聖女の目覚めは鳴き声で
『────! ──────!』
──何かが、聞こえる。
(……? 何、かしら……)
空も大地も無い様なフワフワとした感覚に包まれていたカナタの耳に、音とも声ともつかない何かがひっきりなしに届いている。
『────? ────!』
──やはり、何かが聞こえている。
(これって……そうだ、私は……)
最近聞いたばかりの様で、それでいて耳馴染みの良いそれは段々ハッキリと彼女の耳に届き、おそらくこれは夢なのだろう、そう自覚していたカナタが呟くと同時に彼女の視界は晴れていき──。
『──きゅ〜! きゅ〜!』
「わぷっ……きゅ、キュー?」
カナタの首の辺りに引っ付いていたキューが、彼女が目を覚ました途端顔にピョンッと飛びつき、キューの小さな身体で口を一瞬塞がれたカナタは妙な声を上げつつ優しい手つきでキューを引き剥がす。
「キュー、何を騒いで……おぉカナタ、漸く目覚めたのか。 全く、心配させるな」
そんな折、部屋の外で念の為に見張りをしていたレプターがその騒ぎに気づいて部屋に入って来た。
「あ、レプター……ごめんなさい、私……」
「気にするな、と言いたいところだが……丸一日寝ていたのだし、腹も空いてるだろう? 何か食べ──」
また迷惑をかけてしまったのだと思ったカナタが横たわったまま軽く頭を下げてか細い声を上げると、レプターは首を横に振ってそう告げた後、クルッと踵を返して部屋を出ようとしたのだが──。
「……丸一日? 私あれから一日中寝てたの?」
彼女の言葉に引っかかって初めて、窓から見える外が明るいままだという事に気づいたカナタはキョトンとした表情でレプターに問いかける。
「だからこそ、キューはそんなにも貴女にしがみついているんだろう。 水も碌に飲まずに傍にいて、貴女の目覚めを待っていたんだからな」
するとレプターは、そうだともと口にしつつ首を縦に振ってから、カナタの首元から離れようとしないキューを見てそう告げた事で、カナタは軽く微笑んだ。
「そっ、か……ありがとうね、キュー」
『きゅ〜……きゅー!』
細い人差し指の腹で葉っぱで出来た緑色の髪を優しく撫でつつ感謝の意を示し、キューは先程までその小さな瞳からポロポロと流していた涙──というより水滴を止め、目を細めて嬉しそうに笑っている。
「少し待っていてくれ。 ここはギルドの救護室なんだが、下の食堂の様な所で何か貰って──っと?」
そんな二人のやりとりを見ていたレプターは、ふふっと笑みを浮かべつつそう言って、改めて部屋を出ようとしたのだが、扉の所に誰かがいる事に気づいた。
「……ピアンか? こんなところで何をしている」
「……っ」
その正体の名を口にしながら昨日あんな事があったにも関わらずここにいる理由を尋ねようとし、その名を聞いた瞬間、あの恐ろしい狐人の存在を思い出したカナタは思わず身を強張らせてしまう。
「私一人です、店主はいませんよ。 一応、お見舞いをと思いまして……原因は私たちの様ですけど」
一方、部屋の外からでもそれに気づいたのか、ピアンがカナタの方へ視線を向けながら、自分の後ろには誰もいないと主張する様に片手を広げてみせた。
無論、リエナは彼女の小さな身体に隠れられる程小さくはないので、その行為にあまり意味は無いが。
「……そうか、まぁ入ってくれ。 そこに座るといい」
このまま立たせておくのもなと思ったレプターは取り敢えず彼女を招き入れ、カナタを看病する際に自分が座っていた椅子を指差してそう言った。
(あのリエナとかいう狐人はともかく、ピアンなら……放っておいても良いだろうか)
正直、あんな事があった今でも目の前の少女を敵と認識するのは彼女にとっては難しかった様で──。
「カナタ、私は軽めの食事とキューの為の水を取ってくるから……ピアン、何かあったら頼むぞ」
「え、えぇ」
「分かりました」
結局、まぁ大丈夫だろうと踏んで思考を放棄し部屋を後にするレプターに、かたやカナタはおずおずと手を振り、かたやピアンはぺこっと頭を下げた。
しばらくの間、気まずい静寂が救護室を支配していたが、すうっと息を吸ったピアンが口を開く。
「……カナタさん、昨日はすみませんでした。 レプターさんだけじゃなく貴女だって私の恩人なのに、話も碌に聞こうとせずにいきなり魔術を……」
「う、うぅん、気にしないで。 貴女たちの怒りは尤もだと思うし、別に怪我をしたって訳でも──」
椅子に座った状態でベッドに横たわるカナタに深く頭を下げて謝罪するも、正当な理由があったんだからと首を横に振って、カナタは謝罪を受け入れた。
──受け入れは、したのだが。
「──ない、から……?」
「……どうしました?」
その時、カナタが突然言葉を止めて、広めの救護室の中をきょろきょろと見回し始めた事に、ピアンは疑問を抱いてきょとんとした表情とともに声をかける。
「その……私、聖女だって話したでしょ? だからなのかは分からないんだけど、怪我をしてたり病を患ってたりする人の気配にちょっと敏感っていうか……」
「え? それはおかしいですね、昨日今日でここを利用してるのはカナタさんだけの筈で──あ」
一方、ピアンの声で見回す事を中断したカナタが首をかしげていると、救護室と言っても名ばかりですからと言って、先程までのカナタと同じ様に部屋を見回していたピアンの目がとある一点に止まってしまう。
「……そっか、あの二人がいましたね」
「あの二人……?」
彼女は突然そんな要領の得ない発言をし、それでは何が何だか分からないカナタが聞き返した。
──瞬間、ピアンは部屋の隅の方を指差して。
「気になるのは、あのカーテンの向こうですか?」
そこには、外側からは中がどうなっているのか、そして中に何がいるのか分からない様に濃い緑色のカーテンが掛けられた二つのベッドが並べられていた。
「え……えぇ、そうだけど」
カナタとしては、間違いないけど何故分かったんだろうかと気になったが、取り敢えず頷いておく。
「あそこにはですね、二人の冒険者がもう一月近く眠っているんですが……他でも無い、ミコさんのお仲間の一人、ウルさんとの決闘が原因なんですよ」
そう語るピアンは話に出て来た決闘を直接見ていた訳では無いが、その場に同席していた森人の冒険者から詳しい話を聞いており、カナタは新たな情報を整理する為、腕組みしながらふんふんと頷いていた。
「話を聞く限りでは完全に自業自得なんですけどね。 バーナードさんや救護班の方たちも処遇に困っているそうですよ。 形としては等級の降格とギルド追放という扱いみたいなので、いつまでも眠られると、って」
説明も一段落つき、眠っているのであろう二人の男女の冒険者に対して、カーテン越しにゴミを見る様な視線を向けて睨むピアンだったが──。
「そう……なの、ね……よしっ」
「え、カナタさん? ちょっと何を……」
何を思ったか急にもぞもぞと動き出し、ベッドを降りて立ち上がり、ゆっくりと二人が横たわるベッドの方へ歩いていくカナタに、あまりに突拍子も無い行動であった為か少々呆気に取られたものの、ピアンは片手を伸ばして制止しようとする。
──だが、時既に遅し。
ピアンの声がカナタに届く頃には、彼女はもうカーテンに手を掛けており──。
横たわる二人を目にした瞬間、カナタは少しだけ、ほんの少しだけ……自分の決意を後悔した。
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