿り着いたのだろうというのが、コアノルの出した結論だった。
そして望子の手に渡った後、数々の助力があったとはいえ禁忌之箱へ至った以上、禁忌とはまさに魔王に対してのものである故に。
奪い返す事は勿論、指一本触れる事さえ出来ないでいる──というのが答えであった。
──……と。
まぁ、ここまで色々語ったものの。
(或いは……これらの憶測は全て的外れで、あの異端者が介入しておったのやもしれぬがな)
もう一つの捨てきれない可能性として、コアノルさえその一挙手一投足全てに予測がつかない異端の存在──研究中毒者が何らかの手を加えたかもしれないのだが、いくら何でもそこまで発想を飛躍させる意味はない為。
ここで、コアノルは一旦思考を放棄した。
己の目前で必死に戦う幼き召喚勇者を。
(……さて、そろそろ相手してやるかの)
……構ってやる為に。




