謎多き蜘蛛人
「──ね、ねぇ貴女たち……ここは何処……? 森の中なのは分かるんだけど……私、何でか記憶が曖昧で」
「……あ〜……」
ウルの一撃によって地面に倒れ伏していた蜘蛛の下半身が特徴的なその亜人族は、およそ禍々しい叫びを上げて襲いかかってきた者と同一人物とは思えない程のしおらしさとともに呟きつつ三人を見つめてくる。
ウルとしても出来れば答えてやりたいのは山々なのだが、その亜人族から敵意を感じなくなったのは事実でも味方とは言いきれない以上、安易に口を割るのは不味い様な気がするし──そして何より自分たちは。
「……悪いが、あたしも詳しくは知らねぇんだ。 このせか──あぁいや、ここには来たばっかりだからな」
「あ、あぁ……そう、なの……」
まさか、『異世界から来たのだ』という訳にもいかない為、『力になれなくて悪いな』とでも言いたげなウルの言葉に力なく肩を落とす亜人族に対して──。
「でも名前は分かるよ! サーカ大森林だったかな?」
「……! サー、カ……!!」
森の中なのは分かる──そう言っていた彼女の言葉を聞き逃していなかったフィンが、せめて森の名前くらいはと『サーカ大森林』の名を告げた瞬間、亜人族は何かを思い出したかの様に段々と目を見開き始め。
「──あ、あぁ……っ! そう、よ……全部、思い出した……! 私は、あの時……! あの魔族に……!!」
((魔族……?))
思い出したかの様に──ではなく、どうやら本当に全てを思い出していたらしく、つい先程までの様な状態になる過程が脳裏をよぎる中、彼女の言葉に出てきた『魔族』の存在にウルとフィンが疑念を抱く一方。
「……悩んでるとこ悪いが、ちょっといいか? あんたにゃ色々聞きてぇ事もあるし、とにかく安全な場所に移動してぇんだ。 どっかに、そういう場所ねぇかな」
それはそれとして、また蜂の群れに追いかけられる様な事態に陥るのも懲り懲りである為、何かしらの事情があるのは分かるが取り敢えず安全な場所で話さないか、とのウルにしてはあまりにもまともな提案に。
「あ、そ、そうね、そうよね……それなら、もう少し奥に私の住処があるわ。 座る場所も用意できるわよ」
「そっか、じゃあ案内を──」
亜人族は、『それも尤もだわ』と頷きつつ長く鋭い蜘蛛の脚で立ち上がりつつ、そこそこ背の高い筈のウルやフィンよりも更に高い位置から見下ろす形になりながら森の奥を指差した事で、ウルも頷き従おうと。
──した、その時。
「──……ね、ねぇ」
「「ん?」」
ウルの背に隠れたまま沈黙を貫いていた望子が、おずおずと口を挟んできた事により渦中の亜人族より先にウルとフィンが反応を見せて望子の二の句を待つ。
「えっと……そっちの……くもの、おねえさん?」
「……あ、わ、私? 何かしら──」
尤も、用があるのはウルたちではなく蜘蛛の亜人族の方であったらしく、その亜人族の名前も知らないのだから当然ではあるが随分と抽象的な表現で改めて声をかけた為に亜人族は疑問の声を上げたものの、すぐに自分の事だと理解して発言の許可を出してみせた。
すると望子は、『あのね』と一拍置いてから──。
「──おねえさん、さっきまでくろくなかった?」
「黒っ──……っ!!」
つい先程までの様な状態──要は、この亜人族の肌は先程まで褐色ではなかったかと疑念を抱いていたらしい望子の質問に、それを受けた亜人族は一瞬だけ何の事を言っているのか分からなかった様だが、すぐに望子の質問の意味を理解したのかまたも目を見開く。
「黒く……? 何の事?」
「……?」
一方、飛び出してきた時の亜人族を見逃していたフィンはともかく、ウルも彼女の肌の色など気にもかけていなかった様で、ほぼほぼ同時に首をかしげるも。
「──……はっ!?」
「ぅひゃあっ!?」
「な、何してんの?」
瞬間、望子の言っている事を理解したウルは亜人族と同じく目を見開きながらも望子を抱えて飛び退き。
(そういやそうだ……! こいつ、さっきまで褐色だったじゃねぇか……! しかもあの色、あの時の……!)
先程までの彼女の肌の色が、つい一週間前に王都セニルニアで戦闘した魔族や魔王軍幹部と──そして何より魔王軍幹部との戦いの際に魔族の力を取り込んだ後のフィンの肌の色と同じである事に気づいていた。
……フィンは気づいていないが、それはさておき。
「……おい、正直に答えろよ。 お前は、魔族か? それとも魔族に与してそうなったのか──どっちだ!?」
「……っ」
つまり、フィンと同じく魔族の力を取り込んだ存在だったのか、それとも元より魔族なのかという事を問い詰めてきたウルに、どうするべきかと亜人族は悩みに悩み抜いていた様だが、すぐに気を取り直し──。
「……答える。 えぇ答えるわよ。 ただ、記憶を紐解かないといけないから長くなるかもしれないけれど」
「……まぁ、いいけどよ」
答えはする、答えはするが──かなり記憶が怪しい部分もあるから結構な時間をもらうかもしれないと告げた亜人族に対し、ウルが『急ぐ旅でもねぇしな』と威圧を解きつつ抱えていた望子をゆっくり下ろす中。
「……なら別に、ここでもよくない? もしかしたら敵かもしれない奴の巣に、みこ連れていきたくないし」
「……」
漸く事態を察したフィンは、ウルから離れた望子を抱きしめながら『信用出来ない』と暗に告げ、ついていくには不安要素が多すぎないかと素直に口にした。
「少なくとも今の私には悪意も敵意もないわ。 ついて来るかは──まぁ各々の判断に任せるしかないわね」
「……どうする?」
それを受けた亜人族は首を横に振って悪意も敵意もないと主張しつつ、されど信用に足る要素がなさすぎる事は自覚している様で、ついて来るかどうかはそちらに任せると口にしたうえで一歩、また一歩と森の奥へ進んでいく彼女をよそに望子たちは身を寄せ合い。
元々望子の判断に従うつもりでいたウルが、フィンとともに望子の意見を求めて話を振ったところ──。
「……いこう、ふたりとも。 あのおねえさん、わるいひとじゃないとおもうから。 とかげさんとおなじで」
「……じゃあ行くか」
「まぁ、みこが言うなら」
あの亜人族から、レプターと同じ『善い人』の気配を幼いながらに感じ取っていた望子の、『ついていってみようよ』という提案を二人は即座に受け入れて。
明らかに自分たちより歩幅が大きな亜人族に置いていかれない様に、その後を足早についていき始めた。
……道は段々と狭く、暗く、不気味になっていく。
元より日の光は殆ど届いていなかったが、サーカ大森林の奥へ奥へと進めば進む程に辺りは宵闇の様になっていき、そんな様子の森に望子は若干怯えている。
最早、少しの木漏れ日すら射さなくなった頃。
およそ十分程歩いた森の奥にある、ここまでの暗所特有の微妙に涼しげな道のりとは随分違う、じめっとした場所に案内された望子たち三人はと言えば──。
「──……おい、まさかとは思うが……ここか?」
「? えぇ、そうよ」
「……そう、か」
道の途中にあった様な木漏れ日が爽やかな開けた場所ではなく、ここがお前の巣なのかと問うたところ。
亜人族は何の気なしに首をかしげつつ頷くも、ウルとしては出来ればここであってほしくなかった様だ。
何故なら、そこには鋭刃蜜蜂の巣窟となっていた小屋と同じ形でありつつ、その全体に蜘蛛の巣が張られた事で、もう廃墟にしか見えない小屋があったから。
「さぁ、どうぞ。 私は見ての通り座れないけれど貴女たちの人数分くらいの椅子はあると思うから、ね?」
「「「……お邪魔しまーす……」」」
扉にも張り付いていた──おそらく自分のものであろう糸をシュルッと回収し、すっかり老朽化していた扉をギィッと軋む音を立てて開け三人を歓迎するも。
お化け屋敷と言われた方がまだ納得出来る、そんな小屋に入らなければならない事に少々ダウナーになる三人だったが、それでも彼女に続いて中に入りつつ言われた通りに比較的汚れていない椅子を選んで座る。
一方の亜人族は下半身が完全に蜘蛛である為か椅子に座れない様で、その八本の脚を器用に折り曲げ中央に置かれた机に高さを合わせてしゃがみ込んでいた。
「……色々と聞きてぇ事はあんだがな、まずは自己紹介といこうぜ。 ご覧の通り、あたしは人狼のウルだ」
「フィンだよ。 人魚? って奴だね」
「えっと……みこ、です。 よろしく」
その後、全員が腰を落ち着かせると同時に口を開いたウルが、ひとまず名前を聞かない事にはと自発的に名乗ってみたところ、フィンと望子も彼女に続いて。
「……私は蜘蛛人のウェバリエよ。 よろしくね」
「あら、くね……?」
そんな三人に倣う形で亜人族も、ウェバリエという名を名乗った後で蜘蛛人なる自らが属する種族を明かすも当然ながら初耳の望子は疑問符を浮かべていた。
──蜘蛛人。
純血か混血かを問わず身体に蜘蛛の特徴を深く持つ亜人族であり、その八つの赤い眼や下半身の甲殻と同じ鋭さを持つ爪などを除けば上半身が完全に人族だという事から、ウェバリエは混血の蜘蛛人だと分かる。
ちなみに純血ともなると、その全身が巨大な蜘蛛であり魔蟲かどうかの区別もつけにくく、かなり混血よりの個体だとしても上半身に蜘蛛の特徴が出る傾向にあるという、ウェバリエと逆の状態になるのだとか。
……と、まぁ理解出来た様な出来ていない様な。
ウェバリエからの説明を受けた三人は、それぞれが何となしに『ふーん』『へー』と声を漏らしていた。
「……まぁいい、そんじゃあ色々教えてもら──」
「あっ……まって、おおかみさんっ」
「ん? どうしたミコ」
それから、ウルが漸く本題だとばかりにウェバリエを見据えつつ、ウェバリエ自身の事やサーカ大森林の事について聞き出そうとした瞬間、珍しく話に割って入ってきた望子の制止の声にウルが反応したところ。
「まだ、とりさんのしょうかいしてないよ?」
「「えっ──……あっ」」
望子は未だに小さな腕に抱えたままだった梟のぬいぐるみを二人に見せたうえで、『とりさんのことはいいの?』と無垢な瞳と声音で訴えてきた一方で、ウルとフィンは露骨なくらいにハッと目を見開いており。
「……あ、あぁそうだったな! あぁそうだった!」
「そっ、そうだよね! ハピがまだだったよ!」
そして何かを誤魔化す為に──というのが誰の目にも明らかであるかの様な反応を見せつつも、とにかくハピを亜人族にしようと望子に促して話を逸らした。
……それもその筈。
(完っ全に忘れてたな……それどころじゃなかったし)
(ていうか鳥なら蜂なんて余裕だったんじゃ……)
この二人、先程までの騒動の事もあって完全にハピの存在自体を失念していたらしく、よくよく考えると蜂だって虫なのだから鳥に任せればよかった──という事も含めて色々と反省を強いられていた様だった。
「とりさん? はぴ……? その人形がどうかしたの?」
「えっと……みててね。 『おはよう、とりさん』」
「……っ?」
そんな折、望子たちの一連のやりとりに対して全く要領を得ないといった具合にウェバリエが首をかしげていると、それを受けた望子は空いていた他の汚れが少ない椅子に梟のぬいぐるみを座らせてから、やはりエコーの様に重なり響いて聞こえる声を発した瞬間。
その梟のぬいぐるみから淡い緑色の光が放たれたかと思えば、それは次第に亜人族と──鳥人となった。
「──ん〜……おはよう望子、普通に眠るより良いわねこれ。 手が塞がっちゃって大変だったでしょう?」
「おはよう、とりさん。 うぅん、そんなことないよ」
そして完全に鳥人へと変化したハピは、ぬいぐるみに戻っての睡眠が随分と快適だったらしく、ググッと背伸びをしつつ望子に起き抜けの状態で挨拶をした事で、ニコッと笑いながら望子も挨拶を返す中にあり。
「な、え……っ!?」
人形が鳥人になった──という衝撃的な事実を当たり前の様に受け入れている一行を前にして、ウェバリエは赤い瞳をぐるぐるとさせて混乱しまくっていた。
これを見るに、つい一週間程前に王都で望子の力に驚いていた者たちの反応は正常だったのだと言えた。
「……ミコちゃん? 貴女は一体、何者なの……?」
「ぇ? え、えーっと──」
それから、おそるおそるといった様子で望子を見下ろしつつ、その正体を見極めようとし始めた事で『いわないほうがいいんだよね』と幼いなりに考えた望子はぬいぐるみたちに救いを求める様な視線を向ける。
「あ、あー! ミコはな、確か──そう! 人形使いとかいう奴なんだよ! な! そうだよな!? お前ら!」
「うん、そうそう! しかも、ゆう──むぐっ」
「……ゆう?」
すると、それを見たウルは真っ先に望子をフォローするべく誤魔化そうとし、そんな彼女を助成せんとしたのだろうフィンが余計な事まで口走ろうとした為。
「……優秀なのよ、この子は──ね?」
「……!」
「へ、へぇ……」
何かを察したハピが彼女の口を塞ぎ、そして誤魔化しながらもフィンに鋭い視線を向けて『それは言っちゃ駄目でしょう』と目で告げた事によって、フィンは口を塞がれている事もあってか青い顔で頷いており。
ウェバリエは一瞬、納得しかけたものの──。
(人形、使い……? 今のが? まるで、あの──)
どう考えても普通の人形使いに人形を亜人族に変異させる力などない──という当然の事実以上に、その力に覚えでもあったのか何かを脳裏に浮かべていた。
「……おい、どうした?」
「ぇ、あ──いえ、何でもないわ」
「……? そうか」
そんな彼女の様子を見たウルが少しの違和感を乗せて声をかけるも、その違和感を話したところで仕方ないと踏んだウェバリエは自分の胸にしまう事にした。
「……私はウェバリエ、蜘蛛人よ。 よろしく」
「ご丁寧にどうも。 私はハピ、鳥人らしいわ」
そして改めてとばかりにハピに手を差し出して名と種族を名乗った事で、どうやら自分の情報は見えないのだろうハピは何とも曖昧な自己紹介をしてみせる。
「……そんじゃあ自己紹介も済んだし、そろそろ聞かせてくれよ。 まずは、お前が──魔族かどうかをな」
「……っ」
その後、漸く──やっとの事で本題に入る事が出来たウルの訊問に望子が息を呑み、フィンが静かにウェバリエの二の句を待ち、この中で唯一何も事情を知らないハピが突然張り詰めた空気に首をかしげる中で。
ウェバリエは、ゆっくりと息を吸ってから──。
「……私は──」
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