対峙するぬいぐるみ
玉座から腰を上げようともせず頬杖をつくラスガルドとは対照的に、それはもう神妙な面持ちで対峙するマルキアとシルキアの魔族姉妹と三体のぬいぐるみ。
「「ん〜……?」」
ラスガルドの底知れぬ力に脅威を感じていたウルとハピの頬を伝う様に冷や汗が流れる一方、何故かシルキアとフィンの二人だけは互いにさえも分からない何らかの違和感を覚えて頭に疑問符を浮かべていたが。
(あいつを倒しゃあ終わる──……先手必勝だ!)
「──!? ウルっ!?」
ウルの冷や汗が謁見の間の床に滴り落ちた瞬間、右腕に真紅に光る巨大な爪を展開しつつ、その強靭な足腰からなる圧倒的な俊敏性と跳躍力で魔族姉妹の間を縫って飛び越し、ラスガルドへその爪を振り下ろす。
それでも微動だにしないラスガルドに対し、この振り下ろす爪で真っ二つにしてやると目論んでいたが。
「──『闇鋼鉄化』」
「なっ!?」
ウルの爪による一撃は、いつの間にか身体能力だけでウルとラスガルドの間に割って入ったマルキアの極端に肥大化かつ硬質化した右腕に止められてしまう。
「ちっ……! 邪魔してんじゃねぇぞ腰巾着が!!」
「……躾がなっていないわね、ウルとやら。 本来ならば貴女の様な駄犬が近寄っていいお方ではないのよ」
「だっ、誰が犬だぁ!? あたしは狼だ!!」
「あぁそう、どうでもいい情報をありがとう」
「んの野郎……!!」
ウルは強めに舌を打ってから反射的に飛び退いて苦言を呈すべく叫び放つも、どうやらマルキアは彼女以上に憤慨しているらしく静かに、されど確かに怒りを感じる声音で、わざわざ煽る様な発言をしてみせた。
当然、彼女の挑発に見事イラッときていたウルは望子がいないという事もあって遠慮なく怒りを発露していたのだが──その一方、マルキアは右腕を見つつ。
(……これ程の衝撃、何十年ぶりかしらね)
闇鋼鉄化という身体の一部を硬質化させる闇の魔術を用いていたのに、ウルの一撃を受け止めた事による衝撃が強い痺れとして腕に残っており、その事実を口にする事は悔しいから絶対にしないが、それでも彼女の──延いては彼女たちの実力を認めざるを得ない。
「……本気でいくわよ、せいぜい頑張りなさいな」
「っ、来るか──」
「「……!」」
そう、マルキアは決して彼我の戦力を見極められない程の愚者ではなく、まだ魔術を使いこなしきれてはいないという事を看破しつつも『油断は禁物だ』と己に喝を入れ、その一対の羽を硬質化させていき──。
おそらく、その羽で自分たちを薙ぎ払わんとしているのだろうと悟った三人が、ウルを先頭としながらも各々の魔術で対抗すべく魔方陣を展開した、その時。
「──……あぁっ! 思い出した!!」
「「「「!?」」」」
完全に臨戦態勢にあったマルキアやぬいぐるみたちが思わず目を向けて足を止めてしまう程の大声を出したのは、ラスガルドの傍に控えていた──シルキア。
「お姉ちゃん! ラスガルド様! やーっと思い出したの! ずっと何かを忘れてる気がしてたんだけど──」
「いいから貴女も戦いなさい! そんなの後で──」
どうにも彼女は、たった今この瞬間まで何かを思い出そうとしていたらしく、だからこそ今の今まで首をかしげていた様なのだが、それは別に今じゃなくてもいいだろうと姉であるマルキアが叱りつけんとした。
「話してみろ、シルキア。 重要な事かもしれんしな」
「ほーら! ラスガルド様も、ああ仰ってるよ!」
「……あまり甘やかさないで下さい」
しかれど、そこに低い声を割り込ませてシルキアに許可を出したのは他でもないラスガルドであり、もう血塗れどころか元々赤が基調だったのではという程に血肉で染まった玉座の肘置きに片肘をつき先を促す。
一方、上司から許しを貰った彼女は随分と嬉しそうに実の姉を煽っており、それを見たマルキアはラスガルドがシルキアに甘いという事を知っているからこそ出来れば甘やかすのはやめてほしいと注意しつつも。
ラスガルドの言葉に逆らうつもりもない為、亜人族への警戒は決して怠らぬまま妹の二の句を待つ事に。
すると、シルキアは嬉しそうに頷いてから──。
「実はですね? さっき、デクストラ様から報告が来ていたんですよ! 私すっかり忘れてました! てへ♪」
「……あ、貴女ねぇ! 何度も何度も言っているでしょう!? 報告、連絡、相談は確実にしなさいと……!」
何と、つい先程──具体的には、ラスガルドが宰相や臣下たちを影に引きずり込んでいた頃、魔王の側近たる魔族のデクストラから割と重要な報告があったらしく、そんな重要中の重要な事項を何故この瞬間まで忘れる事があるのかとマルキアが怒鳴りつける一方。
(報・連・相って異世界にもあるのね)
(……どうでもいいわ)
この状況で姉妹喧嘩を始めようとする魔族たちとは対照的に、ハピが口にした略語が異世界にあるのかないのかなど正直どうでもいいウルが溜息を溢す中で。
そんな二人ともまた異なり、それまで黙りこくっていたフィンは、『あぁそういう事かぁ』と何かについて一人で納得しており、とても満足げに頷いている。
聖女との会話の時からそうだったが、フィンという亜人族は人魚の特性によるものなのかはともかく本来なら聞こえようのない音が耳に届く様になっていた。
その性質によって、フィンはシルキアの小さな唸り声や、この局面においても別の何かを考えている様なちぐはぐな心音に、どうにも疑念を抱いていたのだ。
(何を忘れてるかを忘れてた訳ね。 あーすっきりした)
フィンは人知れず、シルキアと同じく憑き物が落ちた様な笑顔でうんうんと頷いて、これで漸く戦いに集中出来る──と魔方陣を展開する手に魔力を込める。
「はぁ……それで、どんな報告だったの?」
「あー、えっとね──」
そんな中、妹の天然っぷりに心から呆れつつ深く溜息をついたマルキアが彼女に報告の内容を尋ねると。
「勇者召喚で喚び出された勇者は可愛い女の子で、その子の事を魔王様が気に入っちゃったから……まだここにいるなら捕まえておいてほしいって仰ってた!」
「「──……は?」」
シルキアは、デクストラが勇者召喚の儀を見ていた事を前提として、かの恐るべき魔王が今代の勇者を気に入ってしまった事と、その勇者が近くにいるなら捕らえて連れ帰れという命令を受けた事を明かしたが。
そんな彼女の報告を聞いて──二つの声が重なる。
一つは、『また魔王様の我儘か』と呆れるマルキアの声であり、もう一つは明らかに望子の事を言っていると思い反射的に漏れてしまった──フィンの声で。
「──……んん……?」
「っ! おいフィン!!」
「っあ、ご、ごめ──」
マルキアの声の意図は長年の付き合いゆえに分かるものの、フィンの声の意図は分からず違和感を覚えたラスガルドが彼女を訝しげな薄紫の瞳で射抜く一方。
お前がバラしてどうすんだ──と言わんばかりにウルから強い叱責を受けた事によって、フィンは漸く自分の大失態を自覚しはしたのだが、もう時既に遅し。
「……お前たちは、その勇者とやらを知っているのだな? 魔王様の側近たるデクストラからの指示は魔王様の指示も同じ。 可及的速やかに済ませておきたいのだが──……『何処にいるのか、教えてくれるな?』」
「「「……っ!?」」」
当のラスガルドは、この亜人族たちが召喚勇者の所有物だという事実こそ知らないものの、それでも勇者に近しい存在だという事を半ば確信した様子で昏い笑みを浮かべつつ、『闇寧快楽』という対象の良心に干渉し欲する情報を漏洩させる闇の魔術を行使し、それを知らぬまま直に受けた三人が戦慄を覚える中──。
(ラスガルド様の闇寧快楽に抗える者なんて、そうはいない筈。 いくら、あの亜人族たちの意思が強くても自分たちから率先して話してくれる様になるでしょうね)
聖人ですら口を割る──とまで云われた、ラスガルドが行使する闇寧快楽の素晴らしさと恐ろしさを知っていたマルキアは、おそらく数分もかからずに墜ちてしまうだろうと踏んで完全に気を抜いていたのだが。
「──……はっ、教えて欲しけりゃそこに平伏して頼んでみろよ。 やったところで教えるたぁ限らねぇが」
「それが嫌なら私たちを倒してごらんなさいな。 そう簡単にはいかないでしょうけどね、いくら貴方でも」
「そーだそーだ! みこはボクのだもん! まおうだかはおうだか知らないけど、そんな奴に渡すもんか!」
「なっ……!?」
ラスガルド直々の闇寧快楽だというのに口を割るどころか、マルキアの予想に反し益々強気になってしまっていた亜人族に対し、どうして闇寧快楽が通用していないのかとマルキアが表情を驚愕の色に染めるも。
そんな彼女とは対照的に、まるで計画通りだと言わんばかりに邪悪な笑みを浮かべたラスガルドは──。
「……ほぅ、勇者の名はミコというのか。 これはいい事を聞いた。 シルキアよ、名が分かれば充分だな?」
「はい、お任せ下さい! せーのっ──」
随分とわざとらしく、さも悪戯が成功したかの様な口ぶりを見せると同時にシルキアへ声をかけると、シルキアはシルキアでラスガルドの言わんとしている事を充分に理解しており、『待ってました』とばかりに小さな両手を上に掲げ、その両の手の中心に漆黒と薄紫の入り混じった超高密度の魔力を集中させていく。
そして、その魔力をぎゅっと圧縮させてから──。
「──おいで! 『闇犬探査』!」
「!? 何だ!?」
おそらく魔術名なのだろうそれをシルキアが言い放った瞬間、元々魔力で構成されていたものを更に魔力で高圧縮したドス黒く小さな球体から何かの生物を模している様な物体が何体も何体も溢れて止まらない。
大小の差異はあれど、よくよく見れば犬だった。
「……キミの仲間じゃない? あれ」
「狼だっつってんだろうが!!」
「ねぇ、それどころじゃ──」
それを見て、フィンは別に茶化すつもりもなく本心から『ウル=犬』と暗に告げたが、つい先程も叫んだ通り彼女はイヌ科であっても犬ではない為、『話聞いてたか!?』と割と本気で怒っていたものの、それらがシルキアの魔術であると考えると揉めている場合ではないだろうと判断したハピは仲裁しようと試みる。
「いい? よーく聞いてね! 君たちは今から、ミコって名前の女の子を探すの! ここら辺じゃ珍しい、とっても綺麗な黒髪の勇者! 頑張って見つけてきてね!」
翻って、おそらくデクストラからの一連の報告の中にあったのだろう望子の──召喚勇者の外見についてシルキアが言い聞かせると、それを受けた犬たちは。
『……ミ、コ。 ミコ、ミコ?』
『クロ、カミ、クロイ、カミ』
『──……ユウシャ、ミコ』
「「「……!!」」」
雑音混じりの、それでいて高いとも低いともつかない中途半端で聞き取りにくい言葉を発しつつ、すんすんと鼻を床に近づけて──謁見の間を出ようとする。
望子を探しに行こうとしているというのは誰の目から見ても明らかだった為、亜人族たちは頷き合って。
「一匹たりとも通すんじゃねぇぞ!!」
「分かってるわよ!」
「殲滅だー!!」
『『『ギャウ"ッ!?』』』
「あちゃー、ちょっと魔力が少なかったかな」
絶対に望子の下へは向かわせない──そんな信念の元に一匹、また一匹と叩き潰したり斬り裂いたりして消滅させえいき、いくら勇者の捕獲を目的としていても一匹一匹が弱すぎたか、とシルキアが反省する中。
「それくらいにしてくれる? 私たちにも優先順位というものがあるの。 貴女たちは──二の次なのよっ!」
「──っぐ!? あ"ぁっ!?」
「え──きゃあっ!?」
「い"っ──たぁ!!」
亜人族たちの奮闘を静観していたマルキアが、もういいだろうと言わんばかりに横槍を入れるべく、バキバキと翼を鳴らしながらぬいぐるみたちへ接近し、シルキアのせいで喰らわせられていなかった闇鋼鉄化によって硬質化した翼での一撃を三人へと解き放った。
その一撃でそれぞれが大きなダメージを受け、ウルが床を転がりつつも態勢を整え、ハピとフィンが高低差はあれど同じく空中で踏みとどまる中、その瞬間を狙っていたかの様に生き残っていた犬たちが次々と謁見の間から出ていき、おそらく望子を探しに向かう。
「っあ、この──」
そんな犬たちに真っ先に反応したウルが、それらを追って外へ出ようとした──まさに、その時だった。
「──『動くな』」
「「「っ!?」」」
静かに、されど確かな声音で告げられたラスガルドの静止を命じる旨の言葉に、ウルだけでなくハピやフィンも全身が凍りついた様に動けなくなってしまう。
そんな三人へ、ラスガルドは再び口を開き──。
「──『自由にせよ』」
「「「……っ!」」」
先程と同じく静かに、されど力ある声音で告げた瞬間、彼女たちは彼の言葉通りに自由の身となり、それと同時に真紅の、翠緑の、紺碧の──それぞれの色が煌々と妖しく光る双眸で、ラスガルドを睨みつける。
「──……今のも、魔術、なのかしら……?」
「……ふっ」
自分を落ち着かせる為に『ふーっ』と息をついたものの、それでもなお少し震えた声でハピが今の現象について尋ねると、ラスガルドは随分と愉悦たっぷりの表情を見せつつ玉座に掛けたままで足を組み替えて。
「……『真に力を持つ者の言葉は、時に武具や魔術をも超える凶暴な力となる』──この世界の格言だが」
「「「……?」」」
誰が言い遺した言葉かも知らんがな──と補足したうえで、わざわざ『この世界で』などと強調して彼女たちが召喚勇者に近しい者たちである事を改めて反応から確認するも、ぬいぐるみたちは全く要領を得ず。
そんな亜人族たちの反応を見たラスガルドは、より一層くつくつと愉しげに喉を鳴らしてから──一言。
「つまり今のは単なる言葉。 それを魔術、或いは技術だと思い込んで身体が硬直したのなら、お前たちはただ純粋に──この私に恐怖した、というだけの事だ」
「「「なっ……!?」」」
要は、もう戦わずして屈していたのだ──という風に衝撃の事実を突きつけられてしまった亜人族たちだったが、それに反論しようにもまともに声が出ない。
……図星だったからだ。
どれだけ虚勢を張っていても、どれだけ強い力を手に入れても、ただのぬいぐるみに過ぎないのだから。
「……だが、お前たちを処分するのは惜しい。 マルキアの腕に衝撃を残す膂力、シルキアの闇犬探査により発生した流動する魔力犬を迅速かつ的確に潰す速度と技術。 どれをとっても一線級という他ないからだ」
「「「……」」」
一方で、どういう風の吹き回しか彼女たちの有用性について語り出したラスガルドは、さも当然の様にマルキアの腕の痺れや油断禁物と判断した彼女の思考をも見抜いたうえで、ぬいぐるみたちを心から称賛し。
「──……どうだ? 私の下につき、かの恐るべき魔王様の為に生きてみないか? ミコという勇者も、可愛らしいものを好む魔王様なら悪いようにはしない筈だ」
「「「……!」」」
「え……?」
あろう事か、『私の下につけ』と提案したラスガルドに対し、マルキアには『亜人族風情を配下に?』とラスガルドに亜人族の部下など相応しくないという考えがあった様だが、それでも思慮深い上司の事だから何か考えがあっての事だろうと判断して口は挟まず。
それから、およそ十数秒後──。
ぬいぐるみたちは、これといって特に話し合う事もなく、ただ顔を見合わせ頷き合ってから視線を戻し。
「──……決めたぜ、よーく聞けよ」
「ふむ。 して、回答は──」
ウルが三人を代表して自分たちの答えを告げんとしたところ、まるで答えが分かっていると言わんばかりにラスガルドはニヤリと笑って彼女たちに先を促す。
──その瞬間だった。
「うっ──らぁああああっ!!」
「……ふっ!」
「てぇええええいっ!!」
三人は誰からともなく、ラスガルドに対して爪で風で水で──それぞれが出来る全力の遠距離攻撃を放ったものの、ラスガルドはゆっくりと手を前にかざし。
「──……『闇番守己』」
噛み締める様な笑みとともに魔術名を呟くと、ラスガルドの目の前に門の如き形状の漆黒の大盾が出現。
三人の魔術による波状攻撃は、あっさり防がれた。
「やはりな──……これが答えか?」
「あぁ、そうだ!!」
そして、もう間もなく幕が開くだろう戦いが待ちきれないのか愉悦の表情を隠しきれていないラスガルドが大盾を解除しつつ問いかけるやいなや、ウルは鋭い牙を剥き出しにして『いいか!?』と前置きし──。
「あたしらはミコの幸せを守る為にここにいる! 魔族と一緒じゃあ……! そんな未来は来ねえんだよ!!」
「「……!」」
ラスガルドだけでなく、マルキアやシルキアにも向けて絶対に譲る事は出来ない望子への強い想いがこもった叫びをぶつけた事によって、マルキアとシルキアが本気で戦う決意を強いられていた──その一方で。
「そうか──……残念だ」
「「!」」
ウルの叫びから交渉や勧誘は無意味だと察したラスガルドは右腕を軽く掲げて、マルキアとシルキアを玉座の左右へと控えさせてから、その重い腰を上げる。
魔王軍幹部が一体との死闘の始まりを嫌でも予感させられたウルは、『ふーっ』と長い息を吐きつつも。
(──……後は頼んだぜ、レプ)
自分が志半ばで斃れた後の事を考えたうえで、レプターに望子を預けた事を、ふと思い返していた──。
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