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練習帳

月とおおかみ

作者: くまみ

 世界が瓦礫だらけになって、もう随分経つ。

 たぶんほとんどすべてのひとは、あの時おちてきたたくさんの火の玉に焼き尽くされてしまったのだと思う。

 私も、死を覚悟した。

 けれど、あなたがじぶんの身体を盾に私を守ってくれた。あなたは強かったし、運もよかった。そうしてすべてが終わったとき、私たちは見わたす限りの廃墟のなかで二人ぼっちになっていた。

 あれは、宇宙から降ってきた流星雨だったのか、ひとのつくった新型兵器だったのか。今となってはわからない。もはや、テレビもラジオもインターネットも、何もない。私とあなたと壊れた世界以外には、何一つない。

 だから私たちは、お互いに恋をした。


 本当を言うと、私はとっくに死のうと思っていた。

 片思いの相手にもふられちゃったし、クラスメイトからはいじめられていたし、親も厳しくて文句ばかりだったから。

 だから私は、この状況を実は楽しんでいたのかも知れない。

 私にとって要らないものは全部、火の玉が燃やしてくれた。

 残ったものは、恋人だけ。


 あなたも何だかほっとしているというか、清々しているというか、それほど困った顔をしていないのには気付いていた。

 その理由がわかったのは、世界が滅んで最初の満月の夜。


 大きな崩れかけたビルの上で。

 まあるいお月さまを背景にして、あなたは音もなく変化していった。

 とがった耳と、不揃いで長い牙。何かに急かされるように服を脱ぎ捨てると、全身が毛むくじゃらになっていく。柔らかくて、それでいて力強いばねのような銀のしっぽがふわりと揺れた。

「おおかみおとこ……」

 童話でしかみたことのない単語を口にする。

 私の声は、あなたには聞こえていないようだった。

 世界中のどんな言葉も、聞こえていないだろうと思った。

 白銀の毛皮が、月の光でさざなみのように光った。

 あなたは、空に向かって、長い長い遠吠えをさけんだ。


 そして私はあなたのことが、もっともっと好きになった。


「あの姿になると、言葉がわからなくなるし、本能のまま行動するようになる」

 夜が明けて、人間の姿に戻ったあと、申し訳なさそうにあなたは言った。

「敵や味方といった、大雑把な記憶は残っているようだから、君を襲ってしまうことはないと思うんだけど」

「私はあなたに襲われてもいいのに」

 あなたは、ちょっと困った顔で私を見る。


   ***


 何だか今日は月が大きいな。

 何度目かの満月の夜、彼の銀毛を撫でながら、私はそんなことを思った。


 さらに数回の満月を経て、それが目の錯覚ではないということが、だんだんわかってきた。


「世界が滅んだ時の、あの火の玉のせいなんじゃないかと思う」

 あなたは、図書館跡の瓦礫の下から発掘した本と、空とを交互に眺めながら、私にそう説明してくれた。

「月が軌道を外れて、この星に落ちるのだと思う」

「そしたら私たち、死んでしまうの?」

「たぶん」

 私はうすく目を閉じて、少し考えた。

 嫌いなものは全部壊れた。恋人だけがそこにいる。幸せ。どうせ年老いて死ぬまでしか生きられないし、この幸せが、こんな世界にならなければ永久に手に入れることさえできなかっただろうものだということも知っている。

「……別にいいや」

 目を開けて、私は言った。

「最後にあなたと居られるのなら、それでいい」

 けれど、あなたは厳しい顔をしている。

「月が近づいているせいだと思うんだけど……狼に変化する直前の頭痛みたいな感覚が、ずっとおさまらない」

 私は不意に、あなたの体臭を感じた。

 けもののにおい。

 前までは、二十八夜のお月さまから三日月の夜くらいまでしか感じなかった、あのにおいが、いまは十六夜だというのに、彼からただよっている。

 それに、ほんの少し、腕やあごのあたりが、いつもより毛深いようにも思う。

 においも体毛も、私にとってはむしろ素敵に思える要素だから、あんまり気に留めてはいなかったけれど。


   ***


 月はもう、子供のらくがきみたいなふざけた大きさになっていた。

 空に見えている時間もだんだん狂ってきて、今が何日目の月なのかもよくわからない。ただ、のぼってくるたびに、すこしずつ大きくなっているような気がする。

 あなたは図書館やデパートの跡地から、本や望遠鏡や紙や鉛筆を見つけ出して、何が起きているのかを少しでも調べようと努力していたけれど、ここ数日はほとんどなにもしゃべらなくなってしまった。全身はもう、産毛のような銀の毛皮で覆われ、口のかたちも歯並びも変わってきて、人間のことばを紡ぐのが困難になってきているようだ。時折、喉の奥で、悲しそうな呻き声をあげる。


 私は、そんな難しい話ではないと思っている。

 たったふたり、世界に残された、あなたと私。

 世界の中心は、今、あなたと私。

 このまま生きていても、じきに食べ物がなくなるか、病気になるかして、みじめに死んでしまっただろう。きっと死ぬのは同時というわけにはいかなかったはずだ。一方が先に死んで、もう一方が看取る。そして、ひとりぼっちになる。

 だからお月さまは、私たちを目がけて落ちてくるのだ。

 私たちを同時に終わらせるために。

 私の望むとおりの最期をむかえるために。


 あなたが不意に遠吠えをする。

 きっと今日がその時なのだ。

 あなたの瞳が私を見た。澄んだ黄金の、けものの瞳。

 背後には大きな月。大きな大きな月。

 まるで童話のよう。だから、さいごにふさわしい言葉は、たぶんこうだ。


 ――そして二人は末永く、幸せにくらしました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 二人だけになった廃墟のような光景が広がっているのだと思う。雰囲気重視の話なのでしょう。子供向けではない童話ということでしょうか。 [気になる点] まるで挿絵前提に思えるような情報量の少なさ…
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