紅の翼と娘バカ
「ふふ」
思わす声が漏れる。
「やっぱり可愛いな、お前は」
俺は柔らかいラインを描く彼女に触れる。
「綺麗だ。お前は本当に美人さんだ」
真っ赤に染まった彼女。俺は優しく指をなぞらせる。
「―――脱がすよ」
一つ一つ、留め金を外す。焦らすように、そっと。
「心配しないで。お前の華奢な体を、壊したりなんかしないから」
繊細としか形容不可なそれは、正しく芸術品。
傷付けるなど、許されるはずがない。
「少し開いてみようか」
そっと腕に力を籠める。
微かな抵抗を覚えつつも、彼女は大事な場所を俺に晒した。
……息を飲む。
「綺麗だ」
目を見開き凝視する。
「綺麗だ。―――綺麗だ」
うわ言のように繰り返す。
「指、入れるよ」
複雑に絡み合うそこを確認するように、静かに指先を進める。
「ああ、凄い。凄いよ―――紅翼」
「お前はさっきからなにを言っているんだ」
横槍の声に振りかえれば、ガイルが怪訝な目を俺に向けていた。
「なにって、そりゃ」
俺は目の前を見る。
「エンジン整備」
只今、ガイルに付き添って飛行機の整備中。
解析の魔法で機体内部を解析すれば、専門的な知識がなくとも機械の整備が出来ると気付いた時は狂喜乱舞のあまりコサックダンスを踊ってしまった。
細やかな情報まで頭に流れ込んでくるので処理しすぎると頭痛を催すのだが、トラブルの箇所や解体の手順、果ては実働させた場合のシミュレートまで頭の中でこなせるのだ。素晴らしい。
いやしかし、エンジンカウルの中ってエロいです。
「……あ、そうだ」
俺は常々疑問だったことを単刀直入に訊いてみることにした。
「ガイルって所謂『働いていない系』の人?」
「働いてるよ誰が自宅警備員だバカヤロウ」
「そうなのか? いっつも家にいるし、たまに出掛けると思ったら村に買い物しに行くだけだし、飛行機でアクロバット飛行して遊んでるし」
「フライトが仕事だとなぜ推測しない」
「アンタは仕事の帰りにアクロかますのか?」
そもそも空飛ぶ仕事ってなんだ。
「いいだろ別に。あんなもん曲芸飛行に入るかよ」
「中庭へのアプローチにコブラで減速しつつ高度を下げる変態は言うことが違うな」
紅翼がウイリーしながら降りてきた時は開いた口が塞がらなかった。無意味に危ないことすんな。
「で、結局何の仕事をしてるんだ?」
「自由天士」
なにそれ。
「フリーのパイロットってことだよ」
「臨時の雇われパイロットってこと?」
「そういう意味合いもあるが、広義では軍に所属していないパイロット全般を指す言葉だ。民間商会や航空事務所と契約しているパイロットもフリーに分類される」
民間商会や航空事務所、まあなんとなくどんな組織かは判る。
「ガイルはそういう場所から仕事を斡旋してもらっているのか」
通りで不定期に外出するわけだ。
「いや、俺は事務所にも所属していない。個人で活動している」
思わずガイルを見やる。
必然的に見つめ合う俺とガイル。
「……なんだ、その憐れむような目」
「友達いないんだ」
「待て。なぜそうなる、友達くらい―――」
「…………。」
ガイルはしばし逡巡し、
「…………。」
俺を指差した。
「うわ」
とりあえず、指先の延長線上から避けた。
「ないわー。圧倒的子供をダチ呼ばわりとかないわー」
「うっせ。仲のいい仲間は前の戦争でみんな死んだんだよ」
「戦争なんてあったのか?」
「ああ、とびっきり酷いのがな」
ガイルの顔に影が差したのを察し、話題を変える。
「なんにせよないわー。出会ったばっかの異世界出身者を友達とかないわー」
「むしろお前の厚かましさが驚きだ。世話になってる家の家主になんでそんなにフランクなんだ。場の空気は歳不相応に読める奴なのに」
「おや、そんな評価だったのか?」
ガイルからはてっきりただの馬鹿扱いされてるとばかり。
「馬鹿扱いは大前提だが」
さよか。
「ナスチヤには一線を引いて接しているだろ、身分とかそういうのを考慮して。大人とは言い難いがガキとも思えん」
頭脳は大人、体は子供!
「とにかくなんでそんな対応なんだ。別にいいけどよ」
「だってガイルだし」
モンキーレンチで殴られた。
「てめぇ、刑事ドラマ殺人凶器出演ランキング8位(暫定)のモンキーとか下手すれば殺人沙汰だぞ」
鈍器のような物といえばこれ。
栄光の1位は当然包丁だな。
「まあ仕事をしているのは理解したけどさ」
頭を撫でながら地球の歴史を思い返す。
「でも楽じゃないだろ、それ。国家とか民族とかくだらないスポンサーをしょって飛ぶしかないんだ、って昔のイタリア人は言ってたぞ」
「どこだよイタリアって」
飛行機は維持にも運用にも莫大な予算を必要とする。それはきっと飛行機でも変わらない。
「金持ちの道楽ならともかく、個人が仕事として飛行機を運用するのは無茶じゃないか?」
例えこの世界の航空機が垂直離着陸を可能とし、大規模な施設を必要とせず使い勝手がいいとしても、だ。
地球で個人が自由に空を飛べたのは飛行機発明黎明機から第二次世界大戦まで。航空法が完成しておらず色々といい加減だった時代に、個人の資産で扱えるしょぼっちい飛行機を乗り回すだけだった。
現代ではそうはいかない。空は狭くレーダーという金網で覆われ、無限に続くように見える水平線もまた、国境という柵で囲まれている。
この時代、小さなラジコン飛行機すら下手に飛ばせば怒られる。
飛行機の操縦桿を握りたければ自衛隊に入隊し首輪を付けるしかないのだ。その場合でも命令という束縛によって自由な空など望めない。
本当の意味で空を楽しみたければ、よっぽどの金持ちになるくらいしか手段はない。
「……確かにな。金払いのいい軍隊を選ぶ奴も多い。自前の飛行機で満足な生活が出来るのは一握りの、一流の天士だけだ」
「さっきも言っていたが、テンシってなんだ?」
『天使』じゃあるまい。
「天士は天士だろ、天を舞う騎士だ」
ガイルは指先で地面に『天士』と書く。
この世界って異世界なのに漢字、日本語使うんだよな。俺の頭に翻訳魔法でもかけられて日本語と認識しているだけなのか、マジで日本語使っているのか。
まあ便利だからいいけど。
地面の『天士』を見つめていると、不意にピンと得心した。
「……ああ、パイロットのことか」
日常会話は可能なのに時折意味不明な用語が残ってるとか、なんとも中途半端な翻訳魔法である。
「っていうか、今自画自賛入ったよな。自分は一流です的な」
「また殴られたいか?」
「まあ、そうツンツンするな、禿げるぞストレスで。禿げろよストレスで」
美人でビューティポーな奥さんに加え、天使のようにエンジェルな子供に恵まれるなんて。
改めて思い返せば、なんて充実してやがるんだこの男は。
「裏路地で刺されればいいのに」
「唐突に酷い言いようだなオイ」
おっと、つい内心を吐露してしまった。
「バールの釘抜きの方でグリグリって抉るように刺されればいのに」
「イメージが痛々しいわっ!」
スパンと叩かれた。
「あまり簡単に叩くな、馬鹿になったらどうする」
「……そうだな、注意しよう」
「…………。」
「…………。」
「ボケ殺し……ッ!」
「付き合いきれんだけだ」
下らない会話の応酬を繰り返しつつ、今後について思いを巡らせる。
……ふむ。
「ガイル、この世界では航空機が身近な乗り物なんだよな?」
「さてな」
まさかのはぐらかし。
「お前の住んでいた世界を知らないから何ともいえないが、そうなんじゃないか?」
答えようがなかったのも解るが、なんとも適当な返事である。
この世界、セルファークでは航空機を見かけることがやたら多い。
航空機といっても飛行機を目撃したのはこの紅翼ただ一機。この村で見かけるのは大半が飛宙船という、つまり不思議パワーで浮かぶ空飛ぶ船だ。
どちらが優れているかではない。どちらも使用用途に合わせて機能美を追求した、完成された道具だ。
スーパーカーと大型トラックを比べでも仕方がない、そんな関係である。
飛宙船は飛行機と比べ、速度が劣る代わりに操作性と積載量で勝る。浮遊装置が大型なので質量・体積こそかさむが、汎用性という意味では飛行機を圧倒しており、世の中の主流であるのも納得というものだ。
対して飛行機は飛宙船より加速及び速度で勝る。浮遊装置を離着陸でしか使用しないので小型のもので済ませることが出来、水平飛行中はエンジンに全魔力を注ぎ込めるからだ。
航空機が生活と密着したこの世界、大人であれば大抵は飛宙船くらい扱える。逆に言えば、飛宙船もなしでは職に就けない。
つまり、操縦学べば色々便利!
「ガイル、飛行機の操縦教えてくれ!」
ちゃっかり飛宙船ではなく飛行機なのは、やはり翼は男の憧れだからである。
パイロットを夢見ない男なんて、いないだろ?
しかしガイルは「やだ」と端的に即答で拒否りやがった。
「なんで」
「お前素質なさそうだし、鈍臭そうだし」
勝手に決めつけるな。
「運動神経はいい方だ」
「……飛宙船ならまだいいんだがな、飛行機は危な過ぎる」
「事故か?」
「そうだ。数百キロで飛行する飛行機は、優れた反射神経と判断能力を必要とする。その上、一度事故が起きれば搭乗者はまず助からない」
「そうそう事故なんておこらないだろ」
「そう思っているうちは絶対に教えられないぞ。未熟者や子供が面白半分で乗り回して、結果大惨事に繋がったなんて話は多々存在するんだ」
おや、と首を傾げてしまう。
飛行機事故の確率は限り無く低いと聞く。むしろ海上を行く船の方が事故が多いのではなかっただろうか。
「って、そうじゃない、違う違う。前提からして違う」
地球での飛行機の運用は厳しい安全基準と整備の上、過酷な訓練を受けたパイロットが操縦する。こっちの世界はその辺がいい加減なのだろう。
「言いたいことは解った。けど危ないならなんで資格制度になっていないんだ?」
「資格制にしたところで今更誰も気にしないさ。航空機はこの世界に溶け込みすぎた」
地球でいえば、チャリ乗るのに資格なんてとってられっか、っつーことか。
「あと一応あるんだぜ、航空機の運転免許って」
「あるんかい!?」
びっくりするほど機能してねぇ!
「一般人で取得する奴は滅多にいないが、航空事務所なんかに所属する奴は取っているな。仕事の依頼主が実力を計るのに必要だからだろう。いや、ギルドの加入条件にもあったっけ……」
頭をひねりながら胸ポケットから取り出したカード、そこには『シルバーウイングス ガイル?ファレット?ドレッドノート』と明記されていた。
シルバーウイングス。銀翼の天士、ね。
「……事故の可能性は理解した、けどやっぱり飛行機は乗ってみたい。頼むっ」
真っ直ぐ頭を下げる。恥も意地もへったくれもない。
空を自由に飛びたいな、なんて、小学校が抱くようなたわいもない夢だ。
けれどそんなたわいもない夢が、今この場に形としてある。
仕事を得るのに有利とか便利とか、そんなつまらない理由ではなく。
空を飛びたい。見上げるしかなかった雲を、上から見下ろしたい。
上半分でさえ俺を魅了してやまない空、それに三六〇度全てから包まれてみたい。
「目の前にあって、手も届いて。それでも掴み取れないなんてオアズケは、もうごめんだ」
それはまさに渇望。
日本では到底叶わぬ夢が、目の前にある。
「必要なことは覚える。仕事も頑張る! だから、俺に―――」
「……ったく」
ガシガシと頭をかくガイル。
「上手くねぇぞ、教えんの」
「教えてくれるのか!?」
「教えねぇよ」
えー。
「教えはしないが、紅翼をたまに貸してやる。あとは自力で感覚を覚えろ」
「いきなり単独飛行とか馬鹿じゃね?」
「機銃を一つ外せば座席が一人分生まれる。本来はソフィーに操縦を教えるために追加した装備だ」
機体を叩いてみせるガイル。その装甲板には確かに取り外せそうな四角い切り込みが走っていた、マリアが乗っていた席だ。
「ソフィーに同乗してもらえ」
「ふむ、逃避行しろと?」
拳骨が降ってきた。
「悪いがぺったん娘には興味ないんだ」
「それに関しては同意だ。安心しろ、ソフィーはナスチヤに似てグラマラスな美人になる」
「安心しろと申すか。なんだかんだ言って俺に任せる気なんだな」
背負い投げされた。
「というか、ソフィーの操縦は人に教えられるほどなのか?」
上下逆さまになったガイルに問う。墜落したのは整備不良とはいえ、ちょっと怖い。
「お前の万倍上手いっての。俺には及ばないがな」
万倍というが、ゼロ(経験一切なし)に一万掛けてもゼロのままである。
「即ち俺は貴様と並んだ……!」
「お前、今日は絶好調だな」
飛行機いじれてハイテンションです。
「飛行機乗りたいなら体を鍛えとけ。今も昔も天士は体力勝負だ」
「これでも運動神経には自身があるんだぜ?」
「ほー」
全く信用していない声色で返された。
「本当だぞ? これでも小さい頃から武芸十八版とか、その辺を仕込まれているからな」
「お前は騎士の家系かなにかかよ」
すげぇ、武芸十八版が通じたぞ異世界。
「まあ護身術とかそういうもんだろ、結局俺が興味を持ったのは機械系だったが」
生身で強くたって拳銃一つに適わない、それが戦場。
「そういやさっき背負い投げした時も受け身取ってたか?」
「やっと気付いたか。つか受け身取れるか判らない相手を投げるな」
頭を打ったら冗談抜きで危ない。
「運動は出来ると考えていいんだな?」
むむむ、これは実演して見せねばなるまい。
「ふん、―――刮目しろ」
立ち上がり、腰を低く構える。
「いくぞ―――!」
カバティカバティカバティッ!
ふふん、どうだこの華麗なキャント!
「どーや!」
自慢顔でガイルを見やった。
ガイルの側でソフィーが瞳を興味深げな色に染めていた。
「……ソフィーさん、イツカラ見テタ?」
一歩二歩三歩、後退するソフィー。
「コレハ、ユイショ正シイ、スポーツデ……」
「こういう人がいたら近付いてはいけないぞ。お父さんとの約束だ」
「うん」
踵を返し駆け去っていくソフィー。膝から崩れ落ちる俺。
「……は……はは……ははは」
気付くと、喉から乾いた笑いが漏れていた。
「……はは。笑えよ。どうせ俺のことを馬鹿だと思ってるんだろ」
「それ以外の何があると」
いかん、涙が。
「泣くなよ。ククク」
性悪不良親父め。
「泣くか! ガキじゃねえんだら泣くか! バーカバーカ!」
「ベッドの中で泣いているくせに」
ギギギと油切れのような音を発て、俯いていた顔を上げる。
「なぜ知ってる」
「そりゃ、聞いたからな」
そうじゃない。
「なんで深夜に倉庫まで来た」
俺が部屋として使っている小屋は、母屋から少し距離を置いている。たまたま通りかかるような場所じゃない。
「どっかのマセガキが泣いていないかと思ってな」
わざわざ気配消して忍び寄ったんかい、暇人がっ!
「アナスタシア様に泣きついてやる」
ん、待て!? あの豊満な胸に飛び込む……ふむ、我ながら恐ろしい発想力だ。
「それはないな。お前はいっちょ前に女の前じゃ虚勢を張る男だ。ナスチヤに弱さを自ら晒すことはあるまい」
ぬぐぐっ!
「対して俺はナスチヤに甘え放題だな。いやー色男はこまるぜー」
わざとらしい棒読みだぜー。
「ふん、精々情けない姿を晒して愛想尽かされるがいいっ!」
「ナスチヤがそんな狭量な女に見えるか?」
畜生っ! ガッテーム!
「クケケケケ」
くそっ、なにかないか! この馬鹿男に一泡吹かす方法!?
「……はっ!」
そうだ、あれがあった。
「さめ、られたぜ……」
「なに?」
「ソフィーに、慰められたぜ!」
沈黙が降りた。
「ま、ままま、まままままま、まあ、あの子は優しい娘だかららららら」
動揺し過ぎだろいくらなんでも。
だが俺は攻勢の手を緩めない。これで積みだっ!
「なでなでされた、んだぜぇえ!!」
「畜生! 俺でさえ、俺でさえされたことないのにぃ!」
「ククク……ハァーハッハッハ!」
哀れよのう! 哀れよのうガイル!
お前の娘の初ナデナデは俺が奪わせてもらった!
高笑いを上げる俺、慟哭を上げるガイル。
不審な二人のやりとりは、何事かと出てきた屋敷の住人達に見られていると気付くまで続いた。