天師と銀翼
「そこで見かけたから」
まるで友人と鉢合わせした、というくらい気軽な返事をするイリア。
気絶した零夏に寄り添いつつ、ソフィーは天使の羽を揺らす彼女に問い直した。
「イリアは、何者?」
「私は天師」
天師。ソフィーは初めて会った時も同じ返答をしていたことを覚えていた。
零夏が彼女にエルフなのかと問い、彼女は答えたのだ。 天師だ、と。
「それは―――」
「ほう、珍しい」
上空から降り立つ髭面のローブ。
「実験体の生き残り、サンプルとして確保するか」
「……ラスプーチン」
イリアが髭面のローブ男……ラスプーチンを睨む。
「死んだと思っていた」
「生きしぶといのでな」
ラスプーチンは杖を構え、イリアは自然体にて立つ。
臨戦態勢。理由も語られることもなく、二人は互いを敵と断定する。
「―――。」
先に動いたのはイリアだった。
細い足は地面を抉り、瞬時に最高速度に達しラスプーチンに肉薄する。
拳を打ち放つイリア。
「ぐっ」
おおよそ、人が人を殴った音とは思えぬ爆音が轟いた。
反応も出来ず吹き飛ぶラスプーチン。彼女の攻撃は、彼の予想以上だった。
地面と水平に飛んだラスプーチンは建物を幾つか貫通し、ようやく停止する。
腕をXに交差させ防御の体勢のまま、男は呟く。
「ここまでとは。パワー特化型か、これは」
「『これ』と呼ぶな」
羽で空に舞ったイリアは、地に伏せるラスプーチンに追撃をかける。
「私はイリア、兄さんがそう名付けてくれた!」
急降下による跳び蹴り。しかし、直前にラスプーチンは杖を振り障壁を展開する。
「粋がるなよ、実験体」
杖先が地面に術式を描く。炎系下級魔法、しかし近距離でかつ膨大な魔力を注がれたそれは、燃焼を超えた爆風となり小柄なイリアを吹き飛ばした。
(しまった―――)
自爆的な攻撃をしてくるとは思わず、虚を突かれるイリア。
「近距離に付き合う気はないのでな」
ラスプーチンは事前に待機されていた術式を展開。巨大な魔法陣が輝き、最後のトリガーである魔法名を詠唱した。
「敵を穿て、仮初の生命よ―――『フェアリーアイス』」
ラスプーチン付近の空間に、無数の氷塊が発生する。
誘導能力を持つ氷の矢。若干の自律軌道補正を行う数百のそれは、イリアにとっては小さくない脅威。
イリアの細い身体から、防御は不得手とラスプーチンは判断し面攻撃を選んだのだ。
たまらず距離を取るイリア。空へ逃げれば狙い撃ちにされると判断し、低空飛行を心がけ建物の影に隠れる。
氷が建物に突き刺さり、その度に足元が揺れる。
数瞬の間に壁は氷柱の剣山となった。
(リーチが違い過ぎる。武器が欲しい)
パワーがいくらあれど、それを彼女の腕の長さでは生かしきれない。
なにか、重く頑丈で巨大な武器。視線を走らせ、手近に代用品がないか探す。
手頃なのは人型機用の剣だが、贅沢は言っていられない。それに、彼女にとっては人型機用の全長五メートルほどはある標準剣とて、軽過ぎて使いにくいのだ。
『化け物め、死ねぇ!』
魔力の共振音声を感じ取り、イリアは空を見上げる。
大きく旋回した舞鶴が自身に向けアプローチし、彼女を狙っていた。
『同志ラスプーチン、この化け物の首は私、サンダースが貰い受ける!』
「……役立たずが。舞鶴を無駄に消耗しおって」
迫る舞鶴。
機銃をステップで回避しつつ、イリアは小さく笑った。
「武器みっけ」
舞鶴に飛びかかるイリア。
三〇トンの機体と二五トンにも及ぶ出力による突撃。体重数十キロの彼女が耐え切れるはずもなく、その小さな身体は巨大な機体に引っかかったゴミのように持って行かれる。
『はは、馬鹿め、自分からぶつかって―――え……?』
機首に貼り付くイリア。機体を掴み、羽を震わせる。
背中の翼から発生した推力は、舞鶴を急激に減速させる。
『嘘だ、ありえん、そんな』
イリアの手が舞鶴の外装を貫き、内部のフレームを掴む。
遂には空中にて静止する舞鶴。
手にした舞鶴を何度か素振りし、イリアは頷いた。
「いい感じ」
全長二〇メートルを越える舞鶴を、モップのように振り回す少女。
そんな馬鹿げた光景に、ラスプーチンは口の端を吊り上げた。
「ここまでとはな。ますます欲しいぞサンプル!」
放たれる魔法を舞鶴で防ぎ、振り払う。
内部の天士はシェイクされ死にかけていたが、イリアとしてはどうでもよかった。
武器を構え、ラスプーチンに急接近。
氷塊では舞鶴を突破出来ない。ラスプーチンは火炎上位魔法を唱え、イリアに放つ。
イリアは宙で舞鶴を一度放り投げ、機体下部を掴み直す。
あまりにも巨大な盾となった舞鶴。
機体上面に幾つも大穴が開き、貫通する。
ラスプーチンからはイリアが機体裏側死角のどこにいるか判らない。
頬を掠める火炎、しかし彼女は突進を止めなかった。
眼前に迫る巨大な機体、それを睨みラスプーチンはほくそ笑む。
(―――勝った)
地面と機体に、まるで踏まれる虫のように挟み潰されるラスプーチン。
それでもイリアは止まらない。念を押すように機体を地面に滑らせ、下にいるであろう男を擦り潰す。
その瞳に映るのは怒りか、それとも憎しみか。
乱れた呼吸を唾を飲んで収め、イリアは周囲を警戒する。
巨大な舞鶴はいい盾だったが、前が全く見えなかった。あるいは直前で抜け出しているかもしれない。
周りに気配がないことを確認し、舞鶴の翼端につま先を挿して蹴り上げる。
放り上げられくるくる回り、盛大に部品を撒き散らしながら落下する舞鶴。最新鋭機は生身の少女を前に、あっさりとスクラップと化した。
イリアは舞鶴の下から男の死骸を見つけ、僅かに息を吐いた。
死体ではなく、死骸。上下からすり潰された男は顔も判らないほどに血塗れとなり、四肢は千切れているか砕けているかだった。
かろうじてローブに見覚えがあることから、イリアはそれがラスプーチン本人と思い込む。
これほどの状況でもソレの胸が微かに上下していることに気付き、イリアは若干呆れた。
「確かに生きしぶとい」
まあそれでも直ぐ息絶えるだろうと考え、念を押す為に手頃な瓦礫の岩を掴み振りかぶる。
それを男の頭部に投げつけようとして―――
「が、はっ?」
―――自分が吐血していることをようやく知った。
自身の胸を貫き、手首が飛び出している。
その手の中には、赤く丸い筋肉の塊。
背後の気配をやっと悟り、歯を噛み締めた。
「ラ、プチ、ん……!?」
「詰めが甘いな、実験体」
ローブを脱ぎ捨てた姿で、イリアの心臓を掴むラスプーチン。
脈動する心臓は血管から千切られ、既にイリアの身体とは別離している。
目の前で心臓が握り潰されるのを見届け、イリアの意識は途絶えた。
地面に崩れ落ちそうになる彼女をぞんざいに肩に担ぐ。
天師はこの程度では死なない。心臓を潰されようと、補助装置が脳の活動を維持する。
本格的な治療はラウンドベースで行えばいい。
「手間を取らせおって」
ソフィーの場所へ戻ろうとし、最後に舞鶴の天士であった男を見下す。
「サンダース君、結果的には君のお陰でサンプルを入手出来た。その献身には感謝しよう」
言いつつも、ラスプーチンは男を踏みにじる。
「だが、君は舞鶴を無駄に大破させた。その責は万死に値する」
サンダースは僅かに呻き、そして絶命した。
(やれやれ、図面を手に入れているとはいえ安い機体ではないのに……む?)
その時、彼の耳になにかが聞こえた。
風切り音。しかし、その所在は掴めない。
(どこからだ? どこから聞こえる?)
周囲を見渡すも、それらしい音源は存在しない。
サイレンに近い音。一〇年前は誰もが震え上がった音を、ラスプーチンはようやく思い出す。
「上かっ!?」
20ミリガトリングの雨がラスプーチン目掛け降り注いだ。
毎分六〇〇〇発の豪雨は地面を砕き、地形を更地に変えてしまう。
腕を一発被弾し、ラスプーチンの表情から初めて余裕が消えた。
痣一つない腕をさすりつつ独白する。
(精度が高い―――こいつは、エースだ)
イリアがいるにも関わらず放ったのだ。余程腕に覚えがなければ出来ることではない。
上空から飛来するのは荒鷹。それも、背面にエンジンを増設され、カナードを追加した特殊なシルエットの機体。
白を基調とした赤と青のデザイン、トリコロールの鮮やかな塗装を施された荒鷹は、こともあろうか気配を消す為にエンジンをカットして急降下してきたのだ。
「―――うるさい」
目覚めたイリアが、ラスプーチンに拳を放つ。
「ぐあっ!? もう、再起動したというのかっ」
ラスプーチンの拘束から抜け出したイリアは手近な建物の壁を駆け上り、真上へと跳躍する。
荒鷹のエンジンが始動し、高度三〇メートルほどでホバリング。
キャノピーが開き、コックピットの男は手を下方に伸ばした。
「イリアッ!」
「兄さん」
兄妹が手を繋ぎ、荒鷹は緊急離脱を開始する。
「ソフィーとレーカも助けてっ」
「今はイリアだけで限界だ!」
義妹の胸から流れる血に怒りが込み上げるも、ギイハルトは努めて冷静に状況を分析した。
ギイハルトの愛機である荒鷹・高機動試作機は実験機に戦闘用ユニットを背負った機体である。
高い運動性と瞬発力を有した改造荒鷹だが、技術スタッフが乗り込めるように後部座席が設けられているなど、戦闘とは無関係な部分も多い。
その後部座席に妹を放り込む。戦うイリアを発見し急降下してきたが、ギイハルトにはこれが手一杯だった。
「敵はラスプーチン。ここで討つべき」
「―――なら尚更だ、今挑むべきではない」
スロットルを解放し、荒鷹は加速する。
負け戦はしない。それがギイハルトのやり方である。
「でも、子供達が」
「俺ではラスプーチンには勝てない。それが全てだ」
普段は妹に甘いギイハルトといえど、これは譲らなかった。
ラスプーチンと距離を取るべく、全力で魔力をエンジンに注ぎ込む。
ターボファンエンジンの甲高い音に、アフターバーナーの轟音。
高度を取っている猶予はない。建物の隙間を鋼の鷹は飛び、周囲の壊れ物はことごとく吹き飛ぶか、衝撃波で粉砕されていった。
しかし、強力無比なエンジンも酸素がなけれは回らない。
ラスプーチンの無酸素結界が発動。荒鷹は、最大の強みである加速を喪失した。
「これは、そうか、ならっ」
だがギイハルトとて銀翼。白鋼のように、非武装故に逃げるしか出来なかった機体とは違う。
否、それ以上に。
多くの実戦経験を積むギイハルトは、引き金を引くことを躊躇わない。
操縦桿を引き、残った推力で機首を上げる。
上昇の為ではない。跳ね上がった荒鷹は後ろへひっくり返り、バックする体勢でガトリングを放った。
エンジンが停止しているとはいえ、飛行機は後進飛行するようには出来ていない。
重心は狂い、気を抜けば暴れそうな舵を必死で押さえ込む。
地面効果によって辛うじて浮いていられるものの、垂直尾翼は地に接触寸前。
射線は乱れ、町が20ミリ弾頭で破壊される。
「当たれ……!」
禄に狙いも定められない状況で、ラスプーチンを狙う。
狙いは本人ではなく、手にした杖。
20×102ミリ弾頭の一発が直撃し、杖が吹き飛んだ。
無酸素結界が解除される。
「エンジン再起動!」
主機が復活したことによりバックを制動する推力が発生。
浮遊装置全開。推力偏向を上昇に、カナードを下降に。
全ての手段を要いて背面のまま上昇した荒鷹は、速度が完全に潰える前に機首をすぐさま進行方向に向ける。
斜めのタイミングに機体全体がダウンフォースを発生させ、僅かに垂直尾翼を擦ってしまう。
だからこそ勢いよく機体を跳ね上げたのだ。機体は重力に逆らって浮かび上がり、五〇メートルほど高度を確保した後に水平方向へ急加速した。
「ッ、逃すか!」
術式を展開、雷系上位魔法を放つ。
紫電が凝縮し、三〇条の槍がラスプーチンの周囲に配置された。
「『ライトニングワインダー』」
蛇のように荒鷹を追撃する雷。
雷の本来の速度は飛行機が逃げ切れるほど遅くはないが、この魔法は術者の任意操作によって飛翔する。
ギイハルトの操縦技術とラスプーチンの制御技術の勝負。
鋭角な軌道にて槍を回避するギイハルト。同時に複数の目標から逃げきるのは、銀翼たる彼にとっても容易ではない。
敵魔法の進路を予測し避け続けるも、ギイハルトの脳裏には撃墜のビジョンが浮かんでいた。
(あと一本……!)
飛来する雷。
避け切れぬと見たギイハルトは賭に出る。
機首を大仰角で引き上げ、進行方向に腹を見せる、つまり立ち上がった体勢となる。
いわゆる空戦機動・コブラ。立ち上がった蛇を思わせる姿からそう呼ばれるようになった、デモンストレーションの意図が強いマニューバである。
ギイハルトからすれば上方より迫る雷。
魔法は機体後方へと直撃し、爆煙と轟音を散らした。
「やったか?」
零夏が起きていればツッコミを入れていそうな一言を呟き、ラスプーチンは荒鷹を包む煙が晴れるのを待つ。
荒鷹は堕ちていなかった。増設された背負い式のエンジンがひしゃげて火を吹いているが、それでも飛行し続ける。
煙の中から再加速する荒鷹。
(追加エンジンを盾にしたか、だがあれだけダメージを受けていれば全力飛行は出来まい)
そう予想するも、ラスプーチンは未だ荒鷹高機動試作機を侮っていた。
爆発ボルトが追加エンジンの接続部を吹き飛ばし、支柱がずるりと機体本体から抜ける。
続いて大小様々なケーブルやホースが千切れ、遂には戦闘用ユニットは荒鷹から完全分離した。
接続部であったエアブレーキをパタンと閉じ、荒鷹は何事もなかったかのように離脱していく。
「トカゲかあれは」
しばし荒鷹を睨むラスプーチンであったが、互いに射程の外まで逃げおおせられたと理解し鼻を鳴らした。
「まあいい、元よりこちらの目的は姫だけだ」
「レーカ? 起きているの?」
覚醒していく意識。
おぼろげな視界に映るのは、豪華絢爛な内装だった。
見慣れぬ模様の天井。その迷路を視点で辿ってみるも、すぐ飽きる。
普段ならお約束の台詞を呟いたって良かったが、そんな気分には到底なれなかった。
「……どこだ、ここ」
ひょっとして今までのことは夢で、俺はゼェーレストの屋敷の一室で目を覚ましただけではないかと淡い期待を抱く。
「ラウンドベースの中」
そんな願望を打ち砕くのは、疲れた目をしたソフィーだった。
俺が眠っていたベッドに腰掛ける彼女は、初めて見る華美なドレスを着ている。
「なんで着替えているんだ?」
「着替えさせられた」
若干頭に血が上るのを覚える。どこの変態だ、ソフィーを着せ替え人形にしたのは!
「誰に」
自分でも驚くほど低い声だった。
「女の人。でも自分で着替えたわ」
そうか、良かった。ソフィーの肌を野郎の目に晒したくなどない。
ソフィーの隣に並んで腰掛けると、彼女は力なく俺によしかかってきた。
その消耗した様子からピンとくる。
「ずっと見ててくれたのか?」
「……一人は、嫌」
答えになっていないが、彼女が孤独という不安にかれていたのは解る。
テロリストの目的はソフィーだった。ならば俺はただのオマケだ。
俺に危害を加えられないように、目覚めるまで見守ってくれていたのか。敵陣の真ん中で精神的にも疲弊していただろうに、たった一人で。
自分で着替えたからか、若干よれよれのドレス。ソフィーを立たせ、痣等がないか確認しつつ服を整える。
「そうだ、あの髭面に魔法で気絶させられたんだ。あの後どうなったんだ?」
「う、う~ん」
っておい、寝るな。
ソフィーがぽつりぽつりと語った内容は、つまりこうだ。
イリアが救援に来てくれた。
でも髭面と戦闘となり、負けて撤退した。
以上。
安堵からか、眠たげに目を擦るソフィーから聞き出せたことはその程度だ。
幸いソフィーに手荒な真似をされた形跡はなかった。俺を気遣って黙っている可能性もあったから。
睡眠欲に身を任せ、俺に身体を預けるソフィー。
「いい匂い」
「気のせいだ」
「レーカの匂い」
汗の臭いオンリーだと思うが。
精神退行気味に思う存分甘えてくるソフィーだが、ここは好きにさせておくか。敵の腹の中とはいえ身動きが取れない以上休息の時には違いない。
頬をつついて遊びつつ、周囲の解析を行う。
なるほど、ここは牢屋だ。
(三六〇度を魔導術式による物理結界、扉の前には監視が二人。だがそれはフェイクで、壁の中に三人、天井に二人。扉に触れただけでワイヤーカッターが飛び出し、換気口はガチガチに封じられていて空気以外は通過不可能)
一見ゼェーレストの屋敷や昨日まで泊まった宿屋と変わらない、気品溢れる洋室だが……映画やアニメのように華麗に脱出、とはいかないか。
一応手作業で部屋を物色する。作業途中でソフィーが目を覚まし、ひょこひょこと雛のように着いて来るのが可愛かった。
別に解析だけで判らなかったことがないかを目視で再確認しているわけではない。
現状、俺の武器は解析魔法だけだ。アナスタ……ナスチヤからしても未知の魔法であったコイツなら、この牢屋も対処法を考慮していないはず。
なので解析魔法の存在を隠す為にわざとらしく部屋を物色するフリをする。一枚壁の向こうに監視員が控えていると知りながら、真顔でタイルの物色をしなければならないのだ。
(こんなもんか……ついでに癇癪を起こしたフリでもしておくか?)
そんな思案をしていると、突然扉が開いた。
素早くソフィーを俺の背後に隠し、扉の先を睨む。
仰々しいスライド式の扉。その奥は廊下ではなく、鉄格子。
鉄柱の隙間から俺達を見る男は、まずこう口を開いた。
「やあ、気分はどうだ?」
「……アンタか」
見知ったその顔に、そうきたかと内心嘆息する。
「ふむ? あまり驚いていないな」
「昨日から疑っていたからな。違和感に気付いたのは別れた後だったが」
動言に奇妙な部分があったからこそ、最低限の警戒は行っていたのだ。
「ほう、なにか失言をしたかね」
「失言というほどでもない。裏があるのではと思っていたが、まさかテロリストの一員だったとはな」
信じたくはなかった。気のせいであってほしかった。けれど、ここに俺の勘は事実であったことが証明される。
「見損なったぞ―――ヨーゼフ」
人型機乗りの自由天士であったはずの男は、嫌みったらしくパチパチパチ、と拍手した。
「なぜ気付いたか、後学の為に教えてもらえんかな?」
「……そもそも、一年前に数回会っただけの俺の顔と名前を覚えていたのが不自然だろ」
普通覚えていない、一年前の顔見知りレベルなんて。
「だがもっと奇妙なのは、アンタ昨日去り際にこう言った」
『どうやら私はデートの邪魔のようだ。これにて失礼する、レーカ君、ソフィー嬢』
「なぜ、ソフィーの名前を知っていた?」
これこそが唯一にして最大の疑問だった。
昨日の会話において、ソフィーは名乗っていないのだ。
「一年前から覚えていた? ただの村娘であるはずの、ソフィーの名を? それこそありえない。人見知りのソフィーが、外部の人間と会話したはずもない。なんらかの調査を行ったんじゃない限り、ソフィーの名を知っているのは不自然だ」
「多分に推測混じりだが、確かにその通りだ。私も詰めが甘い」
くつくつと生理的に嫌な笑いを漏らすヨーゼフ。
「君達、正しくは姫君への接触は厳禁なのだがね。姫君の所在を発見した功績でそれなりに出世したので許可が降りた。この出会いに感謝しなくてはな」
「……お前達の目的はなんだ、ソフィーをどうする気だ」
「冷静だな。やはり歳分相応だ」
なんなら殴りかかってやろうか?
結界に阻まれるのがオチだが、馬鹿のふりをして油断を誘うのもありかもしれない。
「同志達は姫達ばかり注視するが、私は君こそ世界の行方を左右する鍵ではないかと思っているのだよ」
「世界なんて興味ないね、このあいだまで俺の世界はゼェーレストだけだった、それでも満足していたんだ。……姫達、だと?」
聞き逃すところだった。誰だ、姫『達』って。
「やはり君は優秀だ」
リデア姫か? 違う、この町にはあと一人姫がいる。
「……お母さん?」
「その通りで御座います、ソフィアージュ姫」
慇懃無礼に頭を垂れるヨーゼフ。
「我々、紅蓮の騎士団の目標は貴女の確保。そして―――」
零夏達が捕まっている間に、テロリストの作戦は次の段階へと進行していた。
人型機部隊を満載した大型級揚陸艦が、町の各地に分散して強行着陸する。
三〇〇メートルの巨船が降りられる場所など首都内部にはほとんどない。しかし、彼らはそれを問題としなかった。
解決作があったわけではない。
単に、人間達の上に着陸したのだ。
建物をなぎ倒し、不時着するように速度を殺し切らぬまま接地する。
眼前に迫る巨大な船。見慣れているはずの船が、彼らには最悪の魔物に見えた。
一隻降りる度に逃げ遅れた、逃げる猶予もなかった人々がミンチとなっていく。
地獄絵図は局地的なものではなくなっていた。
首都の至るところに赤い川が流れ、誰かの悲鳴が響く。
大型級飛宙船から人型機が発進し、何らかの『目的地』を目指し作戦行動を開始する。
しかし彼らが順調に侵攻していたのは、ここまでだった。
大会警備の為に各所に配置されていた軍機と戦闘に陥ったのだ。
奇襲を受けたとはいえ、数で勝る地上軍。
物量が物を言う地上戦にて、テロリスト達は少なくない血を流すのであった。
市街地による戦闘は、多くを破壊し命を奪っていった。
誰もが思い知る。
一〇年間の平穏が、終わりを告げたのだと。
民衆が混乱に陥る中、ガイル等は人混みの中を必死に駆けていた。
体力のあるガイルがマリアを背負い、それにアナスタシアとキャサリンが続く。
城近くにいた彼らだが、状況を把握するとすぐに行動を開始する。
白鋼の安否が気になるところであったが、民間人の彼らに出来ることはない。
まず優先したのは、非戦闘員であるマリアとキャサリンの母娘を安全な場所へ送り届けることだった。
城で預かってもらう、というのは却下された。テロリストの目標にドリット城も含まれていると判断したからだ。
それに、小さいながらも城以上に堅牢で安全な場所を彼らは知っていた。
「こっちだ! 路地を抜ければ近道になる!」
「詳しいわね、さすがに」
「当然だ、地元だからなっ」
先導するガイルが向かう先は、彼の実家、イソロクの雑貨屋である。
「あそこには地下シェルターがある、あそこ以上に安全な場所はない!」
空を飛び交う戦闘機。
それをちらりと見つめ、ガイルは舌打ちした。
(俺も上がれればいいんだが、このままじゃ航空戦力が無駄死するぞ!)
爆装状態で上空待機する戦闘機達は、テロリストの戦闘機にとって格好の的。
それでも彼らは爆弾を棄てることもせず、飛び続けなければならないことをガイルは知っていた。
護衛機も存在するが、なにせ敵からすればどこを見ても当たるのだ。
誰かが死んでいく。一機、また一機と。
翼に機銃を受けた共和国主力戦闘機・亡霊が墜ちる。致命傷は避けたようだが、バランスを崩して少し先の道路に不時着した。
ふと、時計台が視界に入る。
首都に住まう人々の為に、毎日時を刻み鐘を鳴らす時計台。
広いこの町には多くの時計台が設置されているが、その上に人陰を見たのだ。
(こんな時になにをやっている?)
目を凝らすと、その男達は動きが整っていることが見て取れた。
軍人。ガイルはそう断ずる。
他の時計台に目をやっても、同じく軍人らしき連中が作業をしている。
そう、テロリストに制圧された時計台ではどこも、だ。
(なるほどな、そういうことか)
ガイルはおおよそテロリストの手段を理解した。目的ではなく、手段を。
この時期に城付近及び時計台を制圧するとなれば、やるであろうことは一つだ。
(だが、なぜ? いや―――)
片目を閉じて爆風を凌ぐ。すぐ近くに亡霊が墜落したのだ。
上下逆さまの背面姿勢にて大破した亡霊。
(垂直尾翼が破損していたな)
制御不能となり錐揉み状態で墜ちたのだろう。コックピットは地面に押し潰され、まるごと残っていない。
今この町は戦場だ、暢気に考え事をしている場合ではない。まずは戦えない者を安全な場所まで送り届けなければ。
と、そこでガイルは自分の妻が墜落した亡霊を凝視していることに気付いた。
「ナスチヤ?」
アナスタシアは今墜落した亡霊と、先程不時着し天士が退避した亡霊を見比べる。
片や翼を砕かれ、片や機体上部を潰され。
「……あなた。五分、いえ三分待って」
アナスタシアは燃え上がる裏返しの亡霊の腹に飛び乗り、魔法で強引に主翼と胴体の接続を切り始める。
「何をするんだ!?」
「ニコイチするわ、あなたは空に上がって!」
「なっ!?」
こんな設備も何もない場所での共食い修理―――ニコイチ。しかし、それ以上にガイルを驚かせたのはアナスタシアが自分を守らせないことだった。
「馬鹿を言え! 俺はお前の騎士だ、全てにおいてお前を優先する! そう誓ったろう!」
「今この町は多くの民が亡くなっていっているわ。彼らを守るのはあなたの責でしょう」
「英雄としての俺はもう死んだ! 今の俺は、お前の夫だ!」
「どっちよ、騎士なのか夫なのかはっきりなさい」
身体強化魔法を発動し、一枚板の亡霊主翼を持ち上げる。
「私はキャサリンとマリアを守りながらでもそれなりに戦えるわ。むしろ、地上ではあなたの方が足手纏いじゃない」
「うぐ」
「テロリストの撃退はソフィーとレーカ君の保護にも繋がるわ。民と私なら私を選ぶとして、ソフィーと私ならどっちを選ぶ?」
「……そんな質問するな」
「ごめんなさい。でも、ちょっとだけでいいから娘の味方をしなさいな。あの子はこんなおばさんより、ずっとずっと先があるんだから」
亡霊の主翼をフレームごと再結合する。永久結合部品となってしまったが、一度戦う分には充分だ。
「俺は空に上がると承諾した覚えはないんだがな」
「なら行かない?」
「いや……地上では役立たずなのは事実だ。使わせてもらおう」
「はいっ、これで飛べるわ」
手早く修理を終えたアナスタシア。
「早いな」
「レーカ君の癖が移ったのよ」
ガイルは亡霊に飛び乗り、エンジンコントロールを立ち上げる。
「亡霊は自力で点火出来ないのか。ナスチヤ、魔法で回してくれ」
「いくわよっ!」
回転するタービン。燃料が供給され、燃焼室に火が点る。
亡霊のバーナーが再び炎を噴いた。
上昇する亡霊に、アナスタシアは手を振った。
「GoodLuck」
ガイルは親指を立てて返答し、機体を前進させた。
眼下にキャノピー越しに見つめる最愛の妻。
その姿が、ガイルには妙にはっきりと印象に残った。
夫を戦場へと見送り、アナスタシアは安堵したように頬を緩めた。
「キャサリン、マリアちゃん。悪いけれど二人で先に雑貨屋へ行っていてくれる?」
「えっ?」
「どういうことだい、アナスタシア様」
驚くメイドの母娘。護衛がいなくなることを心配したのではなく、アナスタシアが別行動することに身を案じたのである。
「少し寄り道をするだけよ。すぐ追い付くわ」
キャサリンはそれが嘘だと看過した。
しかし、それに逆らう選択肢もないことを彼女は知っている。
「―――そうかい、んじゃあ行くよマリア!」
「え、でもお母さん!」
躊躇う素振りも見せずに駆け出すキャサリンと、手を引かれアナスタシアを気にしつつも母を追うマリア。
アナスタシアはキャサリンに内心感謝しつつ二人を見送る。
主従の立場であれど、キャサリンは同性の友人であり家族なのだ。彼女の一瞬の葛藤くらい見抜いていた。
一人となったアナスタシア。
ゆっくりと振り返り、虚空を睨む。
「そこにいる奴、出てきなさい」
「―――夫を逃がしたか、賢明かもしれんな」
陽炎のように現れた男を見て、アナスタシアは目を見開いた。
「ラス、プーチン……!?」
「美しくなったな、我が愛弟子よ」
ローブ姿の男、ラスプーチンはアナスタシアの魔法の師であった。
そう、それは大戦が始まるより前。アナスタシアの家族が全員揃っていた頃の記憶。
「―――ッ! 生きていたというの?」
「誰もかもそう言う。そんなに不思議か」
杖を構える両者。
「そういきり立つな。娘がこちらの手中にある以上、元よりお前に拒否権はない」
「なっ」
「来て貰うぞ、ナスチヤ」
「その通りで御座います、ソフィアージュ姫」
慇懃無礼に頭を垂れるヨーゼフ。
「我々、紅蓮の騎士団の目標は貴女の確保。そして―――」
刹那の間を置き、彼らの真の目的を知る。
「―――救国の姫君・アナスタシアの首だ」
現在戦闘中の銀翼(軍が把握していない者も含む)
二つ名なし ギイハルト・ハーツ
帝国の悪魔 ハンス・ウルリッヒ・ルーデル
白い死神 シモ・ヘイヘ
厄災の双子 エイノ・ユーティライネン
厄災の双子 アルーネ・ユーティライネン
微熱の蜜蜂 エカテリーナ・ブダノワ
最強最古 キョウコ
紅翼の天使 ガイル・ファレット・ドレッドノート
VS 1000
NGシーン
作中の空気が合わないのでカット。
物陰からラスプーチンとアナスタシアのやりとりを見つめるメイド親子。
キャサリン「アイツはまさか!」
マリア「知ってるの?」
彼女達の背後に忍び寄る人影。
テロリスト「げへへ、別嬪さんの親子がいるぜ!」
キャサリン「は、離せ!」
マリア「お母さん!」
メイド親子ピンチ!
テロリスト「戦利品って奴だ、ひっひっひ」
テロリスト「俺はチビの方貰うぜ」
テロリスト「うへへ」
その時、何者かがテロリストを後ろから殴り昏倒させる!
???「大丈夫か!?」
親子「あ、貴方は!」
そう、彼らは―――
『俺達ドリット最速連合! ヒャッハー、町の治安は俺が守るぜー!』
―――いつぞやの暴走族!
キャサリン「誰?」
ヒャッハー『俺達が来たからには安心ですぜ、姉御!』
マリア「誰が姉御よ!?」
本当のあとがき
漫画アンリミテッドウィングスを読みました。あのエアレーサー達なら、前話の橋の下を800キロで飛ぶのが実際に可能かも、と思えるのが凄まじいですね。
プロペラ機もいいもんです。セルファークはジェット主体の世界なのが残念。いやジェットにも素晴らしい機体はいっぱいありますよ? 形はむしろジェットの方が多様性がある気もしますし。
ところで、今回ラスプーチンを調べてみて気付いたのですが娘の名前が……
後付けですが、面白い展開に出来るかも?




