かつて『明け色の絶海』は夢を見た
今日は十二話連続更新ですよ!
寝過ごして、今からスタートとなります。よろしくお願いします。
クロウリーに回復を任せて、俺は走り出した。もう俺は魔道具を持っていない。
魔法も使えない。
精々が魔石を一つ持っているだけだ。これで、果たして勝てるのだろうか。
そんな愚問は、頭の片隅にすら湧かなかった。
かつて会長と対峙した時のように、龍と対峙した時のように、俺の身体は軽かった。
全てが遅く見えていた。
脚を動かす。それだけで、普段の倍は前に進んだ。いける。
今、助けてやる。
お前らは理不尽と戦おうとした。結果が敗北だろうと関係ねえ。お前らが諦めてねえんだから、まだ勝機はある。
俺が一勝をもぎ取ってやる。お前らの愛に突き動かされて、勝ってやるよ。それはお前らの勝利だろう。
お前の心が、俺をここまで駆り立てた。
『明け色の絶海』はいた。
身体と少し離れた場所には水が渦巻いている。水の流れが、彼女を守護していた。
「リリネット、こっちは終わった。加わるぞ」
「了承なのです」
二人同時に踏み込んだ。
リリネットが小柄な体躯を自在に操り、体当たりを繰り出す。それは水に受け止められ、いなされる。
リリネットへ水の槍が向けられる。
俺は空中のリリネットを抱き締め、槍から救う。そして、俺を踏み台にして獣王が行く。
『明け色の絶海』の胸が真っ二つになる。
「我が水を受けて、ダメージを負わないとは」
「お父さん、気をつけて。この水、凄く熱い」
コンクリートに、水が落ちる。それだけで、コンクリートがジュウジュウと音を立てる。
『明け色の絶海』は、熱湯を生み出す魔法なのか。触れられれば耐えられない。
「『重圧の枷』は負けたのか。使えない、くだらない魔法だな」
「その口でそれ以上喋るな」
俺は更に近づく。触れられれば負ける? こちらが攻撃しない理由にはならない。
「なんだ、これは!」
『明け色の絶海』に蔦が絡み付く。ナイスサポートである。
踏み込み、顔面に拳骨を叩き込む。それでも、まだ終わらない。
相手の腹に蹴りを放つ。上体が前のめりになったところに、組んだ両手を振り下ろす。地面を向く『明け色の絶海』に魔石を解放した。
頭が消滅して、黒い球が見える。早い。リリネットが弱らせていたからだ。
「ないすなのですぅ」
重いリリネットの打撃が、『明け色の絶海』の崩壊を促す。
「花飾マテリアル、ストック消費」
リリネットの懐が僅かに輝く。よく見てみれば、それは花を模した髪飾りであった。
周囲に不可視の力場が構成される。リリネットは飛び去り、それを足場とする。
身を砲丸のように扱い、『明け色の絶海』をぶち抜く。
時に引っ掻き、時に噛み付き、蹴倒し、殴り飛ばす。
それに続くように、俺も拳を振るう。急ぐのだ。彼女を早く『明け色の絶海』から救いたい。
リリネットと俺、そしてお義父さんまでを交えて、『明け色の絶海』を殴打する。
渦巻く防御の水は、リリネットの打撃によって意味をなさない。逃げようにも、お義父さんの蔦がそれをさせない。
また、お義父さんは蔦を地面から生やし、それを使って『明け色の絶海』を殴りつけていた。更には爪での攻撃も加わる。
『明け色の絶海』による水の槍が俺の腕を掠める。熱と痛みが迸るが、彼の痛みと比べれば気にもならない。
「『明け色の絶海』は、終わっとけ!」
拳がどす黒い球に触れた。それを無理矢理に肉体から引き剥がし、握り潰そうとする。できない。
空へと放り投げた。
「リリネット!」
「任せるのです。『獣王リリネット・マーチベルクが定めよう。猛々しい百獣を我が元へ。誇りと驕りと愛情を持って迎え入れよう。その力、人には無き牙よ。爪たちよ。我が呼び声に応じて、ここに誕生せよ。人と獣の垣根なく、苦楽すら共にして。共に生物として生きていく。弱肉強食の理すら解きて、共生の時を歩む。我らは友なり。そして親子なり』
リリネットが両脚に力を込める。弓を引くかのように、研ぎ澄まされた精神と共に、リリネットが放たれた。
『百獣万化の王』
リリネットにふさふさの鬣が現れる。コートにはオゴストリアの毛が生い茂る。
リリネットの唇からは可愛らしい八重歯が覗いている。その顔には、獣を狩るオゴストリアが憑依しているかのようであった。
「ふっ!」
空中で何度も縦回転をして、その勢いを利用して球に踵落としを叩き込む。
球に亀裂が走る。
そこにリリネットの爪が突き立てられた。
ぱりん、と。ガラスが砕けるような音が響いた。
声が聞こえる。
私には大好きな人がいました。彼は少しだけ意地っ張りですけれど、それでも誰よりも優しい人でした。
私は最初、彼のことを知りませんでした。
ある日のことです。
私には日課がありました。それは校内をお散歩することです。そうすれば、自然と心は晴れ、気分が良くなります。
雪の日でした。
私が歩いていると、木の上に猫がいました。珍しいことです。
私は助けようと思いました。ですが、木登りなんてしたことがありません。
魔法を使えばいいのですが、私は目の前のことに必死で思いつきませんでした。木を登り始めました。
落ちました。
痛かったです。痛くて情けなくて、私はわんわん泣いてしまいました。
その場に仰向けになって、空を見上げてわんわん泣いていました。
雪が体に降り積もり、私は寒くて仕方がありません。そんな私を助けてくれたのが、彼でした。
彼は心配そうに私の手を取ると、余りもの冷たさで、小さく悲鳴を上げて手を離しました。私はまたこけました。
ですが、何かそれが面白くて、クスクスと笑いました。
彼はバツが悪そうに頭を掻くと、小さく詠唱を始めました。
魔力干渉で、動けなくなります。
暇な私は、そして見ました。
……慈愛の熱は、優しく貴方を包むでしょう。声はきっと歓喜に笑むよ。優しさ、尊さ、最上に。絶えることなく、微笑んだ。恵の水は何をも救うさ。
美しい詠唱でした。詠唱はキーワードさえ押さえていれば、後は好きにできます。とはいえ、無駄を無くすため、大体の人が同じ文言を唱えるのですが。
彼の詠唱は余りにも、人とは違いました。
優しくて、暖かい。
詩としては落第で、詠唱としても落第で。しかし、私の心には深く沁み渡りました。
初恋でした。
私は夢見たのです。こんな素敵な人と結婚できたら、どんなに幸せなのだろう、と。




