死生有命に逆らう化物❖1
綺麗に整理された室内。
目透かし天井をぼんやりと眺める。頭の下には枕、背中には敷布団。俺は一体何をしていたのか。
身体を起こそうとして、体が怠いことに気付いた。少し、吐き気のような気持ちの悪さが、腹の奥でふつふつと沸いている。
眼球だけで周りを見る。ここがどこなのか、少しずつ把握できた。
そうだ、俺は最期に死に場所としてここを選んだんだ。出来ることなら温泉に浸かって死にたいと思って、…なんで最期だったのか、ああ、そうだ。自殺するために放射線を浴びて、誰にも見つからないように……
放射線。そうだ、体が怠いからといって、こうしてはいられない、この場所には放射線があるのだから、今だって死んでしまうかもしれないのだ。
いや、死んでしまうというなら、おかしいぞ。
俺はここで目を覚ます前に、女の声を聞いて……
ぎしり。
床の軋む音が一つ、俺の思考は止まり、耳を澄ます。足音が一人、階段を登り、こちらに来る。あの時の緊張が身体を駆け巡る。
鍵の掛かっていない扉ががちゃりと開き、女が一人入ってきた。
「あ、起きてる」
若い女。おそらく俺と同年輩か、それ以下。白い肌に細い首、服は、おそらくこの宿泊施設のものと思われる浴衣を雑に羽織り、着崩していた。髪は長く、後ろを左右に分けて緩く三つ編みにし、両肩に垂らしている。
それよりも、その顔に記憶が擽られる。その顔は記憶を呼び起こして、頭の中で実像を結ぶ。知っている顔だ。
「もしかして、……綻陽鼎、か?」
俺がそう呟くと、女は気色が晴れやかになり、綻んだ笑みを浮かべた。
「やっぱり、真白さんでしたか」そう言って俺の側に座る。「まさか、こんなところで再会するなんて思ってもいませんでした」
俺はその言葉に頷く。いろいろとおかしな事態になった。
「綻陽は、なんで、ここにいるんだ」
俺は、思うように口が動かない事に気付く。体も怠い。思考も、おそらく鈍くなっている気がする。
「そんなこと、どうだっていいじゃないですか。
それより真白さん。あなたは自殺しに来たんですよね?」
俺は少し狼狽えた後に、頷く。綻陽は悲しそうに続ける。
「おそらく、真白さん。あなたは被爆して、このまま死にます」
俺は頷く。人が、生き物が生きていける環境ではないのだ。それを知ってここまで来た。
「死にたいですか?」
俺は、曖昧に頷く。
自分でも、本当なら死ぬことは避けたい。純粋に死ぬことは怖い。しかし、社会ではもう居場所などなく、だからこそ俺はこの場所で死にに来た。
そうか、この体の怠さと、吐き気は、放射線を浴びた影響なのだ。と、一人納得する。
「もし、生きていけるとしたら、生きたいですか?」
俺は首を傾げて、綻陽を見る。この後に及んで生き延びる道なんてないはずだ。致死量の放射線を浴びているのだから、遅かれ早かれ俺は死ぬ。
そういえば、綻陽はなぜ生きているのだろう。
俺はそんなことを考えながら首を傾げていると、綻陽は一つため息を吐いて、
「積もる話もあるので、本当に死んでしまうのは、せめて私の話を聞いてからでもいいですよね」
と言った。
綻陽の言葉の意味がわからないまま、夢でも見ているような思いで綻陽の顔を呆然と見つめ続けると、綻陽は右手を引き、指を伸ばして貫手の形にする。
その手が胸を貫く所で、また俺の意識は飛んだ。