人狼と鳥人の雑談
望子やカナタたちがショストへ戻る為に下山を始めていた頃、ギルドマスターたち……そして町長との話を終えた二人の亜人は依頼終わりという事もあり、宿屋にて身体を休めていたのだが──。
「ん"ー……」
「……」
「う"ー……」
「……」
「あ"ー……」
「……何なのさっきから。 耳障りだわ」
ベッドに仰向けで寝転がったままウルが唸っているのを黙って聞いていたハピは、いよいよ我慢の限界だと言わんばかりにチラッと視線を送り、長く細い脚を組んで椅子に座った状態で心の底から迷惑そうな表情と共に彼女に対して苦言を呈した。
「耳障りってお前……いやまぁ、あいつら遅ぇなって……それだけの事なんだけどよ」
するとそれを受けたウルがむくっと起き上がり、ベッドの上で胡座をかいてから、そこまで言わなくてもいいだろとぶつぶつ呟きつつも先程からずっと唸っていた理由を簡素に述べる。
一方、ハピは彼女が口にした極めてしょうもない理由に、はぁ? と思わず声を上げて──。
「……もしかして貴女、暇で暇で仕方ないから唸ってたの……? 呆れた。 それなら今からでも山に行けばいいじゃない。 貴女の脚ならすぐでしょ?」
「……フィン一人でいいって言ったのお前だろ」
部屋の窓からも見える、望子たちがいるのだろうリフィユ山にふいっと視線を向けて提案してみせた。
だがウルは何故か拗ねた様子で軽く舌を打ち、海賊討伐後にフィンが山へと飛び出していった時のハピの言葉を取り上げて、ジロっと彼女を睨みつける。
「……」
「? 何だよ」
翻ってハピは、ウルの発言を受けてきょとんしたまま二の句を継がず、そんな彼女に違和感を覚えたウルが怪訝そうな表情で問いかけた。
ウルの問いかけから一瞬だけ間があったものの、ハッと我に返ったハピはふるふると首を横に振る。
「いえ……ちょっと意外だっただけよ。 貴女って、望子以外の言う事も素直に聞くのね」
よくよく考えてみれば、あの時フィンの後を追いかけても何らおかしくなかったこの人狼が、どうしてあっさりと自分の忠告を聞き入れたのか……そんな思いを込めつつ軽く皮肉めいた口調でそう告げた。
「……別に、そういうんじゃねぇよ。 ただ……」
「ただ?」
それを受けたウルは気まずげに頭をガリガリと掻いて、溜息をついてから段々と声量をフェードアウトさせつつも何かを伝えようとして──されどそこで言葉を一旦止めた彼女に、ハピは首をかしげて先を促す。
するとウルはもう一度深く溜息をつき、先程のハピと同じ様に窓の外に見える山へ目を向けて──。
「仮に……ミコの身に何かあったとしても、あいつ一人いりゃ充分だろうってのは最近思う様になった」
普段の強気な彼女であれば絶対に言わないであろう事を、至って真剣な表情と声音で口にした。
「……どうしちゃったの? 随分とらしくない事言うじゃない。 何か悩みでもあるなら話してみなさいな」
一方、少なくとも自分と同じかそれ以上に望子を想っている筈である彼女のいつもと違う様子に、割と本気で心配していたハピは優しい口調で声をかける。
「悩みって程じゃねぇが……あたし、ここ一番ってとこで全く活躍出来てねぇ気がするんだよ。 フィンとかローアとか……ミコの、中にいる奴と比べて」
しばらくの静寂の後、ここまでの旅の中でここぞという場面において、碌に望子の役に立てていないのだと彼女にとって極めて重大な問題を語る一方で──。
「……そうかしら。 それなら私の方が余程……」
これまでの主な戦いで言うのであれば、自分の方が先に倒れ、その時間も長かったのでは……と、ハピが若干いじけた様子のウルに主張しようとした。
──が、しかし。
「城じゃあ無様に這いつくばって、森じゃあ誰かさんと一緒に自爆して、洞穴じゃあフィンとローアに美味しいとこ持ってかれて……挙句の果てに、山じゃあ洗脳受けたどっかの誰かに吹っ飛ばされて気絶してた」
未だベッドに胡座をかいたままのウルが、一本、また一本と右手の指を折り畳みながら、つい先程までハピも思い返していた戦いの数々を振り返る。
「……そ、そうね」
その中の原因のいくつかは明らかに自分にある事を理解していたハピは、心底気まずげに目を逸らした。
そしてウルは戦いの振り返りを終えた途端、ポスッと音を立てて再びベッドに仰向けに転がる。
「……お前の右眼についての話を聞いた時、ふと思ったんだ。 もしかすると、この一党で今一番弱ぇのはあたしなんじゃねぇかって……」
片方の腕を額に乗せ、大して綺麗とも言えない天井を見つめながら弱々しい声音で呟いた。
この町に到着してからいつの間にかハピの右眼は左眼の緑色とは違う黄色に染まっており、ローアによるとその原因はおそらく風の邪神の力を受けた影響との事だったが──海賊討伐の時、魔族の力を取り込み使いこなしているフィンを見て自分だけが何も無いとウルはすっかり自信を無くしていたのだった。
「そう言われても……まだ試してないから分からないもの。 さっきは私、あんな調子だったし……」
一方、邪神の力がどうのと言われたところで、それを試す絶好の機会だった海賊討伐の際、二人の船長たる亜人族が受けていた邪神の加護に彼女の右眼が共鳴した事によりハピは終始甲板にぺたんと座り込んだまま何も出来ておらず、今日の成果だけを見るのならウルは充分に活躍していたとも言える。
──尤も、ウルの言葉にもあった様にハピが風の邪神の支配下にあった時、ウルを吹き飛ばした彼女の風は明らかにそれまでのものよりも強く、邪神の力が宿っているというのは疑いようも無いのだが。
「じゃあよ、あたしとお前で仕合でも……ん」
そんな折、試したいなら良い機会だろ、と丁度自分の今の実力及び、三人の中での番付を確認したかったウルがそう提案しようとしたその時──。
「? 何、どうしたのよ」
突然言葉を中断し、鼻をすんすんと鳴らして部屋の扉の方へ視線を向けたウルに対して、ハピが同じ様に扉を見遣りつつ疑問を投げかける。
「誰か近づいてきてんな……ミコの匂いじゃねぇ。 ましてやフィンでもローアでもねぇらしい」
それを受けたウルは、数時間前に戦闘を終えたばかりという事もあってか昂っていた気持ちのまま、こんなところまで敵が来るとも思えないが一応いつでも飛び出していける様に、ベッドの上で片膝をついて臨戦態勢をとりながらそう告げた。
「ギルドの使いとかじゃないかしら? 当のギルドマスターたちは……足音で分かるだろうし」
その一方、いくら眼が良いとはいっても流石に透視までは出来ないハピは、かたや冒険者ギルドのギルドマスターはふわふわ浮いているから足音は無いし、かたや海運ギルドのギルドマスターはその体格の良さから大きな足音が聞こえてこないとおかしいし──と考え、何の気無しにそう口にする。
「……それにしちゃあ、嗅いだ事のある匂いの様な気もすんだけどなぁ……何処だっけか……」
だが当のウルはといえばハピの推論にいまいち納得がいっていないらしく、んーと唸って何故か記憶の片隅に残っている様な気がしてならないその匂いにウルが首をかしげていると、コンコンコンと扉がノックされ、二人はそちらへ目を向けた。
「──誰だ?」
ノックの音が完全に止み、扉の向こうから漂ってくるそこそこの強者の匂いを感じたウルが口を開く。
──すると。
『その声は……ウルか! 私だ、レプターだ! 今日漸く追いついたんだ! 久しぶりだな!』
「「!?」」
扉一枚隔てた先から聞き覚えのある声と名前が耳に届いた事で、二人はバッと顔を見合わせた。
「はっ……マジかよ! 待ってろ、今開ける!」
『あっ! ちょ、ちょっと待ってく──』
久方ぶりの再会という事もあり、図らずも気分の高揚したウルは足早に扉の方へと向かったのだが、一方のレプターはどうやら開ける前に聞いてほしい事があった様で、扉の向こうから聞こえる足音からウルの接近を感じ取って制止しようとする。
しかし、そんな彼女の必死な声が届く前にウルは満面の笑みで扉を開けてしまった。
「よぉレプ! 久しぶりじゃねぇ……か……?」
快活な口調で挨拶しようとしたウルの声が、レプターの背後に控え、肩に樹人を乗せた金髪の神官を視認したその瞬間からフェードアウトしていく。
「……間に合わなかったか」
それで全てを察したレプターは溜息をつきつつ片手を額に当てて、どう収拾をつけるかと思案を始めた。
「お前……あん時の……」
「……っ、王城、以来ね、人狼……」
そんな中、しばらく頭に疑問符を浮かべて彼女を見つめていたウルがレプター以上に記憶の隅も隅に追いやっていた聖女の存在を思い出して低い声で脅す様にそう言ったものの、カナタはかつて図らずも敬語になってしまう程に恐怖を感じていた相手の目をしっかりと見て、震える声でそう口にした。
「どうしたのよウル、何を立ち止まって……」
一方、いつまで経ってもレプターを部屋へ通す気配の無いウルにハピが疑問と共に声をかけると──。
「──なぁハピ。 レプがご丁寧に土産を持ってきてくれたみてぇだぜ。 新しい力の……実験台をよ」
「……? っ! 聖女、カナタ……どうしてここに」
威嚇の為かギザギザとした歯を剥き出し、バキバキと手を鳴らしてからハピにも見える様に少しだけ身体をずらすと、彼女の眼にもカナタの姿が映る。
そして、投げかけられたハピからの疑問にカナタは短く深呼吸をしてから顔を上げて──。
「……私を……貴女たちの一党に加えてほしいの」
「「……はぁ?」」
臆面も無く──とは言い切れないが、確かな覚悟と決意を持って告げられたその言葉に、二人の亜人は心底理解出来ないという様な表情で声を漏らしていた。
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