宿屋での一幕
すっかり意気消沈してしまったウルと、そんな彼女を慰めていたレプターが依頼を一旦中断してリフィユ山を下り、二人して町へと帰還していた。
その後、宿屋で彼女たちの帰りを待っていた望子たちを視界に入れるやいなや、唐突にウルが涙目でベッドに腰掛ける望子に抱きついたかと思えば──。
「はぁああああ……」
「げ、げんきだして、おおかみさん」
そのままの姿勢で深い深い溜息をつく彼女に、レプターからおおよその事情を聞かされた望子は、何とか元気になってもらおうと頭を撫でていた。
「あたしは、あたしは駄目だ……何の役にも立てやしねぇ……今回だって……くそぅ、くそぅ……」
だが、どうやら今回の依頼での失態はウルにとって随分と重いものだったらしく……最早、望子の前でさえ次々と溢れ出る弱音を隠そうともしない。
普段の彼女では有り得ない、そんなウルの様子に困惑しつつも、わたしがなんとかしなきゃと望子は誰に聞かせるでも無く、よしと呟いてから──。
「きょうはいっぱいがんばったんでしょ? それでもだめならしかたないよ。 またつぎがんばろう? ね?」
「……」
この世の全てを赦してしまうかの様な慈愛に満ち溢れた表情と声音で、ウルの頭と頬を撫でながら言い聞かせると、彼女は完全に望子に目を奪われつつもこくんと頷き、更にぎゅっと抱きしめる。
「うんうん、えらいねぇおおかみさん」
「くぅん……」
それを見た望子は心底嬉しそうに微笑み、自分の薄い胸にウルの頭を押し付ける様に抱きしめた事で、既に彼女の中から弱気な心は消えており、まさに犬科という様に喉を鳴らしながら甘えていたのだった。
その一方、そんな光景を黙ってみていたハピ、レプター、カナタ、そしてキューの四人はといえば──。
「犬ね」
「犬だな」
(犬……)
『きゅ〜?』
かたや事実を突きつけるかの如くそう告げて、かたや同じ事を思いつつも思うだけにとどめる中で、唯一分かっていないキューだけは首をかしげていた。
「狼だっつってんだろ」
一方、最初の二人はウルに聞こえる様に発言していた為、イラッとしながら顔だけをそちらへ向ける。
「……そういえば、ふと気になったんだが……貴女たちのいた世界では狼や梟、海豚を模した人形が主流なのか? 分からないならそれでも構わないが」
そんな折、気まずげに咳払いをした後、話題を切り替える様にレプターが以前から気になっていた事を良い機会だからとハピたちに尋ねてきた。
「さぁ? どうなのかしらね。 主流……って事は無いかもしれないけれど……望子、分かる?」
代表して口を開いたは良いものの当然彼女にも分からない事はある訳で、ハピは視線を逸らしつつ未だにウルをよしよしと撫でる望子に話を振る。
「おおかみさんよりは……わんちゃんとかねこさんとかのほうがおおかった、のかな。 とりさんといるかさんはわかんないけど……なんでそんなこときくの?」
それを受けた望子が、んーと唸って思案した後、日本で売られていたりしていた様々な種類のぬいぐるみを思い返しながら答え、その上でそう聞き返した。
するとレプターは、首をかしげている望子の愛らしい仕草に頬を染めつつも首を横に振ってから──。
「少し気になっただけなのですが……ミコ様がお作りになられた人形、その元となっている鳥獣の選択は……こちらの世界の感覚に近い様な気がしまして」
どういった基準で選ばれたのだろうか、と彼女たちが人形だと知った時から思っていた事を口にする。
「あら、私たちを作ったのはミコだけれど、私たちを作る様に言ったのはミコじゃ無いのよ。 ね? 望子」
その時、レプターの言葉でかつて望子が話してくれた自分たちが作られる前の話を思い返し、ハピがそう言いつつも改めて確認する様に問いかけた。
「うん、おかあさんがいったの。 なんでなのかは……おしえてくれなかったんだけどね」
「成る程、そうなのですか……」
苦笑いした望子が、少し困り気味な表情を浮かべていた母親を思い出していた一方、結局答えを知る事は出来なかったが今はこれで充分だとばかりに、ありがとうございますとレプターは恭しく礼を述べる。
(ミコ様の母君か……ミコ様に似て可憐な方なのだろうな。 一度お会いしてみたいものだ)
……翻って彼女は脳内でそんな想像を繰り広げ、勝手に一人で幸せな気分になってもいたのだが。
「ただいまー……ちょっとウル、何してんの? そこはボクの定位置なんだけど」
そんな中、部屋の扉が開いたかと思えばその向こうからフィンが現れ、視界に望子と……望子に抱きついたままのウルを映した瞬間、不機嫌そうに声をかける。
「……そんな決まりねぇよ。 仮にあったとしても今日はあたしの定位置だからな。 絶対譲らねぇぞ」
「えー? 何でそんな──」
同じく不機嫌そうにフィンを睨み返して告げられたウルの言葉に、フィンは更に尋ね返そうとした。
──その時。
「いるかさん、ろーちゃんは?」
彼女と共に出かけていった筈のローアの姿が見えない事に、望子が不思議に思って何気なく問いかける。
「──事……えっ? あぁローアは……あっやば、置いてきちゃったかも……」
「──いるかさん」
どうやらフィンは完全にローアの存在が頭から抜けていたらしく、何なら最初から一人で出かけていたとさえ思い込んでしまっており……それを見抜いていた望子は声のトーンを落とし、黒い瞳から光を失くす。
部屋にいる全員が望子の気迫に息を呑む中、そんな望子の異変に気がついたフィンはハッとして──。
「ご、ごめん! すぐ迎えに──」
「それには及ばぬ」
「ぅわびっくりした! 急に出てこないでよ!」
行ってくるから、と言って部屋を後にしようとした時、振り返ったその先にいつの間にかローアが立っていた事にびっくりして大袈裟に叫んでしまう。
「ろーちゃん、おかえりなさい」
『きゅー!』
「うむ。 少々フィン嬢とは別行動を取っていた兼ね合いで、遅くなってしまったのであるよ」
一方、ローアが帰って来た事で瞳に光を取り戻した望子に続き、キューが片手を挙げて挨拶すると、それを受けたローアは頷きながらも戻ってくるタイミングがフィンとズレてしまった理由を簡潔に述べた。
「ほぅ、何をしていたのだ? 魔族が一人で」
「ちょ、ちょっとレプター……」
だが、彼女が魔族なのだと知ったばかりのレプターとしては正直言って警戒しない訳にもいかず、備え付けの椅子に座ったまま長い脚を組み替えつつ問いただそうとするも、亜人たちはともかく魔族に対する恐怖は未だ消え切っていないカナタが、極めて控えめに彼女を止めようと声をかける。
「……そこまで強調せずとも聞こえているのである。 何、少しばかり例の船長たちと……邪神の力についての話をしていたのであるよ、レプ嬢」
「邪神の? それって私にも関係ある?」
露骨なまでに『魔族』という単語にアクセントをつけてきたレプターに対し、若干の不機嫌さを露わにしながらローアが遅れた理由の詳細を語ると、図らずもその身に風の邪神の力を宿してしまっているハピがその言葉に反応して問いかけてきた。
するとローアはハピの疑問に、さも当然であると言わんばかりにこくんと頷いてから──。
「大いに。 何せ、かの者の力を消す方法があるやも、という話なのだから」
「邪神の力を……それは水の? それとも風も?」
邪神の支配や加護を消す方法についての話だと告げる一方、それを耳にしたハピは身を乗り出し、船長たちにだけ有効なのか、それとも──と問う。
「邪神である事に変わりは無いゆえ、おそらくはどちらでも問題無い筈である。 とはいえ前例が無い、試してみない事には……なぁ、ハピ嬢」
ふむ、と唸ったローアはしばらく思案していたのだが、結局未検証であるからなと付け加えつつ、ニヤリと笑って絶好の実験台に声をかけてきた。
「……私で試す前に、あの二人で試してみてくれないかしら。 正直怖いし、それに……」
「「それに?」」
だがハピはふいっと目を逸らし、実験台なら他にいるでしょうと船長たちに押し付けながらも、更に断る理由を口にしようとした時……何故かローアだけで無くウルまでもが声を揃えて彼女に先を促す。
「別に、私はこの力を消したい訳じゃ無いのよ。 制御出来るならそうしたいってだけなの。 ローア、もし可能ならそちらの方法も考えてほしいのだけれど?」
「……ふむ」
するとハピが深い溜息をつきつつ、折角の強くなれるかもしれない機会を逃したくは無いのだと告げた事で、ローアは再び思案するべく顎に手を当てた。
「……善処する、とだけ言っておくのである」
……実を言うと、先にハピから試すつもりでいた彼女としては完全に出鼻を挫かれてしまったも同然であり、極めて残念そうに唸ってから若干気落ちした様子で言うと、ハピはそうしてちょうだいと答える。
(……消したい訳じゃねぇ、か)
そんな中、つい先程まで自分の力の無さを嘆いていたウルが脳内で小さく呟き、ハピとローアを赤く虚ろな瞳で見ていたのだが──二人はそれに気づかない。
それは、劣等感からか、それとも──。
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