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銀翼の天使達  作者: 蛍蛍
大陸横断レース未成年の部 編
33/85

終わりと始まり



「ふぅん!!」


 呼気と共に膨れ上がる大胸筋。


「ふぉお!!」


 老人の老いを知らぬ筋肉からは、湯気が立ち昇り汗が吹き出す。


「ぬうううぅぅぅっ!!!」


 上腕二頭筋をしならせ、華麗かつ吐き気を催すほどに胎動する筋肉。


「ふぉぉぉぉぉ……!」


 それは舞。とにかく暑苦しく、あまりにも見苦しく、なにより残念なことに芸術の域に達してしまった舞踊。


「むふぅ!!!」


 気合い一発。全身の筋肉がパンプアップし、その肉体美をただ一人の観客に見せつけた。


「……のう、お主よ」


「どうしましたかな、姫様?」


 リデア姫は半目で頬杖をつきつつ、目の前で体操し続ける男を見やった。


「わしはいつまで主の奇声を聞き続けなければならないのじゃ?」


 とても可愛らしい金髪の小さなお姫様。

 彼女にとって、男の半裸体は見慣れたものである。


「いやぁ、若者達が腕を競い合うのを観戦するとなると、私も胸が熱くなりましてな。身体を冷まさねばやってられませぬ」


「なら廊下でやってこい」


 ここは貴賓席。城のバルコニーに設置された、金を幾ら積もうと買えない国賓用のVIP席である。


「私は大陸横断レースを観戦しにきたのじゃ。なにが悲しくて主の半裸なぞ……そもそもわしは姫じゃぞ、お姫様じゃぞ。もう少しデリカシーというものを「おお、出場選手が出てきましたぞ」聞けよ」


 国民に愛されるアイドル姫。その実態は中々に苦労性だった。

 もっとも、リデア姫が暴走した際に止めに入るのもこの老人だが。

 開会式で姫の首根っこを掴んで回収した男はコイツである。

 城前広場に並ぶ選手達。


「元天士として、気になる選手はおるか?」


「元とは失敬な、私はまだまだ現役ですぞ」


 かつて空の戦場を駆けた男の目は、並の望遠鏡を凌駕する。


「いや王族相手に失敬って、いやもういい……」


 一人一人の顔付きを確認し、最後に予選一位、二位へと目が止まった。


「ふむ、やはり彼らですかな」


 予選を圧倒的な速度で突破した、奇妙な二つの機体。

 片方はリヒトフォーフェン家の長男ということで金に任せたと推測出来るが、もう片方は陽炎のように予兆なく世界へと現れた。

 男は少年を見つめ、驚愕する。


「あれは……!」


「どうかしたのか?」


 リデア姫の視力では、バルコニー眼下に並ぶ選手達の顔までは認識不可能。

 なぜ少年に驚いたのか、彼女には理解出来なかった。


「しかも隣の少女は……!」


 髪の色を変えていようと、その顔立ちを見間違えようか。

 否。似ている、似ていないなど些事でしかない。

 彼にとって重要なのは、ただ一つ。


「……Charming(可愛らしい)……」


「もうお前黙れ」


 そういえばこいつ、圧倒的年下の嫁を貰うようなロリコンだったなとリデア姫は思い返し、己が貞操に若干の危機感を覚えるのであった。


「こっちに戻ってこい。万が一お主の裸体が選手の視界に入ってしまったら重大な精神的支障をきたす。それはあんまりじゃ」


「そうですな、あ、ミルクはどこですかな?」


「紅茶用ならここに……っておい」


 老人はミルクのポットを腰に手を当てて一気飲み。


「ふう、やはり体操とミルクは最高ですな!」


「なんでお前なぞがわしの世話役なのか……唯一神セルファークを呪いたい気分じゃわい」


「違いますぞ、姫様。私は世話役兼執事兼護衛ですな」


 はぁ、と溜め息を吐く。


「いいから服を着ろ―――ルーデル」


 男の名はハンス・ウルリッヒ・ルーデル。かつて共和国陣営の人型機(ストライカー)を数え切れぬほど破壊し、悪魔、死神、魔王、破壊神、変態、ロリコン、リアルチート、バグキャラと呼ばれ恐れられた男である。

 その武勇伝は銀翼の中においても際立っており、詐欺師すら彼を語る時は嘘が嘘にならないとされるほど。

 そして、かつて最強と呼ばれた天士―――紅翼(せきよく)の天使と渡り合った男である。

 地上攻撃機で。


「汗が引いたら着ますぞ。ふんふんふん!」


「や、やめろ! 犬のように体を振って水気を飛ばすな! 結界結界!」


 飛んでくる汗に最上級結界魔法で対抗するリデア姫。

 過剰防御ということなかれ。ルーデルという男に常識は通用しない、あるいは汗粒が結界障壁を貫くかもしれない。


「しかも汗臭い! 水浴びをしてくるのじゃ」


「そうですな、運動の後にはシャワーを浴びるのが嗜み。おい、そこの男よシャワー室に案内しろ」


「それは共和国大統領じゃ!」


 今ではすっかり、リデア姫を見守るお爺さんである。








 若干時は遡り、大陸横断レース未成年の部、開始直前の控え室にて。


「ソフィー、ご機嫌いかが?」


「平気よ、今日は観客はいないんでしょ?」


「ま、そうだな」


 昨日ほどは緊張していないソフィーに内心安堵しつつ、マリアと試合前最後の会話を交わす。


「今日はおまじないはなしか?」


 にやつく顔を必死に抑え込み、神妙に語る。


「な、なしよ!」


 アナスタシア様……じゃなかった、ナスチヤにからかわれたと気付いたらしい。


「そっか……マリアのおまじない、すっごく心強かったんだけどな……」


 しおらしく悲しんでみる。


「ただのおまじないよ!」


「これから孤独なレースに挑むんだ、おまじないでも縋りたいんだよ……マリアのおまじないなら、御利益もばっちりだろうしね」


「そ、そこまで言うなら……目を閉じて」


 よっしゃキタコレ。


「マウストゥーマウスでお願いします」


 「んー」と唇を尖らす。


「最低!」


 バチーンと頬を張られた。






「やぁ。……なんだいその顔」


「名誉の負傷だ」


 キザ男が指摘したのは俺の頬の紅葉である。

 城内の広場にて、それぞれの機体へと乗り込む選手達。予選順位の順番で並んでいるので、自然キザ男の隣となる。

 コックピットに潜り込むと、キザ男はわざわざクリスタル通信を繋げてきた。


『ふん、どうせそちらのお嬢様(フロイライン)を怒らせでもしたのだろう? これだから女性の扱いに疎い男は困る』


 ごく微力で魔力を同調させれば、距離を調節して内緒話することも可能だ。俺達の会話は他の機体には届いていない。


「フロイラインフロイラインうるせぇよ」


 俺がもし小説の主人公だったら、作者は「ルビふるの面倒くせー」とぼやいているに違いない。


『首都ドリットへとお集まりの皆さん、そして世界各地で私の声を聞く皆さん! お時間となりました!』


 昨日と同じ実況者が、通信機の向こうで声を上げた。


『例年になく異様な空気の漂う今レース! 出場する一〇名の、じゃなかった、十一名の天士をご紹介しましょう!』


 司会者は言葉だけで人々のボルテージを盛り上げ、観客もそれに応じ沸き立つ。

 本戦のスタートは城の敷地内からだった。五〇メートルはある巨大な城壁に囲まれているので、観客の視線がないのが気楽だ。

 城は首都ならばどこからでも見える。より多くの人々がスタートを観戦出来るように、このような形式となったらしい。

 観客がないということで、ソフィーとしては幸運だった。


『まずは例年お馴染み、教国立魔法学園の航空クラブよりの参加! 搭乗天士は部長の―――』


 司会者は予選より気合いの入った説明を始める。これって一人一人紹介するのか?

 度肝を抜くのは悪くないが悪目立ちは嫌だなぁと考えつつ、他の機体を観察。

 やっぱりレベルが高い。新造機も幾つかあり、「参加することに意義がある」などいった生半可な心意気ではない。

 正しい知識だけとは限らない。時に泥臭い努力で、時に奇抜なアイディアで。

 一つ一つの課題をクリアし完成した飛行機(ソードシップ)はけっして洗練されておらず、しかしどのような剣よりも磨き抜かれている。

 この機体達を作った者達は、きっといいメカニックとなる。


「とはいえ、目立った機体はない、か」


『僕達と比べれば、見劣りするのは仕方がないことだ。ネ20エンジンによる音速突破など本来不可能なのだからな』


 さりげなく自分を加えるな、マッハ1しか出していない癖に。


「拍子抜けだが、さくっと優勝トロフィーかっさらうか」


『やれやれ、これだから庶民は』


 キザ男が肩を竦めるのを幻視した。


「キザ男は余裕だな、スペックの差を思い知ったのはお前だって同じだろうに」


『さっきから、そのキザ男というのはもしかして僕のことかい?』


 他に誰がいる。


『僕にはマンフレート・リヒトフォーフェンという名前があるのだ。しっかりと『様』まで呼ばねば不敬だぞ、平民』


「了解しましたキザ男様。そんで、なんでそんな余裕なんでありますか貴族様」


 キャサリンさんがとりあえず『様』を付けて済ます気分が解った気がする。


『ふふん、僕の赤矢(レッドアロウ)を昨日と同じと思ってもらっては困る』


 赤矢が昨日と違う? 一晩で改造したというのか?

 観察してみると、解析するまでもなく違いが判った。


「ミサイル、いやロケット弾?」


 赤矢翼下のパイロン……爆弾などを取り付ける部分に、小さな翼の付いた筒が搭載されていた。

 セルファークには追尾ミサイルは存在しない。が、直進しか出来ないロケット弾は存在する。


『その通りだ。しかし火気管制が不調でね、点火しても射出しないのだよ』


「つまりロケットブースターか」


 ロケット弾を使い捨て加速装置にしているのだ。せっけぇ。

 大気整流装置によって空気抵抗がない赤矢は無限に加速出来る。しかし、エンジンはただのネ20エンジン改造品なので加速性能は悪い。それを補う為の加速装置、というアイディアは理にかなっている。


「つーかエンジンはネ20エンジン以外使えないはずだが。ルール違反だろ」


 あれって科学固形ロケットか、珍しい。ロケット花火の凄いバージョン。

 クリスタルも魔導術式も高価だし、使い捨てには向かないんだよな。セルファークでも地球形式のロケットやエンジンは研究されているのだ。


『これは武装だ。エンジンじゃない』


 いや、武装付けてレース出るなよ!?


「そんなのありかよ。あとなんでレース機にパイロンがあるんだ」


『僕はいつか帝国軍に入るからね。その際はこの飛行機を持ち込もうと思っているから、武装の余地は残しているんだ』


「軍隊って持ち込んだ機体を使えるのか?」


『エース級であれば、だな』


 こいつ今、婉曲に自画自賛したぞ。


『―――の赤矢、本戦ではどのような飛行を見せてくれるのでしょうか! さあそしてラストは―――』


『しまった、貴様のせいで僕の賞賛を聞き逃したぞ!?』


 賞賛じゃなくて紹介だ。

 俺としては恥ずかしいので、自分の紹介なんて聞き逃したかった。もう少し話し込んでいるべきだったな。


『……なんだこれ? あっ、えっと』


 なんだろう、司会者が戸惑っている。


『な、謎の天士(エックス)! 白鋼(しろがね)を操るは謎の天才美少女天士! ついでに後ろのオマケ! もういっちょ、超天才絶世美少女!! ……この原稿書いたの誰』


 マジで誰だ。ってガイルだろうけれど。

 ツテで手回しして個人情報を省いた原稿にすり替えたのだろうが、むしろ酷い。

 前部座席でソフィーが頭を抱えている。観客がいなくて、本当に良かった。


『と、とにかくコースの説明に移りましょう! スタート地点は首都のどこからでもご覧頂けるドリット城! 城壁をスタートラインとし、首都を三周して城内へ再び着地するまでがコースとなります! しかし勿論それだけではない、首都外周を回るスピードセクションの他に、空中に張られたロープの輪を潜り抜けるテクニカルセクションが存在! 首都上空でのアクロバティックな飛行をお楽しみ下さい!』


「ややこしいわ」


「番号の旗があるそうだから、多分迷いはしないだろう。俺が暗記しているから、判らなければ聞いてくれ」


「うん」


 ナビだからな、うまく彼女をサポートせねば。


「だけど、最初の問題は目の前にあるよな」


「……そうね」


 俺達に立ちふさがる最大の壁。

 それはまさに、壁だった。


『どうしよう……』


 視界が壁で満ちている。

 城壁をスタートラインとする、と司会者は言った。それは偽りなく、飛行機達は城壁に機首を向けてほぼ無距離で待機させられていたのだ。

 浮遊装置があれば垂直に五〇メートル昇ればいいが、白鋼はそうはいかない。


「なんとか短距離離陸出来ない?」


「無理よ、向かい風もないのに。こんな狭い空間ではどっちに飛んでも危ないと思う」


 そりゃあ四方を壁で囲まれているんだし、風なんてないか。

 横を向こうにも、大きな木が邪魔で離陸速度まで達せない。


「エンジンは強力なのだから、一度上を向いてしまえば垂直上昇出来るわ」


「どうやって上向くか、だな」


「考えがないわけではないのだけれど」


「……お聞かせ願おう」


 彼女の案は、案の定ぶっとんだものだった。


「レーカ、降りて」


 ……それは軽量化的な意味で?


「降りて、白鋼の前輪を上に放り上げて」


「人力かよ」


 スキージャンプ滑走路が可愛く思える発想である。


「白鋼は俺が乗っていないと全力飛行出来ないぞ?」


「風防を開けておくから、追い付いて飛び乗って」


 無茶を仰る。


「無理?」


「よゆーだし。ちょーよゆーだし」


 いいだろう、やってやろうじゃないか。


『時刻となりました! では、カウントダウンを開始します!』


 風防を開けて立ち上がり、動翼のチェック。ゴーグルとしっかりと着ける。

 他の機体がアイドリングを開始するが、白鋼は燃料が勿体無いのでまだ我慢。


『ナイン! エイト! セブン! ……』


『ああ、そうだ。一つ言っておかねばならないことがある』


「ん、なんだよ」


 隣の機内でキザ男が髪をかきあげる。


『君ではない。お嬢様(フロイライン)に用があるのだ』


「なぁに?」


 風防越しだからか緊張感もなく、緩んだ返事を返すソフィー。


『う、うむ、あー、うん』


 早くしろ、レースが始まるぞ。


『昨日は田舎娘などと言って済まなかった』


「……気にしていないわ。ゼェーレスト村の方が過ごしやすいのは事実だもの」


『そ、そうか。ではレースが終わったら改めてお茶でも……』


『―――ツー、ワン、スタート! 大陸横断レース未成年の部、本戦開始です!』


 うわ、話し込んでいたら始まった!


『まずは僕の優勝を君に捧げよう! さらばだ!』


 浮上開始する各機。


「さて、俺達も行こうか!」


「うん!」


 機体から飛び降り白鋼の前脚を掴む。

 待機していたスタッフや騎士が怪訝な目を向ける。


「どうしたのかね、なにかトラブルでも……」


「お気になさらず!」


 身体強化魔法を発動。力を籠め持ち上げる。


「ファイトォォォ……いっぱぁつ、ちゃぶ台返しぃぃぃ!!」


 跳ね上がる機首。ソフィーはエンジンを点火する。

 排気に軽く吹っ飛ばされつつも、目をなんとか開いて白鋼を見守る。

 ふわりと浮いた機体。推力偏向を駆使し、白鋼は城壁に貼り付く。

 それはあたかも、平時に地面に据えられているかのように自然な光景だった。

 垂直に立ち上がり、空を見据える白鋼。

 ソフィーがスロットルを踏み込むと白鋼は壁を車輪で滑走し始める。

 最大出力こそ凄まじい白鋼だが、水素ロケットのみならば実は推力重量比は1,1。垂直上昇するには心許ない。

 白鋼の重量が三五二五キロなので、つまりおおよそ三五〇キロの力で持ち上げることとなる。

 ゆっくりと上昇開始する白鋼。


「早く乗らないと置いてかれる……結構高いなチクショウ!」


 ほぼ平らな城壁には取っかかりがないので、壁と対面の城を駆け登る。

 窓などに足をかけ、ひょいひょいと白鋼との追いかけっこを演じる。

 ソフィーも後ろにひっくり返らない程度に出力を落としている、追い付けないレースじゃない。


「なんじゃ、これは」


 飛行機が壁を駆け登る、という珍妙な光景に唖然とするリデア姫。

 彼女にとっての不幸は、今まさに足下から登ってきていた。


「っと、休憩ポイント到達―――うおぉ!?」


「な、なぬ!?」


 バルコニーに到着した俺は、気が緩んだ拍子に足を滑らせる。

 そこは貴賓席、リデア姫のテーブルの前。

 紅茶やクッキーをばらまきつつ、二人は衝突した。


「いたたた……うん?」


 目の前のきょとんと俺を見つめる可愛らしい少女に俺は首を傾げる。なぜアイドル姫様がここに。

 現状把握に努め、気付いてしまう。

 リデア姫を押し倒していた。

 しかも手の平が、触っちゃいけない場所を触っていた。


「ごごご、ゴメンナサーイ!」


「あ、待て!」


 白鋼に飛び移るも、バルコニー淵まで追いかけるリデア。

 待てと言われて待つ奴はいない。少なくとも俺は御免被る。

 上昇してゆく白鋼を見上げ、リデア姫は呟いた。


「まさか、あやつ……生きておったのか?」








『大陸横断レース未成年の部、本戦開始です!』


 広域通信を聞いていた男は、やおら立ち上がる。

 ここは首都近郊の林の中。小型級飛宙船(エアシップ)の荷台に乗せた大柄な戦闘機に乗り込み、男は誰にというわけでもなく呟く。


「捕縛対象の離陸を視認。作戦を開始する」


 魔法にてターボファンエンジンに火を入れ、優雅な曲線を描く機体は垂直離陸を開始する。

 林の所々から同じように飛行機が離陸する。


『我々の大望だ』


『望みをお迎えに』


『逝くぞ、同志よ』






「捕縛対象、離陸しました」


 どこかの艦橋にて、男は厳かに告げる。


「作戦開始」


 その一言で動き出す艦内。


「クリスタルルームを接続しろ、焼き切れている部分にはバイパスを繋げ」


「各員、待機状態へ」


「各ブロックからのレスが来ました。行けます」


「機関始動」


「出力一〇パーセント。失敗は許されんぞ」


「大型級飛宙船、発進準備完了」


「バラスト排水、艦を浮上させろ」


「バラスト排水。水深、三〇〇―――」






「随分と楽しそうなことをしていたわね」


 白鋼のコックピットで、零夏(れいか)はソフィーの皮肉に肩身の狭い思いをしていた。


「うううっ、不敬罪とかになっちゃうのかなぁ」


 両親が手を回せばどうにでもなるだろうと考えつつも、なんとなく面白くないので黙っているソフィーであった。


「どっち行けばいいの?」


「あっち」


「どっち?」


 他の機体よりワンテンポ遅れ垂直上昇で空に現れた白鋼に、観客はいよいよかと沸き立つ。

 予選ではともかく、本戦が開始された後も正体が明かされぬ天士。機体名と噂を頼りに人物像を描くのは、人々にとっていい話題のネタだ。

 白鋼の注目度は予選の比ではない。非公式の賭では白鋼と赤矢にオッズが集中し、他の機体は大穴状態であった。

 速度差が歴然としていた白鋼と赤矢だが、それでも倍率はほぼ同等。なぜなら白鋼は後退翼形態しか披露しておらず、外見だけで判断すれば直線翼の赤矢の方が運動性能に優れているように見えたから。

 観戦に熱狂する人々とて、白鋼の真の姿を知らない。


「こいつは、直線番長なんかじゃないぜ」


「とりあえず音速出していい?」


 零夏のゴーサインを受け、ソフィーは双方の操縦桿を後ろに引く。

 高速飛行形態となり、超音速で大気を貫く白鋼。

 眼下に亜音速で飛ぶライバル機を収めつつ、零夏は遙か遠方の赤い矢を解析にて発見した。


「言うだけある、速いじゃないか」


 マッハ2オーバーで加速し続ける赤矢。開幕にロケットブースターを使用した為、開始早々に音速突破していた。

 スペック上の最高速度、マッハ2,6で飛行する白鋼。それでも尚エンジンパワーには余裕がある。

 例年のタイムを大幅に更新してポイントを通過する二機に、観客は今年度の大会が歴史的なものになると確信していた。

 首都の外周を飛ぶ彼らは、やがて特に人の多い場所へ至る。

 空に設置された、幾つものロープの輪。

 でかでかと輪の下に番号が振られているのを確認し、これなら迷うこともないだろうとソフィーは安心した。

 テクニカルセクション。性能と技術を求められる、レース最大の見せ場である。


「あとはソフィーの自由にやってくれ。エンジンは俺が最適な状態にし続ける」


「了解―――前進翼形態!」


 主翼が、風に逆らうかのように前方へと変形する。

 白鋼は幾つかの姿を持つが、実のところはこの姿が基本だ。

 重心も、操縦系統も、エンジンも。

 揚力を最大限に発揮し、極めて不安定な制御下にて超絶的な運動性能を発揮する為に調節されている。

 元はといえば高速飛行形態とてソフィーの要望である「翼のように動かせる主翼」の変則パターンの一つでしかないのだ。

 ループをくぐる白鋼。

 本来であればセクション内のループを突破する為に大きく旋回を繰り返すところであるが、白鋼は違う。

 くぐり抜けた瞬間、機首を回し次のループへと向かうのだ。

 僅かな風ですらバランスを崩す過激なセッティングは、しかしそれを御する者にとっては武器でしかない。

 常人であればGで圧死するほどの旋回を繰り返す白鋼に、目下の人々は歓声を上げることすら忘れ見上げるしかなかった。


「ソ、飛行機(ソードシップ)だよな、あれ?」


「なんであんなに軽い動きなんだ、魔法でも使っているのか」


「天士は化け物か?」


 極限まで軽量化された機体は、慣性を振り切り鋭角な軌道を描く。

 人類の目にしたことのない、前代未聞の軌跡。それまでの飛行機の限界など、次元の違う存在にとっては比較対象にすらならなった。

 空を見上げる一部の者は、飛行機が世に現れた日を思い返す。

 大陸横断レースは本来、小型級飛宙船による競技だった。

 競技用に改造された飛宙船、しかしその船体は太く、野暮ったい。

 そんな中に一機、細く洗練されたシルエットの機体が存在した。

 常時浮遊装置を起動させるのではなく、主翼の揚力によって高度を維持する新たな発想の航空機。

 圧倒的な速度を見せつけ世界を圧倒した、紅の翼。その再現を時を越え娘が成し遂げたのだ。


「なんだあれ、翼が前に向いているぞ」


「風に逆らった翼? なぜあんな形なんだ?」


 そして前進翼という技術もまた、人々には異質なものとして映った。

 空とともに歴史を歩んだこの世界。航空機を目にする機会が多いセルファークの民にとって、翼とは風に逆らわない形状の物、という固定概念があった。

 前に伸びる羽など、有り得ない。自らの認識と目の前の現実のせめぎ合いに、常識が崩れ落ちる音を聞いた者は少なくなかった。

 瞬く間にセクションをクリアする白鋼。

 既に、赤矢は目の前だ。


「捉えたぞ、キザ男!」


「操縦したの私よ?」


『……ああ……たの……』


 ノイズ混じりの通信に眉を顰める零夏。しかも速度は遅く、六〇〇キロ程度しか出ていない。

 テクニカルセクション後ならば速度が落ちていてもおかしくない。が、ロケットブースターを残す赤矢がスピードセクションで加速する様子を見せないのは不自然。

 この距離なら低魔力でも通信は通じるはずだが、と思い出力を上げてみる。


「キザ男、機体のトラブルか? ソフィー、相対速度を合わせてくれ」


「いいの?」


「いいさ、トラブルが直れば今度こそ勝負に応じればいい」


 平行飛行する白鋼と赤矢。


『……にか、おかしいぞ。先程から司会者の実況が聞こえない』


 零夏ははたと気付いた。世界中に放送されるはずの通信、レース中でも絶対に聞こえてくるはずなのだ。


『その様子ではそちらでも聞こえていないのだな』


「大会側の設備の故障? いや……」


『ああ、僕達の通信まで不調となっているのだ。これは……』


 将来的に軍人となる予定のマンフレートと、技術屋の零夏は同じ答えに辿り着く。


『「―――広域通信妨害ジャミング?」』








 荒鷹(あらだか)に近い構成とシルエット、軽く後退したデルタ翼と二枚ずつの水平尾翼と垂直尾翼。しかし機体構成は一回り大きく、なだらかな曲線を描く飛行機が飛んでいた。

 関係者からは「グラマラス」と評されるほど美しいそれは、帝国軍最新鋭機・舞鶴(まいづる)である。

 帝国の姫君を護衛する騎士ではない。先程、忍ぶように離陸した男の機体だ。

 町の上空を飛ぶ舞鶴に、人々は怪訝な視線を向ける。

 レース中は非常時以外、無許可での飛行は禁止なのだ。観光客用の飛宙船はともかく、飛行機が飛んでいるはずがない。

 舞鶴はレース参加機の最後尾、教国立魔法学園の航空クラブが制作した機体の後方へとつく。


「なんだ、大会の飛行機か?」


 搭乗天士は後ろを飛ぶ機体に首を傾げる。先程からノイズが酷く実況がままならないので、レース中止を告げに近付いてきたのかもしれない。

 スタートに出遅れて最下位に甘んじていたのだ、むしろ仕切り直しは有り難い。そう考えた彼は、舞鶴の機首が煌めくのを見る。

 非武装のレース機に対する30ミリ機銃砲の掃射。外部からのダメージを考慮していない機体が大口径機銃に耐えられるはずもなく、空中破砕され墜落した。

 建物に衝突した機体が爆発し、大小様々な破片や瓦礫が人々に降り注ぐ。

 突然の惨状に混乱常態へと陥る観客達。破片で怪我をする者も少なくない。

 しかし、彼の死など更なる惨劇の幕開けを告げる狼煙でしかなかった。

 規定コースに沿って飛行する舞鶴。

 通信の届かぬ状況で参加選手達は後ろから迫る死に気付かず、一機、また一機と墜ちてゆく。

 明らかに個人による犯行のレベルを越えたジャミングに、スクランブル発進した軍機も犯人の空域に辿り着けない。

 そして残るは戦闘グループ、白鋼と赤矢のみとなった。


「キザ男、後ろから機体が来るぞ」


『うむ、確かにレース機ではないね。あれは―――』


 赤矢の後ろに忍び寄る舞鶴。

 放たれる機銃。

 赤矢は咄嗟に……否、直前に操縦桿を引き、紙一重で回避した。


『―――あれは、舞鶴ではないか! 気を付けろ、こいつは軍属ではない!』


 軍人の家系であるマンフレートは、舞鶴が未だどの部隊にも配備されていないことを把握していた。だからこそ、瞬時に回避という選択肢を選べたのだ。


『近衛騎士にすら配備されていない機体が、どうして!?』


『チッ、リヒトフォーフェンのガキか。だが非武装の機体でなにが出来る』


 追撃する舞鶴に、逃げる赤矢。非武装ながらもレース機として軽快な機動を見せる赤矢を舞鶴はなかなか捉えられない。


「なんだ、こいつ!? 実弾をぶっ放したぞ!」


「凄い、後ろの機体の挙動を予測して上手く避けているわ」


 赤矢の見事な回避運動に関心するソフィー。

 赤矢と舞鶴は倍ほども大きさが違う。その名の通り追跡者を鶴とすれば、逃げる赤矢は雀。

 機敏に逃げ回る小さな赤矢は、舞鶴にとって狙いにくい標的だった。


『見惚れるのは仕方がないが、早く逃げたまえ! こいつは僕が引き付ける!』


「非武装のお前が何を、白鋼も―――」


『非武装なのはお互い様だろう! それに君を守るのではない、そちらの少女まで戦場に連れ出す気か!』


 く、と悔しげに声を漏らす零夏。マンフレートの言は正論であるが、男として認めがたいことであった。


『気にないでくれたまえ、僕とて軍人……の卵だ。民間人を守るのは義務と言っていい』


 左右に機体を振りシザーズにて巧みに舞鶴の射線から逃げる赤矢。


『それに、完全な非武装などではないっ』


『むっ!?』


 攻撃手段などないと高をくくり不用意に接近していた舞鶴目掛けて、使用済みのロケット弾を投棄する。レース中に町へと落とすわけにはいかないので、付けっぱなしだったのだ。

 回避する舞鶴。しかしロケット弾は空中にて爆発し、榴弾を撒き散らした。

 バスバスと金属片が舞鶴のアルミ外装を貫く。戦闘機の外装は軽さを求めて薄い場所がほとんど。その薄さは、押せば凹むほどである。

 だからこそ、武器取り付け箇所を骨組みと直結したハードポイントと呼ぶのだ。


『ははっ、やってみるものだな!』


「近接信管か!?」


 そのような技術がこの世界に存在したのかと驚く零夏。敵機の近くまで到達した時点で爆発する近接信管にはレーダー技術を要するので、この世界には存在しないと考えていた。


『遅延信管だ!』


「タイマーか、よく当てたもんだ」


 舞鶴のダメージは、敵天士にとっては幸いに軽微であった。巨体を誇る舞鶴に、離れた場所で爆発した空対空武装では少々不足である。

 しかしプライドは別。


『俺の、俺の舞鶴が、キサマ、貴様ァ、貴様アアァァァ!!』


 激昂した天士に対し、マンフレートはいい兆候だとほくそ笑む。敵が冷静さを失えば色々とやりやすい。


『見ての通りだ、最新鋭機といえど僕の敵ではない! 足手纏いはどこかに行きたまえ!』


「……ソフィー!」


「ごめんね、キザ男さん」


 離脱する白鋼に安堵するマンフレート。


(はは、彼女にまで名前を間違えられるとは)


 空域に敵機と赤矢だけとなり、彼は背筋が寒くなる。

 マンフレートとて零夏やソフィーとさほど変わらない歳の、ただの少年だ。幼少から天士としての訓練を受けているとはいえ怖くないわけがない。

 ずっと、女の子を守るのだと自身に言い聞かせて堪えていたのだ。


『殺す、墜とす、死ねやぁ!』


『やれやれ、優雅さが足りないな君は―――』


 心は臆病に。表は冷静に。

 必死に思考回路を回転させ、敵の行動を誘導し、自らを虚栄する。

 彼我の機体性能は段違い。赤矢に帝国最新技術の整流装置が搭載されているとはいえ、相手は共和国の新型対抗馬として製造された最新鋭。比べるのが間違いだ。

 勝るのは回避能力のみ。射線の読み合いをミスすれば、機銃が赤矢をスクラップにしてしまう。


(避けろ、避けろ! チャンスを探すのだ!)


『お前さっき面白いことを言っていたな、民間人を守るのは義務だとか』


『それがどうかしたかね』


『ククク、ならこれはどうだ?』


 舞鶴は機首を下方、混乱し逃げ惑う民衆へと向ける。

 躊躇うこともなく引かれるトリガー。

 地上にて赤い花が咲いた。


「う、わあぁぁぁ!?」


「腕が、腕がどこか行った!」


「あ、ああっ、耳が痛い!」


 赤い霧が発生し、人間がミンチとなる。

 30ミリ機銃砲の弾丸は側を通過しただけで、肉が抉れ鼓膜が破れる。

 直撃しようものなら、人の形が残らない。

 一秒にも満たない掃射にて数十人が死傷し、その一角は地獄絵図と化す。


『き、貴様!?』


『動きが止まったな、クソガキ! 墜ちろや!』


 弾頭が、赤矢の主翼を貫く。

 ただ数発。しかし30ミリ機銃砲の威力は、赤矢の主翼をもぎ落とすほどだった。


『っ―――それでも天士か、天空の騎士か!?』


『ははは、当たったぞ! ざまぁみろ!』


 満足し機首を翻す舞鶴。追うは白鋼以外にない。

 ある意味、正しいのは敵機の天士である。戦争に騎士道を持ち込む者は長生きしない。


(だが、だがっ。それでも守らなければならない一線があるだろう!?)


 錐揉み落下しつつ、彼は悔しさで歯を食いしばる。

 軍人として育てられたマンフレートには、男の哲学は受け入れがたい、受け入れるわけにはいかないものだ。

 民間人は戦争の尖兵にあらず。殺し合うのは、殺される覚悟のある者達でやればいい。

 魔導術式の回路を切り替え、大気の流れを変化させる。


「浮かべえええぇぇぇぇぇッ!!」


 操縦桿を渾身の力で引く。

 舞鶴は赤矢の変化にも気付かず、加速を開始する。

 残る本命を追いかける男は上機嫌で、鼻歌すら歌う。

 そんな時、コックピットの側面を追い抜く小さな影に気が付いた。


『ロケット弾?』


 男は背後を確認する。

 そこには、ありったけのロケット弾を叩き込む赤矢の姿があった。


『馬鹿な!? なぜ―――?』


 後ろから何発ものロケット弾を撃ち込まれる舞鶴。

 ありったけのロケット弾、その全てのタイマーが起動する。四散した榴弾によって舞鶴は全身隈無く蜂の巣にされ最早飛行不可能となっていた。

 穴が幾つも開いた風防、その内面は赤く染まっている。

 鉛玉に身体を抉られ死に呈の天士は、納得行かなげにぼやいた。


『―――なぜ、それで浮ける……?』


 自身の敗北の理由が判らぬまま、生存不可能な角度と速度で墜落する舞鶴。


『覚えておけ、帝国の技術は世界一なのだ……!』


 舞鶴に代わり背後から現れたのは、片翼となりつつも飛行する赤矢だった。

 もがれた翼に代わり、見えない大気の翼を作り出したのだ。


『やったぞ、父上、僕はッ』


 紙一重の、人生初めての実戦での勝利を勝ち取ったマンフレート。

 赤矢の機体を、数門束となった30ミリ機銃が粉砕した。

 呆然と少年は空を見上げる。

 空の青さに紛れ、複数の機体が自分を睨んでいた。

 空中分解し、墜落してゆく愛機。


(馬鹿な―――何故)


 空を舞う一〇機以上の舞鶴。


(なぜ、舞鶴があんなに)


 最後に彼が思ったのは、そんな思考だった。

 地に落ち爆散する赤矢。

 それを冷めた目で見つめる天士達がいた。


『一機、舞鶴が墜ちたぞ』


『奴は同志として器ではなかったのだ』


『情けない、レース機に墜とされるとは』


『手に入れた貴重な先行量産型を、生きていようと奴隷は免れぬ』


 口々に男を責める天士達。しかしそこに民間人攻撃を言及する声はない。


『露払いは済んだ。姫君を迎えに行こうぞ』


『然り』






「キザ男さん……」


 ソフィーの人並み外れた視力は、裸眼であっても彼の死を認識していた。

 さして親交があったわけではない。むしろ、その場の勢いであり気にしていないとはいえ自分を侮蔑した相手であるし、馴れ馴れしさは彼女の肌に合わないものだ。

 しかし、それでも彼は騎士だった。絵本に出てくるような、尊敬されるべき最期だった。


「うっ、うう……」


 死者の為に嗚咽するソフィーに、零夏は声をかける余裕もなかった。

 飛行前には軽口すら叩いていた相手が、もうこの世にはいない。その事実は彼に重くのしかかっていた。

 前触れもなく知り合いがいなくなる。彼にとって、それは未経験の恐怖だった。


(なんだよ、テロリストかこれは? なんで死ななきゃいけないんだ?)


 まるで、この首都に死神がやってきたかのような感覚。

 奴は姿も見えず、気紛れに老若男女選ぶこともなく首をはねる。

 先程、舞鶴は地上に向けて機銃を放っていた。地上でも被害が出ているかもしれない、いや出ていないはずがない。大会期間中、ドリットに人のいない場所などないのだ。

 ここは、もう無法の狩り場だと認識せざるを得なかった。


「……ソフィー」


 溢れそうな感情を飲み込み、必死に思考を巡らせる。

 今この町で一番安全な場所はどこか。郊外へ飛ぶ? 宿に戻る?


「城、そう城だ。ソフィー、城へ飛んでくれ」


「……うん」


 早く逃げなければ、赤矢を墜とした舞鶴がこちらへ来る。


(トップスピードはたぶん同レベル、でも加速はこっちが上だ。大丈夫)


 知らぬ間に海岸線まで到達していた機体は進路を変える為、翼を翻そうとする。

 城ならば多くの天士がいる。避難民が押し寄せているかもしれないが、あるいはソフィーだけならガイルのコネで預かってもらえるかもしれない。

 誰かの命に横入りするような真似に自己嫌悪するも、憂鬱な想いを振り切る。


(ソフィーの為、なんて言い訳しないからな、俺は……アイツと同じワガママを通すだけだ)


 女の子を優先して守る、そのエゴを貫くだけ。そう言い聞かせる。

 俺に何かあった時、自分のことを優先して二人死んだとなればソフィーも余計な物を背負ってしまいかねない。

 声にしていない決意など、結局自己満足、自己保身でしかないのだけれど。


(……あれ、どうしたんだ?)


 いつになっても旋回を始めない白鋼に気付いた。


「ソフィー?」


「海が」


 海?


「海が、持ち上がっている」


 彼女の意味不明な言葉に、零夏は自分の目で確かめる為に海を凝視する。

 それは、まさしく持ち上がる、としか表現出来ない光景だった。

 否、持ち上がるのは海ではない。海の下にある『何か』だ。

 海坊主が現れるかのように、大量の海水を押し退け浮上する物体。

 大きい。水平線の先まで持ち上がっているのだ、想像を絶する大きさだ。


「なんだ、なんだコイツは!?」


 初めに見えたのは司令塔。

 海水が物体の淵から零れ落ちるにつれ、その全景が露わとなる。

 ハリネズミのように空を睨む高射砲。

 大型級ですら停泊出来るドッグ。

 僅かに湾曲する形状から、それが円盤であると判る。

 それは、基地だった。

 視界を埋め尽くす、鉄の陸地。

 直径一〇キロメートルに達する、空中移動要塞。


「これは、ガイルが言っていた……」


 首都に着いて着陸する前に、海中に見た建築物。

 かつての戦争にて天文学的な費用を要し建造された、二大強国の切り札。

 ただ一隻にして小国を焼き滅ぼせるとされる最悪の兵器。

 ソフィーはその怪物に覚えがあった。技術的軍事的知識ではなく、歴史的知識として。


「超大型―――ラウンドベース級飛宙船」


 水中で秘密裏に修復された厄災は、亡霊達の旗艦として空へと還る。

 零夏はいつか交わしたキョウコとの会話を思い出す。

 空に浮かぶ城はあるのか、という質問にキョウコは幾つか存在すると返答した。


(それが、こいつなのか!?)


 アニメ映画のような幻想的でロマンチックなものではないが、城=要塞と考えればまさしく天空の城だ。


『お探ししました、姫君よ』


 突然の無線に、二人は慌てて周囲を確認する。


『先のセクション通過、見事でした』


『ですが戦闘機天士としてはまだまだですな、接近は難しくありませんでしたぞ』


『さあ我々と共に参りましょう、ご心配は不要です』


 白鋼を囲む舞鶴。


「レーカ……」


 不安げに目を後部座席へ向けるソフィー。零夏はシート越しに彼女を抱いて、ぽんぽんと頭を撫でて落ち着かせる。


「大丈夫だ。ソフィーは、絶対に俺が守る」


「一緒に、いて」


 ソフィーは零夏の意志を見抜いている。彼が自分と同じく怯えていることも、もしもの時は身を挺してでも自分を守ろうと考えていることも。


「私も、レーカを守る」


 彼女の言葉に驚き、そして心配されてしまう自分が情けなく俯く。

 舞鶴の天士は距離を徐々に狭めつつ、彼女の名を呼んだ。


『お会い出来て光栄です、ソフィアージュ・フィアット・マリンドルフ姫』


「!?ッ、何故、その名前を―――!?」


 それは、家族同然の友人達にすら名乗ることを許されないソフィーの本当の名前だった。

 知っているのは極少数。そして、この名を知っているということは彼女の真の身分も把握しているという意味。

 時間を間違えた鐘の音が、どこからともなく、やがましいほどに響き渡る。

 それは、確かに日常が瓦解する音だった。


 ほのぼの→きっついシリアスは作者の常套手段。

 一年間ものんびりしたんだし、そろそろいいよね^^?



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