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馬(絶不調) 前編

 桜色の風が靡く季節。

 教室の真ん中からやや後ろの席に、その少女はいた。

 少女は祈るかのように机で両手を組み、前はほとんど見ていない。

 教師や生徒の声も、ほとんど頭に届いていない。

 少女の頭は、今の状況を打開するための案を練る事で一杯だった。

 入学式後のオリエンテーションごときの為に、ここまで悩まされると誰が思うだろうか。

 もう間もなく、自分の順番が回ってくる。

 急く必要性は理解しているが、焦るほど頭が動かなくなる事も同様だ。

「はい、次の人、前に出てきて下さーい」

 少女は、若い女教師の……不愉快な肉を二つぶら下げた若い女教師の声が、自分に向けられている事を悟った。

 やむを得ず、少女は席を立ち、黒板の前へ向かう。

 身長は並より若干高い程度。腰の位置の高さは密かな自慢だ。

 髪は腰まで伸ばした縦ロール。いざ自分で巻くと面倒極まりない。

 そして胸にはなだらかな膨らみ。日本人であれば、この位が最も美しいはずだ。

 見られる事を意識して用意はしてきたが、クラスメイトの視線が、まるで針のように刺さる。

 普段の自分ならば、この程度の人数に物怖じなどしない。

 しかし今は、今だけは、誰とも目を合わせたくない。

 そんな内心を見抜かれないために、敢えて胸を張って正面を見る。

 その代わり、少しだけ歩幅を狭くし、可能な限り時間を稼いだ。

 その結果、少女が出した結論は――

「じゃあ、黒板に名前を書いて、自己紹介して下さい」

「はい」

 ――『なるようになれ』である。

 少女は白いチョークを持ち、黒板に自分の名前を書き殴った。

 その気になれば、ここでも時間稼ぎは出来ただろう。

 しかし、一度決めた以上、悩むだけ時間の無駄である。

 所詮はクラスの自己紹介。堂々と構えればどうという事はない。

 名前を書き終え、少女はクラスメイトの方へと振り向く。

 目に映るのは、尻尾や羽、人間の物ではない耳、脚、身体を持つ人……と呼んで良いのかも分からない集団。

 それらに臆することなく、少女は声高に言い放った。

「あたしは西口にしぐち璃朋りほ。この亜人学級唯一の人間……そして、西口財閥の当主になる女よ!」

 その瞬間、女教師が血相を変えて璃朋の腕を掴んだ。

「ちょっと、何すんのよ!?」

「み、皆さん! 少しだけこのまま待ってて下さい!」

 抵抗する暇すら貰えず、教室の外へ連れ出され、階段を降り、踊り場に辿り着いた。

 立ち止まったところを見計らい、璃朋は手を振りほどく。

「アンタねぇ、連れ出すならせめてもう少し丁寧にしなさいよ! これだから無意味に胸のデカい女は……」

「西口さん! 財閥の御令嬢である事は秘密じゃないんですか!?」

「あ……あー、そんな話もあったわね」

 女教師に言われ、ようやく璃朋は思い出す事が出来た。

 自分がこの彩樫学園に入学する前に、両親から課せられた様々な制約。

 その一つが、自分の出自を他人に知られてはならないというものだ。

 この学園内でそれを知っているのは、一部の教師だけ。

 目の前にいる女教師は、そのうちの一人である。

「でも仕方ないでしょ! あんなゲテモノの群れ相手に初見で冷静になれるわけないじゃない!」

「それを言い出したら、私なんて今日からあの子達の担任ですよ!? 正直今も心臓バクバクしてますからね!?」

「はぁ? アンタここの教師でしょ!? アンタまでビビってどうすんのよ!」

「それはそうなんですけど……私だって、選べるなら他の学校や他のクラスを受け持ちたいですよ」

 璃朋に言い寄られ、女教師はやや控えめに呟いた。

「でも仕方ありません。片っ端から採用試験受けて、唯一通ったのがここだったんですから……。

後から知って驚きましたよ。ここが亜人を受け入れている学校だったなんて。

……というより、あんなファンタジーな人達が実在している事すら知りませんでした」

「あたしだって、化け物が通う学校に通うとも、化け物しかいないクラスに入れられるとも思わなかったわよ。

しかも、こんな所に入る為に、せっかく合格した第一希望を蹴らされたのよ。

分家の娘が成り上がろうってのに、高校如きで躓いてなんていられないのに……」

 少し熱くなっていた頭が冷え、璃朋は先月の事を思い出していた。

 新しい生活に向けて準備を進めていた矢先の、突然の宣告。

 自分の与り知らぬ所で、知らない土地の、知らない高校への進学を余儀なくされてしまった。

 ずっと暮らしてきた屋敷からも引き離され、引っ越した先でも様々な事が起きたのだが、詳細は別のお話。

「でも、あたしは諦めてなんていないわ。たとえ遠回りになっても、ゴールは当主の椅子よ」

「その強さは、教師として見習わないといけませんね……そろそろ戻りましょうか」

「そうね。まあ、外の空気を吸えた事には感謝するわ」

 女教師に促され、璃朋は教室へと戻っていく。

「ところで、私は『アンタ』ではありませんよ。ちゃんと黒栖くろす先生って呼んで下さい」

「はいはい。心配しなくても、胸と名前を一致させるのは得意な方よ」

「胸!? 顔じゃなくてですか!?」



 教室へ戻り、自己紹介の続きが始まった。

「じゃあ、西口さんに何か訊きたい人ー?」

 黒栖が呼びかけると、多くの手が上がった。

 中には、人のものとは思えない手もあるが。

灘波なんば紗々美(ささみ )さん、どうぞ」

 黒栖が指名し、紗々美が席を立つ。

 上半身こそ普通の人間だが、スカートから出ている下半身は、大蛇のそれだ。

「何で人間やのに亜人学級におるん?」

 予想とは異なる質問に、璃朋は安堵した。

 財閥の名を口にしてしまったから、その事について尋ねられると思っていたのだ。

 やはり、亜人学級に人間がいる事の方が気になるらしい。

「そんなの、あたしが訊きたいくらいよ」

「西口さんは、えーと、その……ちょっと訳ありでして。

一般学級が定員になった後で入学が決まったので、定員割れしていた亜人学級に入って貰ったんです」

 一言で切り捨てた璃朋に代わり、黒栖が説明する。

「ふーん……まあ、ウチはオモロかったら亜人も人間も気にせぇへんさかい。これも何かの縁やろし、あんじょう頼むで」

 紗々美は笑顔で質問を終えた。

 どうやら、悍ましい見た目の割には寛大な性格のようだ。

「亜人学級に一人紛れ込んだ人間の少女……良いわぁ、薄い本が厚く……ぐふふふふ」

新堂しんどう萌絵もえさん、言いたい事があるなら手を上げて下さい」

「はぁい」

 黒栖に注意され、萌絵が手を上げた。

 一見普通の人にも見えるが、身体は血が通っていないかのように真っ白で、手や太ももには大きな縫合の痕が随所に見られる。

「はい、新堂さん」

 指名されると、萌絵はゆらりと立ち上がる。

 先程の気味の悪い独り言からして、璃朋は嫌な予感を感じていた。

「おっぱい触っても良い?」

「な……な!? 良いわけないでしょ! アンタ頭腐ってんじゃないの!?」

 そして、それは予想以上の形で当たってしまう。

 思わず両手で胸を覆い、罵声を浴びせる璃朋。

 しかし、萌絵は全く応えていないようだ。

「ご名答~。私はゾンビだから、身体も頭も腐りかけよぉ。

本能のままに気に入った子を萌え萌えするのが趣味だから、よろしくねぇ」

「何か『よろしく』よ!? 本能なら何やっても許されると思ってんじゃないわよ!」

「ぶ~ケチ~。『無い胸は触れぬ』って事ぉ?」

 その瞬間、璃朋の時間が刹那だけ止まる。

 最初は『無い袖は振れぬ』を言い間違えたのだと思った。

 しかし、この耳は間違いなく聞いた。

 この西口璃朋という人間が、決して許す事の出来ない言葉を。

「だ……だだだだだ、誰の胸が無いですってぇッ!?」

 初対面で禁忌に触れられ、璃朋は一気にヒートアップした。

 そのまま掴み掛ろうとする璃朋を、黒栖がどうにか引き留める。

「お、落ち着いて下さい西口さん! 登校初日から校内暴力は良くないです!」

「離して! どいつもこいつも大きさだけであたしの美乳を鼻で笑ってんじゃないわよ!

形と色なら絶対アンタ達なんかに負けないから! 何なら今ここで見せてあげたって……」

「誰かぁあああッ! 次の質問して下さいぃいいいッ!」

 自分のセーラー服に手をかける璃朋を必死に抑えながら、黒栖は叫んだ。

 真っ先に立ち上がったのは、スカートから下が馬の下半身になっている少女だった。

 焦っているためか、何度か口をパクパクと動かす。

「え、えっと……何部に入る予定ですか!?」

「ほら、西口さん、次の質問ですよ! 新堂さんには後でキツーく言っておきますから」

 黒栖に説得され、流石に熱が冷めてしまった。

 やむを得ず、璃朋は手を降ろす。

「これはこれで、美味しいシチュエーションだったのにぃ……先生のいけず~」

 新堂が何か呟いていたが、構っても疲れるだけなので、無視する事にした。

「これでも、中学では馬術部に所属していたの。だから、ここでも馬術部に入るつもりよ」

「あ、あのー、西口さん。非常に残念なお知らせがあるのですが……」

 平静を取り戻した璃朋に対して、黒栖がとても言い辛そうに切り出した。

「うちには馬術部はありません……」

「な……何ですってぇえええええええええええええええええええッ!?」

 璃朋の絶叫が、春風に乗ってどこまでも飛んでいく。



 馬術部が無いという衝撃の事実から数時間後。

 オリエンテーションも終わり、璃朋は荷物をまとめていた。

 部活の事は、ひとまず後で考える事にしよう。

 とにかく、今日は異形に囲まれて疲れてしまった。

「あ、あの!」

 声をかけられて振り向くと、そこには一人の少女がいた。

 件の質問をした、下半身が馬の少女である。

 馬の部分はそれほど大きくはなく、人が乗れるポニー程度。

 短めに揃えた髪と、白い鉢巻、そして、大きい二つの肉塊が璃朋の目を引く。

「アンタは……誰だっけ?」

「お……押忍! 自分、青野あおの万里まりっす!」

 璃朋が尋ねると、万里はどこかぎこちない口調で答えた。

「自分は、西口さんにお願いがあるっす!」

「お願い? 初対面のあたしに?」

 鞄に荷物をしまいながら、万里の言葉に反応する。

「押忍! 自分、陸上部に入部希望っす!」

「……それで?」

「自分、これから入部届を出しにいくっす!」

「……だから?」

「一人で行くのは心細いから、一緒に来て欲しいっす!」

「……帰る」

 話を聞いた時間すら無駄に思え、璃朋は出口へ向かった。

「えぇッ!? そ、そんな事言わないで下さいよー!」

「それが素なのね……」

 涙目の万里に、出口へ回り込まれてしまう。

 更に、謀らずも、ぎこちない体育会系の言葉遣いを看破してしまった。

 どうやら、感情が大きく揺れると口調を維持出来ないようだ。

「入部届一枚出すのに、何であたしまで付き合わないといけないのよ?」

「押忍! 陸上部は人間しか所属していないらしいっす! 亜人の自分が出すのは抵抗があるっす!」

「言葉遣いの割にはナイーブねアンタ……」

 万里の弱気な発言に、璃朋はため息を吐く。

 体育会系の上下関係の煩わしさは、馬術部で散々味わわされた。

 自分の意思を貫き通すだけの気概が無ければ、先輩に振り回されて終わってしまう。

 亜人の気持ちを理解する事は出来ないが、この程度で随伴者を求めていては、気概には程遠そうである。

「押忍! 運動部でやっていくために、一昨日からこの言葉遣いを始めたっす!」

「あー、通りで不自然だと思ったわ。全く脈絡の無い『押忍』とか」

「押忍! 『口でクソ垂れる前か後に“押忍”と言え』と通販で買った教材に書いてたっす!」

「教材!? 逆に見てみたいわね……」

 明らかに怪しい教材だが、本人が特に困っていないようなので、触れない事にした。

「とにかく、あたしにとって何の利益にもならないのに、アンタのお使いに付き合ってなんていられないわ」

「押忍! ちゃんと西口さんへのお礼は考えてあるっす!」

「あたしへのお礼? 一体何よ?」

「自分はケンタウロス……下半身が馬っす!」

「見れば分かるわよ」

「西口さんは馬術部に入りたいと聞いたっす!」

「アンタが訊いたんでしょ」

「入部届を出したら、自分の背中に乗せてあげるっす!」

「……帰る」

 予想の斜め下を突き抜ける特典に、璃朋は一気に精神を削がれてしまった。

「あれ!? 何がダメなんですか!?」

 万里を避けて出口を通ろうとするが、やはり阻まれてしまう。

「あたしが乗ってたのは、もっと大きな馬よ。ポニーじゃ代わりにならないわ」

「うぅ……ごめんなさい。うちの家系、代々小柄で……」

 璃朋が指摘すると、万里は申し訳なさそうに呟いた。

 小柄を自称する割には、走るのに邪魔そうなものが二つもぶら下がっているのが、尚腹立たしい。

 これ以上関わる理由も無いし、さっさと帰ろう。

 そう思って前進しようとした璃朋であったが、ふと思い留まった。

 今の自分は、亜人学級で唯一の人間という、モンスターに囲まれたRPGの主人公の様な状態。

 その辺の人間を敵に回す事は怖くも何ともないが、彼女達は余りにもイレギュラーな存在だ。

 財閥の長たるもの、世渡り上手でなければならない。

 この『馬の骨』を味方に引き入れてみるのも、悪い選択肢ではないだろう。

 それに、久々に馬に乗る感覚が恋しい。ポニーとはいえ、気休めにはなるはずだ。

「分かったわよ。アンタの取引に乗ってあげる。言っとくけど、あたしは後ろから見てるだけだから」

「ほ、本当ですか!? ……押忍! 見ていてもらえるだけで充分っす!」

 かくして、璃朋は万里の申し出を受け入れることになった。

 この打算と思惑に彩られた決断が、彼女にとって大きな転機になるとは、まだ誰も知らない。



「悪いけど、貴女の入部届けを受け取る事は出来ないわ」

 にべも無いとは、まさにこの事だろう。

 グラウンドで活動中の陸上部に入部届けを持って行った万里であったが、その場で部長に断られてしまった。

「ど、どうしてダメなんですか!? 私は……」

 口調が素になっている事に気付いたらしく、万里は少し間を置いて言い直した。

「自分は、どんなに辛くてもへこたれないっす! 自分は……自分を変えたいっす! 押忍!」

「別に、貴女のやる気の話をしているわけじゃないの」

 力説する万里に対して、部長は冷めた声で言い放った。

「陸上部はこれまで、ケンタウロスはもちろん、亜人自体入部させた事が無いの。

もし貴女の入部を認めたら、きっと他の亜人も続々と入部届けを出すわ。

普通の人間なら要らない設備や体制が必要な亜人が、果たして何人来ることか……。

生徒会からの補助が充分下りなかったら、人間の部員にも負担をお願いする事になる。

自分の記録を伸ばす事に専念したいはずの部員達に、そんな事させられないわ」

「そ、そんな……お願いします! 皆さんに迷惑は絶対にかけないっす!」

 万里は馬体を地に着かせ、上半身を平伏させた。

 正座が出来ない身体での、彼女なりの土下座なのだろう。

「お願いします! お願いします! お願いします!」

「そんな事されてもね……貴女、ケンタウロスとしては小柄なんでしょうけど、人間と比べれば充分巨体でしょ。

それを皆が使うグラウンドで走らせるとなれば、危険だから色々と手続きが必要なのよ。

私だって暇じゃないし、人間のインハイに参加出来ない部員のために、そこまで骨を折る時間なんて無いわ」

 約束通り後ろから様子を見ていた璃朋であったが、見ているうちに段々腹が立ってきた。

 万里の肩を持つ義理は無いが、いかんせん部長が気に入らない。

 それに、このまま入部がご破算になれば、自分の思惑から大きく外れる事になってしまう。

 向こうの下らない都合で計画が白紙になるのは、プライドが許せない。

 居ても立ってもいられず、璃朋は部長の前に飛び出した。

「ちょっとアンタ、さっきから聞いてりゃ、やれ設備だの体制だの手続きだの……何様のつもり!?

たかだか高校の部活動でしょ? やりたいって言ってんだからやらせてあげなさいよ!

迷惑はかけないようにするって言ってるし、やらせようともしないで諦めさせてどうすんのよ!?」

「に、西口さん……!」

「勘違いしないで。あたしは、試そうともせずに諦める奴が大嫌いなだけよ」

 驚きと感動で潤んだ眼を向けられ、璃朋は言い捨てた。

「誰よ貴女? この娘の友達?」

「あたしは西口璃朋。この娘の……」

 たとえ嘘でも友達と言い張る手もあったが、流石に今日会ったばかりでは無理がある。

 一瞬だけ言い淀み、万里に目を遣る。

「……馬主よ」

「馬主!?」

 璃朋の回答に、誰よりも万里が驚いていた。

「何ですか騒々しい。校内で無駄な騒ぎはご法度ですわよ」

 その時、校舎の方から一人が歩いてきた。

 まず目に留まるのは、長い縦ロールのツインテール。

 同じく髪をロールにしている璃朋としては、親近感より前に被っている事に腹が立つ。

 手には扇子を持ち、いかにも鼻持ちならないお嬢様といった風貌だ。

 何より目につき、且つ気に入らないのは、二つの膨らみ。

 何故、今日は胸の肥大化した女とばかり出会うのだろうか。

「誰だか知らないけど、あたし達は陸上部に用があるの。野次馬は引っ込んでくれない?」

 部長の態度にイライラしている事もあり、璃朋は巨乳に素っ気なく当たる。

「まあ! 会って早々、随分なご挨拶ですこと。……あら、貴女達、新入生ですわね?」

 初めは怒りを露わにしていたが、こちらの学年に気付くと、それを引っ込めた。

 制服には学年が判別出来るような装飾は施されていないので、下ろし立てである事で判断したのだろう。

「わたくしは内永だいえい蘭羅らら。生徒会七美徳の『節制』を冠する者として、財務部門の統括官を務めていますの」

「生徒会……七美徳……?」

 聞き慣れない言葉を、思わず璃朋は繰り返していた。

 とりあえず、校内ではそれなりの地位である事は察するが……。

「普段は生徒手帳を読ませて終わりですけど、一年坊主の為に、特別にわたくしが教えて差し上げますわ。

生徒会のスタッフを統括し、生徒に尽くし、我が校がどう在るべきかを熟慮する七人……それが生徒会七美徳ですの。

崇高なる責務を負う代わりに『節制』『救恤』『勤勉』『純潔』『忍耐』『慈悲』『謙譲』の何れかを冠する事を許されますわ。

わたくしは『節制』の名を冠して、我が校の財務に関する仕事を統括する役割を担っていますの。

もちろん、わたくし以外の六人も、それぞれの役職に就いて役目を果たしていますわ」

 蘭羅の説明を聞きながら、璃朋は考えていた。

 部長は先程、生徒会から補助が下りなければ難しいと言っていた。

 そして、彼女は生徒会の財務のトップ。

 であれば、今ここで取るべき行動は一つしかない。

「要するに、生徒会の幹部ってわけね。丁度良いわ。アンタに頼みたい事が」

「無駄な説明は不要。話は既に聞こえていましてよ」

 璃朋が事情を説明する前に、蘭羅に言葉を遮られてしまった。

「だったら話は早」

「お断りしますわ」

 そして本題に入る事すら許されない。

「なっ……まだ何も言ってないでしょ!」

「この娘の為に、陸上部に配る生徒会費を増やして欲しい……でしょう?」

 噛み付く璃朋に対して、集る虫を払い除けるような口調で問う蘭羅。

 璃朋は、湧き上がる感情を拳の中で握り締め、奥歯で噛み潰した。

「ふん、ご名答。で、聡明な生徒会役員様なら当然、次にあたしが訊きたい事も解るわよね?」

 たっぷりと皮肉を塗して、蘭羅に問いを投げかける。

「先程も申した通り、わたくしは『節制』を冠し、財務を預かる者。生徒から預かった大事な予算を、軽々しく無駄遣いなんて出来ませんわ」

 蘭羅の回答に、璃朋は暫し言葉を失う。

 財閥の後ろ盾が無い以上、ここでは少しくらい大人しく過ごしてやろうと思っていた。

 この瞬間までは、だが。

 つい先程押し殺した感情が、再び頭をもたげる。

「……生徒が部活をする為に必要な出費が無駄!? アンタ本気で言ってんの!?」

「もちろん本気ですわ。仮にこの娘が大成して賞を取ったとしても、亜人のスポーツなんてマイナー中のマイナー。

投資に対する見返りが全く釣り合っていませんの。こんな事に予算を注ぎ込んでは、一般学級の生徒に顔向け出来ませんわ」

「マイナーだから何よ? 部活は学校やアンタ達の為にする訳じゃないでしょ!」

 冷ややかな蘭羅に対して、璃朋はどこまでもヒートアップする。

 挑戦せずに、手頃な安牌ばかりを狙う考えが気に入らない。

 あまつさえ、それを他人にまで強要するなど論外だ。

 たとえ不可能だとしても、挑む権利は誰にでもある。

 それを否定する人間を野放しにしていては、いつか自分にも火の粉が降りかかるかも知れない。

 何としても、今ここで屈服させなければ。

「大体、流行ってないなら、流行らせたら良いだけの事じゃない。出来上がっている物から吸い上げるだけなら、誰だって出来るわよ。

それとも、アンタ達は、勝ち馬に乗って偉ぶるのが仕事なの? だとしたら、随分と良いご身分ね。代わって欲しいとは思わないけど!」

「言わせておけばしゃあしゃあと……新入生の癖に生意気ですわ」

 あくまでも平静を装う蘭羅だが、扇子を握る手は明らかに力がこもっていた。

 そのまま数秒沈黙し、手から力が抜ける。

「判りましたわ。このわたくしにここまで啖呵を切った事に敬意を表して、そのケンタウロスに入部テストをして差し上げましょう」

 そして、扇子の先を万里に向け、蘭羅は高らかに宣言した。

「言ったわね! 後で吠え面かいても遅いわよ!」

「そのお言葉、そっくりお返ししますわ!」

 ――どうやら、門前払いだけはされずに済みそうね。

 璃朋は、内心安堵していた。

 もし、蘭羅が自分の挑発に乗らなければ、入部テストすら叶わなかったのだ。

 彼女が激し易い性格であった事は、運が良かったと言わざるを得ない。

「陸上部の入部テストですから、当然走って貰いますわ。

このトラックは一周が丁度四百メートル。これを女子の平均記録より速く走れたら入部を許可……と言いたいところですけど。

貴女は下半身が馬ですから、人の尺度では意味がありませんわね」

「そういう事なら、元馬術部のあたしの出番ね。ポニー種の平均時速は四十キロメートルよ」

「では、このグラウンドを三十六秒以内に一周したら、入部を許可しますわ」

 テストの内容も決まり、璃朋は気分が高揚していた。

 あと少しで、あのいけ好かない女をぎゃふんと言わせられるのだ。

 本来の目的も達成出来るし、一石二鳥とはまさにこの事。

 万里の立役者として、当初の予定以上に彼女を心服させる事も可能だろう。

 それを皮切りに他の亜人も手駒に出来れば、三鳥も四鳥も得られる。

「あ、あの、西口さん……何だか、話が大事になっていませんか……?」

 皮算用の最中、万里が弱々しい声をかけてくる。

「何言ってんのよ。どれだけの人を巻き込もうと、大事なのはアンタが入部出来るか否か。外野に気後れする理由なんて無いわ。

このあたしがここまでお膳立てしてあげたのよ。何が何でも、あいつの鼻っ柱とツインドリルをへし折ってやりなさい!」

「で、でも、西口さん……自分は……」

「良いからとにかく走る! 無様を晒したら桜肉にするわよ!」

「ひぃっ!? お、押忍! 自分、体操着に着替えて来るっす!」

 万里は、逃げる様に更衣室へ向かって行った。

 弱気になっているようだが、いざ本番になれば、必ず結果を出してくれるはずだ。

 人は、本気になれば、この程度の壁など容易く打ち破る事が出来る。

 亜人であろうと、例外ではないだろう。

「内永さん、その……本当に良いんですか?」

「お黙り! この節制の内永、売られた喧嘩だけは高値で買い取らせて頂きますわ。

解ったら、さっさとグラウンドの準備をなさい。お金も時間も有限ですのよ」

 遠慮がちに尋ねる部長に対して、蘭羅は機嫌悪そうに答えていた。

 かくして、蘭羅の命により、着々と準備は進んでいく。



 生徒の退避やストップウォッチの用意も終わり、その時は間もなく訪れようとしていた。

 璃朋や蘭羅は、トラック内周から見守る。

 スタートラインでは、体操着に着替えた万里が、鉢巻を締め直している。

 下半身はどうするのか少しだけ気になっていたが、腰回りに紺色の布を巻いていた。

 ――多分……ブルマの代わりなのかしら……?

「そろそろ始めますわよ。準備はよろしくて?」

「押忍!」

 トラック内周からの問いに、万里は気合の入った声で答えた。

 若干震え気味だが、適度な緊張感も必要だろう。

「では。位置について、用意……」

 ストップウォッチを持った部長が、少しだけ間を取る。

 徒競走で最も緊張し、とても長く感じる瞬間。

 固唾を飲んで、璃朋はスタートの瞬間を見守っていた。

「スタート!」

 部長の掛け声と共に、万里は走り出す。

 ポニーといえど、その速度は平均で四十キロメートル。

 美しさと迫力を兼ね揃えた、見事な走りを見せつけてくれる。

 ……はずだった。

「…………え?」

「あら……」

「ちょ……ど、どういう事!?」

 三者三様の反応の元は、走る万里の姿。

 決してふざけていない事は、表情から判る。

 しかし、その速さは、到底馬のものとは思えなかった。

 最初こそ速かったが、間もなく減速し、今では精々早歩きといったところだ。

「万里! アンタどういうつもり!?」

 璃朋が叫ぶが、聞こえているのかいないのか、万里の速度が変わる事は無かった。

 結局、そのまま一周し……。

「万里――」

「ご、ごめんなさい!」

 璃朋の声を振り切るように、そのまま二周目へ行ってしまった。

「一応確認しますわ。タイムは?」

「一分二十秒。……人並ですね」

 当然の結果だが、璃朋は驚きを隠す事が出来なかった。

 陸上部に入りたいと言い出したのは、万里自身だ。

 これまでの言動からして、決して冷やかしではないはず。

 なのに何故……。

「オーホッホッホ! これではお話にもなりませんわね。危うく、とんだ駄馬の面倒を見るところでしたわ」

「くっ……」

 蘭羅の嘲りに、璃朋は何も言い返す事が出来なかった。

 確かに、この成績では無様と言う他無い。

 万里は蘭羅との勝負に負けた。即ち、万里を焚き付けた自分の敗北でもある。

「では、この件は終いですわね。わたくしは次の仕事に……」

「待ちなさい!」

 立ち去ろうとする蘭羅を、璃朋はほとんど反射的に呼び止めていた。

「今日は調子が悪かっただけよ! 来週、もう一度勝負なさい!」

 媚びる事も乞う事もなく、璃朋は言い放つ。

 万里の走り方は、明らかに不自然だった。

 あの急な減速には、きっと何か理由があるはずだ。

 それさえ取り除けば、次こそは必ず勝てる。

 勝機がある以上、諦めるわけにはいかない。

「あら、まだ諦めないおつもり? まったく、無様ですわね。でも……あのケンタウロスはどうかしら?」

 蘭羅は嘲笑を交えつつ、二周目から帰って来ない万里を一瞥した。

 どうやら、ばつが悪くて戻って来られないようだ。

「本人に訊いてみるのが早いわ。……万里! 今すぐ戻って来ないと、その下半身を熊本に送り付けるわよ!」

「ひいっ!?」

 璃朋の脅し文句が効いたのか、万里は渋々ながらもこちらへ向かってきた。

「あたしが訊いて『はい』と答えたら、再戦を認めるのよ。良いわね?」

「別に構いませんが……年上として言っておきますけど、恥の上塗りをするくらいなら、諦める方が利口ですわ」

「わざわざご忠告どうも。でも、万里は必ず『はい』と言うわ。諦められるほど利口じゃないもの」

 強気に返してみたは良いが、璃朋は正直不安だった。

 万里は比較的ナイーブな性格。

 先程の失敗で、既に諦めてしまっている可能性もある。

 たとえ僅かでも不安要素があるなら、極力避けるべきだろう。

 そんな事を考えているうちに、万里が戻ってくる。

「万里!」

「ひゃいっ!? な、何ですか!?」

 散々脅したからか、万里は少々怯えているようだ。

 少しだけ考えてから、璃朋は尋ねる。

「酸素を取り込んで二酸化炭素を吐き出す臓器は?」

「は……肺?」

 あまりに唐突な質問だからか、万里はきょとんとした表情で答えた。

 だが、これで良い。

「ほらみなさい。『はい』と答えたわ」

 璃朋は、何食わぬ顔で言い放った。

「なっ……!? そ、そんなのずるいですわ!」

 余裕の態度を見せていた蘭羅も、流石に狼狽している。

 無論、これが小手先の言葉遊びである事は承知の上。

 ここまで来たら、もう後には引けない。

「あたしは『もう一度テストしたいか』を訊くなんて、一言も言ってないわ。

あたしに確認もしないで、勝手に都合の良いように思い込んだ、アンタのミスよ」

 蘭羅の手は小刻みに震え、握り締めた扇子は今にも折れてしまいそうだ。

 少し沈黙した後、蘭羅が扇子をこちらに向ける。

「ふ……ふん! どうせ、一週間では何も出来るわけありませんわ!

来週こそ赤っ恥をかかせて差し上げますから! 覚えてらっしゃい!」

 そう吐き捨てると、蘭羅は去っていった。

「だ、内永さん!? 急にそんな……困ります!」

 二週連続でグラウンドを使う事が決まったからか、部長もその後を追う。

 もっとも、蘭羅のあの様子では、今更決定が覆る事は無いだろう。

 ――どうにか、首の皮一枚で繋がったわね。

 緊張が解け、璃朋は大きく息を吐いた。

「あ、あの、西口さん……」

 万里が、遠慮がちに尋ねてくる。

 言うべき事も訊くべき事もあるので、話し出すと長くなるだろう。

 入部テストの為にグラウンドを空けて貰った以上、長居すると面倒な事になりそうだ。

「もう、ここに用は無いわね。アンタ、体操服のまま帰るつもり?」

「い、いえ……着替えてきます」

 更衣室へ向かう万里に、璃朋は遅れてついていった。



 更衣室の前で待つこと数分。

 制服姿に戻った万里が、扉を開けた。

「西口さん、ごめんなさいっす! せっかくチャンスをくれたのに、自分は……自分は……!」

「謝罪は良いから、さっきの走りについて説明なさい」

 頭を下げる万里に説明を促し、璃朋は校門へ向けて歩き出す。

「お……押忍」

 その後ろから、万里はとぼとぼとついてきた。

 始めは無言だったが、追いつき並んだところで、少しずつ話し始める。

「実は自分……昔、走っている時に転倒した事があるっす。

西口さんなら、馬が転倒するのがどういう事か、ご存じっすよね?」

「脚が一本でも重傷を負えば、三本の脚では五百キロもの体重を支える事は出来ない。

それで残りの脚も蹄葉炎になって、痛み苦しみながら衰弱死する。少なくとも、サラブレッドならこんな感じね」

 万里からの問いに、璃朋はすらすらと答えた。

「流石は元馬術部っす。まあ、自分はポニーなので、そこまで酷い事にはなりにくい方っすけど」

「その時の古傷の所為って事?」

「まさか。幸い、その時の怪我は無事に完治したっす。

治療の為に、プールの中で過ごしたり、体を吊るされたり、あの時はとにかく大変だったっすよ」

 璃朋が尋ねるが、万里は慌てて否定した。

 流石に、考えが短絡的過ぎたようだ。

「でも、半分は当たりっすね。身体じゃなくて、心の古傷っすけど。

今も、本気で走ろうとすると、あの時の事を思い出してしまうっす。

恐怖で頭が一杯になって、脚が前に進まなくなってしまって……」

 万里は明るく振舞おうとしているようだが、その声は微かに震えていた。

 負傷した時の記憶が、蘇ってしまったのだろう。

 サラブレッド程ではないにしろ、馬にとって脚の負傷は死と隣り合わせ。

 そんな体験を口にして、平静でいられないのも無理はない。

「それでも、アンタは陸上部に入部しようとしたのよね?」

「家族からは反対されたっす。でも、自分はもう一度走れるようになりたかったっす。

敢えて陸上部に入部して、少しずつ走る事に慣れていけたら……と思っていたっす。

それが、まさかこんな事になるとは、流石に予想していなかったっすけど」

 これで、ようやく問題の全体像が見えてきた。

 入部テストを渋っていたのも、こうなる事を見越していたのだろう。

「……アンタには、悪い事したわね。走れるようになりたくて入部しようとしたのに、走らないといけないテストを引き受けてしまったわ」

「そんな、とんでもないっす! あの時西口さんが助けてくれなかったら、あのまま門前払いに決まっているっす!

今日会ったばかりの自分の為に、先輩相手に一歩も譲らないなんて……自分は今、猛烈に感動しているっす!」

「でも、あたしはアンタに不利な条件を飲んでしまった。あれだけ食って掛かって引き出したのがアレじゃあ、意味無いわ」

 万里が目をうるうるさせる一方、璃朋は会話をしつつも考え込んでいた。

 昔のトラウマが、万里の本気を縛り付けている。

 ならば、それから解放さえ出来れば、次こそは勝てるだろう。

 だが、それは即ち、万里の気持ちに全てが委ねられるという事。

 万里に恐怖心を克服させるための期間が一週間……悔しいが、蘭羅の言う通りなのかも知れない。

 ――って、あたしまで弱気になってどうすんのよ!

 璃朋は湧き出す不安をかなぐり捨て、万里に尋ねる。

「もし、さっきのテストに合格して入部出来たとしたら、その後はどうするつもりだったの?

あれに合格するって事は、アンタの目的である『走れるようになる』は既に達成出来てるわけでしょ?」

 万里の過去を聞いて、ふと思った疑問。

 今のままでは、目的と手段が完全に逆転してしまう。

 走れるようになりたいだけならば、必ずしも部活が手段である必要はない。

 これの答え次第で、この件に協力を続けるか決める事にしよう。

「もちろん、そのまま入部っすよ。今でこそ走れないっすけど、元々走る事は好きっす。

それに、自分は、皆で一緒に走りたいっす。走れなくなる前は、同族の友達と一緒に駆け回っていたっすけど……今は……」

 そこまで言って、万里はうつむき、言葉を濁す。

 数秒の沈黙が訪れ、それは万里が顔を上げると同時に立ち去った。

「少しでも速く走れるようになりたいという気持ちは、人間も亜人も同じはずっす。

同じ目標を持つ仲間達を……事故で失ってしまったたくさんのものを、取り返したいっす!」

 その時、璃朋は確かに、万里の中でくすぶっている物を垣間見た。

 今にも折れてしまいそうだが、決して変わる事の無い、彼女だけの物だ。

 不本意で入学させられたこの学校で、わざわざ騒ぎを起こすつもりは無かった。

 しかし、自分の利益と気まぐれのために起こした行動は、自分の理念と意地のために大きくなる一方だ。

 当主の座への道をひた走る自分にとって、この騒動は寄り道でしかないだろう。

 だが、可能性を信じる人がいて、それを否定する輩もいる。

 ならば、自分が取るべき行動は、一つだけだ。

 ――こうなったら、乗りかかった船と思うしかないわね。

「って、負けてしまってから言っても仕方無いっすね。やっぱり、走れない陸上部員なんて誰も認めては……」

「万里、実はあたし、来週にリベンジを申し込んでおいたの」

「そうですよね、リベンジなんてとても……え?」

 璃朋が端的に先程の出来事を述べると、万里はしばし固まる。

「えぇええええええええッ!?」

 そして、嘶くような声で驚きを露わにした。

 敵を騙すには味方からとはよく言ったものだが、ここまで驚かれるのも心外である。

「む、無理ですよー! 来週までなんて私……!」

 危惧した通り、万里は素の口調で弱音を口にする。

 もし先程、馬鹿正直に尋ねていたらと思うと、ぞっとすらする。

 当然、約束を取り付けた以上、彼女には走って貰わねばならない。

「だからって、今ここで諦めたら、何も始まらないじゃない。

走れなくなった事で失ったものを取り戻す……走れるようになるのは、その為の通過点でしょ?

あんな女の為に、入り口で足踏みさせられるなんて、あたしなら耐えられないわ」

「で、でも、いくら何でも一週間しか時間が無いなんて……」

「情けない事言わない! 本気で自分を変えたいなら、出来ない事をやってのける気概くらい見せてみなさいよ」

「それは確かに……そうなんですけど……」

 尻を叩いてみるが、万里は案の定尻込みしたままだ。

 このまま放っておいても、彼女一人では何も出来ないだろう。

「しょうがないわね。あたしにも責任はあるし、この一週間、徹底的に付き合ってあげる」

「えぇっ!? さ、流石にそこまでお世話になるわけには……」

「なに今更遠慮してんのよ。あの女に一泡吹かせられるなら、あたしにとっても悪い話じゃないわ。

これも何かの縁だと思って、精々お互い利用し合おうじゃない」

 今度こそ言葉遊びでない「はい」を言わせるべく、璃朋は更に案を提示する。

 わざわざこんな事をしなくても、万里の意思を無視して、無理矢理再戦や練習をさせる事も出来るだろう。

 しかし、この件の最大の壁は、他ならぬ万里の心。

 水をまいても、土を肥やしても、芽吹くのは彼女自身の意思でなければ意味が無い。

「……う……」

 万里は黙り込み、拳を震わせる。

 様々な思いが、彼女の中で飛び交っているのだろう。

 果たして、どの気持ちが勝者となるのか。

 種のまま朽ちるなどと口走らない事を願いつつ、璃朋は次の言葉を待つ。

「うぉおおおおおおおおおおおおお!」

 万里から次に出てきたのは、予想外の絶叫だった。

 予想外の返事に、璃朋は思わず耳を塞ぐ。

「な、何よいきなり!?」

「押忍! 体育会系たるもの、困った時は叫んで解決っす!」

 璃朋の問いに、やたら腹筋の込められた声で返す万里。

 先程までとは打って変わって、火でも点いたかのような熱さである。

「西口さん! 自分は目が覚めたっす! ここで諦めたら、体育会系が廃るというもの!

元馬術部の西口さんが協力してくれるなら、こんなに頼もしい事はないっす!」

 どうやら、変わりたいという気持ちが勝ったようだ。

 ――とりあえず、一つ目の関門はクリア出来たわね。

 璃朋はひとまず安堵するが、そうしてばかりもいられない。

 万里に点いた火は、まだ容易に掻き消える程度のものであるはずだ。

 如何に彼女のやる気を雨風から守るか……勝負はこれからだ。

「そうと決まれば、景気付けに円陣を組むっす!」

 そんな璃朋の思いを知ってか知らずか、万里はすっかり体育会系であった。

「え? ここで? 二人だけで?」

「何を言うっす! 西口さんは百人力! 自分を合わせて百一人っす!」

 よく解らない理屈を持ち出し、万里が円陣を迫ってくる。

 いくら何でも、生徒の行き来する校庭で、たった二人で円陣は恥ずかしすぎる。

 そんな事はお構いなしに、目を輝かせてぐいぐいと迫る万里。

「さあ! さあ! さあさあさあさあ!」

「分かった! 分かったわよ! やるわよ!」

 ここで断っては、万里のモチベーションに関わるかも知れない。

 そう判断した璃朋は、やむを得ず要求を呑むことにした。

「いやぁ、こういうの、一度やってみたかったっす!」

「知らないわよそんな事」

 万里が出した手の上に、手を重ねる。

 馬は人よりも少し体温が高いが、彼女の手のそれは人肌だった。

 生徒達の視線が気になるので、

「見てんじゃないわよ!」

 さっさと校門へと走らせた。

 次に誰かが通る前に、終わらせてしまうとしよう。

「まあ、アンタがやる気になってくれて何よりだわ。一週間、みっちりしごいてあげるから覚悟なさい。……次は勝つわよ!」

「押忍!」

 万里の決意が、校庭に響き渡る。

最後の投稿から一年以上の間が空きましたが、私は元気です。

私が大好きなモンスター娘を題材に小説を書いてみたくなったので、思い切って新作を書く事にしました。

これまでの作品ではなかなか出来なかった事に色々と挑戦したので、正直苦戦しました。

その甲斐もあり、ひとまずは皆様に読んで頂ける形に出来たので、安堵している次第です。

次の投稿がいつになるかは不透明としか言えませんが、今後もモン娘の愛を一文字一文字打ち込んでいきます。

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