涙と開戦
凄惨とも言える光景を目の当たりにして、俺は半ば放心していた。これは自然現象などではない。それに獣などによるモノでもなさそうである。
ただわかるのは、誰かが悪意を持って、こんな最悪の行為に及んだということだけである。
無意識のうちに、拳が硬く握り締められていた。俺の全身を憤怒が支配していく。
アメリアは、この花壇が好きだった。何に対しても無表情を貫く彼女を微笑ませる程に。
あの笑顔は何よりも素敵だと、そう素直に思った。つまり、この破壊行為は、彼女の笑顔を壊したと同義なのである。
怒らない筈がなかった。
「アイトくん。まずはどうにかしよう。種だって、まだ間に合うかもしれないよ。レンガも片付けないと危ないし」
「ああ。そうだな」
悲惨な土をできるだけ整えて、無事な種を探し始めた。だが、どれだけ土を弄ろうと、そこには種などなかった。
踏み砕かれた種は数個発見した。
あまりにも、悪質だ。何が目的なのかさえ、俺にはわからない。
俺はただ土を弄ることしかできなかった。
「ぼくはレンガを片付ける為に、袋か何かを貰ってくるよ」
「すまんな」
「気にしないでよ」
沈んだ声で眼鏡が言う。誰よりも和を尊ぶ眼鏡だからこそ、こういうことを見るのは辛いだろう。こんな光景を見せてしまったことに、罪悪感を覚えてしまう。
眼鏡が行ってからも、俺は作業を続けていた。夢中になって土を見ていたから、気がつくのが遅れた。
「それは何ですの?」
アメリア・エクシスが、俺の背後に立っていたのだった。ぎょっとした。
彼女の声は何時ものように平坦で、何時ものように冷酷さのようなものが含まれていた。ただ、今はそれに震えが加えられていた。
「これはーーっ!」
出かけていた言葉が詰まった。俺は振り返って、そして見てしまったのだった。
瞳いっぱいに涙を溢れさせるアメリアの顔を。気丈に泣き出すのを堪えようと、ぎゅっと握られた手を。
俺は後悔した。
俺が彼女に魔法の使い方など教わろうとしなければ、もしかするとこの惨劇は防げたのではなかろうか、と。
俺に時間を割いている間に、こんなことになったのだから。頼まなければ、こんなことにはならなかったかもしれないのだ。
そして、もう一つ、悔やんだのだ。
彼女が如何に無表情であろうと、如何に冷静であろうと、冷酷であろうと、感情がないわけではない。
忘れていたのだ。わかっていたのに。
彼女が幾ら凄かろうと、俺と同い年の女の子だという事実。
アメリアが踵を返して、走り去ってしまう。彼女の背中に、俺は何も声をかけられなかった。
呆然と突っ立っていると、今度はまた違う誰かから声をかけられた。
不快な声だった。
「ふはは、どうしたんだい貧民。手に土何か付けてさ。よく似合っているよ」
「……メイガス」
「呼び捨てにするな。礼儀も知らないのかい」
「何の用だ?」
「はっ! きみの無様な姿が見たくてね?」
「その言葉。これはお前がやったのか?」
「ぼくじゃないよ。ぼくが土なんか触るわけがないじゃないか。クラスメイトに頼んだのさ」
イケメン野郎の後ろには、クラスメイトたちが勢揃いしていた。
全員が、俺を見ている。
「随分、無様だけれども、大丈夫かい?」
イケメン野郎の台詞を聞いて、五人のクラスメイトが下衆な笑い声を上げた。あの五人はイケメン野郎の舎弟か?
他のクラスメイトたちは、気まずそうにしていた。
「ねぇ、貧民くん。ぼくは寛容だ。だから、きみが土下座するのならば、許してあげるよ」
「俺が謝ることはねぇ。てめえがアメリアに謝りやがれ」
「生意気な。いや、じゃあいいよ。謝らなくても結構だ」
イケメン野郎は突然、意見をひっくり返す。いやらしい表情で、言葉を続ける。
「こうしようよ。このゴミみたいな花壇を壊したのは、きみということにしないか?」
「何を言ってやがる」
「アメリア嬢はきみを恨むだろう。憎むだろう。クラス唯一の友人に裏切られたのだからね。そんな傷心している彼女を、ぼくが助けてあげる」
それでアメリアを惚れさせようという考えか? ふざけるな。
「いい加減にしろ、メイガス」
「文句があるとでも?」
「ああ、早くアメリアに謝りに行け」
イケメン野郎は、強く地面を蹴りつけた。歯をむき出しにして、怒りを剥き出しにして、あいつは叫んだ。
「うるさいぞ、貧民! お前如きが、ぼくに楯突くな! 殺すぞ」
「話になんねぇな」
「ぼくを敵に回して、ただで済むと思うなよ。クラスメイト全員を敵に回すということだぞ」
クラスメイト全員が、俺に敵意の視線を向けた。だが、こっちが一人だろうと、関係ねぇ。俺はもう我慢できねぇ。
例えば相手が百人居ようが、構いはしない。
クラスメイト全員殴り飛ばして、全員でアメリアに土下座させてやる。
俺が一歩踏み出した。
すると、
「クラスメイト全員?」
イケメン野郎の後ろの方から、聞きなれた声がした。普段の温厚そうな声音は消え、そこには明確な怒りが隠されている。
「違うよ。ぼくがアイトくんにつくから」
眼鏡が現れた。
眼鏡はイケメン野郎の啖呵を物ともせずに、奴の脇を抜けて、俺の隣へやってくる。
「正直言うとね、ぼくも怒ってるんだよ。メイガスくん。きみはやり過ぎた」
「はっ! 家柄だけのグリム・グレイムくんが何を言っているんだか? きみのような雑魚、はなから数に入れちゃあいないよ」
イケメン野郎は何を言っているんだ? 雑魚? こいつがか?
クラスメイトを団結させようと必死に頑張っていたこいつが。クラスメイトから敵意を持たれても立ち向かうこいつが。
雑魚な訳がねぇだろうが。
「おい、イケメン野郎。お前の仲間は高々クラスメイト全員だって? 少ねぇよ。たった三十人くらいだろ」
「負け惜しみを」
俺は眼鏡の肩に手回して、はっきりと告げた。
「俺にはこいつがいる。こいつがいれば百人力だ」
もういいだろう。俺は短気なんだよ。そろそろ我慢するのも限界である。
さあーー喧嘩の時間だ。




