望子の夢
──その夜、望子は夢を見ていた。
いつもの様にお母さんと一緒に台所に並んで料理をして、お互いに味見をし合ったりする──そんな夢。
母と二人で暮らしている望子は、まだ幼いながらに伴侶と離れ離れになっている母の事を慮って料理や洗濯、掃除などの家事の手伝いを日常的に行っている。
そのお陰か、そこらの一人暮らしの男女より料理も洗濯も掃除も丁寧かつ迅速に出来る様になっており。
写真や映像などの記録も残っておらず、うっすらとしか顔も記憶にない父の代わりにはなれないが、ありがとうと褒めてくれる母の笑顔が大好きだった──。
(……ぇへへ)
夢の中でも、こうして親子二人で家事をして同じ様に褒めてもらえている事に、また望子は嬉しくなる。
──あしたもまた、おかあさんといっしょに。
望子の心はそんな温かい気持ちでいっぱいだった。
夢の中の二人が料理を終えると、ふいに先程に例として挙げた洗濯や掃除の手伝いの場面へ切り替わる。
濡羽色の髪を優しい手付きで梳く様に撫でつつ褒めてくれる母に、望子もまた笑顔を見せる幸せな光景。
……の、筈なのに。
(……?)
望子はこの時、少しだけ違和感を覚えていた。
どうしてだろうか、まず間違いなく母である筈なのに、その表情にどことなく昏い影が差し、およそ全く別の存在か何かである様に見えてしまっていたのだ。
(……おかあさ──)
これはゆめだから、ほんとうのことじゃない──と頭では分かっていても、その違和感をどうしても拭いたくなってしまった望子が声をかけようとした瞬間。
(……えっ?)
夢の中にいた方ではなく、その夢を見ていた方の望子の細腕を柚乃の様な何かがガシッと掴み、そのまま奥へ奥へと引っ張っていこうとし始めたではないか。
(ぇ、い、いたい……っ! いたいよ、おかあさん!)
無論、夢の中なのだから痛みなど感じる筈もないのだが、どうしてか望子にはこれまでの人生で感じたどんなものよりも辛く、苦しい痛みに感じられていた。
他でもない、母の姿をしているからかもしれない。
(なんで、こんなこと──)
黒い瞳に涙をいっぱいに溜めながら嗚咽混じりに声を出し、パッと顔を上げて再び柚乃の顔を見た──。
──瞬間、望子の思考が完全に硬直する。
(ぇ……だ、れ……?)
先程まで母だと思っていた目の前の女性が、たった八年という望子の人生において一度も出遭った事のない『人の形をした何か』へと変貌を遂げていたから。
(ぁっ……ぃ、いやっ! はなしてっ!)
それから、ハッと我に返った望子は何とか逃れようと必死に抵抗するものの、どうにも幼い少女の力では何の意味もなく、ただひたすらに引きずられていく。
……これらは全て、望子が見ている夢の話。
これはゆめだからだいじょうぶ──と望子は焦りながらも自分を落ち着かせようとしていたが、たまに見る様なお化けに追いかけられたり、迷子になってしまったりといった『ちょっと怖い夢』とは何かが違う。
……そんな気がしてならない。
しばらくすると、ズルズルと引っ張られていた先に一筋の光が見えてきたのだが、どういう訳か望子にはその光がとても恐ろしい物にしか感じられなかった。
もしも、その先へ行ってしまったら二度と母には会えなくなってしまう様な気がして──だから望子は。
(たっ……たすけてぇっ!!)
もう、どうにもならない──そう判断して叫んだ。
僅か八歳の女の子が、喉を痛めるくらいの全力で。
どんな時も傍にいてくれる、大好きな母に向けて。
そして──。
(たすけて、『みんな』……っ!!)
眠りにつく寸前まで一緒だった三つの──いや。
──三人の、お友達に向けて。