蜘蛛人の身の上話
「──……魔族ではないわ」
「「「「……」」」」
真剣な表情と声音を以て、そう告げた蜘蛛人は。
四人から見ても嘘をついている様には見えない。
されど、ウェバリエの発言だけを信じる訳にもいかない一行を代表したウルが、『ふーっ』と息をつき。
「……はい、そうですか──と、そんな単純な話じゃねぇんだってのは……お前も分かってくれるよな?」
「……えぇ、そうでしょうね」
彼女に魔族──或いはそれに与するものか否かと問いかけた時と同じ仇敵であるかの様な視線を向ける。
事実、彼女たちにとっての魔族とは自分たち三人にとって最も大切なもの──望子を奪おうとする存在なのだから仇敵と言っても間違いではないのであった。
「……だからこそ、話を聞いてもらいたくて──」
そんな一行の事情こそ知らないものの、これで納得してもらえれば苦労はしないと彼女自身も充分に理解していた為、取り敢えずこちらの事情を──と判断して口を開こうとした時、彼女の声を遮ってきたのは。
「──……ねぇ。 どうしてそんな話になったのか分からないのだけれど……彼女、別に魔族じゃないわよ」
「「え?」」
ウェバリエは魔族ではない──という旨の何の根拠があるのかも分からないハピの声であり、それを受けたウルとウェバリエの疑問の声が重なってしまった。
「ハピ、もしかして──視えてる?」
翻って、あまりに突拍子のないハピの発言の根拠とやらに思い当たる節があったフィンが、まさか魔族かどうかがその瞳に映し出されているのかと問うたところ、ハピは無言で首を縦に振り肯定の意を示しつつ。
「王都での戦いからそうだったのだけどね、どういう理屈か知らないけれど魔族なら魔族って視えるのよ」
「へ〜」
結局、理屈や原理は未だに分かっていないが彼女の翠緑の瞳に異世界の言語で『種族:蜘蛛人』と浮かんでいるのは紛れもない事実であり、それを踏まえてウェバリエは少なくとも魔族ではないと断言してみせた。
「……お前にしか視えてねぇんだし、あたしとしちゃ判断に困るが──……まぁいい、この件は終わりだ」
その一方、正直言ってハピにしか視えていない根拠を持ち出されても納得しかねるというのがウルの本音ではあったものの、これ以上の時間を割いても納得出来る判断材料が出てくるかどうか分からない為、半ば諦める様な形ではあるが溜息とともに話を締め括る。
「──で、お前が魔族じゃないってのはいい。 あたしらも多少なり気ぃ抜けるってもんだ。 だがな? だったら、さっきの肌の色は何だったんだ? ってなるぞ」
「そう、ね。 それは、そうよね……」
その後、即座に表情を険しいものへと戻したウルはといえば、ウェバリエが魔族ではないという事自体は朗報であっても、それはそれとして先程の肌の色の事も、その肌の色が変わった事も──そして、どうして自分たちを襲ったのかという事も含めて疑問は残り。
もう記憶は充分に思い起こせていたウェバリエにしても、それを誰より自覚しているらしく少しばかり表情に影を落としつつ俯いてから──その顔を上げて。
「前提として理解してほしいのだけど……さっきまで私、眠っていたの──眠っている、つもりだったの」
「「「「……?」」」」
一体どういう事なのか全く分からないが、ウェバリエ自身はウルの攻撃を喰らって正気を取り戻すまで眠っていたのだと語り、おそらく本当に眠ってはいなかったのだろう事は分かっていても、そう表現する事しか出来ないと自信なさげに告げてきたはいいものの。
……望子たちは一様に首をかしげてしまっている。
それはそうだろう、だって起きていたのだから。
「──……眠っていた、って言われてもねぇ……起きてたじゃん、キミ。 『ぎしゃあ』って言ってたよ?」
「ぎ、ぎしゃあって……そんな叫びを私が?」
「うん。 ね、みこ」
「そ、そんなかんじ、だったかも……?」
「そう、なの……」
理解しろという方が難しい内容ゆえ、そうなってしまうのも無理はないというのは間違いないのだが、その中でも殊更に理解してなさそうなフィンは、ウェバリエが襲いかかってきた時のポーズとともに『ぎしゃあ』などという野蛮極まる叫びを再現してきた事で。
「……ま、まぁとにかく何があったかを話すわ──」
本来の自分からは絶対に出てこないだろう叫びに軽くないショックを受けながらも、すぐ気を取り直し。
そのまま、これまでの身の上話をし始めた──。
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ウェバリエが、ウルの一撃により目を覚ます前の最後の記憶は、とある女性魔族との激闘の記録だった。
ある日、何の前触れもなく同胞を率いる事もなく姿を現した、その見目麗しい女性魔族が口にしたのは。
──ご機嫌よう、サーカ大森林に棲まう者たち。 突然ですが、この大森林を養魔場にしたく思います──
という、あまりに突拍子もない支配宣告だった。
ちなみに養魔場とは、その地に棲まう多種多様な生物に過剰な魔素を強制的に取り込ませ、それらを魔獣だの魔蟲だのに変異させて飼い慣らす場の事を指し。
その女性魔族が薄紫の強い光を伴う魔方陣を展開した右手を振るった瞬間、半透明な蝙蝠の形をした魔力が無数に広大な森を飛び回り始め、それは次第に森に棲まう生物に取り憑いて魔獣や魔蟲へ変異していく。
おまけに単なる魔獣や魔蟲ではない、かなり高濃度な魔族の悪の因子を植え付けられた害獣や害蟲へと。
そんな絶望的な光景を、おそらく亜人族だからと後回しにされた事で見せつけられる事となっていたウェバリエは、どうにか止めなければと森を駆け抜けて。
元凶たる女性魔族に単身、挑む事となった──。
これでも、ウェバリエはサーカ大森林に棲まう生物たちに認められた『森の主』であり、その実力も非常に高く並大抵の魔族なら退ける事も容易であった筈。
糸、毒、魔術──使えるものは何でも使って魔族を討とうと全力を尽くして戦ったウェバリエだったが。
自らを、あろう事か『魔王の側近』だなどと明かした女性魔族には残念ながら手も足も出ず、ウェバリエはあまりにも圧倒的で一方的な惨敗を喫してしまう。
ただ単に、ウェバリエの実力が魔王の側近とやらに届いていなかった事も敗因の一つではあろうものの。
蜘蛛人は種族上、普通の虫だけでなく魔蟲が相手であっても言葉を用いぬ意思疎通を可能とする為、戦いの最中に『まだ正気なら力を貸して、この森を守りたいの』という要請を魔蟲たちに向けて出したのだが。
森の主たる貴女が敵わない相手に、どうして自分たちが歯向かえるというのか──とでも言いたげに、この森に棲まう魔蟲たちは一匹、また一匹と侵蝕されるのを嫌い新たな住処を探す為にと森から姿を消して。
終始、孤軍奮闘を強いられたのも敗因であろう。
また、そんな魔蟲や魔獣の中には『どうせ逃げても捕らえられるのだろう』とでも考えたのか魔族に迎合していく個体もおり、かなりショックを受けていた。
しかし、『弱者が生き残る為に強者の庇護を得ようとする』というのは自然界においては何一つ間違ってはおらず、『これも自然の摂理かしらね』とウェバリエは諦めた様に息をつきつつも最後まで食い下がる。
その後、艶やかで頑強だった黒い爪や甲殻はボロボロにひび割れ、もう身動き一つ取れないところまで痛めつけられた彼女に対し、その女性魔族は嗤いつつ。
──ここで消すには惜しいですね……そうだ。 せっかくですし貴女には魔獣や魔蟲、延いてはあれを守護する役割を与えましょう。 さぁ、私の眼を見て──
と、その整った顔を近づけられて以降の記憶は。
ウェバリエには、ほんの少しも残っていない様だ。
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「──要は洗脳か何かを受けていた、って事ね?」
「……えぇ、おそらくは……」
当時の恐怖や絶望を思い起こしてしまったせいか僅かに身体を震わせ顔も青白くしている彼女に、ハピが一言で話を纏めてしまったところ、ウェバリエも確証はないとはいえ間違いないだろうと首を縦に振った。
「……成る程な。 あん時の蜂どもに糸が繋がってたのも、お前が与えられた役割を遂行してたからってか」
「「……蜂?」」
また、ウルも自分なりに彼女の身の上話を噛み砕いて理解するとともに、あの時の鋭刃蜜蜂の群れに傀儡の様な糸が繋がっていたのも魔族から与えられた役割とやらを、ウェバリエが遂行していたからだと解釈。
鋭刃蜜蜂との追いかけっこを知らないハピとウェバリエは、『何の事?』とばかりに首をかしげていた。
「……キミって、この森の主なんだよね? キミが元に戻ったら、この森に棲んでる虫とかも戻るのかな?」
そんな中、何気なく疑問を抱いたらしいフィンが唇に人差し指を添えつつ、この森の主が正気を取り戻したなら副次的に魔獣や魔蟲も元に戻ってたりしないのかと、そこそこ核心を突く様な質問を投げたものの。
当のウェバリエの表情は、またしても暗くなり。
「……多分──いえ、まず間違いなく戻っていない筈よ。 この森に、あれが残ってる限り永久に戻らない」
「……あれ?」
「さっきも言ってたわね。 あれって一体──」
彼女自身が口にする、『あれ』とやらが何なのかを明らかにしないまま、おそらく戻っていないだろうと告げるウェバリエに、いまいち要領を得ないフィンが反復するとともに『あれ』とは一体と確認しようと。
──した、その時。
「──……ね、ねぇ、みんな。 てつだってあげられないかな? わたしにはできないけど、みんななら……」
「あ? いや、それは……なぁ」
隣に座っていたウルの服を摘んだ望子が、ウェバリエの悲惨な過去を聞いたからか、それとも勇者として召喚されたゆえの正義感からかはともかく、このまま放っていくのは可哀想だし手伝いたい、でも自分には出来ないから皆にお願い出来ないかと頼み込んだが。
「……望子。 少し外でお話ししましょうか」
「えっ? う、うん……」
「貴女は待ってて。 ややこしくなるから」
「ちぇー」
どうやら同じ意見を持っていると互いに察したらしいウルとハピは頷き合い、ウェバリエのいないところで説得するべきだと判断して望子を誘導しつつ、フィンが来ると望子の味方をしてしまう為、待てを指示。
つまらなさそうにするフィンをよそに小屋の外へ。
「……なぁミコ。 あたしらの旅の目的は人助け──いや亜人族助けなんかじゃねぇんだよ。 分かるだろ?」
「そうね。 まぁ気の毒だとは思うけど私たちには別の目的があるの。 首を突っ込みすぎるのは良くないわ」
「……」
急ぐ旅ではない──とは言ったものの、それでも魔王討伐なる無茶な目標を立たせられている以上、他の何かに目移りしている余裕はない筈であり、それが魔族関連だと分かってはいても、この地に魔族がいないなら身体を張る意味も薄いという旨の説得を試みる。
しかし望子は望子で譲れないものがあるらしく。
「……でも、わたしはゆうしゃなんでしょ……? えほんのなかのゆうしゃさまは、こまってるひとをみすてたりしなかったもん……! だから、だから……っ!」
「「……っ」」
涙目になりながらも元の世界でお気に入りだった絵本の主人公──沢山の仲間たちとともに脅威に立ち向かう『勇者』の姿を回想しつつ、あんなに困っている人を見捨てるなんて勇者のする事じゃないと主張し。
「……分かった、分かったよ! やりゃいいんだろ!」
「お、おおかみさん……!」
半ばヤケクソな感じではあったものの、どのみち望子の涙に敵う訳がないと自覚していたウルが『しゃあねぇな』と望子のお願いを聞き入れた事で、ぱぁっと表情を明るくしてから涙目のままウルに抱きついた。
「……分かってるとは思うけれど、ちゃんとお留守番してるのよ? いくら何でも連れてはいけないし……」
「うん! ありがとう、とりさん!」
それから、ハピも諦めの溜息とともに絶対に安全な場所での留守番を望子に申しつけ、そちらにも笑顔を向けた望子は嬉しそうにお礼を述べており、これで一段落ついたと踏んだ二人は望子を連れて小屋に戻る。
「──あ、やーっと戻ってきた。 お帰りー」
「えぇと……何を話してたの……?」
そこそこの時間をかけて戻ってきた三人に間延びした声をかけるフィンに対し、おそらく人族と変わらない聴力しか持たないウェバリエは三人が何の話をしていたのかも分からず不安がってしまっていた様だが。
「大丈夫大丈夫、キミにとっても良い話だよ。 ね?」
「そ、そうなの……?」
そんなウェバリエとは対照的に、しっかりと小屋の外での会話を聞き取っていたフィンは、ぱちっと片目を閉じてウインクしつつ『心配いらないよ』と安心させんとするも、やはりウェバリエの表情は晴れない。
また、たった一人で対処しなければならないのだろうという諦めにも似た感情に支配されていたからだ。
「えっと……どうぶつさんとか、むしさんとか……もりのみんなをもとにもどすの、わたしたちもてつだっていい? ひとりじゃ、たいへんだとおもうから……」
「えっ──いや、先を急いでるんじゃないの……?」
その暗い表情を見た望子は、まず彼女を安心させる為に蜘蛛人特有の硬く冷たい爪を有した手を小さな手で優しく握り、この森を元に戻す手伝いを申し出る。
それを聞いたウェバリエは一瞬、嬉しそうな表情を浮かべたが、すぐに『いやいや』と首を横に振り何か目的があって旅をしているのではないのかと問うた。
亜人族が三人、人族の少女が一人──こんな奇妙な組み合わせの一行が何の目的もなく旅をしているなどとは、どうしてもウェバリエには思えなかったから。
「まぁ急ぐ旅じゃねぇって訳でもねぇんだが、このまま放っていくのは寝覚めが悪いからな──って、うちのミコが言ってんだ。 だから気にしなくていいぜ?」
「えぇ、そうね。 微力を尽くすわ」
勿論、彼女の推測通り一行には大きな目的があったのだが、それでも望子が言うならとウルやハピが笑顔を見せつつ『任せてくれ』と告げてみせた事により。
「……っ、あ、ありが、とう……っ」
ウェバリエは、その赤い瞳から涙を流していた。
およそ温度を感じられない冷ややかな爪や甲殻の部分とは異なる、とても温かな感涙を禁じ得なかった。
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