綺麗で邪悪な魔素溜まり
望子たっての願いにより、ウェバリエの手伝いをする事と相成ったぬいぐるみたちは、どういう理由からかは不明だが二手に分かれて行動する事にした様で。
こちらは──ウル、ハピ、そしてウェバリエ組。
サーカ大森林に棲まう生物たちを元に戻し、もし魔獣化や魔蟲化が消えないのなら、せめて正気を取り戻させる事で森に平穏を──というのが目的であった。
その為に、ウェバリエの話に出てきた『あれ』とやらの対処に向かっているのが、この三人なのである。
「──改めて……本当にありがとう。 心強いわ」
「気にすんなよ、ちゃちゃっと終わらそうぜ」
先程まで居た廃墟の様な小屋が建っていた辺りと比べれば、まだマシにも思える獣道を歩いていた三人の亜人族の一人、ウェバリエは歩みを止める事なく二人に礼を述べるも、ウルは彼女からの礼を軽くいなし。
「……そもそも望子が言わなきゃ手伝う事もなかったんだし、お礼なら終わった後に望子に伝えてあげて」
「えぇ、そうね……」
ハピはハピで、『望子のお願いでなければ手伝っていない』と冷たくも感じる物言いとともに、お礼なら望子にと告げた事で、それも尤もだと思ったウェバリエが苦笑いを浮かべつつも首を縦にふる一方で──。
「──……話は変わるけれど、あの二人は本当に別行動で良かったの? 私が言うのもあれだけど、この森は今お世辞にも安全とは言えない状況にあるのに……」
「「……」」
今、自分たち三人とは完全に正反対の方へ向かっている筈の二人──望子とフィンの別行動について是非を問いかけると、ウルもハピも何故か彼女を睥睨し。
「……そりゃまぁ良いか悪いかで言やぁ良かないんだけどな。 お前が言い出したからだろうよ、あんな話」
「そ、そうよね。 ごめんなさい……」
そもそもからして、ウェバリエが口にした『とある話』が別行動の原因だろうとウルが身を寄せつつドスを利かせてきた為、思い当たる節がありすぎたウェバリエは高い位置にある頭をぺこりと下げて謝罪する。
ちなみに、とある話とは鋭刃蜜蜂の事──正確に言えば鋭刃蜜蜂の巣で作られる、『蜂蜜』の事だった。
この世界における一般的な蜜蜂の巣で作られる蜂蜜は、かなり栄養価が高く疲労回復効果も覿面らしいのだが、これが魔蟲化し鋭刃蜜蜂となると魔力や体力の回復、軽いものなら傷や病さえ治すという栄養剤としても回復薬としても使える万能な内服薬になるとか。
尤も、その蜂蜜を作る鋭刃蜜蜂自体が非常に好戦的な魔蟲である為、実際に市場に出回る事は稀であり。
もし冒険者や傭兵が手に入れたのなら、そもそも売るより持っていた方が最終的に得になるという事も相まって、あまり一般人に普及されない希少品なのだ。
……などという、ウェバリエのありがたい御高説を聞いたフィンは、『ボク、それ採ってくるよ!』と先程まで蜂に追われていた事も忘れて立候補しており。
留守番する様に言われていた望子も、フィンと一緒の方が安全だろうと判断したウルの一声で同行が決まり、かくして別行動を取る事になっていたのである。
また、ハピがそれを許したのはウェバリエの『あの子たちが退いたのは私が倒されて敵わないと思ったからで、そう考えると今は大人しくなってるかも』という割と納得のいく根拠に基づいた説明があったから。
が、それはそれとして──。
「──……そう言えば、その鋭刃蜜蜂騒ぎの時に私を起こさなかったのはどうして? 三人なら、もっと早い段階で何とかなったかもしれないのに。 ねぇ、ウル」
「あ、あー……それは、だな……」
「……?」
鳥であるとはいっても蜂と特に関連のない梟の自分が簡単に対処出来たかはともかく、ハピも含めた三人ならばもっと効率的に物事を進められたのではないかという正論を投げかけると、やたら歯切れの悪い反応が返ってきた事にハピはぐるんと首をかしげており。
(……完っ全に忘れてた、とは言えねぇよなぁ)
一方、彼女の存在自体が忘却の彼方にあったとは言えないウルは、どう答えるのが正解と頭を悩ませていたものの、そんな悩めるウルに対してハピは微笑み。
「……もしかして貴女、寝てる私に気を遣ってくれたの……? そういう優しい面もあったなんて意外だわ」
「へっ?」
どうやら寝不足の自分を労わってくれたのだと勘違いしたらしく、ウルの赤みがかった髪の毛に手を置いて褒めてきたハピに、ウルは若干の戸惑いを見せる。
「──……あ、あー! そう、そうなんだよ! まぁ言い出したのはあたしじゃなくて望子なんだけどな!」
「……あら、そうなの?」
だが、それも一瞬の事で即座に『それだ!』と判断した彼女は意気揚々と、フィンどころか望子までもを巻き添えにした誤魔化しをし始めてしまい、それを聞いたハピは途端に表情から笑顔を消しつつ手も離し。
「まぁそうよね、がさつな貴女がそんな気を回す訳ないもの。 やっぱり望子は良い子だわ、誰かと違って」
「こっ、こいつぅ……!」
「……ふふっ、本当に仲が良いのね」
自分に気を遣ってくれたのが望子だというなら、ウルだと言われるより納得がいくと踏んで呆れた様な視線を向けてきた為に、ウルは逆に納得いかねぇと言わんばかりに真紅の瞳で睨みつけてはいたものの──。
そんな二人のやりとりを見ていたウェバリエは、それはそれは微笑ましげに八つの赤い眼を細めていた。
それから、およそ三十分弱程かけて森の中をひた歩き、その道中で鋭刃蜜蜂と同じく襲ってきた魔獣や魔蟲を殺さず制圧、或いは撃退していた三人だったが。
「──……そろそろ近づいてきたわ。 まぁ貴女たちなら大丈夫だと思うけれど……一応、警戒しておいて」
「……あ? 何にだよ」
ふと、ウェバリエが足を止めたかと思えば彼女の少し後ろを歩いていた二人に向けて警戒を促し始め、それは何に対しての警戒なのかとウルが問うやいなや。
「……もしかして、『あれ』とやらにかしら?」
「えぇ、そうね」
結局、今この瞬間まで明かされていない『あれ』の事ではないかとハピが尋ねると、ウェバリエは森の奥へ向けた視線を離さぬままに首を縦に振って肯定し。
「そういや何かボカしてたな、『あれ』って何だ?」
「……『あれ』っていうのは──」
漸く思い出したウルが、いよいよ『あれ』とやらの正体を問うたところ、ウェバリエはこちらを向いて。
「──『魔素溜まり』の事よ」
「「魔素溜まり……?」」
きっと異世界においては常識なのだろうが当然ながら聞き覚えのない単語に、ウルとハピの声が重なる。
──魔素溜まり。
それは文字通り魔素が溜まりに溜まった池だったり湖だったりする場所──というより現象であり、そこに溜まった液体を摂取、或いは触れたり近くを通りかかったりするだけでも魔獣化や魔蟲化を引き起こす。
人族や亜人族なら魔素酔いと呼ばれる──いわゆる二日酔いや乗り物酔いの強化版の如き症状をもたらす事もある様で、ともすれば一種の災害だとも言える。
また、この魔素溜まりには元々善悪の概念がなく。
それゆえに、そこに注がれた魔素が善であるか悪であるかによって、その魔素溜まりの影響を受けて魔獣化、或いは魔蟲化した生物の善悪が決まるらしいが。
今回の場合で言えば──もう最悪だった。
何しろ、その魔素溜まりは全てにおいて魔族による悪の因子に染まった魔素で形成されているのだから。
それを放置しておくと半永久的に悪の魔獣や魔蟲が産まれ続けるという事で、ウェバリエは奮起しているらしいのだが──ここで一つ、ウルに疑問が湧いた。
「……何で、その魔素溜まりがあるって知ってんだ」
そう、つい先程まで洗脳だか支配だかを受け魔族化していた筈なのに、どうして魔素溜まりの存在を知っているのかと自慢の鼻を鳴らしつつ問いかけてくる。
……それらしい匂いは確かにするっちゃするが。
「──これ、見える?」
「ん……? あぁ糸か」
そんな中、ウェバリエはスッと右手を前に出しながら、その手を下に降ろそうとしたものの──どういう仕組みなのか彼女の手が空中で止まったではないか。
といっても、ウルが目を細めたところ即座に答えは見つかり、そこに張られた糸が理由だと判明し──。
「蜘蛛糸、よね? どうして、こんなところに……?」
「実はね──」
無論、亜人族の肉眼でギリギリ視認が出来るかどうかという白く細くしなやかな蜘蛛糸も、およそ超人的な視力を有するハピの瞳にはしっかりと視えており。
蜘蛛糸が張られているのは分かったが、そもそも何故こんな中途半端なところに糸が──と抱いて当然の疑問を投げかけると、ウェバリエは少しばかり得意げな、それでいて自信なさげに見える表情で語り出す。
この蜘蛛糸は──いや、この一本だけでなく森の全域に張り巡らされているらしい無数の蜘蛛の糸は、ウェバリエが扱う『蚕食紡糸』という名の蜘蛛人固有の武技により生成された彼女の身体の一部である様で。
そもそも蜘蛛人という亜人族が警戒心が強いという事も相まって、ウェバリエから切り離されて森中に張り巡らされた糸は何者かが森に踏み入ったり、もしくは魔術を行使するなどして魔力を放出した途端、行使した者──今回なら、ウェバリエに知らせる為の糸。
いち早く女性魔族の来訪に気がついたのもこの武技のお陰であるし、その戦いの中では仕込んでいなかった筈の魔素溜まりに気づけたのも、この武技が洗脳を受けた後も機能し続けていてくれたお陰だと語った。
……習性は、そう簡単には変えられやしない。
良くも悪くも──と、そういう事らしい。
その後、三人が辺りを警戒しながら歩いていくと。
「──……おい、あれ何だ? 何か光ってんぞ」
「「えっ」」
森の奥で何かがぼんやりと光っているのを誰より早く察知したウルが目の上に手を遣ると、それに釣られたハピとウェバリエもウルが向く方向を見遣り──。
「本当ね。 紫の……池? いや、湖かしら──あっ?」
ウルよりも遥かに光が──いや、その光源が何であるかまで鮮明に見えていたハピが、どろっとした液体の溜まり場の様な、それの正体に気づきかけた瞬間。
「っ! やっぱり……! 急ぎましょう!!」
「「!?」」
誰よりも、この森の事を考えているのに図らずも森の平穏を壊す手伝いをしてしまったウェバリエは、それを償う意味でも速やかに元凶を排除するべく、ほぼ音も立てずに森中に張り巡らせた糸を伝って移動し。
「はっ、速ぇなあいつ! ちょっと待てって!」
「そんな不用意に……大丈夫なのかしら」
二人は苦言の如き軽口を叩きつつも彼女を一人で向かわせる訳にもいかず、それぞれ地を駆け空を飛び追いかけていくごとに、その光は段々強くなっていく。
それから、ハピの眼にだけでなく人族よりマシ程度の視力しか持たないウルの視界にすらも、その光が眩しく感じられる辺りでウェバリエが脚を止めており。
そこには池や湖と形容するには少し規模が小さめであり、とはいえ水溜まりというには大きすぎる規模のどろっとした薄紫の液体で満たされた窪地があった。
「──……これが、お前の言ってた魔素溜まりか?」
「えぇ、ここまで大きいとは思ってなかったけれど」
「ほーん……で、どうすりゃいいんだ」
人知れず、あまりの眩しさに翠緑の瞳を細めていたハピをよそに、ウルは『さっさと終わらせようぜ』とウェバリエに魔素溜まりに対しての解決策を尋ねる。
「魔術でも武技でもいいのだけれど、ここに魔力をぶつけて魔族の魔素と相殺させる。 そうすれば、ここは単なる水溜まりになるわ。 魔素溜まりって結局は、ただ単に魔力濃度が極端に高いだけの液体なんだもの」
「……成る程ね」
すると、かつて彼女自身が口にしたその策が功を奏した事でもあったのか、それとも功を奏した場面に出くわしたのかは分からないが、ウェバリエは八つの切れ長な赤い眼を細めつつ自信を持って答えてみせた。
実際、魔素という物質は気体だったり液体だったりと色々な形を取りはするものの、その殆どは液体で。
気体の場合はまた異なる対処法が必要だが、ひとまず今回は液体なのだから、これで間違ってはいない。
「私一人じゃ一体どれ程の時間がかかるか分からないし、そもそも間に合わないかもしれないけれど……ウルやハピがいればきっとすぐにでも潰せるわ。 そうすれば、これ以上の魔獣化や魔蟲化は止められる筈よ」
元々、彼女は先の策を自分一人で行うつもりだったからか、『頼りにしてるわ』と心底ありがたそうに自分たちへ笑みを向けるウェバリエの言葉に、二人は顔を見合わせて満更でもない表情を浮かべており──。
「……しゃあねぇ、やってやるか。 さくっと終わらせて、ミコんとこ帰ってから褒めてもらうとしようぜ」
「……ふふ、そうね。 それがいいわ」
照れ隠しに望子を使うという、フィンが聞けばジトッとした視線を向けてきそうな所業にも、ハピは特に異議を申し立てる事もなくウルの言葉に同意しつつ。
ウルは爪に、ハピは翼に魔力を込めていく。
そんな人狼と鳥人に呼応する様に、ウェバリエも鋭利な爪を携えた両手を構えて──そこから糸を放出。
その蜘蛛糸は少しずつ形を変え、どうやら白く細長い遠距離用の武器の様な形状へと変化していき──。
「……弓?」
それを、『弓』だと断ずる知識を持っていたらしいハピが、ゆっくりと飛び上がりながら問うたところ。
「えぇ、この森を訪れた冒険者が使ってるのを見て覚えたの。 剣とか槍とかも試してみたけど、これが一番しっくりくるのよ。 『劇毒射法』ってところかしら」
彼女は苦笑いを浮かべつつも、かつて魔獣や魔蟲を狩る為に森を訪れた冒険者に倣ってみたのだと語り。
細くしなやかな蜘蛛糸で作られた弓に番えられた矢の先に、あの魔素溜まりより少しだけ明度の低い紫色の魔力が、ジワジワと侵蝕するかの様に装填される。
劇毒射法──。
蜘蛛人が持つ世界でも有数の致死性を誇る劇毒を込めて放つ、ウェバリエ自身が生み出した武技だった。
「っし、お前ら準備はいいな! せーのっ──」
準備が整ったと判断したウルの快活な掛け声とともに、真紅、翠緑──そして菫色の膨大な善の魔力を込めた魔術や武技を、それぞれ全力を以て放とうした。
──その瞬間。
──ぼこんっ!!
「「「!?」」」
突如、鈍い水音を立てて魔素溜まりの中心が大きく凹んだかと思うと、その魔素溜まりが──いや、そこに満たされていた紫色の液体全てが三人の方へ飛び出してきた事で突然の事態に驚いた三人は一瞬で距離を取り、ドプンと地面に着地しブヨブヨと動くそれに。
「んな……っ! 何だありゃ──……あ?」
ウルが何とも大袈裟に──わざとらしさは感じられないが──叫びつつ、ハピなら何か視えているかもしれないし、ウェバリエなら何か知っているかもしれないという希望的観測込みで二人の方を向いたものの。
「「……」」
ハピとウェバリエは、どういう感情からか沈黙を貫いており、かと思えば今度は互いに顔を見合わせて。
……こくり、と頷き合っている。
「おい──……おいって! どうしたお前ら!」
そんな二人の行動に全く要領を得ないウルが、『何の合図だそれは』とばかりに食ってかかったところ。
「「──……ブロヴ」」
二人は小さく、しかし確かな声音で何かを呟いた。
──粘液生物。
それは、この世界で最弱の魔物として扱われるスライムとは似て非なるものであり、どうやら人族の間では『特級危険生物』とやらに認定されている、やたら活発的な分裂と恒久的な捕食を行う謎の存在である。
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