その名も七最天
俺の鼓膜の処女が危うくバイバイするところだった。この膜だけは生涯を賭して守るつもりだったのだが。
「ひゃあああっはあああ! 風だ! 風に乗れえ、俺ええええ!」
砦のような壁は木っ端微塵に破壊された。その破砕音だけでも十分うるさいのに、それに加えてやたら大きい声がするのだ。
上空の影が徐々に姿を現していく。それは確かに人の形をしていた。
「はい、どおおぉぉおおん!」
それは自身で効果音を口遊みながら、地面に着地を決めていた。結果として、地面へと渾身の一撃も決まっていた。
巨大なクレーターの出来上がりである。
地面が抉り取られた所為で、盛大に砂埃が舞う。それが入らないように、俺は目を細めた。
だが、視線はある生物を捉えたままであった。
それの容姿は異常であった。
切れ長の瞳は涼やかな印象をこちらに与えてくる。風にそよぐ赤の長髪は煌びやか。
スラリとした身体は決して華奢ではなく、むしろ身体のラインがスッキリしていて洗練されている。
目鼻立ちは完全な均衡を見せていた。
見事な美男である。中性的な顔つきは、どこか宝塚を連想させる。
「問うぞ!? 俺は誰だあ!?」
謎の美男は両腕を振り、カモンというポーズを取った。何度もその動作を繰り返す。
「知らねえよ」
「違うだろうがッ」
急に降ってきたうるさい美男。怪しさしかない。それに、どう見てもこの男が壁を破壊した犯人だ。
俺はあくまで一般人。こんな奴に襲われたら、一瞬で殺されてしまう。こいつが何をするかわからない以上、臨戦態勢に入っておかねばなるまい。
そう決意して、立ち上がる。
「だから違うって」
「なっ!」
起立するタイミングに合わされて、腕が振るわれた。それは攻撃の為ではなかった。
美男の右腕が、左耳を掠めた。男の手と壁がぶつかった衝撃で、ドンという盛大な音が響く。
顔と顔、鼻と鼻がぶつかりそうな距離になる。
「な、何だよ」
「ん? なんだお前、照れてんのか? は、かわいい反応しやがって。抱いてやろうか?」
「男に抱かれる趣味はねえ!」
「おとこ、ねええええ!」
うるさい。こんな至近距離で叫ぶな。あと、本当に顔が近い。ここまで顔が整っていたら、ちょっとどきりとすんじゃねぇか!
いや、男色じゃねぇよ。だって、この男、ちょっと女ぽいというかな。
「お前勘違いしてんぞ? アイト・オリザキ」
「何がだよ」
「俺は女だ」
「嘘だろ?」
謎の美男は、俺にジト目を向けてくる。しばらく何かを考えたのち、着ていたワイシャツのボタンを外し始める。
ボタンを三つ外したところで、腕をグイと掴まれる。抵抗することもできずに、俺の腕は美男の胸へと誘われた。
無理矢理、一揉みさせられた。ふにふにとした感触が、掌いっぱいに広がった。
この柔らかさ。男では再現不可だ。
「お前、本当に女か」
「そう言っただろうが。ふふん」
「いや、で」
未だに納得できずにいたので反論しようとすると、唇を塞がれた。相手の唇によって。
追い討ちをかけるかのように、再度何度も胸を揉まされる。ふにふにとした感覚が、などと考えていると、唇を離された。
「悪くないなぁ」
「ふざけるなよ! 俺のファーストキス、返しやがれ」
「いいぜええええ!」
またキスされる。そういう返し方じゃなくてだな。
先程は意表を突かれた。だが、今度はしっかりと抵抗して、相手の肩を突き飛ばした。
「いいねえ! 今度は戦闘か? ノッてやんよ」
言葉と共に、間合いに踏み込まれた。相手はすでに戦闘態勢に突入していた。
女は獰猛な瞳を浮かべて、腰の入ったフックを放っていた。
早い。
が、反応できない速度ではない。
俺は真っ向から受けた。
拳と拳が激突する。そして、俺の足が地面へとめり込んだ。
「なに!?」
力で負けた。
俺の拳は大きく上へと逸れ、上半身がガラ空きになる。
まずい。そう考えた頃には、鳩尾へと蹴りが打ち込まれた。
爆発音が鳴る。
まるで発砲したかのような爆音が、俺の肉体から響いた。あまりもの蹴りの威力ゆえである。
そんなことがあり得ていいのか。
身体が浮遊感を得る。女の蹴りが、めり込んだ足を物ともせずに、俺を宙へと吹き飛ばしたのだ。
胃の中が逆流を起こしそうになるのを意地で耐えた。
相手は化物だ。
だが、俺が今いるのは空。一旦、戦闘は停止するはずだ。
そこから仕切り直しだ。
とは、ならなかった。
女は俺へと手の甲を突きつける。指に嵌められた宝石が、妖しい色を放つ。
「神輪ゴルディウス。ストック消費」
四筋の光線が、俺の四肢を穿つ。
身体の四箇所に穴が開く。しかし、血飛沫を撒き散らしつつも、俺は諦めていなかった。
けれども、そんなことは関係ないとばかりに、女の追撃が行われる。
「魔法使い相手に、その距離は不味いぜ?」
その言葉を枕として、詠唱が開始される。
『死音アレイスト・アチカーが定める。その音、小さく。その音、震え。だが、音は一発の弾丸となる』
女の周囲から音が消滅する。それとは正反対に、女の掌には、世界すべてから集めてきたかのような異音が上がる。
死を集めた音。
『目覚めを与えぬ音を聴け。騒然たる鎮魂歌』
魔法。
俺は思い出す。
アイザック先生の鉄塊。アメリアの美しい炎。イケメンの荒々しい炎。
そのどれもが常識を壊していた。
今から行使されようとしているあの魔法。あれは今までのどれよりも危険だ。
あれが放たれれば、俺は確実に命を失う。
だったら負けている場合ではない。穿たれた脚に力を込める。
血が吹き出るが、それでは死なない。今動かないと、死ぬのだ。だったら、少し痛いくらい耐えてやる。
「舐めんなよ」
駆ける。
一歩目はフラついた。二歩目は倒れそうになった。
情けねえ。
だから三歩目にはしっかりと土を踏む。
「流石はアイザックを倒しただけあんなあああ! もう虚無を使えるなんてよお!」
「うるせえんだよ!」
穴が開いている腕。だが、そんなことは御構いなしに、俺は腕を振るう。
俺と女との距離はまだ離れている。
拳は届かない。
それでも、届くものはあった。腕を振るった衝撃で、俺の血液が飛び散った。
それは狙い違わず、相手の目に命中した。
「っ!」
「そこだあ!」
今度こそ、拳が命中した。俺が狙ったのは、女の手だった。相手の腕が上空へ向いたとき、魔法が空へと放たれた。
続けて、俺は左の拳を握る。腕にも穴は開けられていて、碌に使えない。それでも、俺は腕を鈍器として扱った。
顔面目掛けて打ち下ろす。
「いいねえ」
女は凶悪な笑みを浮かべた。俺の頭部への打撃は、むこうの頭突きによって相殺されたのだ。
女が再び踏む込み、右のフックを見舞った。故に、俺も再び女と拳を合わせる。
同じことは繰り返さない。
拳が激突した瞬間、俺は身を引く。それにより、女は身体のバランスを僅かに崩す。
顎を打ち抜いた。
女が目を白くさせ刹那の間意識を失う。それも束の間、女の指輪が光った。
「ストック消費!」
強烈な風が吹き、身体が飛ばされそうになる。いや、耐えきれずに吹き飛ばされた。
「アイト・オリザキッ!」
「ただじゃ済ませねえよ」
俺は女の髪を掴んでいた。俺が飛ばされるのにつれて、女の髪も数十本持っていく。
俺の抵抗はそこで終わった。意識が薄れていく。
「手加減していたとはいえ、俺相手に虚無状態でここまで粘るとはなああ。最高だな、お前」
女が何やら言っている。
「やっぱ決めた。アイト・オリザキ。お前、今日から俺の弟子だ」
ようこそ、と言葉を置いてから告げられる。
「アレイスト・アチカーが育てる七人の最高の弟子たち。その名も七最天へ、ようこそ」