聖女の旅立ち
──ここは、凶悪な魔獣や魔蟲たちの蔓延る……いや、蔓延っていたサーカ大森林、その入口。
「やっと、着いた……」
そこに、薄汚れたボロボロの外套を羽織って最低限度の荷物を背負い、疲労困憊といった様子で重々しい息をつく金髪の少女が立ち尽くしている。
──彼女の名は、カナタ。
姓は無い、というより……『聖女』の適正ありとされ、先代の後釜の『選ばれし者』として王宮に召し抱えられる以前の記憶が何故か彼女の頭からすっかり抜け落ちてしまっている為、思い出せないでいた。
(ここが、サーカ大森林……実際に足を踏み入れるのは初めてだけど……思った以上に不気味ね……)
辺りはすっかり夕暮れて空も赤らんでおり、話や文献から得た知識だけに留まっていた実際の森林は、彼女の目にはとても恐ろしく感じられる。
「……ふふ。 私が臆病だから、というのもあるんでしょうけどね……」
そう呟いて自嘲気味に笑う彼女が宝物庫にて魔王の側近から王都襲撃の情報を聞かされてから、既に二週間以上が経過してしまっていた。
……何もカナタは、あの時すぐに王都を出立した訳ではなく、王城の兵士たちに見つからぬ様にこっそりと城下町に行き、魔族が攻め来る前に準備を済ませて王都を後にするつもりだったのだが──。
思いの外早く襲撃が行われた事により彼女は出立のタイミングを逃した上に、羽織っていた外套の下の神官服を見られてしまった事で、住人や兵士、冒険者などから出た怪我人の治療に駆り出されていた。
……結局のところ、カナタは聖女であり傷ついた人を見捨てる様な事は出来なかったのだ。
その後、何者か──まぁ望子たちなのだが──によって魔王軍幹部を含めた魔族たちは討滅されたが、しばらく治療地獄から解放される事はなく、最近になって漸くそれも終わり、何とか正体もバレずに王都から旅立つ事に成功していたのだった。
(……王都を襲撃した魔族も何者かに撃退されたらしいし、やっぱり護衛の一人でも……そうでなくても馬車くらいは用意して……っ!)
カナタは脳内でそんな事を呟き、魔族の影響からか森へと繋がる道にまで出没していた魔獣たちに見つからない様に、こそこそと隠れながら歩いたここまでの道のりを思い返して溜息をつきそうになったが──。
瞬間、彼女は自分の頬を挟む様に両手で叩く。
──愚かな自分を、戒める為に。
「馬鹿……っ! 私の馬鹿……! 自分があの子に何をしたか思い出せ……! 甘えるなっ……!」
自分のせいで望子が元の世界と……そして家族と離れ離れになってしまった事実を言い聞かせるかの如く叫び、吐きかけた弱音を消そうとする。
(……あの亜人族たちに元の世界へ帰る手段として魔王討伐を薦めた以上、必ず港町へ向かう筈)
カナタは荒れた息を整えながら、脳内で改めて召喚勇者一行の動向を自分なりに推察し始めた。
(ルニア王国に属する生きた港町は今やショスト一つだけ……サーカ大森林を抜けてドルーカの町を通り、リフィユ山を越える……この経路しかない)
彼女の考え通り、ルニア王国……というよりガナシア大陸も魔族侵攻の影響を強く受けており、最早まともに機能している人族の住処の方が少ないのが現状。
……尤も、人族や亜人族が暮らす事の出来るもう一つの大陸に比べれば、このガナシア大陸が受けた被害は非常に軽微なものであるのだが。
「ここを抜けて、あの子の元へ……!」
そしてカナタはいよいよ覚悟を決めて、薄暗く不気味なサーカ大森林へと足を踏み入れる。
──かつての、不倶戴天の見本市へ。
しばらくの間、月明かりすらも通さず段々と暗くなっていく森の中を、思ったより魔物も魔獣もいないわねなどと考えながら歩みを進めていたその時──。
「……っ!」
角灯で照らされた彼女の視界にうっすらと映ったのは、木にもたれかかる様にしてその命を落としたと見られる、二つの人族の遺体だった。
(そう、よね。 ここはサーカ大森林なんだもの。 こういう事も、あるわよね……)
カナタは驚いて角灯を落としかけたが、何とか気を持ち直して首をふるふると横に振りつつ、自らの身の安全も考慮すると声を上げる訳にもいかぬ為、そう考えながら遺体の近くにしゃがみ込む。
(……ごめんなさい、本当なら埋葬くらいしてあげたいのだけど、私一人じゃ……せめて、祈りを──)
聖女などと呼ばれていても所詮は十五歳の非力な少女でしかない彼女は、胸の前で十字を切った後、身元の証明が出来る物でも無いかと遺体に手を伸ばした。
──その時。
「動くな」
「ひっ!?」
絶対に誰もいなかった筈の暗い闇の中から低めの女声が聞こえてきた事により、先程は何とか我慢したカナタは思わず短い悲鳴を上げてしまう。
……それも無理はないだろう。
(れ、細剣……!?)
彼女の細い首筋に、常日頃からしっかりと手入れがされているのだろう、角灯の光を反射し燦然と輝く一本の細剣が当てられていたのだから。
「それは、人族の遺体か……? 貴様、随分と見窄らしい格好だが……まさか死体漁りでも──」
声と細剣の主はカナタの目の前の遺体を見遣っているらしく、事と次第によってはとボロボロの外套を羽織った彼女に向けて少しだけ語気を強めたが──。
「ちっ、違っ、違います! 私はこれでも神官でして! 今はこのご遺体に祈りを捧げようと!」
カナタは視線を遺体の方に向けたまま、両手を肩の辺りまで上げて必死に自らの潔白を説明する。
「……成る程。 よくよく見れば、外套の下は神官服か……失礼した。 だがここはサーカ大森林。 貴女の様な神官が一人で訪れる場所では無い筈だが?」
それを聞いた声の主は彼女が羽織っている外套の下からチラッと見える純白の神官服に気がついた様で、早合点だったかと細剣を鞘に納めつつ、脆弱な人族の少女が単身ここにいる理由を確認しようとした。
「そ、それは……」
だがカナタとしては、まさか召喚勇者を追ってと言う訳にもいかず──そもそも信じてもらえるとも思えず──それっきり押し黙ってしまう。
「……まぁいい。 貴女にも事情があるのだろう? 詳しくは聞かないさ。 それより……既に剣は収めてあるし、自己紹介といこう。 こちらを向いてくれないか」
その後、カナタが口ごもっているのを察した声の主は、溜息にも似たそれを軽く吐いてから、緊張の緩和からか腰を抜かし、ぺたんと地面に座り込んでしまったカナタに対し目線を合わせて提案しようとした。
「は、はぁ──っ!?」
先程までに比べ声が少しだけ柔らかくなった事に気がつき、若干安堵した彼女が振り返った先には──。
「──私はレプター。 レプター=カンタレス。 見ての通り混血の龍人だ」
(で、亜人族……!? ……っぁ)
……王都で彼女が治療した者たちの中にも、ちらほらと亜人族はいた……それは間違い無い。
ただ、森人に鉱人、犬人に猫人……そのどれもが彼女が心底恐怖したあの三人の亜人たちに比べれば、随分と弱々しく思えた。
無論、怪我人だったというのもあるだろうが、そのせいでカナタは亜人族への過剰なまでの恐怖心が薄まった……のだと、勘違いをしてしまっていた。
ゆえに、角灯の明かりだけが頼りの暗がりで見る、先の亜人族たちと一線を画す上位種族である龍人は、カナタにとってあまりにも刺激が強過ぎたのだ。
「以後よろ……っ!? お、おい! どうし……!?」
レプターは突然意識を喪失してしまったカナタを地面に倒れ伏す前に抱き留めたのだが、その拍子に彼女の外套のフードの部分が外れ、金色の長髪と……端正で、それでいてあどけなさの残る顔が露わになる。
「なっ……! あ、貴女は……!」
──彼女が目を見開いて驚いた理由など、最早言うまでも無いだろう。
……レプターはほんの少し前まで、王都で職務を全うしていた兵士の一人だったのだから。
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