上級魔族の考察と検証
右眼に起こった突然の異常により精神的なダメージを強く受けてしまっていたハピは、一人で大丈夫だからそっちはお願いねとウルとフィンに伝えて、望子とローアが留守番している宿屋へと歩を進める。
一方、仮昇級……そして依頼の情報収集に向かった筈のハピが単身戻って来た事に望子とローアはきょとんとしていたものの、いつもと違う様子の彼女を部屋へ通して一先ず事情を聞く事にしたのだった。
ベッドへ腰掛けたハピが自分の身に起きた原因不明の異常について明るくはない声音でそう語ると、隣に座っていた望子が、とりさんちょっとこっちむいて? と声を上げ顔をグイッと近づけて──。
「ほんとだ、きいろくなってる……」
先程のウルたちと同じ様に……いや、あの二人は単純に興味からだったが、望子は心底彼女を心配して妖しく光る黄色の眼を覗き込んでくる。
……だが当のハピは、彼女にしては珍しくその整った顔を真っ赤に染めてしまっていた。
「え、えぇ……それより望子、ちょっと近くない? いや望子が良いなら私は全然構わないっていうか寧ろもっと近づいてほしいっていうかその──」
目と鼻の先まで近づいて来ている望子の愛らしい顔と、自分の事をここまで気に掛けてくれているという事実に表情が段々と緩んでしまい、何とかそれを誤魔化す為かとてつもない早口で捲し立てている。
「は、ハピ嬢? 少し落ち着いては……」
そんな中、一人ベッドでは無く椅子に座っていたローアが少し困惑した様におずおずと声をかけた。
「はっ、ち、違うのよ望子。 今のは──」
その声でハッと我に返ったハピが、あたふたとしながら先程までの醜態の言い訳をしようとした時──。
「……ごめんね、とりさん」
スッと顔を離した望子は何故かハピ以上にしゅんとした様子で俯き、眉を垂らして謝り始める。
「え? ぁ、い、今のは私が悪いの! 望子が謝る事は」
一瞬、どうして望子が謝るの? と思考が止まってしまったが、もしや先程の誤魔化しを拒絶と捉えてしまったのではと思い当たった瞬間、ハピが視線を合わせる為に少し屈んでから慌ててそう口にした。
「うぅん、そっちもだけど……その、めのこときづいてあげられなくて……だから、ごめんね」
すると望子は首をゆっくりと横に振って、私が気づいてあげなきゃいけなかったのにと涙目で呟く。
「いいのよ望子。 あの二人はともかく、貴女と私じゃ背の高さが違いすぎるから……目を合わせるのだって一苦労だものね。 気づかないのも無理ないわ」
そんな望子の謝罪を受けたハピはしばらく呆気に取られてしまっていたものの、軽く微笑んでから心底愛おしそうに小さな身体を抱きしめ、望子のせいじゃないんだから気にしないでと優しく告げた。
一方の望子も、彼女の豊かな胸と柔らかな翼に包まれながらこくりと頷き、その言葉を受け入れる。
「で、ローア。 これ……貴女なら分かるかしら」
しばらくその状態でいた二人は今、ハピにもたれかかる様にして望子が脚の上に座る形になっており、ハピが本題だとばかりに真剣な声と表情で自身の右眼を指差すと、ローアは小さく唸って思案し始めた。
「……ハピ嬢。 先刻は随分と取り乱してしまったらしいが……冷静になった今、聡明なお主なら既に辿り着いているのでは? その瞳の変化の理由に」
「……っ」
しかし、何故か大して時間もかけずに顔を上げた彼女は逆にハピへとある種の確信を持って聞き返し、それを聞いたハピは心当たりがあるらしく──。
「そしておそらく、我輩もお主と同じ考えに行き着いており……かつ、それこそが答えなのではなかろうか、と我輩は思うのであるが……如何に?」
そんな彼女の反応を見たローアは、やはりそうであったかと満足げに頷きながらも小さな身体相応の細く短い足を組み、彼女の答えを待つ。
「……そう、ね。 そうかも、しれないわ。 出来るだけ考えない様にしてたのだけれど……ね」
「ど、どういうこと? ふたりはなにがわかったの?」
そして、少しの間口籠っていたハピが深く溜息をついてから首を振り、彼女に同意しそう呟く一方で、何が何だか分からない望子はあたふたとした様子で二人を交互に見遣って疑問を投げかけていた。
「うむ、おそらくは──」
望子の問いかけにローアが頷き、右手の人差し指をぴんと立たせつつ得意げな表情を湛えてハピに視線を送ると彼女もこくんと頷き、ほぼ同時にスゥッと息を吸って開いたその口からは──。
「「──風の邪神」」
一字一句違わぬ、リフィユ山で交戦した存在が挙げられ、それに覚えがある望子も思わずハッとする。
「が、影響している──と見て間違いないであろうな。 何せハピ嬢は一度、彼奴の手に堕ちている」
先程の答えに継ぐ様にローアがハピに対して淡々と事実を突きつけると、彼女は途端に表情を暗くした。
「それを思い出したくないから考えない様にしてたのよ……うぅ……ごめんなさいね、望子……」
「だ、だいじょうぶだよとりさん。 あれはすとらさんがやったんだもんね。 とりさんはわるくないよ」
風を司る邪神……ストラの力で操られていたとはいえ、望子に手を上げようとしたという消えない事実を思い返して謝罪するハピに、望子は右手で彼女の手を握り左手で頭を撫でて器用に慰めていた。
「……ミコ嬢。 一つ頼みがあるのだが、聞いてもらえるかな? 何、危険は無いゆえ安心してもらいたい」
「え? うん、いいけど……なにするの?」
そんな折、二人をよそに何かを思案していたローアが突然望子に対してそう申し出ると、望子はハピの手と頭からゆっくり自分の手を離し、それを許容しつつも首をかしげて問いかける。
するとローアは、満足そうにうむうむと頷き、すとっと椅子から降りて望子に近寄って──。
「確かミコ嬢は翼人に風化を教わっていたのであるな? そして風の邪神が消滅する際に彼奴から力を譲渡……あぁ、渡された事で更に強くなった。 これに間違いは無いのであるか?」
リフィユ山の頂上にある翼人の集落での出来事、そしてストラが望子の中にいる何かに敗れた後の出来事を確認するかの様に語り始めた。
「えっと……うん。 だと、おもうよ。 いちだんかい、しんかする? っていってたし」
一方、長々としたローアの話を何とか整理していた望子が、こくんと首を縦に振って消えゆくストラが口にしていた事を思い返してそう言うやいなや──。
「──成る程。 では一度外へ出るとするのである」
「「……?」」
突如踵を返したローアがそう口にして部屋を後にしようとするのを見て、全く要領を得ない二人は思わず顔を見合わせ首をかしげてしまっていた。
宿屋を出てからも迷いなく歩いていくローアに疑問を抱きながら二人がついていくと、段々彼女が何処へ向かおうとしているのかが分かってくる。
──そこは、先日全員で訪れた砂浜だった。
「さてミコ嬢。 先に話した頼みであるが……今この場で風化を行使してもらいたいのである。 無論、念の為に結界は張っておくゆえ安心してほしい」
「ここで? ……うーん、いいのかな」
海からは少し離れた……それでいて町からも然程近くは無い、丁度中間辺りで足を止めたローアがそう言うと、望子はきょろきょろと辺りを見回しつつ誰もいない事を確認したものの、自分だけでは判断しきれないのかハピに視線を向けて首をかしげる。
するとハピも望子と同じ様に見回していたが、彼女と望子の視力には圧倒的なまでの開きがある。
「えぇと……まぁ、いいんじゃないかしら。 周りに人はいないみたいだから、被害は出ない筈よ」
砂浜の端から端……海に隣接した建物と、果ては遠い海の向こうまで念の為に確認した後、一応加減はしてねと付け加えて望子にそう告げた。
それを聞いた望子はホッと息をついてから首に下げた触媒……運命之箱を小さな手で握りしめ──。
「そっか、じゃあ……んっ』
「「!!」」
小さく呟き目を閉じたその瞬間、望子を中心に淡く透明な黄緑色の疾風が吹き荒れ、彼女たちを包む様に張られたローアの薄紫色の結界が大きく震動する。
漸くその風の勢いが収まってきた頃、舞い上がっていた砂を風で下へ下へとやっていたハピは──。
「!? っそ、それって……!」
砂煙の向こう側に立つ……いや、浮かぶ……望子である筈のその存在の姿に思わず目を剥き声を上げる。
『ふぅ。 どうかな──ってあれ? これ……そっか、ちからをもらったんだもんね……』
それも無理はないだろう、小さな愛らしい少女である筈の望子の姿は今、忘れようも無いリフィユ山の洞穴にて、奇想天外のほぼ全員が辛酸を舐めさせられた風の邪神、ストラそのものとなっていたのだから。
驚きで口をパクパクとさせ指を差すハピを尻目に望子は、風と化しつつ黄色のローブを羽織った自分の姿を見て、少しだけ物悲しそうな表情を浮かべていた。
(やはり思った通りであったな。 しかし加減した上でこの出力……最早、超級どころでは)
そんな中、ローアにとって望子の風化の変化は予想の範疇にあったものの、所々ひび割れた結界を見遣りつつ脳内で若干愉しげそう呟いている。
「……火化の時もそうだったけれど、力を渡されたからって必ずこうなる訳じゃ無いわよね……?」
その一方、表情を驚愕の色に染めていたハピが、望子の師匠を名乗る狐人の姿に変化する……青い炎の魔術を思い返してローアに疑問を投げかけた。
「教示的は指南した者の癖などが強く表れる傾向にあるが……勇者であるミコ嬢だからこそここまで顕在的に……いや、これらは全て推測に過ぎぬがな」
そんな彼女の疑問に、ローアは魔術を大きく二つに分類したうちの一つの特性を挙げつつも、詳しく調べない事にはとお手上げのポーズを取る。
「しかし、ハッキリした事もある。 力を譲渡されたミコ嬢の魔術にここまでの影響があるという事は──」
そして話を纏める為にローアが、黄色のローブを全身に纏った望子と未だ僅かに動揺しているハピを交互に見遣って答えを告げようとした時──。
「……一時的にでも眷属にされた私に、何らかの影響が出ても何らおかしくないって事ね」
彼女の言葉を継ぐ様に、ハピは神妙な表情で自身の右眼に起きた異常に対する推測上の答えを口にする。
『とりさん、だいじょうぶ……?』
そんな様子のハピを見ていた望子は、心配そうにふわっと近寄って声をかけたのだが──。
「……ふふ、少しスッキリしたわ。 戻せるかどうかはともかく、原因だけでも分かって良かった」
望子の心配をよそに、ハピは二人にありがとうねと謝意を示し晴れやかな表情を見せていた。
「何の何の。 ハピ嬢たちが暗くなると……必然ミコ嬢も暗くなってしまう、我輩も学んでいるのである」
『……よくわかんないけど、ちからになれてよかったよ。 くえすともがんばってね?
ローアは心底得意げにしながら道中で学習した事を口にして、そんな彼女が言っている事はいまいち理解しきれなかったが、取り敢えず今はハピを応援しようと風と化した望子がニコッと笑ってそう告げる。
「……え、えぇ、期待しててね」
一方のハピはといえば、望子の気遣いを嬉しく思いつつも邪神の姿を模した望子を相手に若干萎縮していたが、それでも望子は満足そうに笑って頷いていた。
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