猛追する蜜蜂
現在、望子たち三人は森の奥にひっそりと佇む廃屋と言っても過言ではない小屋から漂う甘い香りに釣られた結果、小屋の中に巣食っていた大型の蜜蜂の魔蟲である鋭刃蜜蜂の大群に追われてしまっており──。
逃走を選択してから約五分、未だに顎をカチカチと鳴らして飛んでくる彼らは一向に諦める気配がなく。
人族と比べれば遥かに──いや、この世界の一般的な亜人族と比べても遥かに体力がある筈のウルやフィンでさえも、『追われる立場』にあるという事も相まって随分と体力も魔力も消費してしまっている様で。
「──……あ"ぁ、くそっ! なんっ、なん、だよ! よく見ろ虫けらども! あたしらは餌じゃねぇぞぉ!?」
「……餌だと……っ思ってんじゃないの!? そうじゃなかったら、あんなに顎カチカチしないってぇ!!」
ぜーはーと息を切らして叫ぶウルの声に反応したフィンも、その腕に望子を大事そうに抱えつつ残った魔力を総動員させ出来る限りの速度で宙を泳いではいるが、それでもやはり蜂の群れを振り切れてはいない。
「うぅぅ……っ、もう、こわいよぉ……っ」
ちなみに当の望子は、よっぽど蜂が怖いのかフィンの豊かな胸に顔を埋める事しか出来ないでいた──。
しばらく鋭刃蜜蜂との無益な追いかけっこは終わる事もなく、その爪で逃走の邪魔になる木々や茂みを薙ぎ払っていたウルの目の前を突然、何かが横切って。
「うおっ!? あっぶね──っておい! そっちは!」
『『──!?』』
それが先程、仲睦まじく草を食んでいた鹿の親子だと気づいた時には、その親子はウルの爪の衝撃に驚いて、あろう事か蜂の方へと突っ込んでいってしまい。
「しっ、しかさんたち! にげ──」
望子が警告の叫びを上げて手を伸ばすのも虚しく。
鹿の親子を視認した鋭刃蜜蜂たちは瞬時に大顎を威嚇用から捕食用の形態へと変化させて、あっという間に群がっていったかと思えば次の瞬間には骨が見える程の死骸に成り果てていた鹿の親子に興味をなくし。
再び望子たちへと狙いを変えた事からも、この程度では微塵も満足出来ないのだろうと分かってしまう。
「「ひえっ……」」
ゆえに望子とフィンは、どこまでも貪欲な蜂の群れに怯えていたが──ウルは少し違う事を考えており。
(……あの、傷痕は──)
そんな風に脳内で独り言ちるウルの視界の先には。
身体中に夥しい数の穴が空き、その穴から肉を抉られ血を啜られた様な形跡を残した鹿の死骸があって。
……誰の目から見ても、もう分かるだろう。
(あの二人組は、こいつらに……っ!!)
あの時の男女はこの蜂に襲われて生きたまま餌となったのだとそんな事実を理解したウルだったが、『それが何だ』という様に頭を横に振って再び走り出す。
「──……っ、ね、ねぇウル! ちょっといい!?」
「あ"ぁ!? 何だよ!!」
そんな彼女に声をかけたのは、どう見ても顔色が良いとは言えないくらいに疲れている様子のフィンであり、それどころじゃねぇだろと叫ばんとしたところ。
「も……っ、もう殺っちゃった方が早くない!?」
「っ、そりゃあ──」
当のフィンが口にしたのは逃げるより殲滅した方が早いのではという物騒な提案で、それを望子の前で言うのはどうなのかと思いはしたものの、ウルとしてもその提案自体は随分と前から考えついていたらしく。
望子が驚くかもしれない──という事もあるし。
「──どっかで諦めてくれんじゃねぇかと思ってたんだけどなぁ……! やるしかねぇみてぇだなぁ!!」
逃げ続けていればいずれ撒く事も出来るかもしれないし──という、そんな自分の考えが甘かったと自責の念を抱くウルは後ろを振り向きながら急停止して。
「そもそも蜂なんか見たくも触りたくもねぇんだ! こいつで纏めて──くたばりやがれぇええええっ!!」
怒りの感情を込め声を大にして叫んだウルの右手は赤く輝く魔力を纏い始め──それが最大まで充填されたその瞬間、薙ぎ払う様にして真紅の爪を振るった。
それは現状、爪による斬撃や高い身体能力による体術のみで戦うウルに出来る唯一の遠距離攻撃であり。
人狼とはいえ混血である以上、爪の数は人族と同じで五つであり、その数と同じ五つもの赤く輝く斬撃の巨大な波動が鋭刃蜜蜂の群れを斬り裂いたのだった。
……と、そう上手く事が運べば良かったのだが。
「──……はぁ!? 何だその動きはよぉ!?」
ウルが目を見開いて驚くのも無理はないだろう。
先程まで特に規則性もなく襲いかかってきていた蜂の群れが突如、激しく羽音を立てながら急停止と急発進を織り交ぜ、その全てを回避してみせたのだから。
……まるで何かに操られているかの様に。
「異世界の蜂ってあんな事出来んの!? すっご!」
「言ってる場合か! ミコ貸せ! 蜂は任せた!」
「ぅわ! おおかみさん!?」
「あっ、みこ!? ちょっと何を──」
フィンは蜂の群れの統率の取れた動きに何なら感心しており、そんな彼女を怒鳴りつけたウルは望子をひったくりながら再び踵を返し面倒ごとをフィンに一任する一方、望子は突然の事に驚き声を上げてしまう。
「──あぁもぅ、ウルの馬鹿! 後で覚えててよね!」
その後、フィンは望子を奪られた事に悪態をつきながらも、それどころではないとも分かっているからか低空浮遊したまま回転して蜂の群れの方を向きつつ。
「どんだけ速くてもさぁ……! 避けられなきゃいいんでしょ!? 大っきく、もっと大っきく……っ!!」
要は躱しきれないくらいに巨大な一撃なら問題ないのだろうと判断した結果、頭上に掲げた掌から出現させた水玉を段々と大きくさせるだけでなく、つい一週間程前に見た近衛兵たちが持っていた槍を再現する事によって、それは次第に凶暴な造りの破城槍と化す。
「──っ!! てぇええええええええいっ!!」
最早、突き刺すというより押し潰すという方が表現としては合っていそうな水の槍を、フィンは無意識の内に行使出来る様になっていた音の魔力をも組み合わせる事により、ほぼ亜音速で蜂の群れへ叩きつけた。
「お、おぉ……流石に殺れたか……?」
「す、すごいねいるかさん……!」
その壮絶な光景を見ていたウルと望子は、やっと一方的な追いかけっこが終わると期待していたのだが。
──……ブゥウウウウーーー……ン……ッ!!
「「「!?」」」
嫌という程に聞かされていた耳障りな羽音とともに顎をカチカチと鳴らしつつ、フィンの魔術により大きく抉れた地面から次々と鋭刃蜜蜂が顔を出してきた。
どうやら水の破城槍が叩きつけられる寸前、彼らは鋭い顎や針で地面に小さな穴を開けて潜り込み、その衝撃を地面に逃がす事で生き延びていたらしく──。
「うぇええええ!? 嘘ぉおおおお!!」
明らかに一匹も減っていないにも拘らず確かな怒りを自分に向けている蜂の群れを見て、もう信じられないと言った様に叫んだフィンは、あたふたとしつつも前を行く二人を追いかけるべく最高速度で宙を泳ぎ。
「たっ、たべられちゃうよぉ! もうやだぁ!」
「くそっ、どうすりゃ──ん?」
翻って、すっかり涙目で錯乱してしまっていた望子を落とさない様にしっかり抱えていたウルが忌々しげに振り返った時、彼女の視界に何か妙なものが映る。
(穴んとこに何か──……糸、か?)
それは、ひょこっと鋭刃蜜蜂たちが顔を出してきた穴から伸びていた白く細い何か──おそらく糸なのだろう──であり、どうして糸がとウルは混乱しつつ。
(……蜂が糸を? 糸出す奴っていったら普通──)
普通、糸を出す虫と言えば──と地球においての常識を持ち出そうとしたが、ここは異世界なのだから蜂が糸を出すのが常識なのかもしれないなどといった思考を巡らせながら望子を抱えたまま走っていた中で。
「──ん!? ウル! 前! 前に何かいる!」
「あぁ!? 今それどころじゃ──あ?」
突然フィンの頭の横の鰭がピクッと動いて何かを察知し叫び、それに反応したウルが思考を遮られた事で苛立ったのか怒号を放とうとした瞬間、彼女たちがこれから進むであろう先にある茂みが音を立て始めた。
それを見て、フィンの言っている事が嘘や冗談ではないと確信したウルが鼻を鳴らすと──その嗅覚に。
(……人か? いや虫みてぇな臭いも──待て、それだけじゃねぇな……この嫌な匂いは、あん時の蝙蝠どもの)
人族の臭いの様でもあり、それでいて未だに追いすがってくる鋭刃蜜蜂──延いては、虫と似た様な臭いでもある何ともツンとした奇妙な香りが届いてきた。
また、それだけでは飽き足らず王都にて散々嗅いでいた魔族と同じ様な匂いさえも感じ取っていた様だ。
ウルたちが近づくにつれ、『ガサガサッ!』と茂みを揺らす音は次第に大きくなっている様にも感じる。
(……何が何だか分からんが……こうなったら──)
「……っ!」
人族なのか虫なのか魔族なのか──正直、全く考えが及ばないウルは一か八かの先手必勝を心に掲げつつ再び爪の辺りに真紅の輝きを放つ魔方陣を展開し、それを見た望子がウルから溢れ出る攻撃の意思を子供ながらに察して、ぎゅっと彼女の身体に抱きついた時。
『──ギシャアアアアアアアアアアアアッ!!!』
茂みから飛び出してきた、かなりの大きさを誇る何かを視界に入れるやいなや、ウルは身を乗り出して。
「う る せ ぇ ! ! !」
『──ぅぐぇっ!?』
飛び出してきた大きな何かの上を取るべく跳躍してから巨大な爪を叩きつけた事により、その何かは今この瞬間に上げた怪物の様な叫びから一転、如何にも人っぽい普通の悲鳴を上げて茂みはおろか周辺の木々ごと地面へと強めに叩きつけられてしまったのだった。
「……?」
一方、俯せのままで地面に少し埋まった何かが上げた随分と間の抜けた悲鳴を聞いたウルが僅かに違和感を覚えて首をかしげながら、おそるおそる覗き込む。
(そりゃ人かもとは思ったが──……今のは完全に)
……今のは誰がどう聞いても人の声だったから。
モクモクと土煙が立ち込める中、身を乗り出したウルと、ウルに抱えられたままの望子が見たのは──。
「……く、くも? おんなのひと……?」
下半身は黒と紫が入り混じった頑強な甲殻と鋭利な脚を有した蜘蛛でありながら、その上半身は銀色の短髪と端正な顔、豊満な胸を有した肌が褐色の美女で。
「……亜人族、って奴か? こいつも」
身体の半分が蜘蛛という事は、この蜘蛛だか人だか分からない生物も今の自分たちと同じ亜人族とやらなのかも──とウルが思考を巡らせていた、その瞬間。
「ウル! 何で止まってんの!? 蜂が──」
「っ! そうだ! まだあいつらが──」
少し後ろからついてきていたフィンの必死の叫びで思考の海から引き戻されたウルは、ほぼ同時に蜂が追いかけて来ているだろう方向へと目を遣ったのだが。
「「──……は、蜂は?」」
図らずもウルとフィンの声が重なってしまった。
しかし、それも無理はない。
どれだけ自分たちが逃げ続けても追跡をやめなかった蜂たちが、どういう訳か消えてしまったのだから。
「どう、して……?」
未だウルの腕の中にいる望子も、この状況を理解出来ずに疑問符を浮かべつつ眉根を寄せて困っており。
「……分かんねぇ、分かんねぇけど──こいつが原因だってのは間違いねぇんじゃねぇか? なぁ、フィン」
「え? こいつって何──」
ウルは怪訝そうな表情とともに望子の声に答えつつも、おそらく蜘蛛の亜人族なのだろう女性へ目を向けつつ指も差し、フィンとの情報共有を行おうとする。
「──……うわっ!? 何これ、また虫ぃ!? しかも蜘蛛ぉ!? もーここやだー! 早く出たいよー!!」
「馬鹿、声がでけ──」
一方、茂みから姿を現したのが漸く蜘蛛の特徴が目立つ亜人族である事に気がついたフィンが嫌そうな表情で叫んだ瞬間、起きたらどうすんだとウルが注意するのも束の間、蜘蛛の亜人族がぴくっと反応し──。
「「──っ!!」」
仮にも襲いかかってきた存在が目を覚まそうとしている──と考えた結果、ウルは望子を腕から下ろし背中側へ回しつつ、フィンとともに臨戦態勢を整える。
「──……ぅ、うぅん……?」
その後、何とも悩ましい唸り声を上げて目を覚ました亜人族は、その整った白い顔の吊り目気味で大きな二つの眼と小さな六つの眼──合わせて八つの切れ長の眼をきょろきょろとさせつつ、しぱしぱと瞬きし。
「あ、あら? ここは何処? 私は──誰……?」
「「「……はっ?」」」
記憶喪失のテンプレートの様な言葉を発しつつ、その真っ赤な瞳で望子たちをきょとんと見つめていた。
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