ぬいぐるみ無双
──人狼、鳥人、人魚。
先述した様に、これらは人族主体のルニア王国においても、その王都たるセニルニアでも珍しくはない。
しかし、これらが珍しくないからと誰も彼女たちに視線を向けたり声をかけたりしない──訳ではない。
建物は炎上し、石畳は裂け、そして避難が間に合わなかった住民や商人、本来ならば真っ先に逃げるであろう筈の貴族までもの遺体が転がる地獄絵図の中で。
辛うじて重傷で済んでいる者たちや、どうにか身を隠す事に成功している者たちの視界に彼女たちが映っても、それらに意識を向ける余裕などないのだから。
そんな阿鼻叫喚の渦中にあっても三人はひた走る。
ウルは荒れに荒れた石畳を踏み砕かん勢いで走り抜け、ハピは視界を良好にする意味でも炎上した建物から出る黒煙を風で散らしつつ高空を飛び、フィンは王都自体の気温が上昇している事が災いしたのか喉が渇いて仕方ない様で水分補給しながら低空を浮遊する。
その間、力なき者たちの避難かつ魔族の討伐を任されていた冒険者や傭兵、或いは騎士や番兵たちが魔族との苛烈極まる戦闘を繰り広げる場面に遭遇したが。
三人の目的は、あくまで幹部の討伐である為に『何とか持ち堪えてくれ』とばかりにその場を後にする。
申し訳なさもなくはないものの、こんなところで立ち止まっている暇はない──というのも事実だった。
地を駆け、空を飛び、宙を泳ぎ──それぞれが疑いようもない最高速度を以て王城へと向かっていた時。
「──……っと、お出ましか」
嗅覚で、視覚で、聴覚で──それぞれが何かが集団で接近している事に気がつき速度を落としてみると。
「──おいおい、どこへ行くんだ? お嬢さん方。 そっちにゃ俺らよりおっかない魔族が待ち構えてるぜ」
「全くだ、せっかくだし俺らと遊んでいけよ。 出涸らしみてぇな人族よりよっぽど楽しめそうだしなぁ?」
「ぎゃははは!! 違ぇねぇ!!」
「「「……」」」
そこには、あのラスガルドなる幹部とは明らかに違う軽薄さしか感じない、おそらく同じ生物なのだろう数十体近くの魔族が三人を空から見下ろしつつ下卑た話題とともに下卑た嗤いを浮かべていたものの──。
……それらを見上げる三人の視線は冷たい。
およそ興味や関心といった感情を微塵も感じない。
「……悪ぃが、お前らにゃ興味ねぇんだ。 何せ──」
そして、おそらく言葉にしなければ──いや、おそらく言葉にしても伝わりきらない様な頭の弱い連中だろう筈だと分かったうえで、ウルは中指を立てつつ。
「──お前ら一匹残らず、あたしらより弱ぇだろ?」
「……あ"?」
嘲笑するでもなく挑発するでもなく、あくまでも事実を突きつけるかの如き発言をかました事で、それを受けた魔族の一体が露骨に不機嫌な声を上げた直後。
「……謝るんなら今の内だぜ? どのみち王都の住民は皆殺しだが、そん中で各々が気に入った奴は俺らの好きにしていい──とラスガルド様が仰られたんだよ」
「中々の上玉だし、お前ら次第じゃ生かしてやってもいいんだがなぁ? ほら、何とか言ってみろや!!」
ウルの不遜な態度にカチンときていたのはその魔族だけではなかったらしく、とある魔族はラスガルドから言付かっていた──本当に、そういう意味でラスガルドが口にしたかはともかく──好きにしろと言われていると告げ、またとある魔族は色欲と憤怒が入り混じった感情を剥き出しにして三人を脅す様に叫んだ。
尤も、これらは此度の王都襲撃に参戦した魔族の殆どが抱いていた欲望であり、ここが戦場であるというなら当然の所業であると言えない事もない訳で──。
ましてや三人全員が顔も良ければスタイルも良いときており、そういう欲望を抑えろという方が難しく。
ともあれ、この場に居合わせている魔族たちの共通の考えであるというのは間違いである筈もなかった。
「悪いけど好みじゃないのよねぇ。 せめて、その悪趣味な角とか羽とかをどうにかしてから来てくれる?」
「ちなみに! ボクのタイプは黒髪黒瞳の可愛い女の子だよ! だから〜……キミたちはちょっと無理かな?」
だが、ハピもフィンも先程のウルと同じく臆面もなしに、されど決して悪気はなさそうな口ぶりで彼らを煽り、フィンに至ってはニコニコと笑いながら拒絶。
それを見た彼らの怒りが、いよいよ頂点に達してしまった事で一斉に暗く昏く闇い魔力が吹き出し──。
「……そうかよ、だったら──」
どうやら、この魔族たちを率いる立場にあるらしく先頭に立っていた、つい先程ウルの発言に真っ先に苛立った男性魔族がスッと右腕を高く掲げ、きっと突撃の合図なのだろう勢いよく腕を振り下ろすやいなや。
「──とっとと死ねよ!! 亜人族風情がぁ!!」
「「「「「うおぉおおおおおおおおっ!!」」」」」
怒りで染まった表情にて号令を出した瞬間、呼応した数十体の魔族たちが爪を研ぎ牙を打ち鳴らし、その手に持つ意匠の統一された漆黒の三叉槍や各々が得手とする闇属性の魔術を行使する為の魔方陣を、たった三人しかいない獲物に向けて総攻撃を開始した──。
(……魔術で一瞬の内に消すなんざ、こいつらには生温い! 爪、牙、武器! 満足いくまで嬲ってから殺──)
先程の上位個体らしい魔族は脳内で、そんな残虐極まりない思考を繰り広げつつ、やはり他の魔族たちと同じ様に下卑た笑みを浮かべていたのだが──その妄想を彼が、そして彼らが実行する事は叶わなかった。
──何故なら。
「──ず、げぁ……っ?」
「「「……は?」」」
彼、延いては彼の近くを飛んでいた数体の魔族たちの身体が、ずるりと撫で斬りにされてしまったから。
それを垣間見させられた他の魔族たちは目と鼻の先で起きた事だというのに、ほぼ状況を理解していなかったが、とある青年魔族だけは確かに戦慄しており。
(あ、あの人狼の斬撃が、飛ん──)
集団の後方を飛んでいたという事も、この青年魔族が比較的冷静かつ下卑た考えを持っていなかったという事もあり、ウルが僅かな動きで真紅の爪を振るった事で斬撃を飛ばしていたのを見てしまっていたのだ。
だからこそ彼は、この亜人族たちが他の有象無象とは違うという確信めいた懸念を伝えんとしたが──。
──もう、全てが遅かった。
「う"!? な、何だごり"ゃあ"!? づ、潰れ──」
「か、ひゅっ……み、みず、みず、を──」
ある者は、いくつも同時に展開された不可視の万力によって空中で圧死し、またある者は唐突に身体中の水分という水分を奪われたかの如く脱水死していく。
「ぅ、あぁ……っ」
既に戦意を失い地面に膝をついていた彼は、どういう訳か他の同胞たちの様に殺される事なく生き残り。
「……んー……? なーんか弱くない? こんなもん?」
「そりゃそうだろ。 こいつら大して強そうな匂いしてなかったしな──あっちだぜ、あたしらの本命はよ」
「そうね。 でも、その前に──」
何故だ──と混乱している彼をよそに、この殺戮の当人であるところの亜人族たちは如何にも消化不良といった具合の表情を浮かべていたが、それはそれとしてとばかりに生き残らせた青年魔族にハピが近寄り。
「──ねぇ、そこの貴方」
「っ!?」
今この瞬間に殺されても不思議ではない、そう考えた事で怯えに怯える彼に対し、ハピは溜息を溢して。
「そんなに身構えなくてもいいわ。 ただ、『魔王』って何? って聞きたいだけだから。 教えてくれる?」
「ん? ちょっと待ってよ。 先に幹部の事から聞いた方がいいんじゃないの? それこそ弱点の一つでも──」
聞きたい事があったから生かしたのだと明かしたうえで、あちらの世界に戻る為に必要だという『魔王討伐』の討伐対象である魔王とは如何なる存在なのかと詰問せんとしたが、まずは目の前の敵の情報を聞いた方がとフィンが提案した事で話し合いが行われる中。
「な、何……?」
……彼が思わず疑念を口にしたのは、『こんな時に何を』という思いからではなく、ハピが言った『魔王の事を聞きたい』という発言に疑問を持ったからだ。
(……魔王様を、知らない? そんな馬鹿な、『この世界』に生きとし生ける者であれば、かの恐るべき魔王様を知らないなどという事が……ある筈、ない──)
震える身体とは対照的に極めて冷静な思考を脳内で繰り広げつつ、しばらく俯いていたのだが──この追い詰められた状況で彼は一つの可能性に辿り着いた。
……この、世界に?
「──っ!! 貴様ら、まさかっ!!」
「あん?」
上級、中級、下級と分類される魔族の級位の中にあり、およそ無法者や荒くれ者の多い下級魔族としては他の同胞と比べ僅かに聡明で、おまけに多少は知的だった彼は気がついた──いや、気がついてしまった。
彼女たちが、この世界の存在ではないという事に。
無論、彼も今回の王都襲撃の名目は理解しており異世界からの召喚勇者が──或いは、それに連なる者たちがどこかにいるのだろう事も記憶の隅にはあった。
(だが、ここまでとは……!)
しかし下級の自分では、どれだけ死力を尽くしても天地がひっくり返っても勝利し得ないだろう──そんな異世界からの強者が三人もいる、この状況下では。
(ラスガルド様に、どうにか報告を──っ!?)
撤退からの現状報告──それ以外に取るべき選択肢はない、そう判断して元より大きく漆黒の羽を身の丈以上に広げて飛び立ち、ラスガルドの下へ向かおうするべく振り返った彼の視界が栗色の何かに包まれる。
「──駄目じゃない、勝手に逃げたら。 ねぇ?」
「な、あ……!?」
そこには彼の行く手を遮る様に、いつの間にか音も立てずに飛んできていた鳥人が頭を下にしつつ彼と目線を合わせており、それに驚いた彼は指を差しつつ。
「ば、馬鹿な! いつの間に──」
聡明であるとはいっても実践経験が浅い為、バサバサと大袈裟に羽ばたき戦場の空を駆る、そんな野蛮な鳥人しか知らなかった様で、もう面食らう事しか出来ず、それを見て愉しげに嗤ったハピはといえば──。
「……ふふ、だって私──梟なんだもの」
「な──」
栗色の翼を悠然と広げ、そして彼にだけ聞こえる小さな声で呟き煌々とした翠緑の魔力をその身に纏い。
「き、貴様、異世──」
……彼はその一言を遺言とし、この世を去った。
口を開いたその瞬間、喉にストンと突き刺さった一枚の栗色の羽根から発生した無数の風刃を生み出す球体に包まれ──最早、見るも無残な細切れとなって。
ポンポンと髪や翼、或いは鰭に付着した土埃を落とし、フィンが出現させた水で返り血を洗い流した後。
「──っし、行くか」
「えぇ、そうね」
「はーい」
三人は、またしても王城へ向かう為に走り始める。
……そんな彼女たちの足元には、これでもかという程の魔族たちの成れの果てが転がっていたのだった。
────────────────────────
所変わってルニア王国王都、セニルニアの王城。
魔王の命を受け王都を襲撃した幹部が一体、ラスガルドは脆弱な人族や亜人族の掃討になど出張る必要はないと判断して謁見の間へ誰憚る事なく侵入し──。
その謁見の間には、ウルの脅しによって手放していた意識を取り戻すだけでなく彼の放った一撃から生き残っていた運良く生き残っていた臣下や、リドルスの死により未だ正気を失っている宰相ルドマンがおり。
「──……『闇黒牽引』」
「……ぁああ──」
「「「ひぃ!? ぎゃあぁあああああああ……!」」」
そんな彼らを前にしても大して興味もなさそうに睥睨したラスガルドが、その底冷えする様な低い声で何やら呪文の様な何かを呟くと、ルドマンを始めとした彼ら自身の影から伸びてきた漆黒で不気味な無数の腕に彼らは絡め取られてしまい、もう生きる気力を失っていたルドマンを除き、どうにか生き残っていた臣下たちは悲鳴を上げながら影の中へ引きずり込まれた。
……この国へ襲撃を仕掛けてすぐの出来事である。
しばらく城下町の様子を水晶玉の形をした遠視用の魔道具で静観していたラスガルドは、どうにも民に向けて口上を叫んでいた時より上機嫌な様子だった。
「──ふむ、中々やる様ではないか。 多少なり亜人族も加わっているとはいえ、ここまで抵抗されるとは」
このラスガルドなる魔族、決して戦闘狂などという訳ではないのだが、ここまでの地位に上り詰める過程で魔王や一部の同胞を除いて比肩する存在がいなくなってしまった現状を心から飽いてしまっていたのだ。
ゆえにこそ、ある程度の抵抗をしてくれている王都の民たちに水晶越しに昏い笑みを向けつつ、まず間違いなく部下である筈の同胞たちに対して苦しげな表情を見せつつも立ち向かう人族や亜人族を称賛するも。
「──……ラスガルド様、此度の王都襲撃は魔王様の命令。 士気の低下にも繋がりかねませんので、その様な発言は控えていただけるとありがたいのですが?」
くつくつと喉を鳴らして笑うラスガルドに対し、その傍らに控えていた直属の配下の一人、上級魔族のマルキアが上司である彼に呆れた様な視線を向け、さも絹の様に美しい流麗な青い長髪を揺らして忠告した。
「……ただでさえ、この世界には娯楽が少ないのだから……それくらい構わんだろう? なぁ、シルキアよ」
されど彼は、『分かっていないな』とばかりに彼女に勝るとも劣らない深い溜息をつき、もう片方の傍らに控えていた青色の短髪が特徴の配下に話を振ると。
「うーん……うん! そうですね! ラスガルド様より強いのなんて、それこそ魔王様か側近のデクストラ様くらいですし! 退屈になっちゃうのも分かります!」
「……ふっ、そうか」
「ちょっと、シルキア──」
マルキアと同じ上級魔族でも、どちらかと言えば美しいマルキアとは対照的に可愛らしい出立ちのシルキアが彼に同意する旨の発言をし、それを聞いたマルキアは『余計な事言わないの』と鍵を刺さんとしたが。
「お姉ちゃんはさぁ、ほんっっっっとに固いよね! 頭も身体も筋肉でいっぱいだもん! やーい脳筋魔族ー」
「シルキア!? 貴女ねぇ──」
「し、失礼します!!」
「「うん?」」
どうやら、この二人は姉妹だったらしく唐突に始まってしまった姉妹喧嘩を、この状況に決して似つかわしくはない何とも微笑ましい表情で眺めていたラスガルドの下に──とある下級魔族が転がり込んできた。
「──ラ……ラスガルド様! お寛ぎのところ大変申し訳ございません! 至急お耳に入れたい事が……!!」
ぜーはーと息を切らして、どうにか謝意を示しつつも自らの使命を全うしようとする彼を血塗られた玉座に腰掛けたまま見遣っていたラスガルドはといえば。
「……その様子だと多少なり骨のある者がいたか? ならば、マルキアかシルキアを向かわせるとしようか」
「……お任せを」
「私、頑張っちゃいますよ!」
下級の彼が二の句を発する前に先手を打ち、およそ指揮官たる者の余裕を以て指示を出し、それに応える様に姉妹は早速だとばかりに出撃せんとしたのだが。
「い、いえ、それが……! ラスガルド様に直々に選抜していただき王都襲撃を開始した我ら中級下級部隊二百余名──……既に壊滅間近となっております!!」
「「!?」」
「……」
その報告を受けたマルキアとシルキアが想定外の事態に驚愕する一方、ラスガルドは黙って考えを巡らせつつ先程まで戯れに覗いていた水晶玉に目を向ける。
確かに彼の言う通り、ラスガルドの目からも随分と部下が減っている様に見えたが──それはさておき。
「して、どの様な者たちだ? 十数人単位の亜人族か? まさか人族ではあるまい。 あれらには到底不可能だ」
肝心の部下たちを屠っている何某かの姿が見えていない事もあり、どこまでも人族を軽んじた推測を立てるラスガルドに対して下級魔族は片膝をついたまま。
「ご賢察の通り亜人族であります──ですが……っ」
「……どうしたというの? さっさと報告なさい」
彼の推測を肯定しはしたものの、どういう訳か何かを言い淀んでおりモゴモゴと口ごもっている一方、何ともハッキリしない彼の様子に苛立ったマルキアの声に身体を震わせ、その魔族が漸く重い口を開く──。
「……奴らは、僅か三匹の──っ!?」
「なっ!?」
「ぅわっ!?」
「……」
と自分たちを返り討ちにした亜人族の数を答えようとした瞬間、轟音とともに謁見の間の扉が破壊され。
この場にいた全員が轟音のした方向、完全に破壊されてしまった扉の方へと目を向けると──そこには。
おそらく扉を破壊した張本人だろう人狼と、その隣に立つ鳥人と人魚、たった三人の亜人族がおり──。
「……っ、ラスガルド様、奴らです! 奴らげぁ──」
……そう言い切る前に、下級魔族の首が飛ぶ。
ウルが力を込め腕を振るう事によって放たれる斬撃が波動となり、その首を刎ね飛ばしてしまったのだ。
「──……お前が幹部でいいんだよな? 外の奴らは殆ど、あたしらが殺したぞ。 あとは、お前らだけだぜ」
「……構わんさ」
「あ?」
それから、もう分かりきっている事を確認するかの様に、ウルがラスガルドを指差しながら『お前らで最後だ』と宣告したのだが、それを受けたラスガルドは全く堪えている様には見えず寧ろ愉しげにさえ嗤い。
「……私は退屈している。 私と比肩する強者を求めているのだ。 どうか願わくば、お前たち三人の誰かが私の求むる『強き者』であってくれるとありがたいが」
「「!!」」
「ちっ……!」
「……来るわよ」
「頑張っちゃうぞー!」
この退屈を解消してくれるのなら有象無象の同胞を贄にした価値もあろうというもの──ラスガルドがそう言い終わると同時に左右に控えていた魔族の姉妹とぬいぐるみたちがそれぞれ臨戦態勢を取る中にあり。
どうにも、こういった機微には疎いフィンを除いた二人は視覚で嗅覚で、それぞれ気がついていた──。
(……横の二人はともかく──)
(……奥に座るあの男とは──)
((──死ぬ気でやらなきゃ、殺される))
──と。
「よかった!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、評価やブックマークをよろしくお願いします!
 




