白い鋼と赤い矢
選手控え室にて現在、俺とマリアはソフィーをなんとか奮い立たせようと苦戦していた。
彼女は部屋に入った後、他の年上の選手達に揉みくちゃにされてしまったのだ。愛玩的な意味で。
彼らが迷い込んだ子供の世話を焼きたがったのは、緊張を解したい意図もあったのかもしれないが……当人にとってはいい迷惑。
ご存じソフィーは人見知り。
突然他人に頭を撫でられたりお菓子を与えられたりした彼女は怯えきって俺とマリアの合間に隠れてしまったのである。
彼らも反省したらしく、今は申し訳なさそうに俺達から離れている。
「もうっ、選手控え室が個室だったらこんなことにもならなかったのに」
「たかだか余興の、しかも予選だからな……合同控え室は仕方がない」
さすがに他選手が悪かったとはいえ、ソフィーの人見知りにも困ったものだ。
「ソフィー、これから観客の前を歩かなきゃいけないのよ? そんなので大丈夫?」
ふるふると首を横に振る。大丈夫じゃないんかい。
「ならレーカの一年の努力を無駄にするの?」
そういう言い方もあれだけどな。
逃げ場をなくして前に進むことを強制するのは、ちょっと違う気がする。
「俺はいいよ、白鋼を作れただけでそれなりに満足だ。これはソフィーの問題だよ」
彼女の手を握る。
「ソフィーだって、白鋼を乗りこなそうと何十時間も乗り続けたんだ。その時間を徒労にするか、それとも勲章にするか……俺はソフィーの意思を尊重する」
なんの心配もない。きっと彼女は立ち上がる強さを持った人間だから。
しばし黙った後、ゆっくり顔を上げる。
「……手、握ってて」
彼女はそう、少しだけ甘えてきた。
「お安い御用だ、お姫様」
「駄目ね、私……」
今度はこっちか。
落ち込んだマリアに溜め息を吐きたい気分になる。
なぜ主役の俺が本番直前に周囲のフォローをせにゃならんのだ。
「私には、ここにいる資格はないわ」
「資格って」
「だって、レースに参加するわけでもない、図面も引けない、機体の整備も出来ない私はただの部外者よ」
この大会にはチームで登録する。
飛行機は一人では飛ばない。大抵のチームは天士の他に五名ほどの整備員がいるものだ。
勿論、整備員も未成年である。
俺とソフィーは当然として、マリアも一員として登録している。たからこそ控え室に入れるのだ。
親バカなガイルは規則を破ってでも同行しようとしたが、アナスタシア様に捻られた。
マリアの役割は雑用。あんまりだとは思ったが、事実それしか出来ないし、本人からそれでいいいと申し出たのだ。
「非力な私じゃ重いパーツを運べない。ソフィーみたいに特殊な技能もない。私なんて、ただの見習いメイドなのよ」
あー、もう。落ち込みスパイラルにはまっている。
「せめて心のサポートだけでも、って焦って、さっきは逆にソフィーの負担になることを言ってしまったし……駄目駄目の役立たずだわ」
ごめんなさい、と控え室を後にしようとするマリア。
自己完結して変な思考の堂々巡りに入るのは、生来彼女が真面目な人間だからかね。
少しくらい緩く生きればいいのに。俺を見習え。
「確かにマリアのサポートなんて誰にも出来ることだ。けれど、それを一年続けるのは誰にも出来ることではないぞ」
辛抱強さは、彼女の大きな長所。
「格納庫の掃除をしてくれたり、図面を引いている時にお茶を煎れてくれたりしてくれた。机で寝てしまった時なんかも毛布をかけてくれた。あんな時間まで俺の様子を気にしてくれていてくれたんだって、嬉しかったんだからな」
裏方は見えない場所で働くからこそ裏なのだ。解析魔法の使い手である俺には、例え壁の向こうでもお見通しだぜ。
「なにより、この三人で大会に参加するって決めた時。マリアが賛同してくれて本当に嬉しかった。白鋼は三人で作った機体だ。二人では、完成しなかったかもしれない」
「でも……」
「それでも納得出来ないなら、ちょっと甘えさせて」
マリアに胸に抱き付く。
「レ、レーカ!?」
「俺だって緊張もするし不安だったりするさ。でも、マリアの温かさは落ち着くんだ」
「……子供みたいね、もう」
「そういう設定なんでね」
妙な劣情があるわけでもなく、マリアは単に温かくて気持ちがいい。
俺みたいな似非マセガキがこう表現するのもなんだが……母親のいい香りがする。
……きめぇ。俺きめぇ。うわあああ。
「よ、よしっ! マリアエネルギー空中給油完了!」
「私のエネルギーって油なの?」
さー頑張るぞー! と叫んで誤魔化す。俺は今凄い恥ずかしいことをしていた気がする。
「ケッ、リア充がっ」
「こっちは女っ気の一つもないっていうのに」
「あの歳で二股とか、これが格差社会か」
おっと、人目があったなここは。
見せつけるように二人を抱き寄せ嫉妬を煽る。モテる男は辛いのう!
「レーカ、その顔気持ち悪い」
「上がった株が大暴落したわ」
クールな毒舌も素敵だぜ。
「ありがとう、レーカ。なんだか元気出たわ」
「はっはっは、感謝のキスでもするがいい」
「―――ええ、そうする」
疑問に思う間もなく、頬に柔らかい感触。
「え、ええっ、ええええぇぇ!?」
「違うわよ!」
なにが!?
「これはおまじないよ、アナスタシア様に教えてもらった勝利のおまじない!」
だからって実践しなくても。
マリアはソフィーにもキスする。女の子同士のちゅーって芸術だ。
「これが私に出来る最後の手伝い。わ、私はもう観客席に戻るわ!」
赤面を俺から逸らし、走り去るマリア。
「転ぶなよー」
「転ばないわんぎゃ!」
あ、転んだ。
係員の指示通り一列に並び、会場へと足踏みしつつ進行する。まるで運動会。
室内から外の明るさに少し目眩。
空に地上に、物々しいなんて感想を飛び越え最早圧巻すら抱かせる軍用機の数々。
観客席に埋め尽くす観戦客の声援に、ファンファーレの音はほとんどかき消された。
さて、マリア達はどの辺にいるのかな。
世界最大のお祭りである大陸横断レースには、共和国帝国その他小国様々な軍隊が警備に集結する。
それは互いの軍事力を誇示し合ったり、他国の天士と交流したり、最新鋭機のお披露目であったりと多分に政治的要素も含むのだろう。
場所を選ばず溢れかえる機体。
飛宙船、|戦闘機
《ソードシップ》、人型機、|獣型機
《ビースター》がこれほど雑多に入り乱れることなどそうそうあるまい。
使用用途が戦闘に限定される獣型機は軍隊で多く採用されているとは聞いていたが、滅多に見ない獣型機の部隊はかなり物珍しい。
帝国の獣型機部隊に輪にかけて異様な白くて丸っこい奴がいるのはキニシナイ。
レースの余興である未成年の部、その予選ですらこれほど賑わうとは。
「…………。」
経験したことのない多くの人の視線に、人見知りのソフィーはガチガチに固まり俺の手を強く(彼女の握力からすれば、だけど)握り締める。
「大丈夫?」
「だだだ、だいじょ、うぶうぶ」
舌が巧く動いていない。どの辺が大丈夫なんだ。
それでも真っ直ぐ歩くソフィーはたいへんいじらしい。ナンバ歩きになっているが。
観客が「かわいー!」と声を上げる。
列がある程度の感覚を開けぴたりと停止。
白鋼の前である。
ここが予選のスタート地点。ドリットの海岸線に並べられた数々の飛行機、白鋼もその中の一機だ。
どこまでも続く清水の舞台、柵なしVerと言ったところか。
あまり潮風に当てたくないな、と整備する者としては思うのだが。
白鋼の前方はすぐ舞台が途切れ、高さ二〇メートルほどの崖っぷちだ。
「ソフィー、この距離で離陸出来る?」
「風向きが悪い。無理よ」
「なら他の機体が離陸した後に横向いて飛ぶか」
ちょっとタイムロスだが、仕方がない。
一〇〇機以上の参加機、その全てに操縦者である少年少女が緊張した面持ちで立っている。
俺達は参加者中最年少に近い。一〇〇機もあると端まで見えないけど。
二人乗り、というのも珍しいようだ。先程から俺にしがみつくソフィーを見てからかう奴も多い。
『さあいよいよ始まります、年に一度の大レース! その前座を努める若き勇者達に拍手と声援を!』
実況者が司会進行。この音声がクリスタル通信で世界中に飛んでいるのか。
というか勇者とかやめて、俺まで恥ずかしくなってきた。
『コースはご存じの通り、この海岸線からスタート。海上の巨塔を旋回してこのスタートラインに戻ってくるまで! 直進、旋回、直進で終わる単純なコースですが、故に機体性能と天士の操縦精度が求められます!』
巨塔をどうクリアするかが肝だろう。なるべく巨塔の近くを飛ぼうと、デットヒートになりそうだ。
とはいえ……白鋼の性能であればよほどのミスをしない限り勝てるけれど。
他の機体へ目を向ける。
複葉機、三葉機、果ては箱型飛行機や布張りの機体まである。
勿論それは少数。大半は大戦の量産機をチューンしたもののようだ。
しかし大戦後の機体はほぼ存在しない。つまりなにが言いたいかというと……
(白鋼、すげー浮いてる……)
エリアゾーン、くびれのボディを採用した流線型のデザインは、この中ではかなり異質なのだ。
別に機体にくびれを入れるのは亜音速でも有効な技術だが、その効果が顕著に現れるのは超音速に突入してから。
なので他の機体はほぼエリアゾーンを考慮していない。
(なんでまた、第一次世界大戦クラスの飛行機とレースせにゃいけないのだ……)
いや、そういう選手をふるい落とす為の予選なのだけれど。
予想より参加機のレベルが低い。
やり過ぎた。そんな言葉が脳裏を過ぎり、そしてどこかへ飛んでいった。
考えても仕方がない。面白い機体があるならそれでよし、なければサクッと優勝勝ち取ろう。
そもそもが亜音速機限定だと初めから解っていたのだ。本来、ネ20エンジンではどれだけ強化しても音速は越えられない。
むしろ縛りプレイでもしようかな。エンジンカット、グライダーのように滑空のみ、とか。
……さすがのソフィーでも、それでは完走するのが精々だろう。
『本戦に進めるのは一〇機のみ! 他の人はまた来年! 落ちても大丈夫、下は海!』
あ、だから海上がコースなのか。
『さあ若き天士の皆さんご搭乗を!』
やっと視線の嵐から逃れられると息を吐くと、観客席に横断幕が垂れる。
「ソフィーィィィィッ! 俺が応援しているぞぉぉぉ!」
「フレーッ! フレーッ! 我が孫娘よ頑張るのじゃー!」
幕の左右を支える二人の男。
父と叔父の痴態に、羞恥で真っ赤となるソフィー。
他人のフリ、他人のフリ。
「さっさと乗り込むぞ、周りにあの二人との関係を気取られる」
「そうね、そうしましょう」
俺達は彼等にそれ以上の目を向けることもなく、さっさと白鋼に乗り込んだ。
というかアンタら、俺も応援しろよ。
各機のパルスジェットエンジンに火が点る。
間欠燃焼エンジン特有のパパパパパ、というエンジン音。
それが一〇〇機ともなると、まるでスコールの雨音だと零夏は思う。
焔を宿し開始の合図を今か今かと待ちわびる飛行機達の中、白鋼はノズルから炎を漏らすこともなく沈黙し続ける。
『皆さん準備出来ましたか? 何機かエンジン点火に失敗しておりますが、まあそれも実力の内。もうレースは始まっているのです!』
飛行機の製造から改造、そして整備技術までもがレースの一部なのだ。コンタクトに失敗しようが、大会側は待つ気はない。
「白鋼もエンジントラブルだと思われているのかしら?」
そうソフィーが呟くと、零夏は「だろうな」と返した。
『では私の打ち上げる魔法が破裂するのがスタートサインです! よおおぉぉぉぉい、』
パシュウ、と杖の先から発射される火の玉。
火球は徐々に減速し、高度が最大に達した時―――パァンと破裂した。
『スタートォ!』
人型機が二〇メートルサイズの巨大チェッカーフラッグを振った。
一〇〇機の機体が一斉に浮上する。
レトロな外見の機体群が最新鋭機でも困難なVTOLをこなすのは、やはり零夏にとっては奇妙でチグハグな光景だ。
何機か離陸失敗し、転倒やその場で墜落。……やはり素人設計らしい。
しかし白鋼にとってもそれは他人事ではない。隣の機体がバランスを崩しこちらへ接近してくることに気付き零夏は叫んだ。
「出力最大!」
踏み込まれるスロットル。
水素ロケットに点火、即座にパワーマキシマム。
突っ込んでくる機体を回避し崖から墜ちる。
「レ、レーカ!?」
指示に従ったら墜ちたぞと抗議の声を上げるソフィー。
「頭から落ちて!」
「……っ、信じるわよ!」
推力偏向を駆使し機体を垂直に。
水しぶきを上げ白鋼は、水泳の飛び込みのように水中へと消えた。
水平姿勢で着水すれば、衝撃で内部機構がオシャカになりかねない。
咄嗟に海中が意外と深いと解析判断し、白鋼のナビゲーターはダメージの少ない姿勢を選んだのだ。
「水の中よ、どうするの?」
風防の外に魚が泳ぐのを見て、眉を顰めるソフィー。
「エンジンをアイドリングに」
ロケットエンジン状態なので吸気口は閉じているが、エンジンを停止させると排気口から水が侵入しかねない。
「一〇五度機首上げ、ヨー左三〇度回頭。角度維持したままエンジン全開!」
エンジンコントロールユニットを手動に切り替えて『Rocket』に固定。水中で時速一〇〇キロを越えることはほぼ不可能だが、センサーの誤作動でラムジェットエンジンに切り替われば海水がエンジンに入り致命的な損傷を受ける。それを避ける措置だ。
体勢を立て直した白鋼は水中にて加速する。
泡を置き去りに、垂直尾翼が鮫の尾ひれよろしく海上へ飛び出す。
『な、なんでしょうか? サメ、にしては速いですが』
墜落した天士の安否を気にし海面にも注意を払っていた司会者が、海中より突出した三枚の尾ひれを見て困惑。
現在この水域に危険な動物はいないはずだが、と訝しむも、その正体はすぐ明らかとなった。
姿を露わにする、海中より浮き上がる白き翼。
続いてコックピットキャノピーの内側にも空の青さが戻る。
静かに、水を振り払いつつ白鋼は離水。
抵抗が激減した白鋼は水面を這うように更に加速する。
「水中発進は浪漫だが、メカニックとしては勘弁してほしいぜ」
潮風を受けるどころか、塩水を被ってしまった。
エンジンコントロールユニットを自動に。『Ramjet』へと切り替わり、白鋼は戦線復帰を果たす。
『ソ、飛行機!? あれは選手番号三八番、白鋼です! 白鋼、ピンチを脱しスタート成功!』
一度墜落してからの復帰という展開に、観客は沸き立つ。
この瞬間より、白鋼の名は表世界に出始めた。
タイムロスは甚大。トップを飛ぶ機体までの距離はかなり離れている。
「ここからだ。目に物見せてやろうぜ」
「了解!」
次々と墜落していくライバル機。
「撃墜されているわけでもないのに、なぜ墜ちる」
白鋼が水没しているうちに、空に浮かんでいる機体は半数程度までふるい落とされた。これからが本番、ということだ。
高度を上げつつ周囲を確認する。
遥か遠方に赤い飛行機。その後に数機が続き、後方に大多数、そしてテールエンドに白鋼といったところか。
「速度を八〇〇キロに。打ち合わせ通り、七位前後を狙うぞ」
「うん」
加速では白鋼に分があるが、トップスピードであれば七〇〇キロを越えると思われる機体も多々ある。ネ20エンジンにしてはなかなかの速度だ。
八〇〇キロを維持すればそれなりに追い付けるだろう。そう判断しての、プラス一〇〇キロ。
全力で一位を狙わないのは、本戦でマークされないように。想定外のトラブルで八〇〇キロも出しているので最早作戦の有用性自体怪しいが、ともかく誤差を考慮に入れ七位前後を手堅く狙っている。
そう時間もかからず、巨塔は迫ってきた。「でかい、な」「そうだね」 対比物が存在しないこと、巨塔が馬鹿げた大きさであることから距離感が狂う。
「あと一キロ、4,5秒で到達する」 解析魔法で正確な距離を算出しつつ、旋回のタイミングを計る。 側面に迫る巨塔。 一〇〇メートルまで近付いたそれは、既にただの壁だ。 この中にダンジョンがあるのだ、大きいのは当然。
だが、間近で見ると本当に非現実的なサイズである。 緩くバンクし、速度を殺さないように巨塔に沿って旋回する。 上手く角度を掴めずもたついてしまった選手を追い抜き、巨塔スレスレを飛行。
巨塔は遠目で見るとただの円柱だが、実際はかなり凹凸がある。
障害物に衝突しないよう高度を上げ下げする白鋼。
他の機体は激突を恐れて、白鋼よりも巨塔との距離を広くとっている。臆病なのではなく、それが普通で常識的な判断である。
零夏の予想した巨塔付近のデットヒートは、あくまで普通の天士の場合。基準が狂っているソフィーと接戦を行おうなどという猛者はいなかった。
鮮やかに建築物の隙間を抜ける白鋼。その隙間は一〇メートルもない。
ソフィーにとっては造作もない技術。しかし、他選手からすれば狂気の沙汰だった。
やがて旋回を終えスタート地点の海岸を望める位置まで来ると、既に白鋼は先頭集団に追い付いていた。
先頭集団は数十機、この群れの前方にさえいれば本戦は確実。
もし急加速しても、白鋼の瞬発力はご存じの通り。例え軍用機であってもコイツの加速には追い付けない。
白鋼はようやく予選突破の安全圏に食らいついた。
「いち、にい、さん……この辺が七位かしら」
「いや……いる。ずっと先に、赤い飛行機が」
その異常な速度に、零夏は違和感を覚えた。
「なんだ、あの速度は?」
加速に伸びがあり過ぎる。
流線型の葉巻ボディに、翼下双発エンジン。珍しい十字の尾翼。
エンジンも勿論チューンされているだろうが、それだけじゃない。
なにか秘密があると零夏は睨み、そして違和感の正体に気付いた。
「プロペラ……だと?」
その機体には前後にプロペラが付いていた。
ただのプロペラではない。速度を稼ぐにしてはゆっくり回転している。それが機体の前後、双方に装備されているのだ。
(そうだ、あれはフィアット工房で見た機体だ。あの機構はなんの意味がある?)
「レーカ! あの飛行機、風の層を纏っている!」
「……なんだって!?」
口で言うのは簡単、しかしとんでもない技術だと理解した。
前方からの風圧は飛行機を浮かせる為には必要不可欠だが、利点ばかりではない。
空気抵抗や圧縮熱、様々な障害として飛行機を邪魔している。
それらを完全に受け流しているとすれば?
つまり、あの飛行機は宇宙船。抵抗がないから加速し続けることが可能で、そのくせ主翼はしっかり揚力を稼いでいる。
「それじゃああのプロペラモドキは魔導術式か、面白い」
風の魔法には詳しくない零夏には、想像も付かないような発想だった。
「関心している場合?」
「いや、一位はどの道譲る予定なんだ。今は精々情報収集と洒落込も……なんだと?」
加速し続ける赤い矢。その周囲を纏う空気の質が変化する。
「……音速突破した!」
ネ20エンジンで音速なんて不可能。そんな常識を覆す存在が、目の前にもいた。
『し、信じられません! 未だかつて音の壁を破る未成年部門選手がいたでしょうか! 優勝候補マンフレート選手、そして赤き矢―――赤矢! 多くの有名天士を輩出した帝国名門リヒトフォーフェン家の名は伊達じゃない!』
興奮気味に伝える司会者。それは、大陸横断レース未成年の部において初の偉業であった。
ソニックムーブすら無効化し尚も加速する赤矢。
(理論最高速度無限ってか、無茶苦茶だ)
観客の視線を釘付けにする赤矢を零夏は恨めしそうに睨む。
「未成年部門初音速の栄光は、白鋼がかっさらう予定だったのに……!」
「作戦作戦。レーカ作戦忘れないで」
(ふはははは、まあいい、今は音速程度で満足しているがいい)
そう心中で負け惜しみを漏らした時、レースは動いた。
俺達の前後を飛ぶ先頭集団、その大半が加速したのだ。
「な、余力を残していた?」
先程までの先頭集団はせいぜい七〇〇キロ程度。それが、赤矢に追従するように加速したのだ。
「違う、あれは、アフターバーナー!?」
加速した機体は例外なくアフターバーナーを実装、使用していた。
排気口付近で燃料の仮想物質を再噴射し出力を倍近く跳ね上げる加速装置。しかし、ネ20エンジンはアフターバーナーと相性が悪い。
だからこそ、白鋼はアフターバーナーの外付けなどという回りくどいことをしているのだ。
強引に一体化すれば、魔導術式が熱で損傷しかねない。
「いや、だからこそ、このタイミングなのか」
零夏は知らないが、自壊覚悟のABは優勝狙いの機体では定番の改造なのだ。
想定していたとはいえ予想以上の加速に、白鋼の順位は一気に落ちる。
(予選で見せる気はなかったが……ゴールまで時間がない、か)
「ソフィー、仕方がない。高速飛行形態!」
「了解!」
ソフィーが両手の操縦桿を大きく引くと、主翼が二重後退。カナードも空気抵抗を減らすため短縮。
アフターバーナーの魔導術式が両翼と垂直尾翼の三カ所から展開。三角柱状の空間を連金し、白鋼の魔界ゾーンラムレーズンエンジンが炎の柱を伸ばす。
『Hybrid After-Burner』
そんな魔法のコトバによって再現される、殺人的な急加速。
酸素を消費し尽くし不完全燃焼となった炎はトーチングとして噴き上がる。
骨が砕けてしまいそうなほどの狂った出力に、暴れ馬のように白鋼は獰猛に他機を抜き去る。
炎のラインを空に刻み、衝撃波は他の機体を大いに震わせ。
ここに、最速の白鳥は本性を垣間見せた。
『白鋼が猛追撃、というか形が変わっている!? まさかまさかのまたしても未成年部門初、可変後退翼機です、っというか速すぎやしないか!?』
音速を軽々と越える白鋼。赤矢以上の加速を見せ付ける飛行機に、誰もが唖然と口を開いた。
「ソフィー、もういい! もう2位!」
「もう手遅れじゃないかしら?」
マッハ2に迫る白鋼。ソフィーの言う通り、既にこの機体の異常性は皆理解していた。
「こうなったらあの赤い機体も抜くわ」
「え、なんで意地になっているの?」
「だって」
ソフィーは拗ねたように唇を尖らせる。
「紅を纏っていいのはお父さんだけだもん」
音速の赤矢と、その倍速で迫る白鋼。
速度差は一二二五キロ。白鋼にとって、赤矢など静止しているのと変わらなかった。
抜き去るのは一瞬。
直後、海岸線を白鋼、赤矢の順で突破する。
ある程度高度があったとはいえ、ソニックムーブはガラスを罅割り、風圧は屋台を吹き飛ばす。
一瞬の静寂。
未成年の部に不釣り合いな潜在能力を見せた二機に、人々は喝采を上げた。
最下位からトップへ。そんな劇的な姿は、人々の記憶に白鋼の名をしかと刻み付ける。
最初の伝説を成した白鋼のコックピットにて、ナビは頭を抱えていた。
「……目立ちまくりだ」
満足げなソフィーの後頭部を小突いてやりたい気分の零夏であった。
レッドバロン レッドバロウ レッドアロウ……く、くるしい。
プファイルの作中ネーミングには苦労しました。
そもそもなんでレッドアロウとか英語なんだよって話です。




