二十三 順風満帆……ではなかった。
魔力の扱いに大分慣れ、 魔力を出すのも引っ込めるのもほぼ完璧だ。
今日は実際に空が退魔師の仕事をするのを後ろで見学する事になっている。
魔力を使えるようになった為、身のこなしで言えば男の時を遥かに凌ぐ運動能力を発揮し、所謂魔法の様なものも扱える。
スペック的に言えば、そこらの怪異なんぞに遅れは取らない、と空のお墨付きだ。
そもそも幽霊や生霊と言ったって、何か明確な意思を持っているものは、あまりいないらしい。
大体の場合は色んな人間の思念が魔力となって寄り集まり形を作っただけの集合体との話だ。
「あれが俗に言う怪異だ。大丈夫か?」
空が指で示す先には、魔力溜まりのような靄がある。
別段こちらに害意を持っているわけでもなく、ただ強い魔力に引き寄せられて近付いてきただけだ。
「うん、思ってたより大丈夫っぽい」
「ふむ……そうか」
空は少しこちらを探るように見ていたが、俺が本当に怖がっていないのを見て取ったようだ。
「適当に魔力をぶつけても散り散りになる。
慣れないうちはそれでも良い」
「ほーお。慣れて来たら?」
「怪異の望む感情を乗せて魔力を撃つ。
大体の場合、求めるものは優しさや慰めだな」
魔力に想いを乗せるって事か……分かる気はするんだけどなぁ。
奥歯に物が詰まったように、カチリとハマらない。なんでだ?
「まあ、実際にやるとこんな感じだ」
空の手から魔力が発せられた。
その魔力からは、確かに暖かい感情が乗せられているように感じられる。
例えば、小さな子供に家に帰るよう優しく促すようであり、疲れた人を労わるようでもある。
寄り集まりの怪異は、煙が中空に溶けていくように、するすると薄くなりじきに消えた。
「はー……なるほどなぁ」
「なんとなく分かったか?」
「うん。まぁ」
「注意する事は、恐れの感情を持たない事だ」
「と言うと?」
「怖がると怪異が増長する。場合によっては悪意や害意が前面に出て牙を剥くからな」
うへぇ。嗜虐心でも刺激されるんだろうか。
「負の感情の寄せ集め、俗に言う悪霊なんてのもいる」
「その悪霊を怖がるとどうなるんだ?」
「喜んで襲い掛かってくる」
「うげ」
「が、まあ、今の海なら力技でも蹴散らせるだろう」
それにしたって会いたいもんじゃねーな。
今し方見た空の退魔は、心が温まる光景と言ってもいいくらいなんだが。
暫く街の巡回を続けて、俺も空に見て貰いながら何度か経験を積ませて貰った。
自分で対峙してみると分かるのだが、怪異って寂しがりやなのだ。
だから他の魔力に引き寄せられるし、寄り集まって形を成すんだろう。
「安定、してるな」
「おー。コツが掴めたかもしれん」
「そうか。……これならいけるか……?」
「ん?」
「悪霊相手なんだが」
んー、あー。まぁ何とかなるか?
気配りもせず、力に任せて粉々にするだけなら、簡単な気はする。
最近、例の近所の公園に悪霊が発生する頻度が高いんだそうだ。
原因はまだ不明のようだが放置も出来ない。
夜の公園は、自然が多い分街灯の光も遮られがちで、全体的に暗い。
俺は夜目が効くから特に困る事はないし、空も夜の活動が多い分、不便はないよう工夫してるみたいだ。
「居た」
どろどろとした悪感情を内包した強烈な淀み。
見ているだけで気分が悪くなる。
「海の能力なら余裕だと思うが……どうだ?」
「あー、まぁ、平気」
「初日だし、無理する必要はないぞ」
「やるだけやってみるよ」
少なくとも悪霊くらいは自分で対処しなきゃ空が安心出来ないだろうし。
俺だって、空に助けて貰うだけじゃなくて、空を助けられるようになりたいからな。
右手に力を集中させ、悪霊へと近付く。
相手を消し飛ばすのに十分過ぎるくらいの力があった。
筈だった。
……?
悪霊がこちらに気付き、その敵意が向いた瞬間、どん、という衝撃が尻から走り、視界が低くなる。
真っ白になった頭で何をされたのか考えて……『まだ何もされていない』事に気付いた。
ただ、俺の足から力が抜けて、尻餅を付いただけだ。
カタカタと震えて、立ち上がろうとしても言う事を聞かない。
集中させた魔力も気付けば霧散していた。
悪霊が、喜悦で嗤った、気がした。
次の瞬間には悪霊は炎に包まれ、消滅していたが。
「大丈夫か?」
「ぁ、あ、う」
「悪い──」
空の言葉は、最後まで耳に入ってこなかった。
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ふわふわとしていて寂しがりやな不思議な存在。
小さな頃から視えていたソレを解放するのが、物心着く前からの日課だった。
ソレらは愛情を持って接すると『ありがとう』と言いながら消えていく。
その心に触れるのが、好きだった。
でも。
ある日の事。
その時俺は、俺の家族と、空の家族と、合同で旅行に来ていた。
そこは観光の名所で紅葉が綺麗な場所だったと思う。
もやもやしたモノを見付けていつも通りに近付いた。
また迷って泣いているんじゃないかって思ったから。
その『もやもや』は無防備で幸せそうな子供を恐怖と絶望に染め上げるため、牙を剥いた。
俺は初めて向けられる敵意と害意に衝撃を受け、負った傷の痛みに泣き噦る。
いくら強い力を持っていても、どんな才能が眠っていても、使う意思がなければ意味がない。
勝手にふらふらと歩き回っていたのが仇となり、大人達が気付いた時には遅かった。
もし、幼馴染の男の子が守ってくれなければ命を落としていたかもしれない。
……大怪我をした俺は、その記憶を閉ざした。




