魔法
アイザック先生は俺を知らないという。それは当然であり、何ら不自然ではない。
また、彼の俺への警戒し具合も当然であると言える。
人を無駄に警戒させるのは趣味ではない。理由を素直に話そう。
「それなんだけどよ。あれだよ、なんて言うか。っと、ちげぇよな。年上には敬語だった」
俺は苦笑いを浮かべつつ、髪をゲシゲシと乱雑に撫でる。では、改めて、
「ちょっとした勘違いで、俺この学校に入れたと思ってたんです。間違ってここに来ちゃいまして」
「殺そう」
は? 今、この教師は何て言った? 殺す、と聞こえたんだが。
俺が聞き返すより早く、アイザック先生は行動を開始していた。
『天医アイザック・メリウヌが定めよう。空気は固まり鉄となり、鉄は集まり、それは愚者を罰する矢となろう』
「待ってください、アイザック先生! 殺すのはいくらなんでも」
眼鏡が慌てて静止しようとするが無駄だ。アイザック先生は片手を宙へ掲げると、そのまま言葉を続行した。
アイザック先生の纏う空気が変貌する。その空気の変貌は、一目見れば理解できた。
アイザック先生の一声によって、空気が形を持ったのだ。
巨大な鉄塊が、不意に出現した。
俺の脳内を疑問が駆け回り始める。急に鉄塊が現れ、その上、それが空中で静止している。
こんなことがあり得るのか?
『さあ、授けた力で、全てを穿て。罰する鉄塊の矢軍』
直後、俺の全身に強烈な怖気が走った。まるで、身体中をひっくり返されたような感覚だ。
このままでは死ぬ。殺される。それをすぐさま理解した。
俺は頭が悪い。だから、わからないことは全て後だ。今はともかく、生きることを考えろ。
それ故に、俺は迷わず前へ出た。
複数の鉄塊が、俺がいた場所に突き刺さる。絶望的な破砕音を背負いながらも、俺は跳ぶ。
目指すは、棒立ちの教師だ。
「舌噛むなよ!」
教師の顎へと容赦無い膝蹴りを叩き込む。教師はギョロリと目を見開いた。そのまま上半身を後方へと反らして、頭を床にぶつけて気絶した。
「す、凄いね。えぇっと、きみ」
「ああ」
そういえば、俺は眼鏡に名乗っていないのを思い出した。それは不便だったろう。
「折崎哀人だ」
「え? えぇ?」
「折崎哀人」
「うええええぇぇぇ! アイト!? もしかして、きみアイト・オリザキ?」
「なんだよ? まぁ、そうだが」
「きみがあの学校が始まってから一度も学校に来ていない、ぼくと同じ一年Aクラスのアイト・オリザキ?」
「あ? 学校が始まるも何も、入学式は今日だろう。てか、俺はここの生徒じゃねぇみたいだしよ」
「入学式は三月に終わったよ!」
俺が眼鏡と噛み合っていないと、アイザック先生がむくりと立ち上がった。早い。
「しまったああぁ! そうかそうか、きみがアイトくんかーー」
アイザック先生が喋ると、危険だということはさっき学習した。
俺は危険を排除するため、右の拳を放った。それは大当たりで、アイザック先生の鼻をへし折る。
勢いを消しきれずに、アイザック先生は後方へと吹き飛んだ。
「いくら何でも、復帰が早すぎる。あと五分は気絶してるだろ、普通はよ」
「甘く見て欲しくないね。ぼくはこれでも、魔道具使いだよ。そこらの魔法使いと比べないで欲しいな」
また、立ち上がっていた。
「魔道具? 魔法使い? あんた、何言ってんだよ」
「いやぁいや、すまなかったね。さあ、手はもう治した。授業に行きなさい」
アイザック先生は話を聞かない。
「ありがとうございました! ささ、アイトくんも行こう。授業という名の楽園へ」
眼鏡も頭がおかしいんじゃねぇか? 授業は楽園じゃねぇだろ。それにこいつ話を聞かないしな。
「今行けば二時間には間に合うよ。さ、行こうよ。授業へ」
「授業って書いてエデンって読むなよ」
ちょっと思っていたが、こいつは天然か? こいつのキャラがわかんねぇ。ただのお人好しではなさそうだが。
「行こう。もう手も治ったしね。アイザック先生、本当にありがとうございます」
「あん? 治るも何も、まだ何もおおお!?」
眼鏡に言われたので、手を見やると、そこには綺麗な俺の指が存在していた。
いや、俺は別に手限定のナルシストじゃねぇ。
綺麗さっぱり治っていたのだ。指が、動くのだ。
え、なにこれ、何で動くのこれ? 電池変えた?
錯乱する俺を尻目に、眼鏡が、折れていた方の手をぎゅっと握る。
「さぁさ、授業へレッツゴー」
「いや、止めろよ。お前が女ならともかく、止めろよ」
このまま、俺は眼鏡に押し切られて、二時間目に行くことになるのだろう。
けれども、俺はこの学校の生徒じゃなさそうなんだよな。
恥を掻くことになりそうだ。
「ようやく、クラスメイトが揃うね! 楽しみだなぁ」
「そんなにかよ?」
「ぼく、美化委員として誇らしいよ」
「クラス委員じゃねぇのかよ!」
かくして、俺の高校生活初の二時間目が始まろうとしていた訳である。