二時間目
ガラガラと、眼鏡は当然のごとく、教室のドアを開いた。
それを機に、騒がしかった教室が声を失った。気まずい。
「おはよう、みんな! 今日はね、何とね、アイトくんが学校に来ているんだよ。ようやく、クラスメイトが集結したよ」
この空気の中、まるで水を得た魚のようなテンションなのは、眼鏡のみであった。
俺は眼鏡の鉄のメンタルを認めつつあった。めげるな、眼鏡。
「眼鏡。もう授業始まってるから、静かにしてくれないと、先生困るわ」
「すいません。嬉しくて、つい。あと、眼鏡じゃありません」
眼鏡が席に着いた。残された俺は、教室の一番後ろに立っている。居た堪れない。
「おう、来たか。オリザキ」
「ちょっと、すいませんけど、先生。一つ言いたいことがあるんです」
「自己紹介なら授業の後でやっとけ。一つ自己紹介のアドバイスするならな、好きなマスコットの顔真似はすんな。スベるぞ」
やったのだろうか。いや、流石に誰もそんなことしないだろう。それをこの教師はやったのだろうか? メンタルが凄いな。
「先生、ぼく、スベってません。あれはちょっとした事故です!」
「黙れ、眼鏡」
どうやら自己紹介でマスコットの顔真似をやったのは、眼鏡だったらしい。なるほど。それならあり得る。
俺の中の眼鏡がどんどんカオスになっていくな。性格はいいんだがなぁ。
と、眼鏡の話は別にいいんだよ。今大事なのは、俺がこの学校の生徒ではないということである。
「先生、実は俺、この学校の生徒じゃないかもしれないんです」
「その自己紹介も微妙だな。眼鏡よりはマシだが」
「嘘でも自己紹介でもありません。本当です。ほら、見てください」
俺は自身が纏う学ランの布を引っ張り、服を強調した。
「確かに、制服が違うな。じゃあ、あれだ。生徒手帳出してみろよ」
「えっと、これです」
俺が取り出したのは、緑色の生徒手帳だ。それを見て、先生は困った顔をする。
「用意周到だなぁ。確かに、それはうちの生徒手帳じゃねぇ」
「だから、俺は帰ります。いや、本当に訳わかんなくて申し訳ねぇ」
「帰るな。制服も生徒手帳も違うがな。お前はこのクラスの人間だよ」
「根拠は?」
「俺の手元には、クラス全員の名簿がある。その名簿には証明写真があるんだ」
「み、見間違えとか」
「この学校で黒髪は珍しいからなぁ。お前で間違いない。これ以上言わせるなら、ちょっと先生困るわ」
「す、すいません」
素直に謝っておく。貴重な授業時間を割いて貰ったのだから、当たり前ではあるが。
しかし、俺の入学はどうやら真実だったらしい。そのことに、ほっとする。
だが、それではどうして制服や生徒手帳が違ったのだろうか?
新たな疑問が浮かびつつ、俺は粛々と授業を受ける体勢に入っていった。
ここに問題が一つ発生した。端的に言えば、教科書がないのだ。
俺は入学式気分で学校に来たから、何も持ってきていない。筆箱くらいならあるが。
教師はそんな俺に構うことなく、ドンドンと板書を続ける。
「そもそも魔素を体内に吸入することによって、魔力が生まれるわけであるが」
なんて、教師は言うけど、魔素ってなんだ? 魔力って何?
専門の言葉なのか? 頭よい奴はみんな言っているのか。俺がおかしいのだろうか。
クラスメイトたちは当然だとでも言うように、板書を続けている。
せめて、せめて教科書が欲しい。魔素が何か書いてあるはずだ。
俺は意を決して、隣の席の人間に見せてもらうことを画策した。よくあるシチュエーションではないか。
日常の光景だ。
それなのに、俺の心は一歩を踏み出せない。理由は簡単だ。
今日初めてあったクラスメイトに、いきなり教科書見せて、なんて言って机を合わせる荒技、決められる自信がない。
右ストレートなら確実に決められるのだが。いや、相手は女だ。それはできないか。
つまり、何にもできないのだ。
そもそも、このクラスは俺にとって厄介なことこの上ない。俺以外、全員が外国の方らしいのだ。
見た目、日本人は俺だけだ。
まぁ、授業は日本語で進められているし、言葉が通じないことはなかろうが。
なんてことを考えながら、俺は隣の席の女子を見つめる。頑張れば、教科書を盗み見れるかもしれない。
折角学校に入ったのに、学力不足で辞めるなんてごめんである。意地でも、今日の範囲を理解してやる。
穴が空くほど、隣の席の教科書を眺めていると、女子が話しかけてきた。
「何かしら?」
「教科書、見たいんだ」
「持ってきていないの?」
「ああ」
「何のために来ているのかしら」
そう言い放って、女子は黒板へと目線を移した。どうやら教科書は見せて貰えないらしい。
そうだ。こうなると思ったから、俺は言えなかったのだ。
俺は何故か、入学式から今までの一ヶ月学校に現れず、急に二時間目から現れては、教科書も持たずに授業を受ける奴になっていた。
不良だ。かなりの不良だ。不良全盛期の俺でも、もっと良かった。記録更新である。
不良辞めた筈なのにな。
などと考えていると、授業が次のフェーズに移行しつつあった。
「ようし、じゃあ、今の基礎を組み合わせて火を起こしてもらう。やってみろ、アメリア」
「わかりましたわ」
そう素っ気なく答えたのは、隣の女子であった。当てられても、毎度わかりませんだった俺とは格が違うな。
この女子を見ていれば、もしかすると魔素がわかるかもしれない。
この学校に来てからというもの、俺はまだ一つも何かを得ていない。これでは母さんに悪い。
『神罰アメリア・エクシスが定めよう。火種は光を喰らいて、火炎となり、その火炎は優しく笑んだ。火炎はまるで意志を持つ。それはまるで意思を持つーー』
隣の女子ーーアメリアは、よくわからないことを長々と述べている。これが一体なんなのか、わかりはしないが心当たりがあった。
保健医アイザックが行使した謎の力と同じものだ。まさか、この世に本当に魔法があるのだろうか。
しばらくしてから、魔法の結果が生まれた。
アメリアの掌から、小さな炎が生まれたのだ。
クラスが静まり返る。そのすぐあと、クラスが拍手の渦に飲まれた。俺もよくわからずに、手を叩いた。
幻想的で、美しい炎だったのだ。まるで宝石細工のように輝いて、けれども嫌らしさのない、優しい炎。
俺は純粋に、見惚れてしまった。
「論外! 何だい、その弱い火は。それでは魚さえ炙れはしないよ。本当の魔法とは、ぼくのように大きなものを言うんだよ!」
クラス中が、アメリアの魔法に見惚れていた。ただ一人を除いて。その男は芝居掛かった動作で、クラスの注目を集めると、言葉を続けた。
「学年主席であるぼくと比べるのが、もう間違っているのかもしれないがね。だが、本当に論外だ」
それから、その男はアメリアの魔法が如何にダメだったかを語り始める。
威力が弱い。詠唱が長い。詠唱が退屈かつ非効率的。などなど。結構喋っていた。
「止めて欲しいね。他人の詠唱中は、魔力干渉で下手に動けないというのに。座って待っていたぼくの身にもなりなよ。アメリア嬢」
「おい、メイガス。授業の邪魔だ。ちょっと先生が困るわ。そもそもだなあ」
『紅蓮メイガス・メイザスが定めよう。炎は一つ刃と』
突然、メイガスとかいういけすかない男が詠唱を始めた。この男、顔はいいのに、性格が最悪である。ただの目立ちたがりだ。
「止めろ、メイガス! お前の魔法は教室で使うのには威力が高すぎる」
教師の制止を振り切るように、メイガスは詠唱を続ける。
彼は背後に数十の炎を従えて、悦に入っていた。
『どうだい? 見たか、この力』
「阿呆ですわね」
『今何と言った?』
「詠唱状態、解けていなくてよ」
アメリアの指摘と同時に、クラスが炎に飲まれた。いや、正確に表現するのならば、薙ぎ払われたと言うべきだろう。