その拳、理不尽を覆す
立ち上がったのはよい。だが、このままではどうせ敗北してしまうに違いない。
敵の数が多すぎるのだ。
こういう喧嘩のときは、敵の大将を倒さなければならない。敵の大将であるイケメン野郎は、不快なことに最後方でふんぞり返っている。
どうにかして、あいつに近づく。その方法はないか。
俺一人では、あいつには近づけないのだ。再び、魔法の集中砲火を浴びせられるだけ。
そうか。
俺一人では不可能だが、俺は一人ではなかったのだ。
俺は眼鏡へ視線を飛ばした。
あいつはまだ敵に押さえつけられていた。
「頼む、眼鏡! 敵を一分でいいから足止めしてくれ」
「む、無理だ……よ」
眼鏡はこちらを申し訳なさそうに見てくる。無理を言っているのは百も承知だ。仮に一分稼げても、俺が負けて無意味になることもあるかもしれねぇ。
それでも、俺は頼み込んだ。
「頼むーーグリム!」
「……ずるいや。こんなときにだけ、呼ぶなんて。やるしかなくなるじゃないか」
グリムは雄叫びを上げて立ち上がろうとする。だが、彼の力では不可能だ。
「アイトくん! 行って。でも、ぼくは三分しか稼げないよ!」
一分だって不可能に近い筈なのに、眼鏡は堂々と宣言した。
やっぱすげえよ、お前。
俺の頼みの三倍をいくつもりかよ。
「任せたぜ、グリム!」
返事はなかった。だが、陳腐な台詞よりも頼り甲斐のある、猛々しい詠唱が始まった。
『グリム・グレイムが定めよう。常世に落ちるは常闇の幕、全てを覆い隠さば、盲目の悪魔が再ーー』
後ろはグリムに任せて、ようやく俺はイケメン野郎と対峙した。
誰かに背中を預けるなんてことは初めてだったが、存外悪い気はしない。
ただただ目の前の理不尽に、真っ直ぐな怒りをぶつける。
「生意気な目だね、貧民」
「なぁ、メイガス。てめえは一体何なんだよ」
「ふ、愚問だね。ぼくは紅蓮メイガス・メイザス。貴族メイザス家の長男にして、学年主席の天才」
「それで?」
「この世の全てはぼくのモノだ。そんなこともわからないのか? ぼくはきみとは違って、成功しかできないんだよ! 邪魔をするな」
「アメリアは泣いていたぞ」
「ふふん、最高じゃないか。あの生意気な女が、とうとうぼくのものになった」
「てめえはアメリアを何だとーー」
「装飾品さ。いや、戦利品かな? 良いものは、全てぼくが持つべきものだ」
こいつの精神は明らかに歪んでいる。全てを自分のものにしないと気が済まない。
自身がどれだけ傲慢で、どれだけ理不尽なことをしようとしているのかに気が付いていない。
俺はいよいよ我慢する必要もなくなった。こういう馬鹿に、言葉は無意味だ。
暴力は何も解決してくれないかもしれない。だが、今、こいつを止めることはできるのだ。二度と、こいつがアメリアに手出ししないように、俺の友達をこけにしねぇように。
あいつをぶっ飛ばす!
折崎哀人はお世辞にも、気が長いとは言えない。そんなこと、誰だって知ってやがる。
少なくとも、中学まではそうだった。
でもな、俺だって、怒りたくて怒っていたわけじゃねぇ。
今まで、赤ん坊の頃から今まで、俺は一度だって理不尽な理由でキレたことはねぇんだ。その つもりだ。
だから、これは正当な怒りだ。
「さぁ、貧民くん。ぼくを侮辱した罪は償ってもらうよ? その命で」
目の前のいけすかねぇ面してるイケメン野郎。こいつだけは許さねぇ。
女泣かしておいて、何だよ、その飄々とした顔は。
『紅蓮メイガス・メイザスが定めよう。炎は一つの刃となりーー』
「な、何て詠唱の早さだ! あれじゃあ、打ち負ける。アイトくんじゃ、無抵抗でやられる!」
いつ間にか取り押さえられたらしいグリムが、呻くように叫んだ。
早い? うっせぇよ、眼鏡。
確かに、魔法とかいうのなら、早い方なのかもしんねぇ。でもな、これは喧嘩だ。
イケメン野郎の背後に、数十の火が上がる。そして、それが野郎の命令一つで剣の形を取った。
これが魔法。
俺にはない力。
「終わりだよ、貧民くん。詠唱の第一段階さえクリアできないなんて、論外だよ。遅すぎーー」
土を踏む。一息でイケメン野郎に近づくと、奴の顔が真っ青に染まった。
何を驚く必要がある?
「確かに、てめえの魔法は凄ぇのかもしんねぇ。でもよ、これは俺の喧嘩だ」
「どうし、て」
拳を振り上げた。
「俺の喧嘩じゃあ、てめえの魔法は千歩遅いと言ってんだよ!」
拳がイケメンの顔面を捉えた。
まだ終わりじゃない。むしろ、これからだろうが。
腰を捻り、拳に更に力を込める。どんな理不尽だろうと真っ向からぶっ潰せるような力を得る為に。
振り抜く。
「あがっ!」
ぶっ飛ぶイケメン野郎。野郎は地面を無様に転がる。それによって勢いが止まり、地面に倒れた。
「立てよ。俺もグリムも立っただろうが。貴族様は、その程度で泣き寝入りか?」
「く、そ。どうして、どうして詠唱中に動ける!?」
イケメン野郎に迫る。俺の拳には、イケメン野郎の血液が滴っていた。
「どうして花壇をめちゃくちゃにした?」
「アメリアがぼくに逆らうからだ」
どうにか立ち上がったイケメン野郎の腹に、拳をぶち込む。再び倒れるイケメン野郎に、俺は問う。
「どうしてアメリアを泣かせた?」
「し、知らない! 彼女が勝手に泣いただけだ! ぼくは悪くない」
「立て」
「止めろぉ! ぼくを誰だと思っている? あのメイガスーー」
「御託はいいんだよ。貴族? 金持ち? 学年主席? 関係ねぇよ。お前はお前だ」
誰だろうと、やっていいことと悪いことがある。俺は一応ではあるが、イケメン野郎の気持ちも少しだけわかる。
アメリアは生意気だ。それに彼女は口が悪い。かなり悪い。
イラつくことも、怒ることも理解はできる。だがよ?
「あいつは人を捨ててねえ」
俺はアメリアを知っている。彼女がきちんと感情を持ち、きちんと笑うことを知っている。
彼女がドジであることも知っている。
だからわかるのだ。あいつは不器用なだけなのだと。
俺はメイガス・メイザスを知らない。
こいつは自分が上に立つために、新入りである俺を馬鹿にした。それはよい。
こいつは気に食わないという理由でグリムをクラスから孤立させた。
こいつはアメリアがよい女だと思って手を出そうとして、振られたから、彼女の大事なものを壊した。
もしかすると、こいつもただ不器用なだけなのかもしれねぇ。
けれど、こいつは己が働いた理不尽を贖わなければならない。
こいつに自覚させてやる。
てめえが何をしたのかを。
「てめえが幾ら凄かろうが、俺の友達を傷付けたのには変わりねぇんだよ。早く立て」
「ぼくは、ぼくは」
こいつの鍍金は剥がされた。
貴族だから何をしてもよい。学年主席だから何をしてもよい。顔が良いから何をしてもよい。
そんな理不尽、俺が拳でぶち抜いた。
フラつきながらも、イケメン野郎が立ち上がる。危なげな足取りで俺に接近すると、そのまま拳を振り上げた。
放たれた拳を、俺は掴んで止めた。
状況が膠着する。イケメン野郎は、俺に殴られたせいもあるだろうがーー充血するほど目をひん剥いて折角の顔を台無しにしている。
口からはだらしなくよだれが垂れている。それに鼻血も止まっていない。
「アイト!」
「メイガス!」
同時に頭突きが炸裂しあった。衝撃に身体が揺れる。だが、まだ甘い。
「メ、メイガスくん!? お前ら、魔法だ! メイガスくんが負けたら」
メイガスの舎弟が号令を掛けて、魔法の準備を始める。今撃ったら、イケメン野郎も巻き添えになるかもしれないのにな。
所詮、こんなものだ。舎弟共は、メイガスの甘い汁を吸うことに必死で、誰もこいつのことなんか見ちゃいねぇ。
『火撃の魔弾』
舎弟の一人が完成させた魔法が放たれる。ーーイケメン野郎も巻き添えにするコースで。
俺は回避することを諦めて、イケメン野郎を庇うために奴の前に出た。
イケメン野郎が顔全体で驚愕を表す。
そのとき、風が吹いた。




