鳥人間とXプレーン
「やだ」
「うぐぐ」
今月に入ってからの俺とソフィーの睨めっこは、記念すべき通算一〇度目を数えていた。
「だから、これ以上主翼が長いと超音速時に不利になるんだ!」
「飛行機はエンジンで旋回するものじゃないわ。翼で風を受け止めて、勢いを殺さないままに曲がるのが理想。浮かび上がる力はあって困るものじゃない」
「ベクタードノズルを装備すればエンジンパワーで強引に曲がれる!」
「邪道」
「むぎーっ!」
このお嬢様は、俺の提案をことごとく否定しやがって。
エンジンが完成してしばし経つが、俺は未だ機体制作に取り掛かれてはいなかった。
軽い機体で空力を生かした飛び方を好むソフィー。
機体が重かろうとエンジンの出力で無理矢理機動を行えばいいという発想の俺。
どうも方向性が定まらず、模型を作ってはソフィーに却下される日々の繰り返しなのだ。
模型で見せるのは、彼女が感覚的に空を飛んでいるからである。図面読めないんだよねこの子。
「ソフィーの言い分も解る、そりゃ軽くて機敏に動く方がいいには決まっているが、な」
そのコンセプトで設計すると、エンジンのパワーに機体が耐えきれないのだ。
主に翼がへし折れて溶け落ちる。
「……ごめんね、わがままばかり言って」
急にしおらしくしないでほしい。
「いや、気にするな。要求に応えられないのは俺の未熟だ」
要望は遠慮せずに言ってくれ、と予め断ったのは俺の方だ。
レースに挑むのに、彼女が求める良好な機動性と反射速度は間違いなく武器となる。
機体が重ければどうしても慣性が残ってしまうのだ。
「とにかくさ、一度作って乗ってみないか?」
試行錯誤するにも実際に実験する機体が欲しい。
「作るって、どんな機体を?」
俺が作れる、高性能かつ汎用性の高い機体などあれしかない。
「荒鷹」
「というわけで、作ってみました荒鷹」
格納庫に収まった共和国最新鋭試作機のレプリカを見上げる。
格納庫は機体制作に際し必要と判断し、予め制作しておいた。ソフィーと議論ばかりしていたわけじゃない。
「以前はバルカン砲のレプリカで一週間かかっていたのに、今では機体そのものを同期間で作れるとは……俺も成長しているんだな」
しみじみしていると、格納庫に俺的異性好感度ナンバーワンの婦人が現れた。
「レーカ君、荒鷹はコピーしちゃ駄目って言ったわよね、私……?」
アナスタシア様がジト目で俺を睨む。
「でも白です」
「…………。」
「白です」
荒鷹レプリカは見事な純白だった。
「…………レーカ君?」
「は、はい」
「せめて細部を作り替えなさい。特徴を消して」
渋々垂直尾翼を一枚に変更したり、主翼を完全な三角形にしたりするのであった。
これじゃあ荒鷹(笑)だ。
ついでにエンジンも単発である。もはや別物。
タイガーシャークならぬイーグルシャークとでも名付けよう……何人が判るんだこのネタ。
「とにかく、試運転してみるか」
解析シミュレーション上は問題ない。浮遊装置も付いているし、最悪ゆっくり墜落すればいいのだ。
「それじゃあエンジンに火を入れて―――」
はたと気付く。室内でエンジンを始動すれば、木造格納庫が吹っ飛んでしまう。
「それじゃあエアバイクで引っ張れば」
タイヤが空転するばかりだった。
「畜生、今度、エアバイクを半装軌式に改造しなければ……!」
結局、地引き網漁のように腕力で牽引する俺の姿があった。
この荒鷹(笑)は、つまり実験機だ。
新型機制作の手順を語ったが、覚えているだろうか。
実験機、概念実証機、試作機、先行量産機、量産機の順で制作されるというアレだ。
まずは荒鷹(笑)をベースに、様々な技術を実験してみたい。
「俺がエンジンテストしてやるぞ!」
と手をノリノリで上げたガイル。どう考えても乗りたいだけだ。
とはいえアイディアを纏めるにも時間がかかる。しばらくは好きにさせておこう。
『ヒャッホオオオォォォォォ!!』
只今、俺は村の時計台の上。
通信室を借りて、荒鷹(笑)のテスト飛行を行うガイルを見上げていた。
『前に乗った荒鷹よりちとパワーが足りないが、いい出来だ! この時点で楽に優勝しちまうぜ!』
「楽しそうでなによりだ、ガイル」
受信機越しに鮮明なガイルの声が届く。
木々も紅葉し、風はとても心地よい。この季節がずっと続けばいいのに。
実は巡航飛行での出力性能は、魔改造エンジン装備でも荒鷹のエンジン装備でも変わらない。
魔改造エンジンは荒鷹エンジンの倍の出力を持つ。ただし単発。つまり、プラスマイナスゼロ。
それでも尚ガイルが物足りないと称したのはアフターバーナーが使用出来ないからだ。魔力不足から荒鷹(笑)でのAB起動は不可なのである。
俺が乗り込めばいいんだけどさ。野郎と2ケツとか罰ゲームだ。
「ソフィーお嬢様はパワーより機体の軽さが大事みたいだぜ」
『なんだ、喧嘩でもしたのか? よっしゃ婚約解消だ!』
今度ガイルの前でソフィーをハグしてやろ。最近ではお触りOKになったし。
エロい意味ではなく、頬をつついたり抱っこしたり手を繋いだりしても抵抗されなくなったのである。
ただ気を許しただけで、今までマイナスであった……とは考えないようにしよう。
ただ人見知りなだけだ、屋敷に住み着いた不審者などと思われてはいない!
『あとな、俺とソフィーにだって癖の違いはあるさ。俺はエンジン出力を生かした飛び方、ソフィーは風に乗った飛び方を好む』
「じゃあ紅翼に物足りなさを覚えるんじゃないか?」
オリジナルのネ20エンジンでは、下手に機首を上げるだけで失速する。そんな程度のパワーなのだ。
『そうなんだよ、でもナスチヤが『こっちの方が維持費が安いから』ってなぁ……』
尻に敷かれているな、ガイル。
しかし、うーむ。
「軽い機体、か」
『難しいのか?』
そりゃ難しいさ。案は色々あるけれど。
「浮遊装置、外そうかなって考えている」
荒鷹(笑)の挙動が揺らいだ。
『お、おま、浮遊装置外すとか、正気か!?』
動揺し過ぎだろ。
「別になくたって飛べるだろ。飛行中は浮遊装置を停止させるんだし」
『いや、そういう問題じゃなくてよ、つかどうやって離着陸するんだ』
「引き込み式の車輪を付ける」
つまり地球方式である。
『そりゃ、理屈の上では可能だが、なぁ』
歯切れの悪いことだ。
「なにをそんなに渋っているんだ? 浮遊装置なしだと怖くて飛べないか?」
挑発するようにおどけてみせるが、やはり彼の口調はキレを欠いていた。
『そんなことはないんだが、だってよ、航空機に浮遊装置を積まないのは……非常識だ』
なるほど。セルファークでは浮遊装置が当たり前過ぎて、浮遊装置なしの航空機など信用出来ないのか。
『ずっと昔から、航空機には浮遊装置が常識だった。飛行中に浮遊装置を止める飛行機だって、登場した時は大騒ぎだったんだぞ』
ましてや最初から積まない航空機など、ってところか。
「けどさ、ガイルは……これがなければ、って思ったことはないのか?」
『むっ』
ないはずがない。
降着装置だって飛行機の機構としてはかなりの体積、重量を占める悩みの種なのだ。浮遊装置は輪にかけて重い。
これがなければもっと軽やかに空を舞えるのに。
空を飛ぶのが大好きなガイルであれば、絶対そう考えている。
「それにさ、俺達は、地球の人間はずっとそれで飛んできたんだぜ」
墜落=死。それは、飛行機乗りが皆覚悟する最期だ。
エンジンが停止してもフワフワ降りられるセルファークの天士とは、気合いが違う。
「仮にエンジンが止まっても、滑空出来る高度と平らな地面があればなんとかなるもんだ。凄腕パイロット、じゃなくて天士であれば尚更だろ?」
『……わーったよ、わーったよ! 好きにしろ! でも安全管理は徹底しろよ!』
「おうっ」
良かった。ガイルに反対されれば押し切る気はなかったのだ。
娘の命を預かるのだ。絶対に間違いは許されない。
「飛宙挺でも脱出装置として積んでおけばいいだろ?」
『だな』
脱出するだけなら充分だ。
「それじゃあギアの設計を……」
「れーかー!」
時計台の下から呼び声が聞こえた。
窓から見下ろすと、マリアが手を振っている。
「どうしたー?」
「紅葉狩り、行きましょう!」
手に提げたバスケットを掲げ笑顔をふりまく。
紅葉狩り? どうして急に。
『どうした?』
無線の向こうから疑問符を投げかけるガイル。なんと応えるべきか。
「えっと……デートのお誘い?」
やってきました近隣の湖畔。
「ゼェーレスト村の近くにこんな綺麗な場所があったとは」
清掃されているはずもない落ち葉がふわふわして若干鬱陶しいが、シートを敷けばむしろ座り心地が良さそうだ。
「綺麗ね、ここまで来たのは初めてよ」
「よっしゃ、なにして遊ぶ?」
「ちょっと移動しただけで植生が変わるんだね。メモメモっと」
駆け出したのは冒険者志望三人組。
「たまにはカバティやろうぜ!」
『やらない』
なぜだか、異世界でカバティが普及する兆候はない。
地球であれだけ地味かつ広範囲で流行っていたのだ。セルファークでも流行するに決まっている……のだが。
「缶蹴りやろう! あれは面白かったわ!」
「鬼ごっこだ! 小難しいのは苦手なんだ!」
「ダルマさんが転んだ、がいいんじゃないかな。慣れない場所で走り回るのは危ないよ」
なぜか他の遊びばかりが好評である。
まあ、カバティをやるには致命的に人数が足りないし。面白さが伝わらないのも仕方がない。
「レーカ、こっちこっち」
手招きするマリア。
「こっちこっち」
真似するソフィー。
「『此処は我が領域。此処は我が地。魔の道理に生きし者よ、踏み入ることを不敬と痴れ』」
怪しげな呪文を唱えるアナスタシア様。
「『レスト・フィールド』」
アナスタシア様を中心に魔力の円が広がるのを感じた。
「これで村の近くの魔物は近付いてこれないわ」
「便利ですねぇ」
むしろ以前の野宿で……というのは無粋だが。
あの旅は訓練だったし。
「マリアが時計台に来たときはなにかと思いましたけれど、アナスタシア様発案の遠足だったんですね」
面子は保護者役のアナスタシア様、俺とソフィーとマリア、冒険者志望三人組の計七人。旅の顔ぶれとほぼ同じだ。
「あら、言い出しっぺはマリアちゃんよ?」
「あ、アナスタシア様っ」
あたふたと手を振るマリア。
提案したのが彼女だったとして、なにか慌てる要因があっただろうか。
「レーカ君に気分転換してほしい、って頑張ってお弁当を作ったのよ」
「アナスタシア様ーッ!?」
なるほど、それで照れているのか。
ちょっと感動した。
マリアに抱き付いたら犯罪だろうか?
「ち、違うの! 前々から紅葉狩りに行きたいって考えていたの、たまたまなんだから!」
「いいお母さんになるな、マリアは」
「そ、それって褒められているのかしら……?」
最上級の褒め言葉だ。
本気でハグしたいが、繊細な年頃の彼女に過度のボディータッチは傷付けるだけだと学習している。
でも、いじらしい。可愛い。ハグしたい。
「俺はどうしたらいいんだ!?」
「……とりあえず身の危険が迫っているのは、ひしひしと感じるわ」
自分の体を抱いて震え上がるマリアであった。
「ほら、そんなことよりお弁当食べなさい!」
バスケットを突き出される。中身は綺麗な形に握られたオニギリの詰め合わせ。
てっきりサンドイッチかと予想していたが、異世界でも米に飢えないのはいいことだ。
ぱくりと一口。
「ああ、キャサリンさんほど完璧な出来じゃないのが、かえってお母さんの味に思える」
「褒め言葉……?」
褒め言葉。
遊び回っていた子供達より一足先にお弁当を食し、近くを散歩する。
靴を脱いで湖に足首まで浸すと、意外と冷たくて小さく声を上げて引っ込めた。
「レーカ、なにやっているの?」
ソフィーが湖を覗き込む。
「何か居る?」
「ああ、牙の生えたカエルの化け物がな。足を噛まれそうになって思わず叫んでしまったよ」
「ふえぇ!?」
驚き、ついでに足を踏み外して湖に転げ落ちるソフィー。
「いやぁ、噛まれる、助けてレーカ!」
ばちゃばちゃと水面を叩いて混乱するソフィー。ごめん。本当、嘘吐いてごめん。
「落ち着いて落ち着いて、よいしょっと」
冷静になるように声をかけても無駄だろう。俺も湖に入り、背後から彼女を持ち上げて陸へと上げた。
溺れる人を助けるときは背中から近付こう。お兄さんとの約束だ。
というか、足、届くじゃないか。
「レーカも早く!」
「お……おぉおぉぉっ?」
登ろうとして、視線を逸らし踵を返した。
ソフィーは白いシャツの上にカーディガンを羽織っている。
白いシャツが濡れればどうなるか。
大変なことになっちゃうのである。
断っておくが変な劣情を抱いたわけではない。視線を逸らすのは紳士として当然の振る舞いだ。
「レーカ!」
焦り声のソフィーに促され渋々陸へ。ついでにソフィーのカーディガンの前を閉める。
マイケルやエドウィンに見られるのは気にくわない。
いいだろ、独占欲があったって。妹分だし、婚約者でもあるし。
「張り付いて気持ち悪いよ」
「ぬ、脱ぐな! アナスタシア様、アナスタシア様ー!」
「あらあら」
必死に男達の視線からソフィーを守る。その隙にアナスタシア様は手早く娘を着替えさせた。
疲れた。どっと疲れた。
「レーカ君も着替えたらどう?」
俺の服をひらひらと揺らすアナスタシア様。なんで持ってきているの?
「水辺で遊ぶんですもの、替えの服くらい持ってくるわ」
「それもそうですね」
俺が飛び込まないとしてもマイケルがダイブしかねない。
「どりゃあああぁぁぁ!!」
「ほらやっぱり」
「あらあら……」
水しぶきを撒き散らして入水するマイケル。
せめてパンツ一丁になってやれよ。
「俺はそこら辺で乾かしてくるんで、それはマイケルに着せて下さい」
「乾かすといっても、時間がかかるでしょ?」
「練金魔法でなんとかなるかと」
水分子を分解してしまえばいい。
「あんまり遠くに行っちゃ駄目よ?」
「そこの影にいるんで」
片手を上げ、俺は岩影に駆けた。
服を下着以外全部脱ぎ、向かい合う。
「ちちんぷいぷい―――ソフィー?」
ソフィーが覗き込んでいた。
彼女はまだ異性に興味などないはずだ。
はずだが、俺のことをガン見している。
「俺の肉体美に酔いしれるなよ?」
「―――?」
いかん、最低な形で滑った。
トテトテと俺の側に寄るソフィー。
「なにするの?」
「いや、別に面白いことなんてしないぞ?」
魔法で服を乾かすだけだ。
実演してみせると、感動した面持ちで服を見つめる。
そして再び湖に服を放り込んだ。
「もう一回!」
思わずチョップした俺は悪くない。
叱るときは美少女でも叱る男なのだ、俺は。
乾いた衣服を着込んでいると、ソフィーが湖を凝視していた。
「何かいるのか?」
「足を噛むような変な生き物はいないわよっ」
先程の牙ガエルがジョークだと気付かれたらしい。
「鳥?」
水面を進む鳥を観察していたようだ。
「楽しい?」
「うん」
親近感でも覚えるのだろうか?
「鳥みたいに、自由に飛べたら楽しいよね」
「飛行機は、鳥よりずっと速く飛ぶぞ?」
鳥なんて水平飛行では一五〇キロが精々だ。
「速く飛ぶだけが飛行じゃないわ」
「……そうだったな」
思えば、ソフィーの目指すところはまさしく鳥なのかもしれない。
風を捕まえ、気流に乗り、滑空し。
それこそ彼女の望む『飛行』か。
正面から吹く風に、両手を左右に伸ばして構える。
「鳥ってこんな感じか?」
なんてな、と一人ごちていると、そっと腕に触られた。
「もうちょっと、こう」
ソフィーが俺の背後に回り、腕の角度を調節する。
「これが滑空。翼を少し上げて、重心に重ねるの」
耳元で囁かれ、少しこそばゆい。
「これが旋回。厳密にいえば、左右で翼の角度が違うの。そう、ここで翼を捻って」
男女が風を感じつつ、体をそっと重ねる。昔こんな映画があったよな。
「これが滞空。風を受け止めて、バランスを取るの。そうすれば一瞬だけど速度ゼロで浮かべるわ。風があれば数秒は浮かんでいられる」
こうしてみると、飛行機の操縦システムは人間用に簡略化されたものなのだな、と感じる。
ソフィーはきっと、なにかの間違いで人として産まれてしまった鳥なんだ。だから彼女は風を愛し、風に愛される。
「……鳥みたいに、自由に翼が動く飛行機って作れないの?」
「可変翼、って技術はあるけどさ」
可変翼とは、低速飛行時には翼を広げ、高速飛行時に後方へと折り畳む形式である。
一見空気抵抗の有無だけが変化内容に思えるが、機体の重心変化、尾翼への気流の影響等様々な要因が変化するややこしい技術だ。
「あれは前後に動かすだけでしょう? もっと、主翼ごと捻ったり、上下にもパタパタしたりって……無理かな?」
「うーん……」
可変翼ですら困難なのに、軸を増やすというのか?
可変後退翼の場合、稼動部の軸は左右一つずつ。それだけで無視出来ないウェイトなのだ。
もし自在に動かせる翼を得るとすれば、更に機構が重く複雑化する。
「動物の動きを機械で再現するって難しいんだ。人型ロボットが実用化出来ないのも、筋肉のしなやかで俊敏な反応を再現しきれないからだし」
「レーカは人型機のこと、いっつも『人型ロボット』って呼んでいるわよ?」
それは無機収縮帯なる、生物の模倣に適した素材が存在するから―――
「―――無機収縮帯で稼動させればいいんじゃないか?」
なぜ思い付かなかったのか不思議な、シンプルな答えだった。
重量増加は避けられないが、モーターや油圧を積まない分、ずっと軽く収まりそう。
「こうやって、ここに収縮帯を詰め込んで、これじゃ翼が厚すぎるから……」
ぶつぶつ呟きつつ、脳裏に設計図を起こしていく。
「お母さん、レーカが自分の世界に入っちゃった」
「こうなったらもう声が届かないわね。帰る時間にも現実に戻ってきていなければ、魔法で浮かべて運びましょう」
脳裏の図面をまとめ終えて一呼吸。
周囲を見渡すと、そこは自室の倉庫だった。
「……あれ?」
図面に引いた時点で気付いたのだが、無機収縮帯を航空機に詰め込むのは些か無理があった。
人型機の股関節に関するノウハウを流用したわけだが、筋状に配置する以上は体積を大きく占領してしまうのだ。
荒鷹をベースに可変翼を組み込むも、問題は次々と沸いて出た。
独自の理論を組み立てて無機収縮帯を機体の胴体内に集約させる。
それでもかさばるので、無機収縮帯を細く変更し、過剰魔力を注ぎ込むことにした。
少ない収縮帯に過剰な魔力。無機収縮帯の寿命は当然縮み、それをカバーするために無機収縮用の治癒魔法を術式に刻み込む。
こうしてようやく必要な性能に至ったのだが、技師が同時に乗り込み常にどこかを治癒修復しなければならない無茶苦茶な仕様となってしまった。
エンジンといい、主翼といい、この飛行機は俺泣かせになりそうだ。
無機収縮帯の可変翼、技師が乗り込まなければ運用不可能とは、道理でセルファークでも実用化されていないわけである。
「とにもかくにも、荒鷹(笑)改が完成したわけだが」
デルタ翼は直線翼となり、随分とイメージが変わった。
しかしこの主翼、付け根と半ばの二カ所で可変し柔軟な空力制御が可能な優れものなのだ。
低速時は最大展開で直線翼となり、高速時は尾翼幅にほぼ納まるほど折りたためる。
地球生まれの可変翼機は根本だけしか動かないので、案外幅が小さくならずに空気抵抗を減らすという目的を果たしきっていない。その為の、翼途中の可変部分だ。
あれだ、ロボットによくある二重間接ってやつだ。二重であればぴったり折りたためるんだ。
「と、こんな具合だが……操縦系がかなりややこしい」
「操縦桿が二つあるわね」
「左右の翼を個別に動かせるからな。スティックの位置だけではなく、肘まで使って操縦することになる」
苦肉の策である。どうやっても翼の動きを手首の位置だけで入力しきれないのだ。
「加速とかはどうするの?」
天士ならスロットルと呼べ。ソフィーは感覚で操縦しているので、専門用語をあまりちゃんと覚えていない。
「ラダーを片足で、スロットルをもう片足で操ることになる」
本当に大丈夫だろうか。ベテランのガイルにまず乗ってもらうべきではなかろうか。
俺の懸念を余所に、ソフィーはうれしそうにコックピットによじ登る。
「はやく、早く乗ろう!」
「……やれやれ、人の心配も知らないで。一緒にメリーゴーランドに乗ろう、ってくらいの気軽さだな」
苦笑し、俺はコックピットの後部に増設された座席に入り込んだ。
こうしてソフィーと俺とで機乗し、テスト飛行へと臨んだわけだが―――
「…………。」
「大丈夫?」
「……もうダメ」
初めての戦闘機だとか、ソフィーとの初の共同作業だとか、そんな感動はフライト開始三分で消え失せた。
曰く、戦闘機パイロットは空の楽しさより辛さの方が多いらしい。
兵器に楽しいだけで乗る奴なんてただの人格破綻者だが、空を夢見て自衛隊に入りつつも、いざ戦闘機に乗ると嫌で嫌で仕方がなくなってしまった、ということがあるそうだ。
所詮人間は鳥ではない。空を飛ぶように出来ていない肉体は、飛行中に常に全力酷使される。
ならば、ソフィーのように人の形をした鳥のような人物であれば?
そんな天士の操る機体に、なんの飛行訓練も受けていない人物が同乗すれば?
「大丈夫?」
「……もうダメダメ」
こうなるのである。
ここは使用人休憩室。マリアとキャサリンさんのリビング的空間。
俺は気持ちの悪さに机につっぷし、ソフィーは健気に背中をさすってくれていた。
本来であればここにソフィーが立ち入るのはキャサリンさんがいい顔をしない。心情的なものではなく、主と従者のケジメだそうだ。
かといって子供のソフィーにあまり厳密にそれを求めるのも酷だと考えているらしい。遊びに来る程度であれば、何も言う気はなさそう。
「なにがそんなに苦しいの?」
「ぐるぐるって回って、上と下がぎゅんぎゅん変化して、景色がびゅんびゅん飛んでいくのが」
それのなにが問題なのだろう、と首を傾げるソフィー。
つまりは乗り物酔いに近い。ロリ神の用意した肉体は人一倍頑丈なので高機動飛行のGには耐えきれるのだが、地上生活の長い俺には空の常識は肌に合わなかった。
「頑張ってなんとかして」
「お、おう」
スパルタである。
対G能力は素質に左右され鍛えるのが難しい部分だが、乗り物酔いは慣れれば脳がなんとかする。
ソフィーの慣熟訓練に付き合っていれば、じきになんとかなるだろう。
「それで、試作機の乗り心地はどうだった?」
「うーん……」
え、なんで眉潜めるの。
「ちょっと物足りない」
「君ちょっとオカシイ」
ロシアの試作機だって真っ青な変態機動をしておいて、物足りないって。
声と嘔吐感を抑えるのに必死であまり飛行内容は把握していなかったが、あのグルグルっぷりはどう考えても常軌を逸していた。
「先端を上下に振るスピードが遅いかな、って」
「ああ、なるほど」
主翼を強化したわけだが、それで賄えるのはフラップとエルロン、つまり浮力の調節とローリングの速さだけだ。機首を上下に傾ける、エレベータは荒鷹オリジナルのままだった。
「それでね。こんな風に出来ない?」
メモ用紙にペンを走らせる。
その下手っぴなイラストを何気なく観察し、次第にある感情が湧き上がった。
それは、戦慄。
「……ソフィー、これを誰に教わったんだ?」
「え? 自分で考えたんだよ?」
アナスタシア様なら知っていたかもしれない。ガイルなら気付いたかもしれない。
だが、飛行機など紅翼しか知らないであろうソフィーが、こいつを独自に編み出した?
「こいつは極めて扱いにくい技術だ。コンピューターでの補正が出来ない現状、ソフィーの腕で操るしかない。……こいつを、御しきれるのか?」
「うん」
気負いもなにもない返答。
これを制御することに、微塵も不安がないと彼女の瞳は雄弁に語る。
「……こいつをなんて呼ぶか、知っているか?」
「名前があるの?」
そのイラストは、飛行機を真上から見た視点の図だった。
一見ただの後退翼機。しかし、操縦席とエンジンの位置が明らかにおかしい。
そう、まるで前後が逆に配置されたかのようなレイアウト。
尾翼の役割を果たすカナード翼がコックピット若干後ろに設置され、主翼は機体の後方から『前』へ伸びている。
飛行機の常識を捨て去り、進行方向へと逆らうように配置された翼はまるで矢尻。
これは地球ですら完全な実用化を成し得ていない技術。
新素材により強度問題を解決し、根本的な不安定性を電子制御にて克服してようやく満足な飛行を成し得た翼。
ステレスに重きを置かれたことで、進化の道を閉ざされた技術。
FORWARD SWEPT WING。日本語ではこう呼ばれる。
「―――前進翼。それが、この技術の名だ」




