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銀翼の天使達  作者: 蛍蛍
最速の翼を作ろう編
24/85

長耳メイドとロリコンドラゴン 1


 前進翼。

 その発案は古く、第二次世界大戦のドイツではすでに研究が行われていた。

 原理的に失速しにくく、静安定性が極めて低いことから挙動が俊敏となる。

 棒を手の平に乗せて、バランスをとって直立させて遊んだことはないだろうか。つまりはあの原理である。

 棒の端を摘んで下に垂らせば、当然安定する。

 しかし上に立てれば、倒れようとする力で不安定な動きとなる。

 普通の飛行機は下に垂らした状態だ。操縦桿を握っていれば、真っ直ぐ前進し飛ぶ。

 前進翼機は上に立てた状態。常に小刻みにバランスをとらねば倒れてしまう、とても不安定な飛行機(ソードシップ)なのである。

 だがそれは、機動性という観点から見れば極めて大きな利点となる。

 姿勢の崩れやすい機体は、同時に高レスポンスで一気に回頭出来る。前部に尾翼、カナード翼があれば尚更だ。


「エレベーターを強化するのにこれ以上適した形式はないだろう。だが、なぜ実用化されていないか、理由は解るか?」


 使用人休憩室の机を挟み、ソフィーに前進翼概要の授業。


「乗りにくい?」


 本来「乗りにくい」ではなく「乗れない」なんだけどな。


「それもあるけど、それはフライ・バイ・ワイヤ……電子制御を操縦に介することで解決出来るんだ」


「フライ……白身魚?」


 ガイルといいソフィーといい、専門用語はほんとに駄目だな。


「白身魚のフライにはタルタルソースが正義として、操縦の難しさはソフィーの技量でなんとかなるのかもしれない。問題は航空力学的な部分じゃなくて、工学的な部分だ」


 つまり俺の問題である。


「ソフィーの描いたこの絵、切っていい?」


 頷きを確認し、俺はハサミでイラストを切り取って機体正面から息を吹きかけた。

 主翼がくにゃり、と裏返る。


「あっ」


「こういうことだ。前進翼は『前面からの風で折れる』という、あまりに致命的な弱点を持っている。これを解決するには、通常以上の強度が必要になるんだ」


 風で折られないほどの強度。それを実現するのは、第二次世界大戦の技術では到底不可能だった。


「なら、強い金属を使えば?」


「まあ、そうなんだけどな」


 単純明快な発想ではある……が。

 今度は少し堅い厚紙を同じ形に切り取り、正面から息を吹く。

 ブルルルルル、と主翼は小刻みに振動した。


「中途半端な強度じゃ翼は弾性で板バネのようにしなり、こんな振動となって繰り返される。これを解決するには、しなりを打ち消すように主翼を設計するか、ガチガチの硬質素材でフレームを作るか、だ」


「そこまで解っているなら、なぜ渋っているの?」


「前進翼ってだけなら、まあ出来たさ。でもコイツは可変翼機だ。様々な角度からの風圧・加速度に耐えるために剛性の強化がかなり必要だし、軸部分にかかる負担は更に増える。この世界にある金属じゃ、耐えきれそうにない」


 だから、選ぶしかない。


「どっちかだ。前進翼か可変翼、どっちか選べ」


 残念ながら、これを打開する方法は思い付きそうにない。飛行中に前進翼へと可変する機体など、地球でも成功したことがないのだ。

 マニアックなところでは、可変翼機を改造して手動で前進翼に変形出来るるなんて実験機もあるけれど。

 二択を問うた俺。

 しかし、それにソフィーが返した応えは三択目の選択肢であった。


「頑丈にすればいいのよね?」


「ああ、でも翼を厚くするとかはなしだぞ。重量過多で色々なデメリットがメリットを上回る」


「どんな金属でも無理?」


「無理。フィアット工房で様々な材質を学んだが、軽さと強度を都合よく兼ね備えた素材なんて―――」


「これは試した?」


 コトリ、と机の上に置かれた物。


「これは……なるほど。これは扱ったことがない」


 地球ですら名が知られ、伝説の金属としてゲームや漫画で登場することも多いこの素材であれば……あるいは。

 手に取り、軽さに驚きつつも解析魔法を開始する。

 ガイルが娘に送った、天士用のシンプルなゴーグル。

 そして、その材質は―――


「ミスリル、か」


 錬金魔法で作れるのだろうか、これ。








 数日後。

 作れた。

 といっても、錬金は楽ではなかった。

 ミスリルの原子はなんと炭素である。つまりこれ、ダイヤモンドの同素体だ。

 フラーレン、カーボンナノチューブといった物と並ぶ、炭素素材の未知の形態らしい。

 しかしその四次元立体構造は既知の素材とは一線を画しており、様々な角度から最大限の強度を誇ると考えられる。


「軌道エレベーターの材料に使えるな」


 宇宙のないこの世界では六〇〇〇メートルで月面に達してしまうが。

 自室の机にて錬金したミスリルを、様々な角度から眺める。


「この量だけで半日か……必要量に達するのは何日後だよ」


 実験的に錬金したミスリルは極少量。特殊な構造からか、空気中の二酸化炭素を分解してミスリルを精製するのは想像以上の手間だった。

 機材を片付け机を立つ。そろそろ昼食の時間だ。

 厨房へ向かうと、キャサリンさんと誰かが机を挟んで会話していた。


「誰だろ?」


 ドアから頭を覗かせ確認するも、その客人は後頭部しか見えない。

 キャサリンさーん、飯はー?

 目が合うも、即座に興味なさげに逸らされた。めしェ……


「っつーとなんだい。家事はほとんど出来ないと?」


「野戦料理などなら可能です。あと掃除くらいは」


 キャサリンさんと客人の会話は続く。


「この屋敷には貴重な調度品も多いんだよ。雑巾で拭けばいいってもんじゃない、正しい薬品や手順で手入れをしなきゃいけないんだ」


「む、むむっ、ですが、その、力仕事とか」


「うちには一人、いくらでもこき使える労働力がいるんでね。何時間重労働させても心が痛まないヤツが」


 俺のことですね、判ります。

 確かに身体強化魔法を絶え間なく使える俺は何時間重労働し続けることも可能だが、セリフの響きが酷い。

 襟をくいと引かれた。振り返るとお盆を持ったマリア。


「今は人が来ているから、お昼ご飯は休憩室で食べるわよ」


「ああ、解った」


 といいつつも、再び視線はキャサリンさん対面の女性へ。

 どこかで見覚えがある。ほっそりしたボディーライン、艶やかな黒髪、ツンと尖った耳。

 ……尖った耳?


「ハイエルフ?」


 俺の声に気付き、彼女は振り返った。


「レーカさん!」


 数ヶ月前に別れた人型機自由天士、キョウコであった。






 とりあえず見なかったことにしてマリアと二人でお昼ご飯。

 去り際に背後から呼び声をかけられたが、嫌な予感がするので無視した。


「ねえ、レーカ? あの人はだぁれ?」


「なんで猫なで声なんだ」


 薄ら寒い笑みで「うふふ」と笑うマリア。


「まあ一言で言うと」


「言うと?」


「マリアにはまだ早い関係だ」


 彼女の持つフォークがへし折れた。

 柔らかい銀製とはいえ、魔法なしで折ったぞ。


「へ、へえええ、レーカってば大人なのねぇ……」


「いや、厳密に大人への階段を登ってはいない」


「ははは、お、大人への階段……?」


 頭から煙を噴くマリア。いかん、壊れた。


「落ち着け。そういうのは、ちゃんと順序を踏んで進むものだ」


「レーカ、私の気持ち解っているようで解ってないでしょ!」


 本人ですら混乱している心情をどう察せと。


「マリア、俺のことが好きなのか?」


「……たぶん、違う」


「ほら、自分自身のことすら『たぶん』って言っちゃってる」


 他人の心理を勝手に推測するなんて俺の趣味ではないのだが、きっとマリアはこんな感じだ。


「どっちでもないんだろ」


「なによそれ」


 ふてくされたように頬を膨らませるマリア。


「人の心なんてさ、シーソーみたいに必ずどっちかに傾いているものじゃなくて、花壇の花みたいに一斉に芽生えて、ニョキニョキと横並びに大きくなるものなんだよ。大きさの差はあれど、どちらがメインなんてことはない」


 俺のクサい高説に、それでも得心するものがあったのかマリアは手を胸に当てて頷いた。


「ねぇ」


「ん?」


「私がレーカのことを好きだって言ったらどうする?」


「……俺の花壇で一番育っている花は、あくまで親愛だよ」


 一番は、な。

 俺は中身が大人なのだ。ズルい意味でも。


「そう。この花って、水あげたら育つのかしら?」


「? それは―――」


 背中からなにかが衝突した。

 首に回される腕、黒髪のいい香り。


「お久しぶりです、レーカさん。貴方と会える日を幾星霜(いくせいそう)と待っていました」


 キョウコが背中から抱きついていた。


「あー、うん。久しぶり」


「はい。再び出会えて、とても嬉しいです」


 抱きつかれているので顔が近い。キャッキャとはしゃぐキョウコは、まるで子供だ。

 ここまで近いと、黒水晶のような瞳に吸い込まれる錯覚を覚える。

 数ヶ月前までのキョウコと、なにかが違う。


「まさか再会の時を待ちきれずに村に来ちゃった、と?」


 冗談めかして訊ねてみるが、


「いえ、ただの旅路の途中の路銀稼ぎです」


 否定の皮を被った虚言の肯定という、ややこしい返答が返ってきた。


「…………。」


「偶然です」


 ここまで信憑性のない真顔は初めて見た。

 路銀稼ぎであれば適当な依頼を受ければいいのだ。村の中に人型機(ストライカー)を運用させられるほど稼ぎのいい仕事があるはずない。


「じゃあ金を稼ぎ終えれば出て行くのか?」


「……私の存在は邪魔ですか?」


 すまん、ちょっと虐め過ぎた。


「俺の決めることじゃないけど、ゆっくりしていくといい」


「はい、末永く宜しくお願いします」


 追い出したくなった。


「そういえば蛇剣姫(じゃけんひめ)は?」


「村外れに駐機していますが?」


 よっしゃ、あとで整備してやろう。


「それより前方注意ですよ」


「へっ?」


 視線を戻すと、マリアが箒を大きくふりかぶっていた。

 箒の筆が俺に迫る。

 突然の状況に反応が遅れる中、衝突寸前でキョウコが箒の柄を掴みスイングを止めた。


「危ないです」


 平然と返すキョウコ。華奢な体とは裏腹に、最強最古の反射神経は半端じゃない。


「なんなのよ、あんたは!」


「子供は黙っていて下さい」


 俺をいっそう抱きしめ、フフンと嘲笑してみせるキョウコ。四〇〇歳が一三歳相手になにやってるんだ。


「なんなのです? 私とレーカさんの間にどのような過去があっても、貴女には関係のないことでしょう?」


「レーカ! この女となにやったのよ!」


 年頃の女の子は情緒不安定で困る。


「私とレーカさんは大人の関係なので。お子様の出る幕ではありません」


「レーカは私よりも歳下よ」


「恋に歳の差など問題ではありません」


「恋って言った! 恋って言ったわ!」


 なんで二人とも出会い頭で喧嘩腰なんだ。


「キョウコ、大人げない。あまりにも大人げない」


「……すいません」


 俺の苛立ちを察知したのだろう、キョウコは素直に黙った。


「マリア」


「なによ。ああ、もうっ。なんなのよ!」


 泣きそうな顔で行き場のない思いを持て余すマリアに、これだけは注意しておく。


「気持ちが整理出来なくて、周りの人に当たってしまうこともあると思う」


「…………。」


「それはいい。受け止めてやる。でも、誰かを本当に怪我させかねないような真似は止めなさい」


「……ごめん、なさい」


「ん」


 彼女の頭をぽんぽんと優しく叩き、キョウコの頭はゴツンゴツンと拳で叩いた。


「扱いが違います……」


 うっさい元凶。


「なぜ再会して早々、そんなに積極的なんだ。俺達の関係は友達以上恋人未満以下だったろ」


 友達以上恋人未満以下。我ながらいい案配の表現である。


「考えたのです。レーカさんと別れた後、この胸にぽっかり開いた心の穴をどうすればいいかと」


 それで?


「責任をとって頂こうかと」


 一途かつトンデモな理論の飛躍であった。


「いいのです。例え私とのことが遊びだったとしても、私は貴方を想い続けると決めました」


 一方的に悪役にされた気がする。


「つまりあれだ」


 頭痛を堪えつつ訪ねる。


「これからどうする気だ?」


「路銀稼ぎの目標金額達成まで、この屋敷で働かせて頂こうかと」


 その設定まだ使うんだ。


「しかし給金は蛇剣姫の維持費に消えていき、いつまで経っても旅立てない……という体で」 


 ずっと居座る気らしい。

 やれやれと嘆息。俺は女難の相でも出ているんじゃないか?

 ……だが或いは、一番の問題は明確な答えを出せない俺なのかもしれない。

 そう考えるのは、ちょっと(おご)りが過ぎるだろうか。

 急いたところで答えは近付かない。精々、俺にも非があると忘れずに生活しよう。








 どうやらキョウコはキャサリンさんに面接を受けていたらしい。

 採用通知された瞬間に駆け出し、そのまま俺の背中にタックルかましたわけだ。

 雇うならば当然、家主に顔通ししなければならない。

 というわけでリビングにて住人が全員集合し、キョウコの紹介と相成った。


「こ、これは……!」


 真新しいメイド服に身を包み恍惚(こうこつ)とした表情のキョウコ。

 うん、可愛い。見た目若いから凄く可愛い。

 最近心も退行しているんじゃないかと心配だが。


「つーわけで、報告が遅くなりましたが。レーカがシフトから外れてマリアの負担が増えていると判断し、コイツを雇いました」


 ガイルとアナスタシア様に雇用の経緯を説明するキャサリンさん。

 新しい使用人の雇用を独自の裁量で行えるとか、キャサリンさんはどれだけ夫妻に信頼されているんだ。

 仕事量は俺が屋敷に住み着く前の状態に戻っただけじゃないか? と思いきや、よく考えたら俺の生活に関する労働が増えている?


「別にアンタは自分のことは自分でする人間だし、負担じゃないよ。元々この屋敷は使用人不足なんだ、人も簡単に雇えるわけじゃないしね」


 そりゃ二人では、全室の維持は不可能だろ。結構な数の空き部屋を今も放置しているし。


「キャサリン」


 ガイルが眉を顰める。


「キョウコって、こいつ銀翼だろ……どうしろってんだ」


「身元がはっきりしている、という意味では渡りに船かと。我々は気楽に人も雇えませんので」


 目的さえ達せられていれば手段は気にしないのな。


「銀翼の天使がメイドだと? なにが目的だ、キョウコ」


「路銀稼ぎです」


 涼しげに真顔で応えるキョウコ。

 アナスタシア様が小さく手を挙げる。


「雇うのに異はないけれど、なにをさせるの?」


「基本使いぱしりを。おまけに護衛も出来ます。便利です」


 そっちがおまけかよ。さすがキャサリンさん、銀翼相手でも遠慮ない。


「ほれ挨拶!」


 バシンと景気よくキョウコの背中に平手を打つ。完全に新米扱いである。


「は、はいっ。『平時』では始めまして、紅翼(せきよく)の天使。今後とも宜しくお願いします」


「久々だな、最強最古。メイドはともかく、護衛としては頼りにさせてもらうぜ」


 こいつら戦場で会ったことあるだろ。


「いやにあっさり信用するんだな。もっと警戒しないのか?」


「最強最古が気まぐれな奴なのは教科書に載るくらい常識だ。どこぞの陣営に属してコソコソ動くようなタイプじゃない」


「他の銀翼だったら別だったってこと?」


「だな」


 こうして、屋敷のメイドが一人増えたのである。

 美人さんが増える分には大歓迎だぜ、ひゃっはー!








「ひゃっはー……」


「どうした、炭酸の抜けた温いグレープフルーツジュースみたいな顔をして」


 どんな顔だよ。


「どうしたんだ? 廊下で変な声出しやがって」


 ガイルに心配された。

 廊下からキッチンを覗く俺。ドアの細い隙間から、そっと二人の後ろ姿をピーピングトムる。


「新しいメイドとキャサリンやマリアが上手くやれてないのか?」


 俺の頭の上にガイルの頭が載っかる。重い。


「仕事はしっかりと……まあミスもまだ多いけど、真面目にやってくれてるよ」


「なら人間関係か?」


「マリアが戸惑ってるっぽい」


 年上の後輩ってやりにくいよね。


「ああ、なるほど。年上として敬えばいいのか、後輩としてこき使えばいいのか、ってやつか」


 立場的にはこき使ってなんら問題はないのだけれど、そう割り切るのも難しいものだ。


「その点、俺はやりやすかったんだろうな。歳下の後輩だから、持ち前の面倒見の良さで自然に接することが出来た」


「面倒臭いな、なんとかしろ」


 投げやりだぜ。


「そのうち慣れるだろ、としか言いようがないな。それともきっかけは必要か?」


「さあな。ソフィーはどうだ?」


 どうだ? と訊かれても。


「普通に人見知りしているけど」


 初期の頃の俺に対する態度そのままだ。若干キョウコが落ち込んでいた。


「それこそ時間が解決するだろ。つーか、親としてはあの人見知り体質どう思っているんだ?」


「可愛いな」


 こいつ親としてどうなんだ。


「世の中、あれくらい慎重な方がいいこともあるさ。ソフィーはシャイだが根暗じゃない、なんら問題ない」


 そういうもんかねぇ?


「それよりこんな場所でピーピングトムってていいのか? 飛行機制作はどーした」


「あー、うん。前進翼用のミスリル精製をちまちまやっているが、それより資材が足りなくなってきてな」


 倉庫の中身もみるみる消費されていき、反比例的に俺の部屋の広さは増えていった。

 実は広さだけで比べれば、自室が一番大きいのは俺だったりする。


「近々ツヴェーに資材やパーツの買い出しに行こうかなって思っている」


「そうか」


 おっ、キッチンの状況に動きがあった。

 どうやらマリアが鍋から離れられず、キョウコの手助けを欲しているようだ。

 ちらちらと伺いつつ、ついに口を開く。


「キョウコ、少し手伝ってくれる?」


「はい、なんでしょう?」


「手を離せないから、鍋に塩を一杯入れて」


 視線で示した先には計量スプーン。それで計れ、ということだろう。


「はい、判りました」


 頷き、スプーンで『何度も』塩を注ぐキョウコ。


「ちょっと、なんでそんなに入れるのよ!」


「えっ? ですが、いっぱい入れろと……」


「一杯よ! ひとすくい!」


「あっ、も、申し訳ございません!」


「……いいわ、私もややこしい言い方をしたし」


「すいません……」


「とりあえず塩味をなんとかしないと」


「では砂糖を入れて中和しましょう」


 汚名挽回(誤字にあらず)とばかりに再び砂糖を計量スプーンで投入し始めたキョウコに、マリアは静かにうなだれた。


「……とりあえず、これはレーカ用にしましょうか」


 やっぱり、どこかぎくしゃくしているんだよな……っておい、俺は失敗作処理班かよ。

 とりあえず晩飯の際には「このスープしょっぱくないか? このスープ甘くないか?」と連呼してやったのだった。

 まさか鍋の中身は汁物のスープではなく、肉にかかったソースだったとは思わなかったぜ。

 そしてスープを作ったキャサリンさんに般若の面影を見たぜ。








「ツヴェーに行くの? ならお遣いを頼んでいいかしら?」


 全員揃っているタイミングで買い出しを行いたいことを発表すると、アナスタシア様に用事を頼まれた。


「レーカ君が来て随分と経つし、知人に頼んでおいた異世界の資料がそろそろ揃っていると思うのよ」


「え、あれ、ほんとにやってくれてたんですか?」


 異世界トリップ初日の会話だぞ。完全に忘れていた。


「なんかすいません。俺が脳天気に暮らしている時に、やってもらっていたなんて」


「気にしなくてもいいわ。定期的な手紙のやりとりはあるから、そのついでだもの」


 なにより、そこの黒髪ミニスカメイドになりきっている女性が地球について知っているっぽいんだよな。

 目の前に答えがあるのに、なんでこんな回り道しているんだか。

 ……よく見るとメイド服が支給品ではないのだが、いいのだろうか。

 白い絶対領域が眩しい。ついついそっちに目が行ってしまう。


「あ・な・た・た・ち?」


 アナスタシア様に耳たぶを引っ張り上げられた。


「いた、痛い、千切れちゃうやめて、ごめんなさい」


「勘違いなんだナスチヤ、ただけしからんと思っただけで、いやそうじゃなくて」


 アナスタシア様のもう片方の腕はガイルの耳たぶを引っ張っていた。お前は駄目だろ。

 気を取り直して手紙の件を聞く。


「手紙はどこで受け取れば?」


「この商会で預かっている手筈よ」


 メモを受け取り、なくさないように懐にしまう。


「いつ出るの?」


 ソフィーに訪ねられ、明日にはさっさと出発する旨を伝える。


「私も行きたい!」


「なんとっ!?」


 ソフィーが外の世界に興味を示した!?

 予想外、だがいい兆候かもしれない。現状、ソフィーはほぼ引きこもりなのだ。屋敷が広いから運動量は少なくないと思うが。

 視線でガイルに問うと、彼は頷く。


「まあ、小旅行みたいなもんなら構わないぞ。旅もいい経験だ」


 旅と旅行は違うだろ。


「私も、私も行きますっ」


 マリアも挙手する。


「では私も同行しましょう。護衛が必要でしょう?」


 キョウコが護衛なら安心だ。


「じゃあ明日の朝、出発ということで」


 一同が頷き返すのを確認し、俺ははたと気付いた。

 同行する女性陣、ソフィー、マリア、キョウコ。

 こいつら纏めるのって、俺の役割?








 資材を運ぶので、村に存在する小型級飛宙船(エアシップ)の中でも一番大きな船を借りた。

 大型トラックほどのサイズ、これなら荷台に人型機が寝そべって載せることも可能だろう。

 実際、自由天士にはそうやって人型機の脚部の消耗を減らす者も多い。一流の自由天士であれば個人で中型級飛宙船を所有していたりもするけど。


「おー晴れた晴れた」


 くーっと腕を左右に伸ばし体を解す。秋は過ごしやすくていいな。


「ゼェーレストって雪降るのかな」


「降るわよ、これくらい」


 マリアが旅行鞄を引きつつ、自分の腰ぐらいの高さに手を示す。結構積もるのな。


「ソフィーは?」


 マリアの鞄を何気なく受け取り荷台に載せる。


「ありがと、あの子はアナスタシア様に捕まっているわ。魔法を使っていたけれど」


「ふぅん?」


 なんの魔法だろう?


「それで、マリアが飛宙船を操縦する手筈だが、大丈夫か?」


「平気よ。動かすだけならどうとでもなるわ」


 小型級とはいえこの大きさ、マリアの操縦技術で街道を抜けるのは厳しい。となれば木々より上を飛ぶこととなる。

 となれば蛇剣姫の他にも小回りの利く生身の護衛も欲しいところで、俺はエアバイクで併走することとなったのだ。

 正直、キョウコの蛇剣姫か、あるいは俺のエアバイク。弱い魔物しか出ないこの辺であればどちらかで護衛は充分なのだが……まあ用心に越したことはない。


「蛇剣姫は……ああ、来たな。あとはソフィーだけか」


 女性的なシルエットを持つ人型機。騎士の甲冑を連想させる意匠は、遠目で見ればただの人間と見間違えそうだ。


『そろそろ出発ですか?』


「ソフィーがまだだ」


 小型のクリスタル共振通信機で蛇剣姫コックピットのキョウコと会話。トランシーバーだが、携帯電話慣れした現代人には少し重い。

 暇なのでエアバイクをメンテナンスしつつ、マリアに忠告しておく。


「マリアとソフィーで飛宙船に乗るわけだけど、なるべくソフィーと話し続けるようにな」


「どうして?」


「長時間の運転は眠くなる」


 長距離ドライブでは眠気は強敵だ。

 と、そこにブロンドの少女がやってきた。


「ってあれ、ソフィー?」


「ええ。遅れてごめんなさい」


「いや、それはいいけど」


 ソフィーの装いは都会の少女としては一般的なものだ。村娘としては華美であり、年頃の娘からすれば質素。つまり普通。

 なによりブロンドである。染めた?


「髪が傷んで勿体無い。ソフィーの髪、綺麗で好きなのに」


「え―――あ、うん。ありがとう」


 髪を触りつつ照れるソフィー。思わず頭を撫でてしまった。


「私の髪は悪目立ちするから、ってお母さんが魔法で色を変えたの」


「なるほど、魔法なら髪は傷まないな」


 謎の液体が入ったボトルを渡される。


「一日で効果がなくなるから、朝にこれで染めなさいって」


「俺が?」


「レーカにやってもらいなさいとも言っていたわ」


 マリアの方が適任じゃないだろうか。姉分なんだし。


「これ、お母さんから」


 小さなメモを受け取る。なになに。


『レーカ君はソフィーを最近蔑ろにしていると思うの。イタズラしていいから、朝の寝ぼけたソフィーを世話しなさい』


 そういえば不純異性交遊アリだったな。

 紙を丸めてポイと捨てる。

 マリアにキャッチされた。

 読んだ後、ボトルを奪い取られる。


「私がやるわ」


「……頼む」


 目が怖い。



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