賢王の愚行
──所変わって。
望子や柚乃が住む地球とは次元すら異なる全くの別世界にて、とある儀式が執行されんとしていた──。
「これより勇者召喚の儀を執り行う。 聖女よ、前へ」
「……はい」
広く大きく、そして何よりも絢爛な城の中央に位置する謁見の間に据え置かれた玉座に腰を下ろした、もう随分と年を召しているせいで嗄れつつも、それでいて僅かながらに威厳を思わせる低い声を発したのは。
かつて商業や軍事において他国を圧倒し、どの観点から見ても何一つ恥じることのない大国であったルニア王国の国王──リドルス=ディン=アーカライト。
その声に応じ、リドルスの前に跪いたのはこの世界においても希少な『選ばれし者』、白と水色が基調の神官服を着たカナタという名の金髪の少女であった。
「贄の補充は済ませてあるな?」
「……っ、はい。 つつがなく」
そんなカナタに対して、どうにも感情がある様には見えない顔を向けていたリドルスがゆっくりと口を開いて告げた『贄』なる単語を聞いた彼女は、その単語に込められた残酷な意味を知りながらにして頷く。
抱いた昏い感情を出来るだけ表に出さぬように。
翻って、カナタがリドルス以外のこの場に──謁見の間に居合わせた者たちへ目を遣ると、その者たちは気まずさを隠す事なく視線を逸らしてしまっていた。
それもその筈、彼らも贄の意味を把握しており本来この勇者召喚の儀に否定的な意見を示していたから。
しかし、そんな彼らの苦々しい心情など微塵も構う事なく、リドルスは過去に自国の民に語った時の様に再び『勇者』の重要性についての言葉を紡ぎ出した。
「……この世界には、およそ『勇者』と呼べる様な者はおらぬ。 百年も前、世界の底より蛆虫の如く湧き出た『魔族』たちが姿を現すまで、この世界は余りに平和を享受しすぎていたのだ──実に嘆かわしい事よ」
「……」
重々しい表情と声音で、かつて世界を支配せんと姿を現した『魔族』なる存在と、その存在に対抗する為の『勇者』なる存在についてを語るリドルスの言い分は──残念ながら、何一つ間違っていなかったのだ。
現に、この百年の間──世界で最も栄えた文明を持ち、リドルスやカナタも属する『人族』と呼ばれる地球でいう人間に相当する種族や、そんな人族と獣の間の子の様な『亜人族』と呼ばれる種族は、それぞれ武器や『魔術』なる異能の力を以て魔族への抵抗を試みたものの、どうも結果はそぐわず敗戦が続いている。
苦虫を噛み潰すどころか挙句の果てに飲み込んだ様な表情を微塵も隠そうとせず、リドルスは話を続け。
「だからこそ……力が──『勇者』が必要なのだ。あの忌々しい蛆虫どもに、そして何よりも彼奴らを統べる『魔王』に勝利し得る、比類なき絶対的な希望が」
最早、勇者なくして世界は救われないと自分の中で結論づいているのだろう、その勇者なる希望を異世界から強制的に連行する事もやむなしと話を締め括る。
召喚勇者からしてみれば、たまったものではない。
とはいえ彼は──リドルスは、決して現状を理解しようともせずに暴挙に出てしまう様な愚者ではない。
魔族との戦に骨を折り、人族、亜人族を問わず殆どの国やその民、魔術や技術が吸収、或いは破壊されていく中で未だに多くの臣下を従え民を保護出来ているのは他でもない『賢王』であるリドルスあってこそ。
……しかし、リドルスの瞳を見てみると分かると思うが、とても『賢王』などという呼び名が相当するとは思えない程に彼の瞳は黒く濁り、澱みきっている。
それには、かつて起きた出来事が関わっていた。
十年前、『私どもの様な下民でも国の、そして王の力になれるのなら』と、その身を捧げた国民百名を贄として最初に執り行った異世界よりの勇者召喚の儀。
国の誰しもが勇者の出現に心踊らせ、やっと虐げられるだけの日々が終わるのだと──そう思っていた。
……しかし、その思いが実を結ぶ事はなく。
百名もの尊い犠牲や文字通り身を削る様な苦労を嘲笑って現れたのは勇者などではなく──漆黒の翼を携え圧倒的な闇の力を纏う少年の様な『何か』だった。
その『何か』は一見すると純朴な様にも思える笑顔を湛えながら、その場に居合わせた──いや、その場どころか国の全てを奪い去らんと黒い力を振るった。
既に王であったリドルスを含め全ての者たちが絶望する中、歴代一とまで云われた当時の聖女が自らの命を糧として、その『何か』の封印に成功した為に一国の崩壊という最悪の事態だけは回避する事が出来た。
その場にいた者は皆、王の為に、民の為に──そして国の為に命を賭した聖女を称賛していたが、ただ一人リドルスだけは深い哀しみに打ちひしがれていた。
何故ならば封印の際に、『何か』が必死に抵抗した時の余波によって妻を早くに亡くしたリドルスのたった一人の家族であり、いずれは後継者となっただろう王女のリティシアが亡くなってしまっていたからだ。
……その時から、なのだろう。
リドルスの目には何も映らなくなった。
リドルスの手は何も救わなくなった。
そしてリドルスの頭には、かの魔族への──世界に仇なす者たちへの憎悪以外は存在しなくなったのだ。
それゆえに彼は再び民に呼びかけ贄を募り、勇者さえ喚ぶ事が出来れば、あの時の王に戻ってくれるかもしれないと国民たちもその声に応じ──身を捧げる。
……この国はもう、狂っていた。
そして今、十年の時を経てルニア王国王都セニルニアで禁断の秘術──千人の贄を投じた『勇者召喚』が聖女カナタの手により行使される事となるのである。