人魚印の蜂蜜水
二人を呼んでくるわね──と、ここまで進んできた道をウェバリエが引き返してから、およそ十数分後。
「──……ぉーーーーい、だーいじょーぶー?」
「……来たか」
未だに目を覚ます様子のない、ところどころ火傷や凍傷の痕が残るハピとともに爆発の起きた場所で待っていたウルの耳に、いつも通りのフィンの声が届き。
「──うわっ、何か思ってた以上にヤバい事になってる! ウル……は大丈夫そうだけど、ハピは大丈夫?」
その腕に望子を優しく抱きかかえたまま、『ちゃぽん』と宙を泳いできたフィンにも先の爆発音は届いていたらしいが、どうやら想定していたより被害が大きい事に驚いている様で、ウルは見た感じ無事ではありそうでもハピはそうは見えない為、心配を口にする。
ちなみに先の爆発音は森の端から端まで届いていたらしく、これといって聴覚が優れている訳でもない望子も、すっかり怯えてフィンに抱きついており──。
それを踏まえると、フィンが心なしか上機嫌な様に感じるのも、ウルたちの見間違いではないのだろう。
「……ハピは割と重傷だが、まぁ死にはしねぇだろ」
「そっか、それなら──……っと、みこ?」
そんな彼女の緩みきった表情を見たウルは若干の苛立ちを露わにしていたものの、それでも自分たちを心配してくれているというのが事実である以上、声を荒げてしまうの違うと気を取り直したウルの返答に、フィンが安堵の息を溢していた──まさに、その瞬間。
望子がフィンの腕の中から離れたかと思えば、そのまま全く目を覚ます様子がなく浅い呼吸音を立てているハピに寄り添いながら、ウルを涙目で見遣りつつ。
「……とりさんに、なにがあったの……? なんで、こんなひどいことになるの……? ねぇ、おおかみさん」
「……あ〜……いや、何つったらいいか──」
そこにウルを責める意図は決してないが、それでも問い詰めるかの様な口調で声をかけてきた為、答えなければと分かっていても、どう答えるのが正解なのだろうかとウルは思考の海を征く航海を始めてしまい。
二人が負っている怪我は結果的に、その全てがウルの炎とハピの冷気によるものであり、つまりは──。
(自爆した──……なんて言いたかねぇしなぁ……)
……そう、まさか『魔物を倒そうとして覚醒した結果、熱気と冷気で自爆した』という間抜けにも程がある報告は、ウルとしても出来ればしたくはないのだ。
ゆえに、『もうちょっと様になる言い訳を』と考えて、それっぽい理由を立てんとしていたウルの耳に。
「詳しい事は知んないけどさぁ、ここにいた何とかっていう敵を倒そうとして自爆したんでしょ? キミたちはもしかしてあれなの? 爆弾? ぬいぐるみ爆弾?」
「おいこらぁ! 誰が爆弾だ──……はっ!?」
「ん?」
取り敢えずは無事だと分かったからか、どうにも挑発するかの様なニヤニヤとした笑みとともに発せられたフィンの声が届くやいなや、いくら何でも爆弾呼ばわりはねぇだろとウルは苦言を呈そうとしたのだが。
……ここで、とある違和感を抱いてしまった。
「お、お前、何で知っ──お前か!? ウェバリエ!」
「ちっ、違うわよ!? まだ話してないもの!」
そう──どうにかして隠蔽しようとしていた『戦い終わりの自爆』という真実を、どうしてフィンが知っているのかと疑問を投げかけようとした瞬間、逆にこれ以外の選択肢があろうかと彼女は勢いよくウェバリエの方を向くも、それを受けたウェバリエは首も手もぶんぶんと振って何とか否定の意を示さんと試みる。
当然ながら──というのも妙だが、ウェバリエが言っている事に嘘はなく、ここに戻ってくるまでの間は本当に必要最低限の情報しか共有出来ていなかった。
「何でも何も、ぜーんぶ聞こえてたもん。 ハピの陰気臭い呟きも、ウルの鬱陶しい怒鳴り声も──おめでとう、ウル。 火、出せる様になったんでしょ? 凄いね」 「へっ? あ、あぁ……そう、だけどよ……」
翻って、フィンは何でもないかの様に頭の横についた鰭をぴこぴことさせつつ、この場で起きた一連の出来事は話し声まで含めて全て聞こえていたと明かす。
……無論、二人の新たな力の事についても。
(……あの小屋からここまで、どんだけ距離あると思ってんだ……? こいつ、やっぱりあの時に何かが──)
「?」
ウルが脳内で呟く『あの時』とは望子の中から現れた何かが彼女を治療した──もとい修繕した時の事。
あの時、《それ》の奇妙な力によって治った後のフィンの身体を覆っていた煌々とした金色の光が彼女を強くしたのだとウルが推測する一方、フィンはといえば『何の事?』とでも言いたげに首をかしげていた。
「──……ね、ねぇ、どういうこと? ばくだんってなに? とりさんは、ほんとにだいじょうぶなの……?」
「「えっ」」
そんな折、話に割って入っていいものかどうか悩んでいた望子が、ハピに膝枕してあげている姿勢のままで二人を見上げつつ再確認せんとした事で、すっかりハピの事が頭から抜けていた二人の声が重なったが。
「あ……あぁ大丈夫だ。 そりゃ怪我しちゃいるが、ちょーっと休めば治るって。 そうだよな? ウェバリエ」
「え? え、えぇそうね。 大丈夫よ、ミコちゃん」
「……そっ、か──」
とにかく、これ以上の心配をさせる訳にはいかないと踏んだウルは、ほんの少し吃りながらも『何にも心配しなくていいぜ』と安心させる旨の発言をしつつ話を振り、あまりに何の突拍子もなく話を振られたウェバリエも、それとなく同じ様に笑顔を向けてみせた。
一方の望子は、しばらく顔を伏せていたのだが。
「──……ねぇ、いるかさん」
「ん? なぁに?」
「みんなけがしてるし、あれあげたら?」
「……あれ?」
パッと顔を上げたかと思えば、そのままフィンの方に顔を向けながら『怪我人の役に立つ何か』を指すらしい『あれ』とやらについて言及し、それを受けたフィンは一瞬きょとんとしてしまっていたものの──。
「……あぁはいはい、あれね? 確かに、そう言われればちょうどいいかもねぇ──あれの被験体としては」
「「ひ……っ!?」」
すぐに、『あれ』とやらの正体に辿り着くやいなやウルとウェバリエに悪びれた笑みを見せて、どう聞いても善なる言葉ではない『被験体』という単語を用いてきた事により、まるで悲鳴の様な声を出した二人。
「待て、待て待て!! 被験体って何だよ!? お前、ミコと一緒に蜂蜜採りに行ってたんじゃねぇのか!?」
「……わ、私はともかく二人は本当に重傷だから、あまり危ない事はしてほしくないのだけれど……ね?」
かたや自分も重傷の身である事を忘れているかの様にフィンに詰め寄り、かたや自分の事より他二人の事を心配したうえで危ない事はやめてねと言い諭すも。
「だーいじょーぶだって! ちゃんと蜂蜜っぽい何かではあるからさ! まぁ効果の保証は出来ないけどね!」
「効果ぁ!? しかも保証しねぇだと!?」
「ちょっと待って普通に怖いわ……!」
当のフィンは一体どこで覚えてきたのかも分からないサムズアップをしつつ、にこやかな笑顔のままに不届き千万な物言いをしてきた事によって、ウルは更に怒鳴り散らし、ウェバリエは恐怖で身体を震わせる。
「ふ、ふたりとも、とりさんがおきちゃうから……それにわたしもためしたからだいじょうぶだよ。 ね?」
「「うっ……」」
そんな三人のやりとりを聞いていた望子が、『しーっ』と人差し指を唇に添える可愛らしいポーズを取りながら、『しんぱいしないで』と二人を安心させる為の声をかけてきた事で、ウルたちは思わず口を噤み。
「ほら、みこも言ってるよ? ウェバリエはともかくとしてキミも試さないの? みこがああ言ってるのに?」
「ぐっ……!」
そこへ追い討ちをかけるかの如く、とても召喚勇者の所有物とは思えない程の厭らしい笑みを湛えたフィンの煽りを受けたウルに、もう逃げ場などなく──。
「──……っあぁもう分かったよ! 念の為に言っとくけどな! ミコが言ったからだぞ!? お前の被験体になってやるつもりは一切ねぇからな! ほら寄越せ!」
「はいはい、どーぞ召し上がれ」
いつの間にか、フィンがぴんと立てた人差し指の先にふわふわと浮かんでいた水色と黄金色が入り混じる球体を見て、これ以上の抵抗は無意味だと悟った彼女は片手を伸ばして、フィンはその手に球体を乗せる。
ウルは、それを一口に含んでしまうだけでは飽き足らず、そのまま口の中で『ぷちっ』と潰してしまい。
「おー、豪気だねぇ。 流石は『おおかみさん』だよ」
「ウ、ウル、大丈夫なの? ちゃんと蜂蜜の味する?」
まさか、ちょっと舐めたりもせず一口でいくとは思ってなかったフィンが、もう一つの名を──望子がつけてくれた『おおかみさん』という名を煽りに使うという暴挙に出る中、割と本気でその球体の正体が分からず心配に心配を重ねるウェバリエが声をかけた時。
「──……うっ」
「「「う?」」」
突如、ウルが呻く様な声を出した事により未だ目覚めぬハピを除く他三人が、ウルの反応を繰り返すと。
「……美味ぇ……のかよ……普通に……!」
「……え? 美味しいの? 普通に?」
よもや美味しいとは夢にも思っていなかったのだろう、ウルは若干キレ気味で口の中に広がる濃厚な甘味を舌で味わっており、いまいちそれが信じられないウェバリエが彼女の顔を覗き込みつつ確認したところ。
「そりゃあそうだよ。 だって蜂蜜とボクが作った水を混ぜただけだもん。 逆に何で危ないと思ったの?」
「それは貴女が妙な言い回しをするから──って」
そんな彼女の問いに答えたのはウルではなくフィンであり、その球体の正体が蜂蜜とフィンが生成した水を混ぜて、それを魔力の薄い膜で覆っただけの物だと何でもないかの様に明かしてみせたが、そもそもフィンの言い回しが悪いからだとウェバリエは苦言を呈そうとしたものの、そんな彼女の視線が一点に止まる。
「ウル!? 貴女、身体が光ってるわよ……!?」
「美っ味──……ん? ぅおっ、何だぁ!?」
それもその筈、何故かは全く以て分からないがウルの身体が水色と黄金色の混ざった淡い光に包まれていたからであり、しばらく甘味の余韻に浸っていたウルもまた自らの異変に気づいたが──もう時既に遅し。
「うおあぁああ──……ぁ、ああ……?」
まさか爆発でもするのか──と身構えたところでどうしようもない程の極端な邪推をしていたウルの身体を覆っていた光は、そんな彼女の予想に反して段々と弱まっていき、しばらくすると完全に収まっていた。
「何も、起きてねぇ……のか……? お、おいフィン」
拍子抜け──というのも僅かに違う気はするが、これといって何も起こらなかった事への納得のいかなさをフィンにぶつけようとしたウルの声を遮ったのは。
「──……ウ、ウル! 貴女、治ってるわよ! 傷が!」
「えっ──……うわ、マジだ!! 何でだ!?」
何が起こるかを予測していた望子とフィンを除いて真っ先に異変に気がついたウェバリエの声であり、ウルの美しく引き締まった肢体を傷物にしていた凍傷の痕や、まだ自分の炎に慣れていなかったゆえの若干の火傷の痕も綺麗さっぱりなくなっていたのであった。
「よぉし、成功! 思った通り!」
「やったね、いるかさん!」
「み、ミコちゃん? フィンも──これって、まさか」
先述した様に、きっと傷が治る筈だと予測出来ていた望子とフィンは上手くいった事で嬉しそうにハイタッチしているが、ウェバリエとしては大体の事を理解出来ていても説明は欲しいらしく、もしやと問うと。
「そ、傷を治す薬だよ。 回復薬って言うのかな? あの蜂たちの巣から採った蜂蜜だけ舐めてみたら、すっかり疲れとかが取れちゃったから傷も治るかもってね」
「回復薬? これが……?」
我が意を得たりとばかりに頷いたフィンは、またもぴんと立てた人差し指の先に球体を浮かべつつ、それをウェバリエに手渡しながら『ちょっと味見でもって思っただけなんだけどね』と全ては偶然であったのだと語ったものの、ウェバリエはどうにも信じがたく。
「……これ、冒険者なんかが携帯してる回復薬とは比べ物にならないわ。 確かに鋭刃蜜蜂の蜂蜜には疲労や多少の魔力を回復する効果はあるけど、ここまで瞬時に傷が治るなんてね──……あら、本当に美味しい」
何しろ、ウルの全身を覆っていた凍傷という凍傷が一瞬にして治った事を考えると、この森を訪れた冒険者や傭兵たちが携帯し服用していた回復薬とは効能も回復速度も比較にならない程、優れすぎているから。
絡繰としては、それこそ魔素溜まりと比べても遜色ない高い魔力濃度を誇るフィンの水と、ウェバリエが話した鋭刃蜜蜂の蜂蜜に備わっている疲労回復や魔力増強などとの相乗効果であり──まさに偶然の産物。
フィンに、そんなつもりは毛頭なかったからだ。
(人族の街で売ったら、ひと財産築けちゃうわね多分)
自らもまた水色と黄金色の淡い光に包まれて傷が治っていくのを見ていたウェバリエが、どうにも亜人族らしくない俗っぽさを脳内でのみ発揮していた一方。
(……レプが、『絶対に必要になるぞ』って言うから買ったのに……ボクが作った回復薬の方が効果ありそうだもんなぁ……ストックの確保も出来ちゃったし……)
何やら腰の辺りに着けたポーチの中を除いていたフィンは、どうやら王都で仲良くなった龍人に『買っておいた方が良い』と言われて回復薬を購入していたらしく、ポーチの中には回復薬入りの小瓶がいくつか転がっているのだが、こんな事になるなら買わなくてもよかったなぁとハッキリ言って後悔していた様だ。
結果論だと言われれば、それまでではあるものの。
「──……フィン? おいフィン!」
「ぇ、あ、何?」
そんな風に若干の落ち込みを見せていた自分に対して、ウルが話しかけてきている事に時間差で気がついたフィンは、ハッとなって表情を戻しながら反応し。
「ハピはどうすんだって話だよ! 聞いてたか!?」
「……あぁはいはい、ハピね……うーん」
ウルの話の内容は、これだけ騒いでいても一向に目覚める気配のないハピをどうするかという事についてであったらしいが、もう言わずもがな望子以外に大して興味がないフィンは梳く様に自分の髪を撫でつつ。
「蜂蜜水、口から流し込めば良くない? どろーって」
「「雑!」」
ふと思いついた案として、まだストックは充分にあるのか人差し指に浮かべた球体を、もうハピの口に押し込んで喉まで流し込めばいいのではと口にするも。
あまりに粗雑がすぎる彼女の提案に、『ふざけてないで真面目に考えろ』という感情が込められているのだろう、ウルとウェバリエの声が重なってしまった。
「え〜? だって、ハピも自爆なんでしょ? それで目が覚めないとか言われても──ん? どうしたの、みこ」
しかし、それでも興味を見出せないうえにハピもウルと同じく自爆である以上、自業自得なのだから多少の雑な扱いは受け入れて然るべきでは──との反論をしようとした時、未だハピに膝枕したままの望子が隣に浮かんでいたフィンの服を摘み、そちらを向くと。
「──いるかさん、はちみつわけて?」
「はわっ……!」
位置的に仕方ないとはいえ図らずも上目遣いになっていた望子の、おねだりとも言える言葉が直撃したフィンは思わず望子の可愛さに負けて人目も憚らず抱きつきそうになったが──どうにか自制して首を振り。
「う、うん! そもそも、これはボクとみこが二人きりで採ったものだからね! いくらでもあげちゃうよ!」
「ありがとう、いるかさん──よいしょ」
今度は人差し指だけでなく両手の指の数だけ球体を出現させたはいいものの、そこから望子が手に取ったのは一つだけであり、おまけに望子は何故かそれをハピに食べさせるのではなく自分の口に含んでしまい。
「「「……?」」」
もごもご──と口を動かしている望子を見て、どうするつもりなのだろうかと他三人が見守る中、望子はハピの整った顔に自分の愛らしい顔を近づけてから。
「──……んぅ……っ」
「「「!!!??」」」
あろう事か、ハピに口づけを落としてみせた──。
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