不明
「まだ名前、思い出さねえのか?」
名前不明者を引き連れて、俺は一年の元へと向かっていた。果たして、一年に記憶を回復させる魔法が使えるのかは定かではないが、連れて行かないよりはマシであろう。
回復のプロフェッショナルであるのだから、ある程度は任せても良い。
「まだ思い出せません」
名前不明者は端的にそう答えた。
俺は記憶喪失に詳しくないからなんとも言えないが、自身の名前すら忘却してしまうというのは、中々の重症なのではなかろうか。
不安である。
「てか、お前、他に怪我とかねえのかよ」
「ないです?」
「何故、疑問系?」
彼女の歩みに迷いも淀みもない。無事なのだろうが、心配でもある。
「もう少しで着くから、もしきつかったらいつでも言えよ」
「ボクは疲労しませんから」
そう言って、彼女は歩く。
俺はまだ魔人に成り立てで、身体を十全には操れていない。だから歩調も結構な速度に及んでいる。
彼女はそれに息も切らさずに付いてくるのだ。
……少しだけムキになってきた。
俺もだが、名前不明者がムキになってきた。俺を抜かそうと、足の回転速度を速めてきた。
俺を抜いたら、一年の場所に行けないことを理解しているのだろうか。
ともかく、俺は七最天として、魔人として、道案内人として、こいつに速度で負ける訳にはいかない。
半分走るような調子で、歩調を速めた。
それでも向こうは一向に速度を落とさずに、俺に追いついてくる。若干、息は上がってきているようだ。
怪我もしていないようだし、問題はないだろう。
想像以上の速さで、一年の元に辿り着いた。
彼女は急拵えのテントの中で、何度も詠唱を繰り返していた。
一年の回復能力は本物で、あっさりと重症者の命を救い出す。
テントの中には、もう急患はいないようである。もう後は行方不明者がお世話になるかどうか、というところであろう。
「悪い、一年。今、大丈夫か?」
「な、な何でしょう、か。哀人さまの為なら、急患をはい排除して、でも時間を……」
「そこまではしなくていい!」
物騒な奴だ。
俺は半分呆れながら、一年に用件を伝えた。記憶を回復できるか、という俺の無茶振りに対して、一年は首を振るった。
縦に、である。
駄目元でお願いしたのに、あっさりと通って驚かされる。
魔法って凄いんだな、と改めて思い知らされた気分である。
「じゃあ、こいつの記憶を戻してくれるか?」
「い、ぃいいんですか?」
「何が?」
「その女、昔哀人さまが乱暴した女では?」
「はあ!?」
焦燥感に背中を押されて、烈火の勢いで名前不明者へと振り返る。
彼女は顔面を蒼白にして、己の身体をペタペタと触っていた。
「信じてたのに。……嘘」
「一年! 嘘吐くなよ!」
いひひ、と一年が嗤う。心を幸せで蕩したような口調で、俺へと謝罪した。
「嘘です。け、けけけど、思い出さない方が幸せなことも……あります、よ?」
一年が随分と真っ当なことを言う。けれども、だ。
それを決めていいのは俺たちではない。
「治してやれ」
「は、ははいぃぃ。貴方の雌豚が余計な口出しをしましたぁ」
そのようなことを喚きながら、一年はその場に跪いた。そのまま、顔を地面にくっつけるようにして、俺に許しを請う。
テントの中で横になって休んでいた男子は目を剥いた。やがて意識を覚醒させると、俺を親の仇と間違っているのか、やたらと凄んできた。
睨み返す。
勝った。
「うわあ」
名前不明者がドン引きをして、俺から距離を取る。
「違う。誤解だ」
「誤解? 美少女を跪かせる目つきの悪い男……これはもう」
俺は確かに元不良だ。その雰囲気は未だに払拭できていない。しかし、これは言い掛かりである。
一年が己の性癖からくる欲求を満たしたいが為の欺瞞である。
「もういい! 後で幾らでも付き合ってやるから、先に治療してやれ」
「つ、付き合う!」
「そこだけ取るな」
「や、やるから!」
「何をだよ!?」
だから一部分だけを取るなよ。
なんやかんやで、一年も仕事には真面目に挑む。詠唱を開始した。
『愛寵一年五十鈴が定めよう。我が呼び声に呼応して、想起せよ。忘却された過去を覗き込め』
詠唱をしている時の一年は凛々しい。
普段のだらしなく、自信なさ気な表情が一変。誇り高く、華麗な大和撫子に変わるのだ。
黒の長髪が、彼女自身の強大な魔力の影響で風に乗って揺れる。
そうして、魔法が発動した。
名前不明者の頭に、光の輪がはまる。それが徐々に彼女の頭を締め付けて行って、そのまま頭の中に溶けるようにして消えた。
「で、どうだ? 思い出したか?」
「……いえ。何も」
「本当か?」
「お父さんがいたことくらいしか、わかりません」
一年が魔法を間違えたとは思えない。また、その効果がなかったとも考えられない。
可能性としては、名前不明者が嘘を吐いている、というのが最も高い。
けれども、どうしてだ。
アメリアが疑っていた通り、こいつは使い魔の残党なのだろうか。
ゾロア先輩ならば、この名前不明者が使い魔かどうか判断できるかもしれない。
彼は一度、使い魔側の魔王だったからだ。
次はゾロア先輩の元へ向かおう。




