『裁縫』と『再縫』
「──……っ、ウル! ハピ! フィン! 無事か!?」
「……れ、レプ……お前……」
魔王軍幹部と配下二体が《それ》の力で斃された事で謁見の間を奇妙な静寂が包んでいた時、息を切らして謁見の間に駆け込んできたのは、ウルたちと同じ様に《それ》によって助けられたばかりのレプターで。
「っ、良かった……! 無事──ではないな、だがよく生きていてくれた! 本当に、本当に良かった……!」
「っお、おう……お前もな──……お前も?」
座り込んだ状態のズタボロな自分に勢いよく抱きついた事により、ハッキリ言って結構な鈍痛がウルを襲っていたものの、それでも心配してくれていたというのも分かる為、敢えて引き剥がす事はしなかったが。
「……何で、お前もズタボロに──……いや、それよりミコの事だな。 お前、あれが何だか知ってるか?」
「ん? あぁ……」
それはそれとして、どうして詰所で望子と待機していた筈の彼女まで傷だらけになっているのか──と疑問に思うも、よくよく考えると『あの時の犬か?』と思い至った為に、もう一つの疑問についてを尋ねた。
そう、望子の中にいるのだろう何かについてを。
「いや、私にも教えては下さらなかった。 だが、あの方は間違いなく私と……そして、ミコ様の命も救って下さった。 私にとっては、あの方もまた──勇者だ」
「……そういう事が聞きてぇんじゃねぇんだがな」
すると、レプターは彼女の期待に反して首を横に振り『残念だが』と口にし、されど何故か得意げな表情を見せて《それ》の力により自分たちが救われた事を語ってみせたが、どうにも随分と的外れな回答が返ってきた事で、ウルは僅かながらげんなりしてしまう。
……ウルはもう一度、《それ》を見遣った。
ウルの視界の先で立つ《それ》は、ラスガルドを吸収した事実を噛み締めるかの様に小さな右手をにぎにぎとしながら、『ふふ……っ』と笑みを溢している。
(……何なんだよ、あいつは)
自分に──自分たちにとって最も大切な存在と同じ顔の筈なのに、とても不気味に思えて仕方なかった。
翻って、《それ》はウルの視線に気がついて──いた訳ではなく、どうやらレプターの存在に気がついた事で振り返り、そのままてくてくと彼女に近寄って。
《──……随分と遅れたじゃないか、龍人。 せっかく『送迎』で一緒に連れて来てあげたっていうのに》
相変わらず望子と同じ愛らしい鈴の様な声音で、それでいて八歳児として見ても随分と舌足らずな望子とは異なり至って明瞭な口調とともに声をかけてきた。
ちなみに送迎とは、《それ》を含めた何某かが複数で任意の場所へと転移する事を可能とする力らしい。
「……っ、も、申し訳ありません……! この城内にいた筈の者たちの生存確認をしておりまして……!!」
(凄ぇ腰低いな、こいつ……)
そんな嫌味にも聞こえかねない《それ》からの言葉を受けた──レプター的には賜ったというべきかもしれないが──彼女は、それはもう勢いよく片膝をついてから自分の行動を報告しており、その一連の流れを見ていたウルは『幼女に謙る龍人』という奇天烈な光景に何とも言えない表情を浮かべてしまっていた。
また、これは余談だが残念ながら生存者は零。
助かる見込みのある重傷者さえ、いなかった。
《あぁ大丈夫、謝らなくていいよ。 それよりも、あの二人を何とかしないといけないね。 鳥人と、人魚を》
「っ! そ、そうだった……! ハピ! フィン! いや別に忘れてた訳じゃねぇんだけ、ど──な"……っ!?」
そして、レプターからの謝罪をさらりと流してみせた《それ》は、ひらひらと小さな手を振りながらも明らかにウル以上の重傷、或いは呪いに近い何かを負ってしまっている二人を助けないと──と視線を移し。
それもそうだ──と、ここで漸く二人の事を心配する余裕が出て来たウルは、まぁ本当に忘れてはいなかったのだろうが誰に言い訳するでもなく慌てつつも。
一も二もなく立ちあがろうと──した、その時。
「──う"っ、痛っ、てぇ……っ」
「!?」
三人の中では唯一、何とか意識を保っているとはいっても彼女自身も相当な重傷であり、ラスガルドたちとの戦闘が終わって気が抜けてしまった事もあって全身を襲っていた痛痒がぶり返したのか蹲ってしまう。
「ウル! 大丈夫か!? ハピも重傷を……それに、フィンのあの褐色の……! あれでは、まるで──っ!」
一方で片膝をついていたレプターは、ウルに寄り添いながらも少し遠くに倒れたままの、かたや全身が火傷痕に覆われ四肢も千切れかけているハピと、かたや肌が浅黒い褐色に変色しているフィンを見て焦燥し。
特に、フィンの状態が明らかに普通ではなく『あれでは、まるで』という発言の先に『何かの様だ』と彼女の姿を形容しようとしたが──すぐに口を噤んだ。
何しろ、その姿がまるで──。
──魔族の様ではないか。
なんて、そんな失礼な事を言える筈もないから。
「……そ、そういや魔族の力を取り込んだとか──」
「な、何だと……!?」
そんな折、戦いの終盤において異様な変異を遂げたフィンに対して、ラスガルドが愉悦たっぷりの表情で叫んでいた『あれだけ魔族の力を取り込んで』という発言を覚えていたウルが、そのままを伝えたところレプターは急いでフィンに寄り添い上体を起こさせる。
先程、『魔族の様だ』という発言を躊躇したが。
やはり今のフィンは、どこから見ても魔族の様で。
既に角や羽は脆く崩れ去っているが、この日焼けなどと明らかに毛色の異なる褐色の肌を見れば、そう思ってしまうのも仕方ないと言える──かもしれない。
「一体どうやって、その様な事を……い、いや、それより早く何とかしないと、このままでは──っ!?」
《ちょっと、どけてくれるかな》
「は、はっ!」
呼吸も浅く、ぐったりしている様子のフィンを腕に抱いているレプターが、『魔族の力を取り込む』などという考えたくもない行為をこの人魚は一体どうやって──と考えていたのも束の間、気づいた時には目の前にいた《それ》の声にレプターはフィンを優しく床に寝かせてから先程と全く同じ姿勢で片膝をついた。
「……お、おい、何する気だ?」
一方、《それ》が何をするつもりなのか微塵も見当がつかないウルが、おそるおそる声をかけると──。
《……ん? 何って──『治す』んだよ? いや、君たちぬいぐるみの場合は『直す』、の方がいいのかな?》
「な、何言ってやが──」
活字ならともかく口頭ではいまいち伝わりにくい言葉の違いを口にする《それ》に、ウルは疑問符を頭いっぱいに浮かべ『何言ってやがる』と尋ねんとした。
──その時。
《──戻れ》
「えっ──」
特に手をかざしたりする事もなく、《それ》が静かに呟いた瞬間、ウルたち三人の身体が光に包まれて。
──ぽぽぽんっ。
少なくともレプターにとっては聞き覚えのある間の抜けた音と同時に、ウルたちがぬいぐるみに戻った。
一つだけ以前と違うのは、そのぬいぐるみが長年使い古されたかの様にボロボロになっているという事。
狼のぬいぐるみは全身が裂けて綿が飛び出し。
梟のぬいぐるみは傷だらけかつ千切れかけており。
海豚のぬいぐるみに至っては、その全身を黒と紫が入り混じった煤の様な何かで覆われてしまっていた。
《──……よし、こんなものかな》
「あ、あの……直す、というと?」
《あぁ、えっとね──》
だが、《それ》は明らかに異常な見た目のぬいぐるみを見ても、これといって何かを言及する事もなく寧ろ満足そうに床にしゃがみ込んでおり、《それ》がやろうとしている事に要領を得ていないレプターが問いかけると、《それ》はきょとんとした表情を見せて。
《……まぁ、こういう事だよ。 見てれば分かるさ》
説明するのが面倒にでもなったのか、ぬいぐるみとなった三体の亜人族たちを一箇所に集めてから等間隔に並べつつ、その小さな手をぬいぐるみたちにかざすやいなや、そこに白く神々しい光が集まり始め──。
《詠唱はいらないかな。 仕立てるよ──『裁縫』》
「縫針と、糸……裁縫を?」
何やら魔術名の様なものを口にすると同時に、その光は徐々に何かの形を成していき──それは気づけば艶やかな白銀色に煌く縫針と手縫い糸になっていた。
そして、《それ》の手から煌びやかな針と糸が離れて優先的に狼と梟のぬいぐるみを縫い始めた事で、レプターとしても確認せずとも分かってはいたのだが。
《ん? あぁ、そうだね。 別にぬいぐるみに戻してやる必要もないんだけど、こっちの方がやりやすいんだ》
「は、はぁ……そう、なのですね」
そんな風に思わず疑問を声に出してしまったレプターに対し、《それ》は軽く微笑みながら『元がぬいぐるみだからね』と簡素な説明をするものの、あまりに目まぐるしく変化する状況にレプターは理解する事を半ば諦め、やんわりと思考を放棄してしまっていた。
ぬいぐるみを『直す』事で、ウルたちも『治る』。
それだけ分かっていれば、もういいだろう──と。
二人がふわっとした会話をしている間に狼と梟、二つのぬいぐるみは元の綺麗な状態に直っており、ぬいぐるみの状態を見た《それ》は随分と満足そうに頷いてから、スッと立ち上がりながら口を動かして──。
《──目覚めよ》
小さな、されど確かな声音で呟くと同時に狼と梟のぬいぐるみは真紅と翠緑の淡い光を放ちつつ傷を負う前の健常な人狼と鳥人の姿になり、ほぼ同じタイミングでうっすらと目を開いた事で、レプターが近寄り。
「……! ウル! ハピ! 痛みはないか!?」
「──ん、んぁ……? ねぇ、けど……」
見るからに怪我が消えているのは分かるが、それでも痛みや違和感は残っていないかと問いかけるも、そもそもからして亜人族からぬいぐるみに、ぬいぐるみから亜人族になったのがまだ二度目でしかない彼女には『存在の変異』という感覚がいまいち掴みきれておらず、レプターの問いに答える事で精一杯であった。
「ん、ぅ……? ぁ……あら? 私、何を、して──」
そんな折、漸く声を出せるところまで落ち着きを取り戻したハピが、ウルと違って『ぬいぐるみにされていた』事を知らない為、何が何だかといった具合に混乱しつつも現状を把握するべく辺りを見回すと──。
「な……っ!? 望子!? どうして望子が──え」
どういう訳か、そこには彼女にとって最も大切な存在であるとともに決して戦場になど来てはいけない筈の望子の姿があり、どうしてここにいるのか、レプは何をと色々な疑問が浮かんできていた──その瞬間。
「──……は、ぁ……っ!?」
「ハピ!?」
「な、何やってんだ、お前……」
突如、ハピの翠緑の瞳が大きく見開かれるだけでは飽き足らず、どういう感情からか身体も俄かに震え出し、かと思えば瞬時に翼を広げて距離を離してから。
「──……だ、誰……? 何も、視えない……! 望子は!? 望子をどこへやったの!? 答えなさいな!」
《……あ〜……どう説明したらいいかな》
おそらく、《それ》を視界に入れた瞬間に本来なら鑑定に似た力を持つ瞳で視える筈の、《それ》の名前やら何やらといった情報が何一つ視えてこなかったからだろう、ハピは一瞬で《それ》が望子ではない何かだと見抜いたうえで誰だと叫び放ち疾風を纏うも、そんな威圧が幹部をも倒す《それ》に通ずる筈もなく。
正体を明かしてしまえばいいのではと思うかもしれないが──どうにも《それ》は隠し通したいらしい。
「待て、ハピ! ミコが心配なのは分かるが、それより先にこいつを何とかしねぇと本当に死んじまうぞ!」
「それよりって──……あっ、あぁ……っ!!」
そんな《それ》の感情を悟ったのか、それとも単にフィンに時間がないからか──ウルが落ち着けと言い聞かせる一方、『それより』などと望子を二の次にするような発言にハピはカチンときていたものの、ウルの言う『こいつ』の方へ顔を向けた瞬間、ラスガルドとの戦いの序盤で起きた出来事を思い返してしまい。
「ふぃ、フィン……貴女まさか、あれを呑んだせいで本当に──……っ、あぁ、あの時、止められてたら」
その懺悔にも近い呟きが声となって口から漏れている事にさえ気づかず、ハピが海豚のぬいぐるみへよろよろと近づいていく中、彼女の肩をレプターが掴み。
「……ハピ、貴女──何か知っているんだな?」
「あ……っ」
その手に力が入りすぎている事も構わず『知っている事を話してくれ』と告げるレプターに、ハピは何とも気まずげな表情を湛えた後、意を決して口を開く。
「……この娘、王城まで来る間に斃した魔族の血だの体液だのを、いつの間にか回収してて……どうせ普通じゃ勝てないからって、それを呑み込んだのよ……」
「「……はぁ!?」
そして、ハピの口から語られた『おぞましい』という以外に表現のしようがない衝撃の事実に、レプターだけではなく当事者のウルまでもが目を見開いたが。
「こ、この馬鹿野郎……! 何で止めなかった!? お前がちゃんと止めてりゃフィンはこんな事に……!」
この人狼、先の戦いでは『お前が頼りだ』と言わんばかりに変異後のフィンを応援しており、それを考えると自分の事を棚に上げてと思われかねないものの何も知らなかったのだから無理もない、かもしれない。
「わっ、分かってた……! 分かってたわよ! でも仕方ないじゃないの! あの時の、あの娘の目は本気だったわ! 貴女でもきっと、きっと止められなかった!」
「なっ、てめぇ──」
しかし、それはそれとしてハピにもハピなりの言い分があるらしく、こうなるかもとは分かっていてもフィンの瞳に宿っていた覚悟の色を見れば、きっとウルだって同じ様に決断した筈だと主張するも、その覚悟の色とやらさえ知らないウルは更に苛立ってしまい。
本格的な喧嘩に発展しようか──という時に。
《……もういいかな? 今から人魚を直したいんだ、なるだけ集中したいから黙っててくれると嬉しいけど》
「「う──……っ」」
突如、望子と全く同じ声音で望子とは全く異なる口調で二人を諌める《それ》の発言に、その声が望子のものではないと分かっていても思わず二人は沈黙し。
《そうそう、仲良くするといいよ。 この子、望子だって君たちの喧嘩なんて見たくないだろうし──っと》
そんな二人を見て、『喧嘩する程、仲が良いとは言うけどね』と付け加えつつ、《それ》はいよいよとばかりに海豚のぬいぐるみを手に取り目を閉じて──。
《あらんばかりの創造を、溢れんばかりの再生を。 全ては我が手の思うがままに……廻れ──『再縫』》
先程のものと似ているが僅かに違いもあり、そして何より詠唱つきで行使された為か、《それ》の手元に現れたのは白銀色の──ではなく黄金色の縫針と糸。
それらは、つい先程の裁縫と同じ様に《それ》の手元から離れたかと思えば、ぬいぬい、ちくちくと海豚のぬいぐるみを縫い直していき、みるみる内に煤の様な汚れが消え去っていくだけでなく全体が修繕され。
「──……え……? 何、あれ……どういう事……?」
「……あたしにも、よく分かってねぇんだけど──」
ハピが目の前で起きている現象に困惑し、ウルが自分に可能な範囲で現状を説明し終わる頃には、すっかり元通りになった海豚のぬいぐるみが転がっていた。
《……これでよし、と──目覚めよ》
そして、《それ》が覚醒を促すと──。
「──ぅ、ぅうん……? あれ、ここは……?」
「……! フィン! あたしが分かるか!?」
「へ……? ウル、でしょ?」
ゆっくりと、本当にゆっくりと紺碧の瞳に光を宿したフィンが目を覚まして、ウルが確認の為に自分が分かるかと声をかけたところ、『何言ってんの』とばかりにフィンはきょとんとした表情を見せており──。
「フィン……っ、本当にごめんなさい! 貴女にばかり辛い目を……約束も、守れなくて……本当に……!」
「ん、んん? 何があったんだっけ……?」
そんな中、真っ先に倒れてしまったせいで約束も何も守れなかった不甲斐なさを悔いていたハピの、あわや泣きそうになるくらいの──いや、ほぼ泣いていると言ってもいいくらいの懺悔の言葉を受けるも、フィンはいまいち現状を把握出来ておらず混乱していた。
「良かった、本当に……これも全て──えっ」
一方、蚊帳の外から三人のぬいぐるみたちの感動的な光景を見ていたレプターは、これで漸く大部分は解決したと安堵の溜息を溢しつつ、《それ》の功績が大きかったと理解している事もあり礼を述べんとする。
──が、しかし。
《……お礼なんて、いらないよ……それ、より、この子の事、を……望子を、よろしく、頼、む、ね──》
「なっ、え──」
何故か、やたらと眠たげな様子に見えたかと思えば何やら望子を頼むなどと言いつつ仰向けに身体が倒れていき、それに驚きながらもどうにかレプターが小さな身体を受け止めようとした──まさに、その瞬間。
──ちゃぽん。
「「「……はっ?」」」
と──そんな柔らかい水音を立てて、いつの間にやらそこにいたフィンが小さな身体を受け止めていた。
……いや、よく見るとそれはフィンではなく。
全身が水で形成されている事を除けば、どこからどう見てもフィンにしか見えない水の分身だったのだ。
望子を受け止められている事を踏まえると、どうやら実体があるらしく望子をしっかり抱きしめている。
それこそ、フィンと同じく愛おしそうに──。
「……危なかった。 急にどうしちゃったんだろうね」
「どうしたはお前だよ! そんな事出来たのか!?」
一方、青く光る片手を望子の方へ伸ばして安堵の息を漏らしていたフィンに対し、ウルが声を荒げるも。
「あれ? そういやそうだね。 こんなん出来たっけ」
「は、はぁ……?」
どうやら自分でも分かっていないらしく、当のウルは『何言ってんだこいつ』とばかりの視線を向けた。
(もしかしなくても、さっきのが影響して……?)
その時、ハピだけは少しばかり冷静になって先程ぬいぐるみの身体を包んでいた金色の光を脳裏に浮かべつつ思案していたが、そんな彼女たちをよそに──。
「──ん、ぇへへ……」
『……♪』
既に《それ》ではなくなっているらしい望子は、ひんやりしていて柔らかい水の分身に顔を埋めて幸せそうしながら無意識の内に、ぎゅっと抱きついていた。
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