《それ》の再臨
100話到達!
つい先程まで優しく抱きかかえられていたにも関わらず、突然パッとその腕を離されたローアは、
「ぅ、ぐぅ……み、ミコ嬢……?」
地面に打ちつけた頭をさすりながらも、呻き声を出して望子を見上げていたのだが――。
《……全く、まさか魔族と友達になるとはね。 想定外もいいところだよ。 まぁそれもこの子の美点ではあるんだろうけど……よりにもよって……》
当の望子は、普段なら絶対に言わないだろう言葉をつらつらと並べて、倒れている彼女に冷ややかな視線を向けてぶつぶつと何かを呟く。
「この、子……? 貴様、ミコ嬢では無……ぐっ!?」
そんな望子の様子と言動から、瞬時に望子では無い何かだと判断したローアがそう言おうとした時、またしても彼女の身体を蛇の紋様が襲い、
《ん? ……あぁ、呪い返しか。 本当なら魔族なんて放っておくところだけど、望子の友達だというのなら仕方がない……汚れを祓え――『殺菌』》
それをみていた望子の様な何かは、深い溜息をつきながらローアに右手を向け、心底面倒臭そうな表情を浮かべつつ白い光と共に何らかの力を行使した。
「なっ……! ぅ、こ、これは……!?」
目の前の少女が望子で無いのなら、当然放たれるものが攻撃であってもおかしくない、そう考えたローアはせめてもの抵抗として顔を両腕で隠したのだが、
(……馬鹿な、完全に浄化されて……!)
その光が収まる頃には、彼女を苦しめていた呪いの代償による蛇の紋様はすっかり消え去っていた。
翻って、《それ》は大して興味も無さそうに無表情でふぅと溜息をつき、
《……もういいだろう? これから望子との約束を果たさなければならないんだ。 彼女たちを守り、邪神を討滅するという約束を……疲れてるんだろうし、少し寝てるといいよ――『子守』》
かざしていた右手の人差し指だけを向けて、再び小さく呟いて力を行使する。
「……ぅ、あ……?」
ローアを背中側から包み込む様にして、白く光る腕の形の魔力が出現し、彼女は強烈な眠気に襲われ、
(……一体何が、どうなって……いや、この理不尽なまでの力、かつて、何処か、で……)
何かを思い出そうとしていたものの誘う眠気に勝てず、ローアはその重い目蓋を閉じた。
その一方、たった一人で邪神たちとの戦闘を繰り広げていたフィンはというと、
「……っく、はぁっ……!」
頭の左横についていた筈の鰭は切断され、右腕は骨が見える程に風で抉られており、満身創痍という言葉が可愛く思える程の死に体となっていた。
無論彼女を相手取っていたハピとエスプロシオも、本来なら立っていられる筈は無い程の傷を負っていたが、今や邪神の忠実な眷属と化した一人と一頭は、痛みなど二の次だとばかりにフィンに食らいつく。
そんな凄惨な光景を目の当たりにしながらも、高みの見物を決めていたストラはケラケラと笑いつつ、
『あはは! いやぁ、良く粘った方だよ? 風の邪神とその眷属二体を相手にさぁ! でも……ここまで、みたいだねぇ? あぁ心配しないで! 君の大事な大事な勇者は……僕が美味しくいただくからさぁ!』
パチパチと乾いた拍手で心にも無い称賛をフィンに向け、ペロッと舌舐めずりをする。
「っ! こ、のぉ……!? え、み、みこ……?」
最早その場で浮かんでいる事が精一杯の彼女だったが、何とか一矢報いようと比較的無事な左腕をよろよろと伸ばした時、フィンの横を《それ》が何の気無しに通り過ぎていった事に驚いて彼女が声を上げた。
一方、《それ》の存在に気づいたストラが、ん? と首をかしげつつ唇に細い人差し指を当てて、
『何かな? ……もしかして、わざわざ自分から喰われに来てくれたの? それともまさか……僕を倒しに来た、とか? あは、魔力も碌に残ってないのに?』
仮にも相手は召喚勇者、油断している訳では無いものの、先程火化が解除された事に気づいていたストラは嘲り笑う様にそう口にしたのだが、
《……そうだと言ったら?》
《それ》は邪神相手に一歩も引く事無く、感情の一切が抜け落ちた様な表情で彼女を黒い瞳で見つめる。
『……? 何か、雰囲気が変わったね。 二重人格だったりするのかな……ま、どっちでもいいや! 二人とも、死なない程度に痛めつけてあげてよ!』
フィンを庇う様に立つ、望子である筈のその少女に多少の違和感を覚えたものの、気のせいだろうとストラは自分に言い聞かせ眷属たちに指示を出し、一人と一頭が《それ》に邪なる敵意を向ける。
(雰囲気が……? それに人格って……まさかっ!)
フィンは少し気分屋であるというだけで、決して頭や勘が悪いという事は無く、ストラの言葉に出てきた二つのワードから、ある一つの結論を見出していた。
「キミ、この前の――」
かつて魔族の力に冒された自分を助けてくれたらしい望子の中にいる何か……目の前にいるのは《それ》ではないかと考えた彼女が声をかけようとした時、
《察しが良いね、人魚。 後は任せてくれるかな》
「……っ!」
《それ》は顔だけをフィンの方へ向け、望子と同じ愛らしい笑みを見せてそう告げた。
「――『纏嵐』」
『グルルォオオオオッ!!!』
……だが次の瞬間、準備は整ったとばかりにハピが自身とエスプロシオに、あまねくを吹き飛ばさんとする嵐を纏わせ、ほぼ同時に《それ》とフィンへ向かって飛びかかってきた。
「っあ、危な――」
中身が望子では無いと分かっていても、思わず手を伸ばしそう声を上げたフィンだったが――。
《鷲獅子はともかく、君がこれではね、鳥人。 安心してこの子を預けられないよ……っと》
《それ》は何でも無いかの様にそう呟いて、嵐の速度で迫り来るハピとエスプロシオの強靭な爪を……その小さな両手で掴み、止めてみせた。
「っ!?」
『グルァ!?』
躱されるならまだしも止められるとは思わなかったのだろう一人と一頭は、目を見開いて驚愕している。
『なっ、素手で……!? その細腕のどこにそんな力が……っ! 二人とも、遠慮はいらないから――』
当然これにはストラも驚き、多少の焦燥感を顕にしつつも、再び眷属たちに指示を出そうとした時、
《虫干しには丁度良い機会だけどね……闇黒牽引》
その小さな手には有り得ない剛力でハピたちを止めていた《それ》は、一瞬黒い波動を纏ったかと思うとか細く、しかしはっきりとした声でそう呟き、
「――――……っ!?」
『グルルォオオオオ……ッ!?』
かつて魔王軍幹部の一人、ラスガルドが宰相や臣下たちに行使した時と同じ様に影から黒い腕がいくつも伸び、一人と一頭を……完全に影に沈めてしまった。
『か、影に……!? いやそれよりも! 今のは明らかに魔族の……! どうして勇者の君、が……?』
どう考えても異常でしかない眼前の存在に、動揺しながらもストラが問いただそうとした時、
(い、いない!? 何処へ……っ!)
複数の黒い腕の後ろに立っていた筈の少女の姿はそこに無く、彼女がその事に気づいた瞬間、
(後ろ……っ!)
真後ろからとてつもない程の威圧感を感じ、バッと振り返ったストラの視界には、
『つば、さ……!?』
その小さな背中とは全く持って釣り合わない、蝙蝠じみた黒く大きな翼を携えた《それ》が映る。
ある種神秘的にも見えるその光景に呆然とする彼女をよそに、《それ》が雄大な翼を右腕に絡みつけ、巨大な黒い刀剣と化した自身の腕を振り上げて――。
《闇如翼劔》
そう呟くと同時に、その刀剣はズバッと斜めに振り下ろされ、ラスガルドが放ったものよりも遥かに高密度な漆黒の斬撃が風の邪神を襲い、
『っ!? が、はぁっ……!!』
彼女はその一瞬で行使出来る最高の風で迎撃を試みたが、抵抗虚しく薙ぎ払われて、ストラの身体は所謂袈裟斬りの形に真っ二つとなった。
そんな中、常に蜂蜜水玉を服用してながら戦闘していた兼ね合いで、ストックを切らしてしまっていたフィンはその傷を癒す間も無く《それ》に向けて、
「ねぇ! み……こじゃないんだっけ……あぁそれよりも! ハピとエスプロシオ! 二人は大丈夫なの!?」
影に沈められた一人と一頭を心配する様にそう声を荒げると、《それ》は翼を消しつつニコッと笑い、
《あぁ、問題無いよ。 邪神の呪縛だけ影の中に残してあるから……ほら、こんな風に》
少しだけ視線をストラの方へ向けてそう語り、心配いらないよと伝えながらハピたちを解放した。
――その時。
『……くくっ、あははははっ!!』
上半身と下半身が別れを告げている状態にも関わらず、倒れたままのストラが高笑いを始め、
「なっ、まだ生きて……!」
彼女程では無いにしろ、重傷のフィンがとどめをさそうと水の短剣を出現させた時、
『はぁ〜あ……完敗だよ、完敗……流石は召喚勇者だね。 ねぇ、ミコに替わってよ。 あの子に話したい事があるんだ。 バラされたくないんでしょ? 君の正体』
ストラは残った右腕で無駄だとは思いつつ口元の血を拭い、自分を見下ろす《それ》に話を持ちかける。
――彼女は既に、望子の中にいる《それ》が何なのか、そしてその正体を望子と仲間たちに明かしたくないのだろう事を理解していた。
「正体……? いやいや、そんな事させる訳――」
正直、フィンも《それ》が何者なのかは気になる所ではあったが、望子の安全と天秤にかける訳にもいかない為、拒否しようとしたのだが、
《この期に及んで……まぁ、いいか。 どうせ死にゆく命だし、ね……》
「え、ちょっ……!」
《それ》は彼女に嫌悪感を欠片も隠さない視線を向けながらも、その提案を渋々受け入れた様で、人格を切り替える為か目蓋をゆっくりと閉じる。
そして次の瞬間、パッと目を開いた少女は、おそらく入れ替わっていた間、外の様子は見えていなかったのだろう、辺りをきょろきょろと見回そうとしたが、
「……っ!? あ、あれ…… ってぅわぁ! じゃ、じゃしんさん!? だいじょうぶなの!? はんぶんになってるよ!? もしかしてさっきのこえのひとが……!」
そんな望子の視界に最初に映ったのは、真っ二つになった風の邪神の姿であり、先程まで間違いなく敵だったストラを気遣う様な発言をする。
『……ふふ、本当に、変わった勇者だね。 敵の心配するなんて、さ……ねぇミコ。 君は魔王を倒すんでしょ? 召喚勇者、なんだもんね』
一方、比喩抜きで死にかけのストラは、力無く笑いつつ残った血塗れの右手を望子の頬に添えてそう尋ねると、望子は困惑しながらも頷いて、
「ぇ……う、うん。 おうちに、かえりたいから……」
あたふたとした口調のまま、拙い言葉で本音を口にし、そう答えた。
それを聞いたストラは、そっか、とまるで毒気を抜かれたかの様にクスッと笑って、
『だったら、僕の力を持っていって。 僕の、僕たち邪神の目的の一つも、魔王を倒す事だから……』
未だ困惑中の望子に向けて、彼女が力無いか細い声でそう提案すると、
「ちから、を……?」
いまいち要領を得ず聞き返した望子の視界の端で、ストラの切断された半身が崩れていくのが見えた。
そんな折、ストラは望子の頬から手を離し、細い首に下げられた立方体を指でチャリッと弄りながら、
『これ、運命之箱でしょ? 風化も入ってるみたいだし、丁度良いよ。 手を、握ってくれる?』
そこそこ有名なのか望子の魔道具の名を当ててみせ、そう提案しつつ右手を伸ばす。
「ちょ、みこ、危ないって……!」
当然それを見ていたフィンは、いくら死に体でも危険だと判断し止めようとしたのだが、
「うぅん、だいじょうぶだから……」
望子はフィンの制止を首を横に振る事で拒否し、弱々しく伸ばされたその手をしっかりと握った。
その時、望子を……いや、二人を優しく包み込む様に淡い黄色の風が吹き、それは段々と望子を中心に収束したかと思うと、運命之箱に収まっていく。
『これで風化は一段階進化する……ふふ……僕の力、大切に使ってね?』
風が完全に収まった頃、ストラは再び望子の頬に手を添えて、先程までその命を狙っていたとは思えないくらいの愛おしそうな笑顔を向けてそう告げた。
「じゃしん、さん……」
そんな彼女の表情を見た望子は、自分でも理由の分からない涙を流して小さく呟いたのだが、
『ストラ、だよ。 そう、呼んでくれる?』
彼女はひび割れ始めたさの顔をゆっくりと横に振って、名前を呼んでほしいと口にすると、
「……うん、すとらさん。 ありがとう」
望子は頷き、ストラの望みに応える為に、この世界に来て初めて……まともに人の名を呼んだ。
『ふふ、良く出来ました……頑張ってね、ミコ』
彼女は随分と満足げな表情でそう言うと、身体が少しずつ崩れていき、自身が最期に起こした黄色の風に吹かれ……この世界から跡形も無く消え去った。
――邪神、残り二柱。
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