マギ・エンチャント
クロネ先輩は多量の汗を流していた。おそらく、話を聞きつけて、ずっと走って俺を捜していたのであろう。
汗だくである。
頬は上気して、ほんのりと赤に染まっている。髪は汗で濡れたようになり、着物は身体に張り付いている。
ちらりと見える胸元ははだけ、あまりにも無防備だ。
クロネ先輩は当然外国の方であるが、着物が実に似合っていた。その貧相な胸と整った顔立ちが原因だろう。美人は基本的には何を着ても美人なのだ。
「あの、聴いてくださいよ、クロネ先輩」
「いいさ。わかっている。貴様を倒せば、私はルベルトと結婚できる。そういうことだな」
「違うんですけど」
「どういうプロセスでそういう結果になったのかは知らない。いや、おそらくルベルトは貴様を気に入っているから、貴様に全権を委託したのだろう」
うんうん、とクロネ先輩は一人納得の御様子である。ふざけてるのだろうか。
「されてないです。多分、伝言ゲームのような形になって、間違って先輩に伝わってますよ」
「ふん、そう言って私を騙すつもりだろう」
「だから違うって」
「いい。わかる。ルベルトの伴侶たるもの、洞察力や推理力がなければ務まらん。それを試したのだろう?」
「いや、だからーー」
「聴け。もう全てわかってるんだ。だからさっさと始めよう」
この人、人の話は聞かないのに、自分の話は無理矢理聞かせるのかよ。
それに、この人、もうルベルト先輩のことをルベルトと呼ぶことに躊躇いを覚えていないぞ。
昨日の復興祭で何か進展があったのだろうか。
「行くぞ、アイト・オリザキ。我が目的の為に、その命、散らさせて貰う」
「なんでだよ! 殺すのかよ。やり過ぎだろう」
「安心しろ。殺す気でいくが、頑張れば死なない」
「どこに安心できる要素があんだよ!」
ここだ、と言って見せてきたのは、刀の峰の部分である。
「ここに当たれば、まあ、死なない?」
「疑問系はやめてください」
「まあ、今回の戦いで刀は使わないが」
クロネ先輩は刀を謎の空間にしまってしまった。今の会話は何の意味があるんだよ。茶番である。
「それに、だ。わたしは貴様の殺し方がわからない。どうやれば死ぬのか、見当もつかない」
確かに、俺は最悪首を落とされても復活できる。時間はかかるが。
一体、どういう条件で俺は殺されるのだろうか。
まあ、良い。ここの最善手は逃走である。
と、クロネ先輩に背を向けて、走り出そうとした時だった。俺は背後の光景に足を止めてしまった。
「私が無意味に無駄口を聞くとでも?」
「……正直、舐めてました」
俺の背後に広がっていたのは、クロネ先輩の世界であった。剣が既に地面を覆っていた。
剣の世界だ。
いつの間に、この空間を構築したのだろうか。スキルによって生み出したのだろうが、あまりにも恐ろしい。
俺に察知されずに、ここまでやってのけるとは。
背後へは逃げられない。自ら敵の陣地に侵入するようなものである。
であれば、何処へ行くべきか。
前しかない。
しかし、その前にはクロネ先輩が立ち塞がっている。逃げ場はない。
クロネ先輩などの領域を製作するタイプの魔法使いの弱点は、戦場が変わることである。
七最天ともあろう人間が、何の対策もしていないとは思えなかった。
「ちっ」
舌打ちと共に、俺は魔杖によるストックを消費した。俺の周囲に現れるのは、多量の火弾である。
炎の中級魔法だ。
ストックには限りがある。下級魔法ならばかなりの数をストックしておけるが、中級になるとその数は激減する。
『魔力をぶち込む』
周囲に漂う火弾の火力が一気に上昇した。その光景に俺はフランベを思い浮かべつつ、魔杖を振り下ろす。
炎の群れがクロネ先輩に襲いかかる。
先輩は一太刀で俺のストックを破ると、一心不乱にこちらへと駆けてきた。
俺はクロウリーを構えて、迎撃の姿勢に入る。すると、クロネ先輩の姿が掻き消えた。
次に現れた時、先輩は俺の懐にいた。
短剣が俺の腹に突き刺さる。
「スキル、猛毒」
体内に何かが侵入した。それは全身を駆け巡り始める。
クロネ先輩は短剣を離し、直後に地面から新たな剣を抜き取った。それで俺を斬りつけ、即座に反転した。
「スキル、強制転倒」
俺はその場に倒れてしまう。そこへとクロネ先輩は遠距離攻撃を仕掛けてくる。
「魔石解放」
防御魔法を貼り、俺は立ち上がってクロウリーに攻撃魔法をオーダーした。
痛む全身、身体を巡る不快感。
「クロネ先輩。もうやめましょう」
「やだ」
そう告げて、彼女は剣を振り抜いた。
クロウリーを打ち付けて、対抗しようとするが、剣は杖を透過して俺の腕を斬り裂いた。
血が舞うが構っている暇はなく、俺は反撃として蹴りを放つ。
それは無様な悪足掻きに過ぎない。
剣道の独特な歩法、摺り足でかわされてしまう。直後に、剣撃。
地面に刺さった剣を抜き、一太刀の度にそれを捨て去り、ストックを、スキルを、そして純粋な剣技を持って俺を攻め立てる。
俺は無数の傷を作りながらも、その時を待っていた。
この戦略は昔の俺にはできなかっただろう。
『業火に飲まれよ。終焉なる煉獄』
炎の最上級魔法が顕現する。
まるで世界全てが炎に包まれたかのように錯覚する程の巨大な業火。その色は紫であり、正に終焉の色をしていた。
その圧倒的かつ幻想的な炎に、俺はクロウリーを当てがった。
それだけで、クロネ先輩は何をするのか理解したのだろう。表情が引き攣っていた。
『魔力をぶち込む』
津波のようにして、終焉の炎が訪れた。
「スキル、転移!」
クロネ先輩が逃げたと同時に、俺もこの場から離脱する。リリネットのストックを使用して、地面を蹴りつけた。
どうにか逃げだせた。




