表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/34

希死念慮の閾値❖3


 都市部から離れてさらにバイクを走らせる。手元に地図を携えてはいないので、現在地は把握できていないが、おそらく沿岸部へ進んでいるはずだ。

 やがて景色は市街地らしい趣を見せ、建造物の背丈が低くなり、潮の香りが鼻について確信する。


 もう少ししたら海だ。

 そして、原子炉の場所に近づいている。


 ここにきて心臓は力強く脈打ち、命の存在を主張している。死へ向かう身体に、脳は興奮状態にあることをどこか遠くのことのように認識する。

 バイクに跨っているだけで、息が切れて呼吸が荒い。これは別に、放射線の影響ではない。俺は、ここにきて死が怖いのだ。残された時間がどのくらいなのか不明瞭だが、確実に減っている。この街に来てから、命は急速に死への道を進んでいるのだ。せめて最後に死に場所を選ぶことができればいいのだが。と、思いつき、ハンドルを切る。

 曲がりくねった道へと逸れて、丘を登り、坂を下ると視界は開け、空の果てに横一線の切れ目が見えた。

 海だ。

 そして、俺は思いついたばかりの計画を遂行するために、海沿いの道を急ぐ。

 粘ついた口内に唾を飲み込み、息を整えてから、バイクのスピードを下げる。大きな宿泊施設にたどり着いた。

 十五階を数える大きな建物で、海岸沿いに少し湾曲しているそれは、この海で休暇を過ごす人達を一手に引き受けるホテルだと理解した。


 中を覗くと、ロビーが見えた。

 薄暗く、少しばかり散らかっている。地震が起きた当時、おそらく慌てて避難した宿泊客や従業員の当時の光景がありありと頭に浮かぶ。理路整然と並べられていた所を蹴散らされて散乱したスリッパ。気が急いてしまい、足が縺れ、逃げる時に脱げてしまった誰かの土足。自動ドアはフレームが歪んだのか、閉まりきらずに止まっている。そのまま中へと踏み入った。

 土埃でざらつく施設内はもちろん無人で、電気も死んでいる。ぞっとするのは鼻を刺激する腐臭だ。生臭く、色濃い磯の臭いが鼻に届く。受け付けらしきカウンターを通り過ぎて、薄暗い廊下を歩く。まさか人の死臭ではないだろう。そう自分に言い聞かせても、臭いの違いを嗅ぎ分ける事も出来ず、全身は竦んでいた。

 臭いは強まる。従業員用の通路に繋がる防火扉が微かに開かれていた。そこから漏れている生暖かく磯臭い腐臭。この中で何かが腐っているらしく。俺は合点がいった。

 おそらくはこの奥には調理場があり、冷蔵庫の中にあった魚介類が腐ったのだろう。

 それならば説明がつく。何よりこの先に――可能性は低いが――人の屍体があるとしても、見たくない。

 納得のいく答えを手に入れた今、俺はせめて臭いを遮断するために、しっかりと防火扉を閉めた。重く篭った音が無人のホテルに響いて、扉は閉まる。その際に移動した空気が風となり、腐臭が鼻にこびり付いてしまった。俺は逃げるように道を引き返す。


「誰かいるの?」


 ――!!

 声だ。女性の。

 聞き間違いか、幻聴か、俺はその場で強張って、体が動かなくなる。それが空耳であることを願って、先程閉めた防火扉を睨む。

 空耳でなければならない。居てはいけないのだ。

 この場所に、

 人間がいては、

 生きてはいけない。


 心臓は痛いほど脈打つ。血液の流れる音が聞こえる。赤血球が毛細血管を通り過ぎる音。その奥でひたひたと足音が聞こえる。

 嘘だ、足音なんて、だが、確かに聞こえる。


「誰かいるんでしょ」


 俺はその言葉に怯え、返事はおろか、呼吸さえ乱れてその場に尻もちをついた。腰が抜けている。

 防火扉はゆっくりと開かれて、

 開かれて……


 ――そこから先は気を失っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ