蜥蜴人の変化
「──な……何でだ? 何で、こいつまで……」
つい先程、望子にお礼を言われていた筈のレプターまでもが、あろう事かぬいぐるみになってしまった。
いの一番に驚きを露わにした望子に倣う様に、ウルが叫びこそせずとも指で摘んでまじまじと見る一方。
「ねぇ。 もしかして、ぬいぐるみだったとかない?」
「私たちと同じで元からって事? いや、それは──」
かたや『自分たちと同じく、ぬいぐるみだったのではないか』という何の根拠もない憶測を、フィンとハピが割と真面目に考察していた──そんな中にあり。
「……ん? どうした、ミコ──」
「──かしてくれる?」
「え、あ、あぁ。 ほら」
てくてく、と近寄ってきた望子が細く小さな腕を伸ばして『ぬいぐるみを貸して』と先程までの慌てっぷりなど何処へやらといった具合の冷静さを以て話しかけてきた事で、ウルは面喰らいつつもそれを手渡す。
そして望子は、ぎゅっとぬいぐるみを抱きしめ。
(……わたしが、なんとかしなきゃ──……つよく、おもいをこめて……ねがいを、ことばにすれば……っ)
先程レプターから受けた助言を思い出しながら望子は一度ゆっくりと深呼吸し、その小さな口を開いた。
『──……おねがいとかげさん、もとにもどって』
「「「……!?」」」
瞬間、そのぬいぐるみから三人の時と同じく──色や光度に多少の差異はあれど──淡い金色の光が部屋を照らし、ぬいぐるみたちが眩さに目を細める中で。
「──……ぅ……な、何が……?」
「! とかげさん! よかった!」
「わぷっ!?」
次第に弱まっていく光の向こうには望子も知る彼女の姿があり、レプターの教え通りに出来た事を嬉しく思った望子はぺたんと座った彼女の頭を抱きしめた。
床に女の子座りした状態のレプターと、そんな彼女の目の前に立つ望子の目線に殆ど差がない事を踏まえれば、いかに望子の身長が低いのかが分かるだろう。
「ミ、ミコ様!? 一体、何が……!?」
一方、何故か目が覚めた瞬間に望子の小さな身体が視界を埋め尽くし、その薄い胸から心音が、そして柔らかな身体から子供特有の甘い香りが漂うこの状況にレプターは激しく動揺し、およそ正常である望子の心音とは対照的にバクバクと鼓動を速めてしまう──。
『勇者』という存在は、この世界に生きとし生ける者、魔族や魔物などを除いた全てにとっての希望であり──それは無論、彼女にとっても希望なのである。
まして彼女は、このルニア王国も位置するガナシア大陸の端に存在する蜥蜴人の集落の族長の孫娘であった為、幼い頃は幾度となく勇者についての話を聞き。
誰よりも強い憧れを抱いていたのは間違いない。
そんな勇者が、この世界の希望の象徴が自分の様な番兵風情を、こんなに優しく抱きしめてくれている。
……いや、望子が仮に勇者ではなかったとしても。
彼女の心臓の鼓動は速まっていたかもしれない。
(……あぁ、そうか。 私は──)
レプターが衝動的に望子を抱きしめ返そうとしたその時──彼女は自分を睨む何者かの視線に気づいた。
「──……ねぇ、いつまでくっついてんの」
「!?」
氷点下かと言わんばかりに冷え切ったその声は、いかにも冷めた瞳を湛えたフィンから出たものである。
「あ、あぁ──ありがとうございました、ミコ様」
「う、うん?」
「……何の礼よそれ」
「もっ、戻していただいた事への礼だ!」
その声を受けた事で一瞬にして背筋が寒くなったレプターは、すぐに望子から身体を離しつつも何故か礼を述べられた事に望子が首をかしげる一方、邪な感情を悟ったハピのジトッとした視線を向けられた彼女は何かを取り繕うかの様に焦燥感たっぷりで返答した。
翻って、それまで静観していたウルが『ん?』と声を上げ、それに気づいたレプターが視線を向けつつ。
「な、何だ? ウル、貴女も何か──」
何か言いたい事でもあるのか──と若干ではあるが開き直った様子で紅潮した顔を逸らしながら問うと。
「いや、お前の髪……そんな色だったか?」
「? 私の髪は両親より受け継いだ──」
ウルは彼女の言葉をあっさり遮り、スッと人差し指を彼女の髪に向け見たままの事実を口にしてのけた。
しかれど、レプターとしては彼女が何を言っているのか見当もつかず、この瞬間だって翠緑である筈の自らの長髪を指で梳きながら視線を向けたところ──。
「──……なっ、何っ!?」
……彼女は図らずも目を見開いてしまう。
それもその筈、艶のある翠緑だった筈の彼女の髪が一本一本に至るまで綺麗な金色となっていたからだ。
しかし彼女に起きた変化は、それだけではない。
「私の髪が──いやそれよりも、この翼は……!」
そう、そんな彼女の言葉通りに彼女の背中には髪より目立つ大きな変化として、レプターの身体に生えた鱗と同色で雄大かつ荘厳な出立ちの一対の翼や、それまではなかった筈の一対の鋭い角も生えていたのだ。
「……あと貴女、『りざーどまん』じゃなくなってるわ。 『どらごにゅーと』? ってのになってるわよ」
「やはり──……っというか、分かるのか!?」
「? えぇ、そう視えるもの」
そんな彼女に追い討ちをかける様に、ハピがレプターを翠緑の瞳で視通しつつ告げてきた『種族さえ変わっている』という衝撃の事実に、レプターが信じられないといった表情を見せる一方で、その原因であるところのハピは何でもないかの如く首をかしげている。
──龍人。
この世界における全ての亜人族の中でも最上位に名を連ねる程の種族であり、その屈強な身体で陸を、その卓越した心肺機能で海を、その堂々たる大翼で空をといった具合に存在する場所を問わぬ万能さを誇り。
蜥蜴人が持って生まれる『最強へ至る権利』とは、まさしく龍人への進化の事を指していたのである。
(……この方は、ミコ様は紛れもなく勇者だ。 それくらいの事を、やってのけてもおかしくはないが──)
翻って、あまりに唐突に今まで切望しつつも成し得なかった上位種への進化を知らぬ間に一瞬で遂げてしまったレプターは額に手を当て思考の海に沈みながらも、その切っ掛けの望子をチラッと見遣ったものの。
当の望子は何故かしゅんとしてしまっており、そんな望子に違和感を覚えたレプターが、『ミコ様?』と怪訝そうな表情で目線を合わせると、そんな望子の純粋な黒い瞳にはジワッと少しずつ涙が浮かんで──。
「ご……ごめんね……かみのいろとか、つのとか、はねとか、いろいろ……わたしの、せいだよね……?」
「!」
……どうやら強制的にぬいぐるみにしてしまった事と同じ様に、レプターに起きた異変全てを自分のせいだと思っているのだろう望子は頭を下げて謝罪した。
レプターは一瞬、『謝罪など不要です』と告げようとしたのだご、それはそれで誠意を持って謝罪している目の前の勇者を否定する事にならないかと考えて。
「……ミコ様、私は怒ってなどいませんよ。 この髪の事も翼の事も──種族の事も。 驚きはしましたが他でもない貴女からの贈り物です、とても嬉しいですよ」
「……ぅ、うん……ありがとう……」
元より自分の変化を望子のせいだと責めるつもりは毛頭なかったレプターが優しく語りかけ、そんなレプターの笑顔に安堵した望子は涙目のまま同じく笑う。
その時、『少しいいかしら』と二人のやりとりに割って入ったハピの方を向くと、ハピはスッとレプターを指差しながら何とも懐疑的な表情を浮かべて──。
「そもそも……どうして貴女まで、ぬいぐるみになったの? それが望子の力ではあるんでしょうけど……」
「それ、ボクも気になってた! 何か知らないの?」
「……ふむ……」
彼女の名前や進化後の種族についても知る事は出来たが、それはそれとして何故ぬいぐるみになったのかは分からないままである事について触れると、ハピと同じ疑問を抱いていたフィンもが『はいはーい!』と元気に問いかけてきた事で、レプターは僅かに俯き。
「……ミコ様、一つよろしいですか?」
「なぁに?」
どうやら心当たりはあるのか、またしても望子に目線を合わせて声をかけると、こてんと首をかしげつつ彼女の二の句を待つべく望子がジッと見つめてきた。
その仕草にレプターだけでなく、ぬいぐるみたちまでもがきゅんとしていたが首を振り気を取り直して。
「……貴女がこの世界へと喚び出された時、召喚の場に居合わせた者たち──そうですね。 国王や聖女、近衛兵といった者たちの言葉を理解来ましたか……?」
「よび……あぁ、さっきの……」
真剣な表情を浮かべたレプターが勇者召喚が行使されてすぐの事を尋ねると、その可愛らしい表情に少しばかり影を落としつつ望子は先の出来事を思い返す。
「えっと……うぅん、なにをいってるのかはぜんぜんわからなかっ──あれ? でも……とかげさんとか、さっきのひとたちのいってたことはわかったような?」
「……成る程」
しばらくすると、あまり思い出したくない出来事だった事もあり決して明るくない表情で首を横に振って何も分からなかったと答えんとしたが、よくよく考えるとレプターや他の番兵たちの言葉は分かるという矛盾が起きている事に子供ながらに気づく一方で──。
うーん──と困惑する望子をよそに、レプターは自分の推測は間違っていないのだろうと半ば確信する。
「……おい、一人で納得してねぇで説明してくれよ」
そんな中、『うんうん』と頷いていたレプターに対し痺れを切らしたらしいウルが、ジロッと訝しげかつ苛立ちも感じる視線を向けたうえで語気を強めると。
「おそらくは──……『慣れ』、だろうな」
「「「は?」」」
彼女の言葉でハッと顔を上げたレプターが自分の推測を告げたものの、残念ながら三人のぬいぐるみたちには真っ向から怪訝そうな表情を向けられてしまう。
そんなんでいいのか──と思ってしまったからだ。
「……この世界へ召喚されたばかりのミコ様は正真正銘、異世界人だった。 しかし、この世界へ来てからミコ様は幾度となく──そう、『呼吸』をされた筈だ」
「それはまぁ……そうでしょうね」
異世界出身なのだから仕方ない──そう思いながらも理解されなかった事に若干ガックリきていた彼女が気落ちした声音で生物であれば当たり前の事を得意げに語る中、『ぬいぐるみだった時の私たちとは違ってね』と自嘲気味に付け加えたハピは彼女に先を促す。
「あぁその通りだ。 そして──おそらく貴女たちがいた世界には存在しないのだろうが、この世界には空気中に『魔素』という魔力の素となる物質が存在する」
「まそ? まりょく? 何のこっちゃ」
「う、う〜ん……?」
すると、レプターは地球に存在しない『魔素』と呼ばれる魔術や武技を行使する為に必要なエネルギーである『魔力』の源となる物質についてを解説したうえで、その魔素を呼吸によって取り込む事で──と説明せんとしたが、どうにも望子やフィンには難しいらしく頭を悩ませていたものの、そこでウルが口を開き。
「……要は呼吸を続ける事で、ミコの身体が異世界にジワジワと馴染んでいく──って言いてぇんだな?」
「……」
ハピよりは理解力で劣る様だが、それでも彼女なりの解釈を投げかけると、レプターは無言で首を振る。
……その筈だ、という事らしい。
「言葉が通じる様になったのは勿論、望子の力が貴女にまで及ぶ程になったのも……それが原因って事ね」
一方、『成る程ね』とレプターと似た様な反応を見せたハピは、レプターまでもがぬいぐるみになった原因もまた魔素を取り込んだ事で異世界に『慣れた』望子の力が拡大したから──と、一人で納得している。
……実のところ、これも間違ってはいなかった。
「──……で、どうする?」
「……どうする、とは?」
その後、話が一段落ついた辺りで何かを問う様な声をかけてきたウルに、いまいち要領を得ていないレプターが問い返すと、ウルは『だからよぉ』と続けて。
「お前も晴れて、ぬいぐるみの仲間入りしたって事だろ? だったら、あたしらに──っつーか、ミコについてくるか? って聞いてんだよ。 悪い話じゃねぇだろ」
「私が、ミコ様や貴女たちと……?」
お前も自分たちと同じ、ぬいぐるみになったんだから──と仲間意識を見せつつ、どうせなら一緒に行かないかと勧誘し始めた事によって、レプターは急な話に困惑しつつも気持ちが高鳴っている自分に気づく。
ずっと、ずっと族長から聞かされていた物語越しに憧れてきた勇者と──ましてや、こんなに愛らしい勇者とともに旅に出るというのは、きっと楽しい筈だ。
……たとえ、それが魔王討伐の旅だとしても。
「うん! いいとおもう! いっしょにいこうよ!」
「……まぁ望子が言うなら……」
「ボクもいいよー」
そんなウルの突発的な提案にも望子は嬉しそうに反応し、レプターの同行に好意的な意見を述べつつ他二人に振ると、ハピやフィンとしてはそこまででもなかったらしいが、それでも望子の主張こそが彼女たちの中では絶対だというのは共通の真理である為に──。
「……わ、私は──」
どうやら受け入れてくれるらしい──そう判断したレプターは、『もう王はいない』、『護るべき民も正常とは言えない』、『されど部下たちを裏切ってしまう事にはなる』と色々な葛藤の末に震える口を開き。
自分が出した答えを伝えようとした──その瞬間。
──ズドオォオオオオーーーー……ンッ!!!
「──ひゃあっ!?」
「なっ、何だぁ!?」
「……爆発音、かしらね。 今のは」
「お城の方から聞こえたよ! ずどーんって!」
腹の底に響く様な重い衝撃と震動、何かの爆発音が詰所と一行を襲い、それに真っ先に反応を示した望子たち一行が口々に言葉を紡いでいると、またも詰所の扉を勢いよく開けた番兵たちが慌てて入室してきた。
「──報告を! 何があった!?」
レプター自身も驚いていたものの部下の前で情けない姿は見せられない、そう思って凛々しい表情を見せて指示を出したのだが当の部下たちは息を切らして。
「──……そっ、それがっ……!!」
「とっ……とにかく外へ! ここは危険です!!」
「いや、どこへ行っても、もう……!!」
「王が、王城が……! 大変な事に……!!」
あまりにも矢継ぎ早に告げてきた事もあって異例の事態が起こっているのだろうと理解する事だけは出来たレプターが、とにかく部下たちと同時に自分をも落ち着かせるべく、ふーっと深めに息を吐きつつ──。
「……分かった、外へ行こう。 貴女たちも来てくれ」
レプターは望子とぬいぐるみたちにも同行をと声をかけ、それを見た番兵たちは『避難してもらった方が良いのでは』と提案するも、レプターはそれを否定。
まずは現状の把握こそが肝要であり、それは望子やぬいぐるみたちにとっても同じだと考えたから──。
そして詰所から出た一行が、『あちらを!』と叫んだ番兵が指差す方向──王城の方を向いた瞬間、大気ごと振動させるかの様な大声が王都中に鳴り響いた。
「──我こそは魔王軍幹部が一柱、ラスガルド!! ルニア王国王都、セニルニアの民よ! 心して聞け! 我らが魔王様は此度の勇者召喚の行使により貴様らに反逆の意思ありと見做された! よって、この地に住まう全ての者に平等なる死を与える!! 魔王様の寛大さに陳謝し、やがて訪れる死を受け入れるがいい!!!」
「「「「「うおぉおおおおおおおおっ!!」」」」」
浅黒い褐色の肌に薄紫色の双眸、見るからに強靭そうな腕と脚にはあまりそぐわない黒の礼装と、その大きな背中から生えた蝙蝠の様な一対の漆黒の翼──。
望子やウル、フィンにはハッキリと見えていなかったが鳥獣の眼を持つハピと今や龍人へと進化を遂げたレプターには、その声の主の姿や、おそらく声の主が破壊したのだろう倒壊寸前の王城、声の主が率いる優に百を超える漆黒の軍勢がありありと見えていた。
「……ねぇ、もしかして」
「……あぁ。 あれが、あれこそが──」
「──魔族だ」
……辺りはもう、夕暮れになっていた。
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