人魚の怒りと勇者の呆れ
フィンとカナタが視線を交わしていた時、カナタとキューを見て何やら首をかしげていたローアは、フィンが彼女を『聖女』だと呼んだ事により──。
(あれが聖女であったか。 神官だとしても随分と神聖な魔力を有しているとは思っていたが……)
成る程と顎に手を当て脳内でそう呟きつつも、同時にカナタの魔力がその神聖さに見合わない不安定な状態にある事も充分に理解していた。
「……ねぇいるかさん、くえすとはどうしたの?」
そんな折、カナタに向けて凄んでいたフィンに恐れる事も無く望子が近寄りクイッと服を摘んで、何故ここにいるのか、怪我は無いのか、海賊はどうなったのか、ここにいないウルとハピは、と次々に頭に浮かんでくる色々な疑問を一言に込めて尋ねる。
するとフィンはニコッと表情を一転させて、望子の綺麗な黒髪を梳く様に撫でながら──。
「──あぁ、もう終わったよ。 ウルもハピも無事だし、安心していいからね」
「ほんと? よかったぁ……」
何をおいても望子が最優先である為に、この瞬間だけ怒りを忘れて優しい声音でそう口にした事で、望子は心底安堵した様にホッと息をつき、ペタンとした薄い胸を撫で下ろしていた。
「フィン……フィン! 私だ、レプターだ! 久しぶりだな、元気そうで何より──」
その時、話が一段落ついたと判断したのかレプターが一歩前に出て、久方ぶりの再会という事もあり嬉しさを前面に押し出して声をかけようとしたが──。
「……あぁレプ、久しぶり。 でも……挨拶は後でね。 今、それどころじゃないからさ」
「ひぅっ……!」
その瞬間、フィンの表情からすとんと感情が抜け落ち、そう返しつつも再びカナタに鋭い視線を向けた事で、彼女はあまりの恐怖から思わず声を漏らす。
「ん? ……あっ」
そんなフィンの豹変ぶりに首をかしげていたレプターだったが、一瞬の思案の末その理由に気づいた。
(し、しまった! そういえばカナタはフィンに……!)
……そう、レプターはこの瞬間まで望子に出会えた興奮からか、カナタが自分を始めとした亜人族に恐れを抱くその理由を完全に失念していたのだった。
不覚──そう考えたレプターは、瞬時にカナタとフィンの間に割って入る形でカナタを庇う様に立つ。
「ま、待ってくれフィン! 確かに彼女はミコ様をこの世界へ召喚した聖女だ! だがそこに敵意は無い! それは私が保証する! だから──」
フィンを説得しようと声を荒げたはいいが、一方のフィンは呆れた様に、ふぅと溜息をついて──。
「──敵意とか……そんなのどうだっていいよ。 よくもまぁ悪びれも無くみこの前に顔出せたよねぇ……」
レプターの言葉に心底興味無さそうに返し、自分の周囲に強い攻撃の意志を持った青と黒の入り混じった水玉を複数出現させてカナタを睨みつける。
「……私だって……ひっ!?」
一方、カナタとしても確かな覚悟を持って望子たちを……というより望子を追いかけてきた訳で、ぎゅっと神官服の裾を握りしめながらそれを主張しようとしたカナタの足下を水玉の一つから放たれた細い水流が抉り、彼女は思わず声を上げ後ずさった。
それでも逃げ出したり意識を手放す事の無いカナタに対して、駄目押しだとばかりにフィンは口を開く。
「みこはちょっと前に、 『お母さんに会いたい』って泣いちゃったんだよ? ねぇ──誰のせいだと思う?」
「そっ、それは……わ、私が……私の……!」
数日前、望子が醤油に似た調味料を口にした事で最愛の母への想いから涙を流した事を告げると、カナタは強い罪悪感によって心が潰れそうになってしまう。
……実をいえば、フィンはあの時……望子と自分たちが召喚された時、彼女はカナタを始末しようとしたが、それはあくまで嘘をつこうとした事に腹を立てたからであり、ウルやハピ程カナタという存在自体にそこまで強い怒りを抱いてはいなかった。
むしろ、この世界に来てから望子のお陰で生命を持って、望子と会話し触れ合う中で、何ならレプターと同じく感謝までしていたのだった。
だがそんな彼女の感情は、望子の涙を見てからは全く真逆のものへと変貌を遂げ、例え自分が単なるぬいぐるみへと戻るとしても、必ず望子を元の世界に帰さなければならないと決意すると同時に──。
──次にその顔を見たのなら、必ず惨たらしく始末してやろうと心に決めていた。
「い、いるかさん? ちょっとおちついて……」
何やら様子のおかしいフィンに、望子が彼女の空いた手をぎゅっと握って制止しようとした。
「みこのあんな哀しそう顔、見たくなんてなかった。 それも全部……キミのせいだから」
しかし、あろう事か今のフィンには望子の声さえ届かず、そう言い終わると同時に浮かんでいた水玉が一つ、また一つと小さな海豚の姿を象り、その口から先程の牽制とは違う本気の水流を放たんとする。
……それは奇しくも、かつて彼女が魔族の力を体内に取り込んだ事で魔王軍幹部の腕や翼を吹き飛ばす程の威力を見せた魔術、闇禍水流によく似ていた。
「くっ……流石にそれを見過ごす訳には……!」
『きゅー……!』
一方、フィンと同じく望子が最優先とはいえ、ここまで共に旅をしてきた仲間を見捨てる事は出来ないレプターが臨戦態勢をとり、元よりカナタに懐いていたキューも腕の根っこを伸ばして威嚇する。
しかし、彼女たちより遥かに力で勝るフィンがその程度で怯んでしまう筈も無く──。
「どいてレプ。 例えキミでも邪魔するんなら容赦しないよ。 そこの……何かちっちゃいのも」
「どうしても、か?」
こんなところで死にたく無いでしょ? と完全に脅しの口調で告げると、レプターは最終確認だとばかりに尋ね返し、フィンはその言葉に無言で答えてみせた。
──言わなきゃ分からない? とでも言う様に。
それで全てを察したレプターは、ゆっくりと腰に差した片方の細剣を抜き放つ。
「……仕方ない。 友の蛮行を止めるのも、友である私の役目! 気の済むまで相手を──」
してやろうじゃないか、とフィンに鋒を向けてそう叫び放とうとしたのだろうが──。
『──ふたりともいいかげんにしてっ!』
──ぽぽんっ。
突如、彼女たちの耳に届いた望子の叫びと同時に間の抜けた音が辺りに響き……気づくとそこには、青い海豚と、緑と金色の蜥蜴……もとい、小さな翼の生えた龍のぬいぐるみがころんと転がっていた。
目の前の召喚勇者には物に生命を与える力──正確には、人形を亜人族に変化させ、またその逆にも作用する力があると把握していたカナタだったが──。
「……ぇ」
『きゅ〜……?』
あまりに唐突な事態の急変に思わず言葉を失い、かたやキューは何が起こっているのかいつも以上に理解が及ばず、首をかしげる事すら出来ていない。
「……ほぅ」
そんな中ローアだけは、いかにも研究者然とした表情で、興味深そうにその光景を俯瞰していた。
「もぅ……なんでひさしぶりにあったのにけんかすることになるの? いるかさんもとかげさんも……」
その一方、地面に転がった二つのぬいぐるみに付いた土をぺしぺしと払いつつ、すっかり呆れた様子で深い溜息をついた望子は、ぬいぐるみを抱えたままカナタの元にてくてくと歩いていく。
そして一度深呼吸してから彼女の目をしっかりと見つめ、色素が薄く形の良い唇を開いて──。
「──おねえさんのこと、おもいだしたよ。 おしろであった……わたしを、ここにつれてきたひとだよね」
「……っ!!」
確信をつく様なその言葉にカナタは息を呑み、その通りだと答えるべきなのに──声が、出なかった。
先程までの恐怖からなのか、漸く望子と直接話す事が出来る緊張からなのか……それとも単に、未だ彼女の心に残る強い罪悪感からなのか──。
「……」
故に彼女は、頷き一つで肯定するしかなかった。
──自らが、聖女である事を。
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