海底から浮上する者たち
「うーん、島に近づいてはきたけど……海賊たちが海の下から出て来る感じは無いねぇ」
ハピだけで無くウルやフィンの目にも段々と島の姿が見え始めた頃、ピコピコと頭の横の鰭を動かして辺りの音を探りながらフィンがそう呟く。
「まだ縄張りじゃねぇんだろ。 正確にはこの島の向こう側らしい──ん?」
ウルは片手を目の上に添えて、島の方を見つつオルコから聞いていた情報の一つを口にしたのだが──。
「ハピ……? どうした?」
「……ごめんなさい、少し気分が」
何気無く振り返った彼女の視界には俯きながらフラッとよろめくハピの姿が映っており、先程まで普通にしていた筈の彼女に、何かあったのか? とおそるおそる声をかけたウルに対して少し遅れてそう返したハピの声音と顔色は決して快活なものとは言えず、明らかな調子の悪さを物語っていた。
「え、それ船酔いってやつじゃない? ちょっとの間、普通に風でも浴びてたら? すっきりするかもよ」
一方のフィンは、ぬいぐるみが船酔いなんて貴重な体験だねと茶化しながらも彼女なりにハピを労るそんな提案をしつつ、船檣の上の見張り台を指差す。
「……そうさせてもらおうかしら。 ついでに上から周辺を見渡してくるわね……」
ハピはこくんと首を縦に振ってからそう呟き、ふわっと翼を羽ばたかせゆっくり飛び上がった。
「……なぁ、あいつ大丈夫か? やっぱ置いてきた方が良かったんじゃねぇの?」
そんな中、先日判明したハピの身に起きた異常の事もあり二人で来るべきだったのではと考えたウルがそう口にする一方、フィンはえー? と首をかしげる。
「でもさぁ、本人が行くって言ったんだよ? ほら、何だっけ……自己責任? じゃないかなーって」
「それで体調崩してちゃ世話ねぇ──ん?」
彼女は笑顔を見せるでも無く、ただただきょとんとした表情で特に興味も無さそうに呟いており、ウルはハピに……そして目の前で可愛らしく首をかしげるフィンにも呆れて溜息をついていたのだが──。
「何だ、風が止んだぞ……?」
ハピが操舵の為に起こしていたものとは違う、自然に吹いていた海風が突然止んだ事に違和感を抱く。
「あれ? 精霊もいなくなってるし──うわっ! しかも海の下から何か来てるし! おっきいのが二つ! 気持ち悪い唸り声もいっぱい聞こえるぅ!」
その時、海の方を見ていたフィンも異常に気がついたらしく、頭の横の鰭をパタパタと動かしながら同時に手をもバタバタと忙しなく動かして、今は彼女の耳にのみ届くその音や声を厭わしく感じていた。
「来やがるか……! おいハピ! 戻って……っ!?」
そんな彼女のやけくそじみた報告により海賊たちが現れるのだろうと確信したウルは、見張り台にいる筈のハピを呼び戻す為声を荒げたのだが──。
「ぅ、う"ぅ……っ!」
彼女も海賊には気づいていたのだろう、いつの間にかハピは甲板まで降りてきてはいた。
……しかし、何故か先程よりも更に具合を悪くした様子で右眼を手で押さえており、その手の間からは強く、そして妖しい黄色の光が漏れ出している。
「お、おい? 大丈夫か──」
明らかに尋常で無いハピの様子に、ウルは若干動揺しつつも手を伸ばし彼女へ声をかけようとした。
「二人とも! 来るよ!!」
しかし、彼女の声を遮ってフィンが叫ぶと同時に、浮かんでいたフィン以外の二人を大きな揺れが襲う。
「う、おぉ!?」
「……っ!」
突然の事態に狼狽しながらも、ウルはハピを支えて船檣にしっかり手をかけて甲板に立っていた。
そして揺れが一瞬収まったかと思ったその時、彼女たちの船を左右から挟み込み進路を阻む様に同じ程の大きさの二隻の船が出現し、完全に海上へその姿を露わにしてからバサッと大きな黒い帆を張る。
その帆にはいかにも海賊船らしい不気味な髑髏が描かれており、水棲の亜人族で構成されているからかその髑髏も人では無く魚か何かのものだった。
一方、海賊たちが来るのだろうと分かっていたものの、その衝撃に亜人たちが思わず笑って目を剥いてしまっていた中で、こちらを品定めでもするかの様に船員なのだろう様々な種類の人魚や魚人たちが粘ついた視線を送ってきていたが、そんな彼らを押しのけてそれぞれの船から黒い帽子を被った二人の亜人族が姿を見せる。
「──あら? この大きさなら絶対商船だと思ったのだけれど……どうやら違うみたいよ、カリマ」
そう言って首をかしげたのは桃色の長髪に黒い帽子を乗せて、豊かな胸を薄い布で隠し、下半身から赤い八本の触手が生えた蛸の人魚。
「らしいなァポルネ。 ッたく、久しぶりに贅沢出来ると思ってたのによォ……期待外れもいいとこだぜ」
一方、粗野な口調でそう呟いたのは銀色の長髪に同じ黒い帽子を乗せて、同じ布で豊かな胸を隠し、下半身から青白い十本の触手を生やした烏賊の人魚。
その二人には随分と共通する点がある様に見受けられたが、何よりウルたちの目を引いたのはポルネと呼ばれた人魚の右目と、カリマと呼ばれた人魚の左目にそれぞれ付けられた──やたらと豪華な眼帯だった。
それはまるで、何かを封印しているかの様な──。
「……お前らが、二人の船長ってやつか」
そんな折、漸く動揺も収まってきたウルが、ここで待ってろとハピに声をかけてから二人の亜人族が見える位置からギロッと睨みつけてそう声をかける。
「あら、知っているの? まさか貴女たち、私たちを討伐しに来た冒険者とか……?」
「……だったら何だ? 悪ぃがお前らに渡せる様なもんはねぇぞ。 用意出来んのは──これぐらいだな」
するとポルネはその整った顔を心底意外そうな表情に変えて、ぷるんとした唇に指を当てて聞き返し、それを受けたウルは鼻で笑いつつ赤く輝く爪を見せて多少なり威圧してやろうとしたのだが──。
「そう……それじゃあ月並みだけれど……その人魚と……そうね、そこの鳥人も置いていきなさい」
一方のポルネはといえば、特に表情を崩す事も無くいつも通りの略奪行為へ移行せんとそう口にした。
「んん……? あいつは人魚だしまァ分かるが……鳥人を欲しがる理由は何だ? 餌なら不足してねェぞ?」
「あらカリマ、気づいてないの? あの鳥人の眼に」
だが、どうやらカリマはポルネの言葉の真意に気づいていない様で、怪訝な表情で顎に手を当て尋ねたものの、当のポルネはくすくすと微笑んで、未だ甲板にぺたんと座り込むハピを指差してそう告げる。
それを聞いたカリマは訳が分からんといった表情を浮かべ、彼女の指差す先……ハピを見遣ると──。
「はァ……? ……ッ!? まさかあいつ……! く、ははは! 凄ェな! 一体何の偶然だ!?」
細く綺麗なその手で覆われた右眼から漏れ出た黄色い光を視認した瞬間、何かを察した彼女は目を剥き一転して高笑いしながらもポルネに声をかけていた。
「私も驚いたわ。 けど、これで分かったでしょう? 色々聞いてみたい事もあるし……ね?」
「あァいいぜ! 全く、思わぬ収穫だなァ!」
そんな彼女の様子を満足げに見たポルネは妖艶な笑みのまま頷いて、スッと片手を横に広げると彼女の船に乗っていた船員たちが一斉に声を轟かせ、同じ様に片手を横に広げたカリマがそう叫ぶと同時にこちらの船員たちも大きく唸り声を上げ、総勢百人以上の海賊たちの咆哮がウルたちを包む。
そんな中、フィンなどは真っ先に遮音性の高い泡を発生させて自分を覆っていたのだが──。
「さっきから何を話してんのか知らねぇが……あたしはいらねぇってか? ありがてぇなそりゃ」
「あ? ……あァ心配すんな人狼。 てめェにもちゃんと魔獣どもの餌って重要な役割くれてやるからよ」
「いらねぇよそんな役割!」
一方、耳をぺたんとさせる事で騒音に対応していたウルが、彼女たちが自分について特に言及しなかった事に対し嘲る様に鼻で笑うも、忘れちゃいねェから安心しろよとカリマはニヤニヤと下卑た笑みを見せた。
それを聞いたカリマは、触手をバタバタと動かしつつギャハハハ! と下品な高笑いを響かせて──。
「遠慮してんじゃねェよ! いくぞ野郎どもォ!!」
船員たちに向けてそう叫ぶと彼らもまた一斉に唸り声を上げ、それに呼応する様にポルネ側の船員たちも咆哮を放ち、再び辺りが轟音に包まれる。
「チッ、やるぞフィン!」
「了解──ハピはちょっと休んでてね」
そんな喧騒の中、かたや強めに舌を打ったウルが首に引っかけていたマズルガード型の触媒──大牙封印をバチンと音を立て口元に装着しつつフィンに声をかけ、かたやいい加減その煩さにカチンときていたフィンは苛々としながらも、念の為にとハピを気遣う発言をしつつそちらへ目を向けた。
「っ、え、えぇ……」
一方、戦いの前から既に満身創痍といった状態のハピは、何とか声を絞り出してそう返事する。
(何なの……? あの二人が見えた瞬間、右眼が疼き出して……彼女たちは一体……え?)
その時、ハピは右眼を襲う痛みに苛まれながらも、明らかに原因だろう二人の亜人族を左眼で視た。
ハピの緑色の眼に映ったのは、彼女にとってもう二度と見たくも無かった──。
(……邪神の、加護?)
──異世界の文字で記された、そんな一文だった。
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