第2話
数日も前のことになるだろうか。
樹木や草花の生い茂る豊穣の森、その森の入り口にある開けた場所の奥に一人の男が倒れていた。
この世界の常識ならば、年の頃は成人を過ぎたところだという。
しかし、どこか幼く見える顔付きや村の大人たちよりも背の低いこの男。
彼の事を知らない者に問えば、成人前の少年だと言われても特に違和感を抱かないだろう。
今では村の鍛冶屋であるヘインスの家に居候しているこの黒髪の男。
いや、青年はフォレス村の人たちから、ライズと呼ばれていた。
少し前のことだ、その日はほとんど雲一つないよく晴れた日だった。
各々、朝の手伝いを終えた子供たちが集まって普段からの遊び場となっている村の外れ、豊穣の森の入り口の広場に行くと奥の方に一人の少年が倒れていた。
昼間の内は森自体が持つ清浄な気によって守られているとしても、魔の気が強くなる夜になればフォレス村の近くまで魔物や魔獣が彷徨くこともあるというのに。
好奇心の強い子供が1人近寄ると直ぐに残りの子供たちも一斉に群がっていく。
我に返った年長の少女が急いで近づくと、倒れている少年の姿が見えてきた。
うつ伏せになっているせいで顔までは見えないが、黒炭のような黒い髪と艶のある山吹色の革のジャケット。
手触りの良さそうな黒いズボンにゴツゴツとしたグローブと、彼の近くには持ち手の部分がゴチャゴチャとした剣が二本落ちていた。
少女も剣自体をあまり見たことはないが、それでもこの二本の剣が珍しい物だということは何となく分かった。
冒険者の人かな、と少女は思う。
もちろん、確証なんて何もない。
でも、旅に向かない服装と鞄以外にろくな荷物を持っていない少年を見て、旅人よりも、今は遠くの学校に通っている姉に聞いたことのある冒険者という言葉が先に頭に浮かんだのだった。
「こいつ生きてんのかな?」
騎士ごっこをしようと木の棒を持ってきていたハンスは遠慮なく、倒れている少年の頬を棒で突っついている。
他の子供たちもそんなハンスを見て、ジャケットを引っ張ったり、より近くでマジマジと少年をのぞき込んでいた。
突っつかれるたびに息を漏らす少年を見て、よかった。と思うのと一緒に彼女は、
「む、む、村の人たち呼んでくるからっ。あんたたちはここでこ、この人、見てて!」
慌てて来た道を走っていく少女。
今年で12歳になるイリーナ・フォレスにとっては2つ年上の姉が王都にある学校に入学して以来の大事件であった。
彼女が村の大人たち数人を連れて戻った時も、まだ少年は子供たちに弄られていたが意識は戻っていなかったという。
ここ、どこだよ。
意識の戻った少年が目にしたのは小中とボーイスカウトをしていた時に泊まったことのある。ログハウスのような丸太製の天井だった。
戸惑わなかったといえば嘘になる。
瑛大の住んでいる家は普通のマンションだ。
少なくとも丸太剥き出しの木製建築ではないし、寝ている自分を知らぬ間にキャンプに連れ出すような家族ではない。
もし、自分に何かあって病院に運ばれたとしても、ログハウスのような病院など見たことがないし、多分、日本にはないだろう。
それにだ。
今、瑛大が寝ていたのは木製の質素なベッドだった。
しっかりとした骨組みにマットもなく、薄い布を敷いただけのベッド。
瑛大に掛けられていた物も毛布ではなく、鞣された毛皮だった。
開いていた木窓から外を覗くと、外にあるのはログハウスのような同じ造りの家ばかり、規模はそこまで大きくなく。
集落なのか、村なのか、少なくとも日本とは違う国にいる気がした。
この村? の外を見れば、遠く続く平原と街道、更に更に奥には青白く見える山、山脈がある。
現実の日本で、ましてや都市部に近い場所ではまず目に掛かれない光景だろうか。
しかし、瑛大はこんな景色を日本でも見たことがあった。
「もしかして、ここは? U・Aの中なのか……」
窓の外に広がる光景に呆然としつつも口にした言葉に、瑛大はただ言葉を無くすのだった。
やっとのことで我に返った瑛大が一番最初に行ったのはログアウトをするために意識の窓を、スクロールメニューを開くことだった。
しかし、
「え、あれ?」
いくら、意識を集中させても窓が浮かんでこない。
改めて口に出し、仕方なしに初心者用の方法でスクロールメニューを呼び出すが何の反応もなかった。
だが、瑛大は今の自分の服装には確かに見覚えがあった。
大牙狼竜のジャケットに黒羊獣のズボン。老獅子のグローブと、ジャケットのポケットには刻時蝶の金時計が入っている。
最高級品には及ばないが、一級品ではあるこれらの装備。
確かにU・A内での瑛大のプレイキャラである、ライズの装備だった。
ならば何故。
窓が、メニューが開かないのか? 分からないことばかりに意識を取られていると不意に視線を感じた。
窓の外からこちらを見上げている青い髪の少女、外の景色を見たまま考えに没頭していた瑛大は彼女の存在にすぐには気づけなかった。
少し暗めの青い髪、大人びた顔つきだが瑛大と同い年ぐらいに見えた彼女はこちらに手を振ると、すぐさま玄関からこの家に入っていった。
「やっぱり、U・Aの中なのかな、ここは……」
とても染めたようには見えなかった自然な髪、日本人にも外国人でも多分生まれつきではないと思う、あの髪の色。
これからどうしようかと考えるとともに、瑛大はまず1つ目の選択を強いられる。
ギィィッという音がした。
建て付けが悪いのか、それとも普通はこんなものなのか。
開かれたドアからは人の良さそうな白髪の老人と先ほどの少女が入ってきた。
「おお、起きたのかね旅人さん」
瑛大は老人の言葉がちゃんと理解できたことに安堵しつつも、さっきまで抱いていた疑いが更に固まっていくように思った。
それでも、老人の次の言葉を待つ。
「村の子供たちとこの娘がのう、森の中で倒れていたお主を見つけての。意識が戻らんようじゃったから家で寝かしておったんじゃ」
そうだ、ここからは気を付けなければいけない。
だからこそ、瑛大は自分の名を告げる。
「そうですか、助けて頂いてありがとうございました。君もありがとうね」
一瞬だけ、息を呑んだ。
そして、
「俺の名前はライズといいます」
瑛大はこの日から。
早坂瑛大ではなく、冒険者のライズとなった。
この一連のさわぎがU・Aの大型アップデートによる新しいイベントか、瑛大の知らないクエストに巻き込まれたのだと。
無理矢理、自分に言い聞かせて。