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浮遊する

作者: 深雪

友人の絵をテーマに書いてみました。

気に入っていただければ、うれしいです。

1.

 無数の光の粒が私を誘っている。

 どこまでも引き伸ばされていく闇のなかで、濃く淡く色を変えて自分を表す星たちは、声こそなくとも、雄弁に話しかけてくる。


「あと一歩踏み出せば君は」

「そう、あと一歩で」

「僕らと」

「私たちと」

「同じになれるのに」

「どうしてそんな古い家の出窓で」

「くすぶっているの?」

「どうせ燃えるなら」

「思いっきり」

「思う存分」

「燃えてしまえばいいのに」


 私は、星たちのきらめきに無数の言葉を見た。

 私も、彼らのように輝きたい。たとえ、明るい光の中で美しく映えることはなくとも、この慎ましやかな夕闇の中でぽっと小さな花のように咲いてみたい。

 でも、私は……。


「危ないよ。そんなところで何してるんだい」


 ばあちゃんの声だった。

 私は窓の棧にかけていた足をあわてて引き戻した。


「え、演劇の練習なの。星に誘われる乙女ってタイトルで」


 ばあちゃんが目をひんむいて驚いた顔を作った。普段はそんなに表情を動かさない人なのに。


「あんた、演劇なんかやるのかい? あんたが?」


 ばあちゃんは私をほとんど名前で呼ばない。あんたあんたと呼ばれ続けていると、私にははじめから名前なんてなくて、ただ、あんたという誰かの一人なのだという気になる。


「そんなに驚くことないじゃない。ほら、学校の文化祭でやるの」


「ふふん、なるほどねえ。でも、タイトルからしてあんた、主役なのかい」


「そうなの。荷が重くて……だから、いまも練習中ってわけ」


「そうかい。じゃ、今年の文化祭は見に行かないとね。去年は見に行けなかったからなおのことさ」


 ばあちゃんの言葉にどきっとする。ばあちゃんが文化祭には来ないと踏んでとっさについた嘘だったのに。「星に誘われる乙女」? なんじゃそりゃ。


「う、うん、楽しみにしといて。これだけ練習してるんだから、バッチリ決めて見せるわ」


「こりゃ、明日は雨でも降るかね。あんたがそんな風にはっきり何かを言うなんて……。それだけ気合い入ってるってことだね。頑張りなさい」


 ばあちゃんはしわくちゃの顔にさらにシワをふやすように笑いながら部屋から出ていった。

 私は、自分がいかに下手なうそをついたかを思い知らされながら、床にへたりこむ。

 うまくやり過ごしたのではない。自分の落ちるために余計に穴を掘ったようなものだ。これまでばあちゃんに嘘をついたことのない私は、罪悪感と、なにより、今後のことを考えて頭を抱えた。

 私とばあちゃんの二人家族。たった二人の間で決められた唯一のルール。「互いに絶対に嘘をつかないこと」を私が破ってしまった決定的瞬間であった。


2.

 学校に居場所なんかなかった。

 どうして学校なんて行かなければいけないんだろう。

 楽しいことなんて一度もなかった。

 でも、ばあちゃんが心配するから、何事もないように日々を過ごす。

 何事もないように、当たり前に通い、当たり前に一人でいる。

 それが私にとっての学校だった。


「文化祭、近くなってきたねえ」


「うんうん。今年、c組はなにするの?」


「たしか、PV 作る! とか息巻いてたよ男子たち」


「私は反対だなーどうせクオリティー低いし。でも、衣装のセンス次第では考えてやってもよい」


「なにその上から目線。うけるー」


 クラスの中心にいる女子たちの会話が聞こえる。これは何気ない会話のようだが、とても力をもっている言葉たちだ。男子たちは耳をそばだてているし、女子たちはいつこの会話に参加しようかとチャンスを狙っている。

 この狭い空間を席巻している力はあまりに脆く、また流動的で、時には暴力的だ。発している本人たちでさえ、歯止めをきかせられないほど、危うい力。そんなものが飛び交っているのだ。

 文化祭を心のそこから楽しめるのはそんなものの発信者たちだけだ。みんな、楽しんでいるようでいて実際のところは彼女らの逆鱗に触れないよう細心の注意と警戒を払って過ごす。ビクビクと、キビキビと動く。

 私は、自分の計画の成功率の低さを、改めて思いしった。この力を制御することなど、私にできるわけがない。

 でも、やるしかない。私はばあちゃんまで失うわけにいかないから。


 文化祭の一ヶ月前ともなると、先生方も忙しそうだ。まるで、生徒たちの忙しなさがうつってしまったかのようである。必ず日に一人は廊下を走る先生を見かける。生徒と先生が段ボールを両手でかかえて並走しているときなどは、校則が一瞬ただの言葉に姿を変えてしまう。反対に言えば、それだけみな必死で準備するものなのだ。

 今日は、ホームルームでその文化祭の出し物を決める日である。

 私は、朝からキリキリと胃が痛かった。それは誰かの手で直接圧迫されているみたいに逃げ場のない痛みだった。

 これから成そうとしていることの大きさというよりも、その失敗したあとのことで私はすでに胃を痛めていたのである。

 ホームルームの時間の直前はまだそんな気温でもないのに自然と歯がガタガタとなり、まるで、楽器みたいだと他人事みたいに思った。


「はーい。文化祭でやることを決めたいので、委員長、よろしくっ」


 担任の間の抜けた声が、運命の時を告げる。言い終わった時にはもう今日の分の事務作業に目を落としていた。


「先生、丸投げすぎー」


 笑いながら委員長が担任と入れ替わるように教壇にたち、チョークで大きく文化祭、出し物、と書いた。

 それから、慣れた口ぶりでいう。


「はい、意見ある人ーっていってもみんな言わないだろうから、私が五個ほど案を出しておくので、異論反論、別意見いくらでもいってねー。みんな言わないと私の案のなかで多数決とっちゃうよーん」


 ほとんどまっさらだった黒板が委員長の色で染まっていく。

 ド定番のたこ焼きに始まり、お化け屋敷、タピオカジュース、メイド喫茶。

 本当に、文化祭と言ったらこれだなあというのを選んできた、委員長。これはみんなの変化がないとつまんないという感情を刺激しようという作戦だろう。

 案の定、委員長が書き終わるか否かというところで、男子の一人がしびれを切らし、委員長、それじゃつまんねえだろー。とヤジをとばした。


「はい、そこの男子、文句あるなら代案をいう!」


「はいはーい。ミニスカカフェとかどうよ」


「却下」


「はやっ」


「女子の魅力とエロに頼りすぎです! 破廉恥だめ! オーケー?」


断られた男子は、文句を言いつつもまんざらでもない様子でにやにやしながら手をおろした。


なんだか、男子が全体的に沸き立っている。


なんだろう? 委員長の反応に何かおかしなところがあっただろうか? 男子はわからない。


「えー。他にいないの? 勇気ある挑戦者は」


「いいんちょってかもはや防衛戦待ちのチャンピオンやなー」

 

 委員長と仲のよい女子の一人がちゃちゃをいれると、すかさず委員長のチョークを持った指先がそちらを向いた。


「はいそこっ。無駄口たたくなら案を出しなさい案を」


「うええ……私こういうの苦手なんよ……」


 この子はエセ方言を使って男子をたぶらかす小悪魔女子だ。

 夏休みの間に5人の男子が告白させられて、あげくふられている。

 ショートカットの髪は異様なほどつやつやとしていて、いつも若干つり気味の眼は少し挑戦的な猫みたいだ。


「いいから答えるっ」


「ふええ……じゃ、たこ焼き……?」


「焼く系は今回できないので却下!」


「そっかー。残念やねえ……」


「いやいや、そこで安心してる場合じゃないでしょ。却下されたんだからもう一案出しなさい」


「う、うんと、焼き芋?」


「……」


「あ、冗談冗談。なんでそんな真面目なのよ」


 そんな掛け合いを男子たちがたまらないという眼差しで見ている。二人の掛け合いはそれから三往復くらいして結局何も新しい案は出てこなかった。

 いよいよその場に委員長への挑戦者がいなくなった。ーー勝負の時である。


 恐る恐る手をあげた。

 あげたといっても、自分でもわかるくらい引け腰な手のひらを前に向けたくらいのものだったが、委員長はやはり見逃さなかった。


「お、いいねえ。今大会ダークホースの登場かな? どうぞ話してみてっ」


 いつからそんな大会が開かれていたのか……なんて頭のなかで冷静に突っ込む余裕もない。皆の視線が一気に集まる。それにしても、目は口ほどにものを語るとはこのことか……。みなの「なんでお前が? てか、声出せるの?」という台詞がいやというほど伝わってくる。

 純粋に私の話を聴こうとしてるのは委員長くらいだろう。

 そう思うと、声が、震える。やめろやめろ、と恐怖心が口を開こうという力に抵抗する。


「……あ、あの……」


 言ってしまわないと……。と思いつつも、言ってしまったあとのことを考えると身がすくむ。言葉が、消えていく。


「うんうん」


 まるで幼い子供にするみたいに話を促す委員長の目は優しい。それが少し救いだった。そして、なんとなく前進した私の脳裏にばあやが現れ、言ってきなと背中を押してくれた。


「ええっと……」


「はいはい」


「わ、私、演劇が、いい、とおも……う」


「ほほう、演劇ねー。いいねー渋いねー。鉄板全部だしたつもりがその線が抜けてたわ」


 委員長の肯定に連動し、クラスの大半がうなずいた。

 そこで、私の緊張は一気にとけた。ああ、もしかしたらクラスの中心にいる人たちはこの安心感の中でいつもを過ごしているのか。なんて羨ましい。とひねくれたことを思いながらも、ここで安心してはいけないとふんばる。


「んで、ちなみにどんな話にしたいとかあるの?」


 きた。ここが正念場だ……。

 私は、一週間ほぼ寝ないで書き上げたシナリオを机からひっぱりだして言った。


……言ってしまった。


「わた、私……の書いた、シナリオで……やり、たい」


「わーお! すっごいねえ……これまでここまで本気で文化祭に臨んでる人見たことないよ! どれどれ? 見せて見せて!」


 委員長は本当にいい人だ。私のような人間にたいしてもフラットに接し、皆と同じように私にだって発言する権利があるんだ、と思わせてくれる。


「も、もちろん……」


 私が立ち上がろうとするのを制して委員長が席までやって来た。

 桃のような果実の仄かな香りがする。委員長の髪からだろうか。ほどよく甘いにおい。


「ふむん。タイトルは……『星に誘われた乙女』かー。シンプルだけど意味深ね」


 目の前で私の書いた原稿がめくられる。これって結構精神に堪えるものがある。さっき手をあげたときよりずっと心臓が早く動いている。動いているというより、もはや私以外の何者かによって勝手に揺さぶられてるみたいだった。

 まだ半分もめくっていないところで委員長の視線が不意に私に移った。


「ね、あなた」


「な、なに……?」


そういえば、委員長はだいたいの人をあなた呼びなのだった。まだ委員長が委員長然として地位が確立されるまでは、そのあなた呼びが気にくわないとかでのけ者にされかけた時もあった。それが今では押しも押されぬ委員長なのだからすごい。

 なんてことを考える余裕ができたのはただ公衆の面前で自分の駄作が静かに読まれているという状況から一瞬でも抜け出せたためだった。


「そのくま……大分頑張って描いてくれたんだよね……ありがとね」


 委員長の眼鏡越しの瞳はとても優しかった。

 でも、その瞳にたいして私は素直にそうなんです私頑張ったんですとは言えなかったし、思えなかった。

 だってこれは、自分のためだから。


「いえ、そんな……」


 委員長の優しい声かけにもスムーズに答えられず、私は……同級生にたいして、いえ、なんて言ってしまうのだ。


「これ、私的にはもう君に決めたって感じなんだけど、みんなはどうだろ? 演劇以外にやりたいものある人とかっている?」


 委員長は私に優しく微笑んでからみんなに呼び掛けた。

 私は身勝手な自分が申し訳なく思いつつも、委員長の力の大きさとその心意気に感動していた。

 さすがに演劇は抵抗がある人もいるみたいで、皆が皆やろうやろうという感じではないけれど、特段強く反対という声は上がらなかった。

 そして、ほっと胸を撫で下ろそうとしたとき、これまた委員長といつも一緒に帰っている女子バスケ部の主将が手をあげた。


「はいはーい。キャスティングはどうするんですかー監督ー」


「お、いい質問きたねー。それそれ。私もそこは気になってた。やるなら具体的に話し合わないとね! オーディションとかやる??」


 委員長の目が輝く。ああ、眩しい……。でも私はここでさらに一勝負かけなければいけないのだ。

 いや、一番の大勝負をかけるのだ。


「…………っ。……しゅっ、主役、だけ……決め、てある……の」


 もう、後戻りはできない。いやむしろ、不自然でも一息にいってしまえばよかった。委員長の期待をさっさと一蹴してしまえたらよかったのに。

 でも、私はやはり二の句を次ぐために一息つかなければならなかった。

 心臓が壊れそうだ。


「おおう、それはいったい誰だい?」


「わっ私!」


 思わず、大声になった。恐怖に負けそうな思いをひねりつぶすには、もうそれしかなかったのかもしれない。

 案の定教室は恐ろしいまでの沈黙に支配された。もうそれはみんなが黙っているというよりは沈黙という存在がそこにいる、というような妙に濃密なものだった。

 私はなんだか急に息苦しくなっていくのを感じる。

 というか、息ができない。

 もう、こんなの早く終わってしまえ……、私の人生なんか終わってしまえ……。

 そんな気持ちだった。

 拷問のような時間を終わらせてくれたのは意外な人物だった。

 吉岡君?


「わーお! そうきたか! 意外性ナンバーワン過ぎ!!」


 私は思わず振り向くと、やはり彼だった。

 しかし、振り向いて、彼の口が動くのを見ても、その状況をうまく把握することができなかった。

 何せ彼はほとんど話したことがない人物だったからだ。

 彼はクラスの皆があっけにとられているのをしり目に、まるで何かが吹っ切れたみたいに話を続ける。


「おいおい、いいねそのガッツ。俺はその話のったよ。なんか、事情もありそうだしな」


 彼の予期せぬ大声に戸惑いながらも、取り巻きの男子たちが賛同の声をあげはじめる。

 そう彼は、寡黙ながら、男子の一番大きなグループのリーダー的存在なのだ。

 柔道部主将、眉目秀麗、おまけに成績はクラス三番手という、同級生男子が信望するに足る要素をふんだんに持ち合わせた人なのである。

 彼は、柔道の練習の時こそ、雄たけびのような掛け声で道場を席巻するものの、普段は余計なことはほとんど話さない静かな男子だった。

 そんな人間が文化祭の打ち合わせなどという、もっとも似つかわしくない場面に大声で口出しをしたので、みんなが困惑しているのである。

 これにはさすがの委員長もたじろいで、進め方を思案しているのか、難しい顔を隠せなかった。


「ええと、なんだか、なあなあで進んでしまっているけれど、とりあえず、一つずつ確定していきたいかな」


 そこで、委員長は一息おいた。


「まず、演劇でいいのかどうか、決めようと思います。演劇に賛成の方は手を……」


 かかっ。という大きな笑い声が、場を切り裂いた。またしても、吉岡君だった。


「委員長。どうしたらしくないぞ。話の論点がずれている。四谷さんは、演劇がやりたいんじゃないだろ。自分のシナリオで、自分が主役でやりたいといったんだ。話を明らかにしないと、みんな手を上げづらいだろう」


「そ、それはそうね……ごめんなさい、四谷さん」


 委員長は一瞬だけ悔しそうにやや口元をゆがめながらもすぐに切り替える。


「ええと、それじゃあみなさん、今年の文化祭の出し物は、四谷さんの提案してくれた、四谷さん主役の四谷さん台本の演劇で問題ないかしら。賛成という人は手を挙げてください」


 私は、怖くて、目を伏せた。けれど、吉岡君の言葉のおかげで、少なくとも、彼は支持してくれている、と思えて、それだけで私は嬉しかった。なんだか、負ける気がしなかった。

 委員長が人を数えている気配がある。

 ひいふうみい……。


「ええ、それでは、今回の文化祭は、四谷さんの提案してくれた、四谷さん台本、四谷さん主役の演劇で行こうと思います。それでは、先生に司会を返します」


 委員長はよほど悔しかったのか、わざわざ,最後まで私台本・私主役の部分を強調して話し合いを打ち切ると、吉岡君の整った顔をにらみつけながら、教壇をあとにした。


「はーい。みんな、無事早く帰れることになってよかったな。先生も早くビールが飲みたい。というわけで、四谷。がんばれよ。はい、今日はここまでー。あ、委員長、号令はいいから。ンじゃ、みんな帰りは気を付けて帰ってなー」


 担任は自らの顔に負けないぐらい間抜けな調子で一言話したかと思うと、ものすごい速さで教室から出ていった。ビールとかなんとか言っているが、新任で入ってきた百乃先生を夕飯に誘うことしか頭にないのである。それも、隣のクラスの担任の渡辺先生と競っているという話だから先が思いやられる。


 私はほっとしすぎて、これからのことなんか何にも気にせず、ただぼーっと席に座ったままだった。すると、ほどなく、委員長がやってきた。肩にかかった彼女のカバンは置き勉をしないせいか、ひどく膨らんでいて、人の十倍は重そうだ。


「四谷さん、なんだか今日はすごかったわ。何かあったの? あんな風に文化祭に積極的な人今まで見たこと無いよ」


「う、え、ええと、なんか、これまで学校で何かやりきったなあってこと一個もなかったから、最後の文化祭ぐらいはと思って」

 

 私はすらすら嘘をついていた。いつもなら、ええとあの、まで言って言葉に詰まるのに、なぜか、今は言葉があふれる。何かをだれかに話してしまいたい気分だった。こんな気分は初めてで、自分でも戸惑う。


「そっかあ。なんか、それ、いいね。なんか、かっこいいかも」


「そ、そうかな? 委員長みたいにずっとクラスのために仕事をするとか、そう言うことのほうがきっと大変だし、難しいし、なによりかっこいいよ」


「そ、そう。なんか、照れるかも……ありがと」


 委員長は照れ隠しに横髪を左手ですいた。なんだかいい香りが漂ってくる。

 その姿はいつも気丈な彼女とあまりに違うので、とてもかわいらしかった。


「こちらこそ。委員長の一言がなかったら、私の提案なんてきっとみんなに賛成してもらえなかったと思う。本当にありがとう」


「そんなことないと思うけどなあ。……っと。本題本題。そういえばさ、四谷さん、LINEやってる? 文化祭関係の連絡とかするのに知ってたら楽かなーと思ってさ」


「やってるよー。QRコードでいい?」


 私たちはLINEの連絡先を交換すると、塾の時間が迫っているという委員長は教室を駆け出した。

 私はなんだか、久しぶりにクラスの人とこんなに話したなあ。なんて思いながら、まだ熱から覚めない頭を休めようとまたぼんやりしだした。

 そんな折、彼がやってきた。


「おい、四谷」


「は、はいっ」


 私は思わず居ずまいをただした。吉岡君である。わざわざ吉岡君が一番後ろの席から、私の席まで来るなんて、いったい何の用だろう。そもそも、まともに会話したことが、ほとんどない。


「お前、演劇とか好きなのか?」


 目の前に吉岡君が立っていて、自分に質問をしている。この状況にはまるで現実感がなかった。


「え、う、ううん。別に好きってわけじゃ……」


 吉岡君は心底意外そうな顔をする。確かにそうだ。文化祭の出し物で必死になる理由なんてそんなことしかないだろうから。本来は。


「ふうん。じゃあなんであんなに必死だったんだ?」


「ば……あ、ええと、おばあちゃんが、見に来るから」


「ばあちゃんが? それであんな必死になるのか?」


「う、うんと、あ、そういえば、私、植物係の仕事やってなかった! 水あげなきゃ!」


 私は無理やり話を遮って、席を立った。花瓶は黒板横すぐにあった。それにはもうなみなみ水が入っている。当然だ。毎朝私が欠かさずやっているのだから。


「あ、おい、まてよ……」


 吉岡君がおいかけてくる。

 私はこれ以上彼と話してると、心臓が張り裂けてしまうという想いと、余計なことまで話してしまいそうな今の自分は人と話すのは危険だという想いから、逃げだした。

 いったい何をしているんだろう私は、と思いながら、水のあふれそうな花瓶片手に廊下を早歩きする。


 吉岡君は廊下を出ると、もう追いかけてこなかった。

 でも、私は、教室に戻ることもできず、かといって、何をすることもない。

 私は、あまりに所在なくて、結局、いつもおひるでお世話になっている、屋上に向かって歩き出した。


 上に上がる階段へ向かう途中、誰かとすれ違った。あまり、今の不自然な状態は見られたくないので、俯いて歩いていたから顔はわからなかった。誰だろう? 放課後、部活にもいかず、帰りもしないで、玄関方面でない階段近くにいるなんて。

 でも、なんとなく嫌な気配がした。この、ぞわぞわと背筋が冷たくなる感じ。

 あいつみたいだ。私を貶めた、あの男子。名前も思い出したくない、あいつの気配にとても似ている。


「よお」


 後ろから、声がかかった。すれ違った男子だった。思わず、振り返りそうになるのをこらえて、私は屋上に向かうはずのところを進路を変えて、階段を下へ降りた。

 あいつの声だった。しゃがれた、耳につく声。

 私は、今すぐ走りだしたいと叫ぶ足を無理に抑えて、さっきまでと同じペースで何もなかったかのように階段を下りる。


「なんでむしするんだよ」


 あいつの声が、さっきより近い。

 なんで、こんな時にあいつに会うんだろう。というか、あいつは今、謹慎中じゃなかったか。煙草を吸ったのがばれたとかで……。


「なあ、久しぶりに会ったのに冷たいじゃねえかよ」


 あいつの声は少しずつちかくなる。あいつは決して焦ったりしない。あいつは知っているのだ。弱者のいたぶり方を。より時間をかければかけるほど、相手の中で恐怖が大きくなることをしっている。


「俺たちの仲だろう。なんでそんな風に逃げるんだよ」


 何が、俺たちの仲だ。私は、あんたのせいですべてを失ったのだ。それを今更、どんな顔でいうのだろう。

 当時の私を殴ってやりたい。ちょっとかわいい女の子のグループの子たちに仲間に入れてもらえて、舞い上がって、きがついたら、こんな最低な男子と親密になって……。今考えれば、どうかしている。人にはそれぞれ与えられた領分みたいなのがあって、そこから逸脱することは許されないのだ。

 なのに、私はその領分をはみ出した結果、こんな男につけまわされている。クラスでの立場は失くし、学内でも違う学科のクラスに編入したにも関わらず、消えない汚点みたいにこの男が付いてくる。


「なあ、また気持ちいいことしようぜ。俺はまだお前のことあきらめてないってかさあ。ほんと、学校って終わってるよな。先公なんか、まともに尊敬できる奴なんかいないしよ。自分は棚上げしてよ。おかしいよな。ほんっとう。まいるぜ。なあ、よっちゃん」


 今ではもうだれにも呼ばれなくなった、「よっちゃん」が耳障りだった。少しでも早く忘れてしまいたいのに、彼のかすれた声が耳から離れない。というか、なんだか彼の呂律も、言葉もおかしい。きっと、クスリをやっているのだろう。あいつは悪いお友達には事欠かない。むしろ、それ以外何も持っていないといっていい。でも、そんなくずを見抜けなかった馬鹿な女がここにいるのだから、笑えない。


「よっちゃん。逃げんなよお。俺は別にお前になんかしに来たわけじゃないんだからさあ」


 なんかしないなら、何をしようというのか。あんたは、狂ってる。私は、いよいよ近づいてきた彼の手から逃れるため、走りだした。だが、いつまで走っても彼は私の影みたいにぴったりと同じペースでくっついてきた。


「よっちゃん。演劇やるんだろ? 聞いたよ。舞からさ。面白いよなあ。あんなに目立つのが嫌いだったよっちゃんがさあ。ベッドの上だってそうだったのに、ステージで主役なんてよお。笑えるぜ」


「っく……」


 私は昔の話を持ち出され、思わず叫びだしたくなったけれど、職員室近くだったのもあって、必死でこらえた。ていうか、あれ? 職員室があるのに、ばあちゃんの困った顔を想像したら、駆け込むことができなかった。私は、馬鹿だ。


「よっちゃん。いいじゃん別にさ。どうせお前んちのばばあが見に来るとかなんだろ? 無理すんなよ。よっちゃんがらじゃないんだからさあ。俺と遊ぼうぜ、前みたいにさ」


 なんでこの人はこんなに私のことをわかっているんだろう? すっごくゲスで、およそ常識も優しさも持ち合わせていないはずなのに、この人は。人の心がわかってしまうんだろう。


「よっちゃん。どうせ逃げらんないよ。だって、よっちゃんおおごとにされんのやでしょ。俺のことでばあちゃんが困るのやでしょ。前の一緒に捕まった時みたいにさあ」


「ねえ、よっちゃん。あん時傑作だったよなあ。よっちゃんが俺と一緒にパトカー乗せられたとき、普段、糸みたいにほとんど空いてない目がさあ、まん丸になってさあ。俺、あんとき行けるなって思ったんよ。きっと昔は美人だったんだろうねえ。あのばばあ。でさ、まん丸にあったと思ったら、そのまま倒れてさ。もう家の前がパトカーと救急車でうーうー。うるさいのなんのってさあ。思わず、うるせーって叫んじゃったよね。よっちゃんは怖がって泣いてたっけ。情けねえよなあ。サツだって人間なんだぜ」


 誰か、誰かいないのか。彼の口を止められる人は。私を彼から守ってくれる人は。

 誰か、お願い、助けてよ……。もう、無理だ。私は……。死んでしまいたい……。


「お、四谷こんなとこにいたのか。てか、なんで走ってんだ?」


「吉岡、く……ん?」


 私は、その力強い声を耳にした瞬間、彼を目にした瞬間、崩れ落ちそうになった。

 突然のことにやや驚いた顔をしつつも、力強い腕で、私を支えてくれた。私はもう遠慮する余裕もなくて、彼の腕にしなだれかかった。


「大丈夫か?」


 そうだ、私は、あいつから守ってくれる人、強い人が近くにいてくれたらいいのにって思っていた。それで、吉岡君を好きになったのだ。


「おーい。なーにだきあっちゃってんの? 嫌だなあ、それ、俺の彼女なんですけど」


「ん? なんだお前」


 さっきから、目の前にいたあいつに、ようやく気が付いたみたいな感じで顔を向ける吉岡君。なんだか、クラスの話し合いの時とは声色が全然違う。聞く人に、否応なく圧迫感を感じさせる声。それでいて、味方でいてくれたら、頼もしい声だ。


「俺は隣の棟の御山。んで、そいつの彼氏だから。早く離れてほしいんだけど。わかる?」


 あいつの言葉はいらだった時のそれだが、口調は穏やかだ。そのちぐはぐさが、気味が悪い。何もかもがこの後自分の思い通りに進むと分かっている悪役みたいだ。


「彼女のことをそれなんていうやつがいるわけないだろう。嘘をいうな」


「はあ? ここいっちゃってんのかな? うーん、まさか、いつの間にかよっちゃんが男つくってたとは、俺幻滅したよ。まあでも、今すぐこっち来たら、許したげる。よっちゃんほら」


 あいつは、あおるように、頭を指さしながら言っているのだろう。見なくてもわかる。


「よっちゃん? ああ、四谷のことか。四谷はあっちに行きたいのか?」


 吉岡君が真面目に聞いてくる。私は夢中で首を振った。でも、そのあとで、大事にしたくないというのを人差し指で合図した。もう、声を上げる元気もなかった。彼は一瞬首を傾げたが、何とか理解してくれたみたいで、力強くうなずいてくれた。


「なんだか、乗り気じゃないみたいだぞ。今日はあきらめたらどうだ?」


「はあ? だから、なんであんたは彼氏気取りなのさ。なんでそんなに偉そうなの?」


「ん? 偉そうにしているつもりはないが」


「ああ、そうそう無自覚なんだよね。あんたみたいなさ、部活のキャプテンとかやってるようなやつって、みんな人の上に立つのに慣れちゃってさ。あごで使って当然みたいなのを意識の底に持ってんだよねえ。それがむかつくんだよなあ。無自覚・無意識って一番怖いんだ。直しようがないし、気づきようがないからさ」


「ああ、俺は柔道部の主将だぞ。キャプテンじゃない」


「はっ。どっちでもいいだろそんなこと。揚げ足とるのが趣味なのかよ」


「そっちのほうが揚げ足とるのはうまそうじゃないか? なんだかそんな気がするぞ」


 吉岡君は毅然としている。少しも力んでいない。抱えられているからわかるけれど、あいつを目の前にして、平然といつも通りのに構えているのだ。なんて、強い人なんだろう。


「ちっ。なんか、やりづれえな。よっちゃん。わかったよお前の魂胆がよ。俺から逃げたいと思って、俺に対しても動じないようなやつを彼氏にしたんだろ」


「なあ、お前、さっきから何か勘違いしてないか」


「いや、勘違いはそっちでしょ。だから、なんで同年代なのに人のことお前とか平気で呼べちゃうの? くるってない感覚。これだから、上に立ちたがる人間は」


「まあ、なんでもいいが、俺は別に四谷の彼氏じゃないぞ」


「はあ。じゃさっさとどけよ。なんでカップルの痴話げんかに参戦しちゃってるわけ? でしゃばり、ダメ、絶対だよ」


「ん? これは痴話げんかではないだろ」


「は?」


「痴話げんかってのは、互いに想いあってるカップルの感情のもつれをいうんだ。お前の場合、一方的に四谷へ想いをぶつけてるだけに見える」


「は?」


「だから、あんまりこれ以上四谷をつけまわすようだったら、俺はお前に何らかのペナルティーを与えないといけない」


「あのさ、なにいってんのかさっぱりだけど、一個だけ聞いていい? お前、よっちゃんのなんなんだよっ」


 不意に、あいつが私を支えたままの吉岡君に向けて思い切りこぶしを振り切った。あいつはちゃらんぽらんだけど、ケンカだけは誰にも負けたことがない。何でもありだし、きゃしゃな割に力だけはあるからだ。

 すっと吉岡君の腕が、私を引きはがし、そのまま背中の方に引っ張って、私をかばう形になった。

 「あぶないっ」っていう前には、もうこぶしは振り抜かれていた。いな、振り抜けなかった。


「っな!」


「ん? 今のが本気か。ケンカ、たくさんしてそうなのにな」


 吉岡君が首をかしげている。よく見えないが、あいつの渾身のこぶしは吉岡君の腹筋にあっさりと止められてしまい、吉岡君は体勢を崩されるどころか、一歩も足を動かすこともなかったということだ。


「ば、ばけもんか……」


「ん? 全国区にはこれでもいけないぞ。せいぜい県大会どまりだ。残念だが」


「ちっ。なら、これでどうだ」


 ふいに、吉岡君の急所を狙おうとしたあいつ。その腕はすんでのところで止められた。


「ケンカってのはルールがないのか。そういうのもありなんだな」


 吉岡君はものすごい力で、つかんだあいつの腕を締め上げながら言う。


「あるかよ。ケンカはルールの対義語だ」


「お前、馬鹿なのか」


「いや、それよか、この手を放せよ」


 よっぽど強い力で押さえつけられているのだろう、声が苦しそうだ。対する吉岡君はまだ本気を出していないような感じがした。


「放したらまた狙うだろう。さすがに、急所は鍛えられないからな」


 吉岡君が笑う。なんだか、不敵な笑いだった。教室できいたあの快晴のような声とはまるで違う。


「ったく、わかったよ。降参だ。今日は引いてやるよ」


「ん? 今日はといったか。今後ずっとだろう」


 そう言いながら、吉岡君はさらに腕に力を込めたらしい。こらえきれず、あいつはうめき声みたいな小さな声で、「わかったわかったから放せ」といった。

 そうしてようやくあいつは吉岡君の強靭な手から逃れたようだった。


「この馬鹿力が。腕に痕ついちまったじゃねえか」


「ん。かっこいいぞ。最近のアニメみたいで」


「きめえな。おまえ、アニメなんか見るのかよ」


「いや、とんとみてないな。最近はどんなのが流行ってるのかわからん」


「いやほんと、あんたと話してると調子狂うぜ。よっちゃん。覚えてろよ。この借りはお前に返してやっからな。ばばあのリアクションが楽しみだぜ」


 体が、震える。これまで、そんなことはなかったけれど、今の彼なら、やりかねない気がした。


「ん。なんだお前、四谷のことをおばあさん出汁に脅してたのか。サイテーだな、お前」


 吉岡君の声が一段急に低くなる。これはきっと怒ってくれているのだろう。初めて、彼の体が力むのがわかった。


「へっ。なんとでもいえや。悔しかったら、ばばあのボディーガードでもしてみたらどうだ」


「はあ。どこまでゲスなんだ。お前。やっぱり先生方に引き渡すしかないぞ。四谷」


「はん。いいぜ引き渡してみろよ。俺は何をした? これから何かをしようとする人間を押さえつけるのはできないだろう」


「それもそうか。じゃあ、ことが起こせないようにしてしまうしか手はなさそうだな」


「ん? いや、簡単な話よ。お前が今後、四谷か四谷のおばあさんに手を出すようなことがあったら、俺がお前に柔道技をかけてやろうと思ってな」


「はあ」


「普段、道場以外で技を人にかけることなんて、してはいけないんだが、まあ大義名分があれば仕方ないだろう。ただ、畳がない分、受け身もとりづらいだろうし俺も素人相手にやったことがないから、うまく加減ができんかもしれん。もしかすると、首の骨が折れてしまうような事故が起きるかもしれないが、まあ、その時はその時だよな」


「わかった。降参だ。そこまで言われたら、俺も引き下がるよ」


「誓えよ。今後、二人に近寄らないって」


「わかったよ。でもよ、俺みたいなやつの誓いなんてなんの意味があるんだ?」


「それは百も承知だ。だからこちらにも考えがある」


「そうかよ。じゃあな、よっちゃん。短い間だったけど、楽しかったぜ」


 そんな風に急に優しい声を出されると、途端に寂しくなる。あれだけ怖ろしかったのに、吉岡君の背中であいつの顔が見られないのが、少し残念に思えてしまう。これだから、あいつは危険なんだ。

 私のそんな気配を感じ取ったのか、それとも、あいつのやけにさわやかな去り方が気に障ったのか、吉岡君が口を開いた。


「さっきは、俺と四谷がどんな関係かと聞いたな。御山」


「ああ? 聞いたかそんなこと」


「ああ、聞かれた。一応答えておくと、今日のホームルームまでは、名前順で並んでただけの二人だったよ」


「なんだそりゃ」


「でも今は」


 そこで、吉岡君の言葉は一瞬途切れた。それから、なんだか、深呼吸みたいに彼は大きく息を吸うと、つづけた。


「四谷に片思いしている」


 私が絶句したのは言うまでもない。何か言おうとしても、口がパクパクするだけで、言葉にならなかった。


「あーあーなんだか柄にもなさそうなこというな。そんなこと言われて俺はどうすりゃいいんだ?」


「どうもしなくていい。俺もただ、今言っておいたほうがいい気がしただけだ」


「はあ、主将ってのはわけわかんねえやつもなれんのかよ。学校はやっぱおわってるな。もういっそやめてやるか」


 それが、私が聞いた最後のあいつの声だった。なんだか、すべてに見切りをつけて、なにもかもなげだしてしまった、そんな調子だった。どこにも行けなくて、やっと見つけた活路も行き止まりだった、そんな感じがした。


「学校から逃げたって、きっとどこにも道はないぞ」


 何かを察したような吉岡君の声。それを聞いているのかいないのか、とっくに踵を返したあいつはただ、手を挙げてひらひらさせただけだった。その背中はどうしようもなく寂しそうだった。


3.

 無数の光の粒が私を誘っている。

 どこまでも引き伸ばされていく闇のなかで、濃く淡く色を変えて自分を表す星たちは、声こそなくとも、雄弁に話しかけてくる。


「あと一歩踏み出せば君は」

「そう、あと一歩で」

「僕らと」

「私たちと」

「同じになれるのに」

「どうしてそんな古い家の出窓で」

「くすぶっているの?」

「どうせ燃えるなら」

「思いっきり」

「思う存分」

「燃えてしまえばいいのに」


 私は、星たちのきらめきに無数の言葉を見た。

 私も、彼らのように輝きたい。たとえ、明るい光の中で美しく映えることはなくとも、この慎ましやかな夕闇の中でぽっと小さな花のように咲いてみたい。

 でも、私は……。



 この国のヒメは呪われている、と噂され、民衆に嫌われていた。彼女は民衆にとって、神聖な存在である星々の声が聞こえたからである。一見すると、神聖なものの声をが聞こえるのであれば、むしろ祝福されるべき存在になるべきで、矛盾しているように見える話だ。だが、哀れなことに、彼女の父が民衆から支持を得ていなかったために、人々はこのヒメを嫌い、その生まれ持った力もむしろ、忌むべき呪いもしくは、嘘八百ととらえられてしまっていたのである。


 ヒメはいつも憂鬱で、ひとたび城の外に出ようものなら、石でも投げつけられかねない状況だった。まともに外に出られもしない彼女にとって、唯一の友達は星々で、唯一の楽しみは夜窓から星々を眺めることだった。


 常のごとく、星の声を聴いていると、ノックの音がした。彼女は取り繕うのも疲れて、体勢もそのままにどうぞと声をかけた。

 昼の新しい衣装のお披露目会で気を使いすぎて、疲れ切っていた。

 入ってきたのは、王子だった。思わず居ずまいをただそうとするが、もう間に合わない。王子はねこのような素早く軽やかな身のこなしで部屋に入り、一礼した。


「ヒメ。窓枠に腰かけてどうなされたのです」


 王子は問う。


「星の声を聴いていたの。彼らは時折私を連れて行こうとするから」


 ヒメの言葉に、王子は困った顔をした。それはそうだ。星の声が聞こえるなんて普通じゃない。ヒメはあわてて、言葉を紡いだ。


「へ、変よね。こんなの。普通じゃないわよね。だって、みんなには聞こえていない声が聞こえるなんて」


 あわてて取り繕うヒメにむかって、王子は微笑んだ。


「変だとは思いません。むしろ私にはうらやましく聞こえます。このきれいな星々が、どんなことを話しているのか、知ってみたいと存じます」


 ヒメはそんなことを言われたのが初めてで、どうしていいかわからなくなる。だから、赤面してしまったまま、でちょっと上ずった声で問う。


「そ、それでは、さっきはなぜ困った顔をしたのよ」


「い、いやそれは……」


 王子は少し口ごもる。


「は、話してみなさいよ」


「……笑わないでくださいね……。ほ、星に……あなたをとられてしまうのは嫌だと思ったからです」


 そこまで言い切ると、王子は俯き、赤面した。星明りに照らされた王子の横顔は、耳まで真っ赤だった。

 ヒメは王子の言葉にかたまった。

 星々は、月明かりよりはずっと弱いが優しい光で、彼ら幸せそうな様を祝福していた。


4.


「ひゅーやるねえ。あんた、こんな才能があったとはねえ。まるで、あの男の子とほんとに付き合ってるのかと思ったよ」


 とばあちゃん。何も、私の隣のクラスのタピオカジュース屋の前でそんな話をしなくても……。


「んと、そ、そうでしょ。私、演技の才能……」


 そこまでいったところで、ばあちゃんの声に遮られる。


「なあいってんじゃないよ。このばばあの目は節穴かい? 気づくにきまっとるじゃろが」


「そ、そうだよね……」


 私はまだ覚めない演劇の熱をやわらげようと手であおぐも、ばあちゃんにこうからかわれては当分収まりそうない。


「ふふん、でも前の奴よりずっといい子そうで安心したよ」


「……」


 その言葉に、私は何も言えなくなる。ばあちゃんにはいろいろつらい思いをさせてしまったから。


「でもさ、いろいろあったけど、なんだかんだでものごとはいいほうに進んでくんだよ。だから、一回ぐらい失敗したって、いや、何回失敗したって、次がある。だから、あんたもまだまだつらいことあるかもしれんけど、頑張りな」


「ばあちゃん……」


 私がたまにでてくるばあちゃんの格言みたいな一言に弱い。思わずほろっと来てしまった。


「ところで、あんなイケメンをどうやって見つけたんだい? ああ、なんとなくじいちゃんの若いころに似てる気がするよ。吉岡君だっけ? 演劇じゃ登場しただけで、黄色い声がすごかったし、なんだかファンも多そうじゃないか。あんたも隅に置けないねえ」


「ばあちゃん……」


 私はすっかり覚めてしまった感動のやり場に困りつつ、よく吉岡君は王子役をやろうと思いきったよなあ。と思い返す。


 あの文化祭の出し物決めの日の後、私と吉岡君はお互いに不器用だったのもあったし、吉岡君の告白が妙なタイミングだったのもあって、すぐすぐ付き合うとか、そんなことはなかった。

 決定的だったのは、1週間後のホームルーム演劇で私の相手の王子役は誰がやるかを決める話し合いの時だ。

 意外にも、男子の何人かが手を挙げて、え、相手役私だよ? わかってる? とか思いながら、経過を見守っていたところ、委員長がもうほかにいませんかーと再三言って多数決に入ろうとしたときに、吉岡君が手を挙げたのだ。

 それはクラス中が驚きの声を上げるには十分なくらいの衝撃的瞬間だった。

 あの、クラスでほぼしゃべらない吉岡君が、文化祭で最も目立つと言っていい王子役に自分から立候補する、なぞということは、誰も予想しようがなかった。

 もう、クラスの満場一致で、王子役は吉岡君に決まり、吉岡君には珍しく、男子たちに「王子」と数週間はいじられていた。

 その日の帰り道に、一緒に帰ろうと言われ、付き合うに至ったというわけなのである。

 

 そういえば、あの後、あいつは転校した。そして、風の噂なので嘘かほんとか知らないが、地元の道場で柔道を習いだしたらしい。もし本当なら、よほど、吉岡君にコテンパンにやられたのが悔しかったのかもしれない。あいつに柔道なんて全然似合わないが、今思えば、あれだけ負けず嫌いでプライドが高い人間も他にいないので、案外、向いているのかもしれない。きっと、師範へ文句をいいつつ、練習に臨むんだろう。

 そんなあいつの姿を想像すると、なんだか、昔のことも水に……流すことはすぐにはできないだろうけれど、でも、いつか許せる、そんな日が来るような気がする。


 そういえば、吉岡君は案外、寂しがり屋で、かわいいところがある。私があの演劇事件以降、委員長と仲良くなり、よく帰りを一緒にするようになると、無理やり、俺も一緒に行っていいか、なんて言ってついてくるのだ。甘いものが苦手なのに、女子しか行かないようなスイーツ店で無理して私たちと同じメニューを注文する。きたものの大きさに驚きながら、慣れない手つきでつっついているのがとてもおかしい。

 その様子を委員長がこらえきれないといった様子で笑うと、こいつは何を笑っているんだ? ときょとんとする吉岡君の少し鈍いところが私は好きだ。

 吉岡君は好きだなんて言われると照れくさいからやめろというけど、好きなものは仕方がない。どうしようもなくかわいいものを見た時に思わずかわいいと言ってしまうのと同じだ。それくらい好きだ。


 きっかけは最悪だったけれど、こうして、いろんなことが収まるべきところにおさまっていく。少し前までは考えられないような結果が私たちを待っている、そんな風に思うと、少し怖いけれど、でも、今はそれが楽しみと思えるようになってきた。


 ばあちゃんはさっき買ったタピオカジュースのタピオカが三つ四つ固まってストローから出てこないのにぶーぶーいっている。向こうから、私たちを見つけた委員長が走ってくる。

 私たちは、それから、道場で部活のPRのために実技披露をしている吉岡君のもとへウキウキしながら、お化け屋敷に並ぶ人の列を夢中でかきわけていた。

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