魔界ゾーンとラムレーズン
今回はエンジン制作のお話。それだけのお話。
正直、興味ない人は飛ばしてもいいかも?
大陸横断レース・未成年の部。
本命レースの前座に開催されるこの大会は、文字通り子供によって繰り広げられる飛行機レースである。
大人の部と同様に機体を持ち込んで機械技術と操縦技術の双方を競うのだが、割となんでもあり、速ければ正義といった具合の本命レースよりは安全面で多くの制約が存在するようだ。
「ふむふむ、なるほど」
自室の倉庫にて最新版の大会規程を確認する。
「なになに、機体は出場者及びチームの人間が用意すること?」
大人の力を借りるなってことか。厳密に守らせることは出来るのだろうか?
「機体はフルオリジナルであるか量産機ベースの改造機であるかは問わない」
これは機体調達の難易度を下げる為かな? いや、本命レースでも改造機OKだったか。
ただ最速を目指すには最初からレース専用に設計することが望ましいので、大陸横断レースで改造は見たことがない。
「エンジンの発数は自由とする。但し、エンジンは大会側が用意したネ20魔力エンジンを使用すること。……マジか」
ネ20エンジンは傑作発動機だが、最高速度は精々六〇〇キロ程度が限界だ。となると、速度の向上を狙うには機体を洗練させるしかない。
「機体を数日前から預け大会側の審査に合格した上で出場すること。機体は多少分解した状態で返却し、丸一日かけて組み立て・エンジンの設置・セッティングをチームで行う」
ちゃんと組み立てて返せよ……いや、そうじゃない?
「そうか、組み立てを行えるかどうかで、自分で作った機体かを判断するのか」
おまけに丸一日程度ではエンジンの改造も行えない。参加者達は大会側の用意した均一な性能のエンジンを以て、対等な条件で戦うのだ。
「その他細かな規程は……あとでいいや」
米粒のように小さな文字に読む気が失せた。保険の契約書かっての。
「アナスタシア様が取り寄せてくれた資料はまだまだあるからな……いったん休もっと」
机にずっと座って体が痛い。気分転換に村唯一の飛行機でも見に行くか。
結論からいえば、俺は大陸横断レース・未成年の部に出場することを決めた。
大会は来年の夏。専属天士を勤めてくれるソフィーが慣熟訓練を行う期間を鑑みれば、少なくとも春には完成しなければならない。
むしろ春でも遅いかも。機体に不具合がないか検査する為、早ければ早いほどいい。
「おおよそ半年。長いようで短いな」
さっさと制作を開始したいところではあるが、どんな機体を作るかのビジョンは不明瞭だ。まずは方針を決めなければ。
中庭へ移動。紅翼と向かい合う。
「紅翼は直線翼のシンプルな機体だ。ネ20エンジンであれば、こういうシンプルな設計が一番じゃないか?」
汎用性の高い万能指向。余計な物が付いていない以上重さも最低限だし、なんだかんだ言ってこれが一番だと思う。
「無理だな」
「ガイル? いたのか」
いきなり背後に現れるな。
「このレースに出場する奴らは例外なく頂点を目指している。そんなつまらない設計で勝ち抜けるほど生半可じゃないさ」
「ああ、というかそんな面白味のない機体しか作れないようなら、俺は出場を辞退するよ」
せっかくの大舞台だ。人々の度肝を抜くような機体を作りたい。
「ガイル、未成年の部のコースを知っているか?」
「ああ、昔はよく見ていたからな。そう難しいものではない」
最新版の資料にも次回の飛行コースに関する情報はなかった。ぶっつけ本番らしい。
しかし、昨年までの傾向からある程度予想は可能。
「基本的に大陸横断レースの未成年部門は大都市で開催される。都市の外周を指定された回数回れ、というのが基本だな」
「それだけ?」
そんなの、とにかく軽くて速い機体を作ればいいだけじゃないか。
「まさか。勿論あるぜ、『セクション』がな」
セクション、高い技術を必要とする難所か。
「セクションでは墜落して死ぬ奴とかもいるんじゃなかったか?」
「さすがにそこまで露骨に危ない場所はない。つーか町の近場でそんなことやったら問題になる」
ガイルは地面に指先で線を引く。
「こんな感じで、蜘蛛の巣みたいに空中に輪っかを作るんだ。数隻の飛宙船でロープを張って」
地面に描かれたのは、外周のみの蜘蛛の巣らしき図。
「勿論一つや二つじゃない、数十個の輪を正しい順序で通過していくんだ。勿論空中に張られているから、輪は縦横斜めお構いなしだぞ」
「縦横斜めお構いなしって、無茶苦茶だな」
地球のエアレースはあくまで平面的だ。地上や水上から巨大なバイロンを立て、その合間を縫って空を飛ぶ。常時地上四〇メートル以下で飛行とか、地球のパイロット達も正気じゃない。
それを、上下左右デタラメに? この世界のパイロットは基準がすっ飛んでいるな。
「しかも、リングの配置は実に嫌らしいときた。急激な速度の緩急や急旋回を必要とするような、コース設計者の性根捻くれ具合が見え透くようなルートだぞ。理想的にクリアすれば短時間で突破出来て、曲がりきれなければ大幅なタイムロスとなる―――つまり、高度にテクニカルな操縦を求められるんだ」
「……それ、ほんとに子供向けかよ?」
「大人向けはもっと酷い」
なんか大陸横断レース怖くなってきた。悪魔の巣窟だろ。
「機体の機動性は最優先事項だな」
「ああ、だがテクニカルセクションで速かろうと、直線区画のスピードセクションで遅ければ一気に抜かれる。機動性にもトップスピードにも優秀なのが理想だな」
「ネ20エンジンに多くを求め過ぎだ」
そういう機体は総じてエンジン出力に優れている。以前ゼェーレストに来た最新鋭戦闘機・荒鷹などその古典的な例だ。
……最新鋭の古典的とはこれ如何に。
「エンジンはどの程度手を加えられるんだ? 参加機はどれも、大規模改造は不可能だとしてもリミッター解除くらいはしているぜ」
エンジン自体に対する改造か。俺のスピード作業ならば組み立てくらい一時間で済むし、制限時間は最大二三時間だ。
「って、余り過ぎだろ!?」
作業用機械を使わず身体強化魔法で部品を運び、技師魔法にて調節なしの瞬間溶接を行える俺は作業速度が異常に早い。
「もしかして、俺だけ改造し放題?」
いいのだろうか? ルール的には問題ないけどさ。
「と、とにかくネ20エンジンをどこまで強化出来るか実験だな。ガイル、紅翼のエンジン使っていい?」
「アホ、こういう時こそあのエンジン使え」
あのエンジン?
「ああ! 前に紅翼に積んでたエンジン、貰ったんだっけ」
「お前の部屋にデカデカと鎮座してるじゃねぇか。どうして忘れる、あの存在感を」
抱き枕として使用していたのは黙っていよう。
「そんじゃ、機体制作の第一歩はエンジン強化だな」
「それがいいだろう。飛行機発展の歴史はエンジン発展の歴史だ。エンジン出力と機体性能は大抵比例する」
つまり、どれだけエンジンを強化出来るかで俺達の機体の性能が決まるのだ!
「よし、部屋に戻ってアイディアを実践してみよう。じゃあなガイルー」
「じゃあな」
ふふふ、エンジン強化とは難題だな。楽しくなってきた。
ネ20エンジンはフィアット工房でもよく触った、馴染み深いエンジンだ。
間欠燃焼型エンジン、燃費は悪く性能も悪い。しかし耐久性とコストパフォーマンスは最高クラス。
性能の低さは日頃の生活で使用する飛宙船向けなので問題にはならない。燃費の悪さも、クリスタルの丸一日で魔力が回復するという特性から運用でカバー可能。
地球では発展しなかったパルスジェットがセルファークで普及しているのは、そんな背景があるのだ。
「こんなもんか、っと」
ネ20エンジンを改めて図面に起こす。
結局のところ、エンジンの性能とは『どれだけ空気を圧縮出来るか』。ネ20エンジンのようなパルスジェットエンジンは圧縮率が低いからダメダメなのである。
あとは耐熱金属の調達・配置だが、この世界には固定化魔法なる科学的物質変化を封じる便利魔法があるので対してある程度問題ではない。
間欠燃焼型エンジンと呼ばれる通り、ネ20エンジンは連続的な爆発が不可能。吸気口から空気を吸ったらシャッターを閉じ、ロケット花火の要領で推進する。
改造するとすれば、連続燃焼を可能にするために吸気方法を変えるしかない。
「となれば、やることは」
倉庫に転がっていたターボジェットエンジンをターボファンエンジンに改造し、ネ20エンジンの吸気口に直結したみた。
つまり加給機だ。無理矢理ジェットエンジンで空気を詰め込んでしまえばいい。
丸一日かけて制作し、屋敷近くの平原でテスト準備をする。上よーし、下よーし。東西南北人影なーし。
充分な距離を確保し、スイッチを入れる。
聞き慣れない轟音が村を揺らした。
ネ20エンジン改は炎の柱を吹き上げ、村全ての建物をびりびり揺さぶる。
「おおお、結構凄いな」
解析魔法で出力を算出。おおよそ7,5kNくらいか。
頑張れば時速一〇〇〇キロ出せそうな出力だ。
「あら素敵ね。昔、こんなエンジンを見たわ」
エンジンが吹き上げる爆炎を微笑ましげに見つめつつ、アナスタシア様が現れた。
「アナスタシア様。昔って?」
「試作エンジンだったかしら。タービンの回転だけでコンプレッサーのエネルギーを賄えなかった頃に作られた、ピストンエンジンで空気を圧縮する飛行機よ」
確かに原理的には……全然違うよ。見た目しか似てないよ。
「出力もほどほど、重量は残念でした、な失敗作だったわ」
「ま、まあ、ネ20エンジンの要らない部分削れば軽量化は出来ますし」
「……レーカ君、それ本気で言ってる?」
なにか間違っていただろうか?
「それ、ターボファンエンジンの後ろにアフターバーナーの筒がくっついているだけじゃない」
あ、確かに。
「しかも他のエンジン載せたらルール違反よ」
「なんてこった」
ネ20エンジン強化計画第一段―――見事に失敗。
「懲りずに同じ発想だぜ!」
今度は電気式のコンプレッサーを付けてみた。
「…………うん、判っている」
倉庫に鎮座するその巨大な箱を眺め、溜め息を吐いた。
「でけぇ」
試運転する前から失敗作臭が半端じゃなかった。
なにせコンプレッサーの大きさは1,5立方メートルにも至る。当然、重さも凄い。
小型機には載らない……とは断言出来ないも、相当苦しいだろう。
「い、一応動かしてみるか」
結果としては先程と大して変わらなかった。
アナスタシア様にはルール的に問題ないと判断されたが、残念な人を見る目で見られた。
強化計画第二段、また失敗。
「方向性を変えよう。地球の知識を思い出せ」
技術者達は様々な方法でエンジンを動かす術を考え抜いた。彼らの知恵を借りるのだ。
「外部動力のコンプレッサーを搭載するのは意外に難しい……ネ20エンジンをターボジェットエンジンに改造するか?」
いや、無理だ。
構造が根本から違い過ぎるし、ターボのシャフトは極めて精密な加工精度でなければ異常振動やトラブルの元となる。限られた時間の中で気軽に作れる物ではない。
「となれば、コンプレッサーなしのエンジン?」
そんなの、そもそもジェットエンジンと呼べるかすら怪しい……いや。
「あったな、あるじゃないか。コンプレッサーなしのエンジン!」
前方からの風を、その風圧そのもので圧縮し、燃焼室へ酸素を供給する。そんな原理が存在するのだ。
「ラムジェットエンジン!」
マイナーな形式だから思い出せなかった。地球では完全な実用化すら出来なかったからな。
多少強引な接続でもなんとかなった先の失敗作シリーズとは違い、ラムジェットには高度な設計技術を求められる。解析魔法のシミュレーション能力を駆使し、試作と実験を繰り返してようやく納得のいく品が出来た。
様々なデータを纏めた結果、それだけで一週間。ラムジェット舐めてた。
「計算上、最低稼動速度は風速六〇〇キロ毎時。……どうやってそんな風を作れと」
先程のターボファンエンジンを改造、ラムジェットエンジンに接続した。
練金魔法によりターボファンエンジンの排気は大気中の酸素濃度に戻されている。そして結果は。
「さすがに、半端なパワーじゃないな」
槍のように大気を貫く轟雷は、それまでの試作エンジンとは一線を画いていた。
ラムジェットエンジンは起動に高速飛行状態であることが求められる扱いにくいエンジンだ。しかし、一度起動してしまえばファンによるコンプレッサーの物理限界など知ったことかと言わんばかりの圧縮比を成し遂げ強力無比な出力を発揮する。
「いい感じだが、やはりネックは低速飛行だよな」
六〇〇キロ以下での飛行では充分な空気が供給されず、エンジンが停止してしまう。
最適な速度粋はマッハ3~6、つまり三六七〇キロから七三五〇キロぐらい。高速度域特化型のラムジェットはこの扱いにくさから中々実用化されないのだ。
地球ではターボファンエンジンとラムジェットエンジンを組み合わせることで解決を試みていたが、レース規程的に無理。
「低速用にもう一発、ネ20エンジンを積む?」
……馬鹿げている。どう考えても互いに足を引っ張り合うだけだ。
「そうだ、さっき思い付いたこと、試してみるか」
ラムジェットエンジン起動実験の際、ターボファンエンジンの排気を錬金魔法で通常大気に戻して吸気として使用した。
それを更に押し進め、吸気の酸素濃度を上げるのはどうだろう?
錬金魔法の魔導術式を刻んだ鉄板を三枚、三角柱状に固定。これで内側の気体を錬金出来る。
解析で慎重に探りつつ、風速を上げていく。
度重なる調節とデータ採取の結果、最終的には……
「……おお、時速一〇〇キロで起動状態になったぞ」
想像以上の成果だった。
ラムジェットエンジンはつまり筒だ。計算された内部構造と前方からの風圧によって排気口のみから爆発を排気するのだが、風圧が足りなければ爆発が逆流してしまう。
そうするとエンジンストップだ。
しかし一〇〇キロ以上ならば正しく吸気が燃焼室まで届けられる。そうなってしまえば、酸素濃度は申し分ないので最高出力で起動出来るわけだ。
こうして、一〇〇キロ以下では役立たずだが一〇〇キロ以上なら変態出力という、奇妙なエンジンが完成した。
「あとは低速時にどうやって飛ぶか、だな」
低速では酸素をコンプレッサーで……いやだから、外部動力コンプレッサーは無理だって。
「液体酸素のタンクでも用意して、側面から酸素供給するか?」
あれ、なんか簡単に結論が出た。
ガンブレード制作で空気中からの酸素抽出、タンクへの保存技術は確立している。
低速では吸気口シャッターを閉じてロケットエンジンとして稼動させればいいのだ。
これで、理屈の上ではゼロ速度からマッハ6までカバーするエンジンが完成したわけだ。
あくまで理屈上だ。所詮ネ20エンジンの魔改造、そんな高圧力に耐えきれるはずもない。
慎重に行われた試験の結果、エンジンの実働性能は―――
「結局、うまくいかなかったの?」
「うん……」
マリアの掃除仕事を手伝いつつ答える。この屋敷は使っていない部屋が多過ぎだ。
最近ではマリアが俺の仕事を請け負ってくれることが多い。なので午後まで彼女の仕事が割り込む。
申し訳ないという思いはあるのだが、マリアは一歩も譲らない。これが自分なりの大陸横断レースなのだそうだ。
もっとも、こうして行き詰まってしまった以上は気分転換がてら手伝わねばなるまい。悩むのは手を動かしながらでも出来る。
「どれくらいエンジンは強力になったの?」
「具体的な数値でいえば70kNくらいだな」
「……つまりどれくらい?」
「最初の二〇倍くらい」
オリジナルのネ20エンジンは3kN程度だ。
「二〇倍っ。それって凄いんじゃない?」
「そうでもない。ネ20エンジンはそもそも低出力エンジンとして開発されたんだ、改造の余地は予め確保されていた。それに荒鷹のエンジンだって同クラスだし、完成度でいえばあっちの完勝だ」
それに何より、低速度域でのエンジン運用がうまくいかなかったのが悔しい。
酸素をタンクから供給し、エンジンをロケットとして稼動させる。なにが問題なのだろう。
「アナスタシア様に訊いたら?」
「うむむ、それは……」
俺が開発すると意気込んでおいて、アナスタシア様に助力を申し出ていいのだろうか。
出来ないならレースなど出場するな、ということだ。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥よ」
「それ、俺が教えた言葉だろ」
「レーカはもう少し甘えていいって、前に言われたじゃない」
「……わーったよ、あとで聞きに行く」
「今すぐ行きなさい。ここは私の仕事よ」
部屋から放り出された。
「キャサリンさんに似てきたな、うううっ」
なぜか泣けてくる。
アナスタシア様を探して屋敷を歩き回る。
「なんで自分家で迷子になるんだ」
リビング、書斎、キッチン、中庭と思い付く場所を手当たり次第に当たるもいないものはいない。
プライバシーの侵害一歩手前だが屋敷ごと遠見の魔法で解析してしまおうかと迷い始めた頃、ようやく廊下の先で白い髪の端を見た。
「おのれ、あっちか!」
廊下の曲がり角に消えた人影を追うも……その先には誰もいなかった。
「見間違いじゃないよな」
アナスタシア様の香水の匂いがする。
そこ、変態とか言うな。
くんくんと残り香を辿ると、何の変哲もない廊下の途中で途切れている。
「窓から外へ出た?」
そんなアホな。一階だから不可能ではないが、アナスタシア様はそんなにお転婆じゃない。
たぶん。
「ツヴェー渓谷の冒険者の間で伝説になっている人だしなぁ……」
酒場で尋ねても逃げるか震えるかで、誰もアナスタシア様の現役時代について語らなかった。
証言を得られない=やっぱりお転婆じゃなかった!
完璧な理論である。
「そんなことより、今のアナスタシア様だ」
周囲に何か痕跡がないか見渡すと、あることに気付く。
「なんだろこのでっぱり?」
壁に奇妙な突起が存在した。
壁紙に紛れて見逃してしまうような、指を這わせて初めて発見する程度の膨らみ。
押してみた。
壁がせり上がり、地下室への階段が出現した。
「…………。」
ジャンプして隠し扉を掴み、体重で下に閉じる。
もう一度押してみた。
壁がせり上がり、地下室への階段が出現した。
「な、なんじゃこりゃーっ!?」
隠し階段!? なんでこんなモンが屋敷に!
「よし、突入するぞ! オーバー」
先程までの、エンジン開発に難航し憂鬱だった気分は吹き飛んだ。
気分はダンジョンに潜る冒険者である。
「武器はちゃんと『装備』しないと意味がないよ!」
村人Aのセリフを唱えつつ、こっそりと階段を降りる。
背後で入り口が閉まった。解析してみると、どうやら時限式だった模様。
それでいてセンサーで周囲の動体を感知し開閉が停止するシステムを実装しているのは、やはり母親故の配慮だろうか。
「こんにちは旅の人。ここはゼェーレストです」
しばし降っていると、鉄の扉が現れた。
音が軋まないように、慎重に開く。
「と見せかけてドーン!」
一気に突入!
「スクープ、地下室で妖しげな実験を繰り返す美女!」
「静かにしてくれないかしら、レーカ君」
ごめんなさい。
床から視線を逸らさず、大きな杖で地面に術式を刻み続けるアナスタシア様がそこにはいた。
「魔導術式?」
そこは、屋敷の下に存在するとは思えないほど広大な部屋だった。
向こうの壁まで五〇メートルはあるだろうか。薄暗い地下室は柱の一本も存在せずただただ広く、そして地面には光り輝く魔法陣が描かれている。
部屋一杯に広がる緻密な術式。多少は俺も魔法を学んだが、到底理解仕切れるものではない。
なにこれ。すっげぇ気になる。
でも真剣なアナスタシア様の眼差しに声をかけるのも躊躇われる。さっき騒いで怒られたし。
……ここは、いったん出直すか。
静かに扉へ戻ると、背中に声をかけられた。
「ここでなにをしているのか、訊かないの?」
「訊いていいんですか?」
「どうしよっかなー?」
じらさないで下さい。
「……レーカ君は、どうしても会いたい人っている?」
ぽつりと彼女は呟いた。
「これは魔法。火を起こしたり水を出したりなんかじゃない、奇跡を呼ぶ為の魔法」
奇跡、ね。
「会いたい人とまた出会う、そんな夢を見られる魔法よ」
……なんかしょぼい奇跡だ。
「夢ですか?」
「ええ。人は時を越えられない。けれど過去は変えられるわ」
どういう意味だろう?
時を越えられないのは判る。でも、過去を変えられる?
むしろ、時を越えずにどうやって過去を変えるのだ?
「けれど過去って、そんなに簡単に変えちゃいけないものだと思うの。だから『夢』よ」
「はぁ?」
つまり、要約すると……
「最近夢見が悪いからいい夢見れる魔法を作ったんですね!」
「レーカ君、話聞いてた?」
解らないんだもん。
「いいわ、もう」
拗ねたように頬を膨らませるアナスタシア様。可愛い。
「レーカ君は私になにかご用?」
「ああ、そうでした。実は―――」
現在ぶち当たっている問題を説明しつつ、魔法陣を端目で眺める。
屋敷の地下で人知れず構築されていた、超大規模術式。
いつしかこの術式は、世界を巡る戦いの重要な鍵となる。
誰もが求め、秘匿し、流血を厭わず我が物にしようとする奇跡の魔法。
しかし俺はそんなことを知るはずもなく、あっという間に興味を失ったのだった。
エンジンの問題を語り終えると、アナスタシア様は考え込むように目を閉じた。
「……レーカ君、エンジンの中で使用されている爆発魔法ってどんなものか知っている?」
爆発魔法?
「錬金魔法みたいなもん、って解釈してますけど」
魔力式ジェットエンジン。魔法で動くエンジンっつーのも冷静になるとちょっと変だが。
地球のエンジンの燃料は油だ。燃料をエンジン内部に噴射し、吸気口から吸い込んだ酸素と結合させ爆発を得る。
魔力式ジェットエンジンも同じだ。内部に燃料を生みだし、酸化させて推力とする。
「だから、空気中に燃料っぽい物質を練金する魔法術式でしょう?」
「違うわ」
違うんかい。
「魔力式ジェットエンジンに使用される術式は、燃料の役割を果たす架空物資を現実に投影する魔法。再現する物質にはジェットエンジン内部で酸素と結び付き膨張する、ただその機能しかないのよ」
具体的な原理など初めて知った。
「燃焼されるしかない物質って、なんでそんな限定的なんですか?」
素直に油作ればいいのに。
「その方が爆発力が強くてエンジンの性能が良かったからよ。どんなものでも、不要な部分を割り切って目的に特化させれば性能は上がるわ」
アナスタシア様は壁に設置された炎の灯った松明を持つ。
「不思議だと思わない? 魔法の炎はなにも存在しない空間に直接的に火が発生する。油を気化させるわけでもなく、燃料なしの本当に直接に、ね」
うーん、戦闘魔法自体あまり見ないからなぁ。
ファイアー! とかそんな感じ?
「魔法の炎は魔力が架空物資へと形を変えて、酸素と結合し燃焼する現象なの。この架空物資は物理学的には存在せず、燃焼することしか出来ない。それ以外の機能を削ぎ落として燃料としての機能に特化させている、文字通りジェットエンジンの為に調節された燃料なのよ」
ピンときた。つまり……
「ロケットエンジンには未対応ってことですか」
「そういうことよ。ジェットエンジンの定義は外部から酸素を供給すること。レーカ君のロケットエンジンはその条件を満たしていなかったから、術式がエンジンであると認識出来なかったのね」
魔法方面の理由だったのか、解らないわけだ。
「その術式の調整を行えば、ロケットエンジンにもジェットエンジンにも対応する架空燃料物資を発生させられますか?」
「可能だけれど、爆発の膨張率は下がるわよ」
つまりエンジン出力ダウンか。それはなんか嫌だ。
現時点でも十分な出力だし、ちょっとくらい性能がダウンしてもいいのだが、なんか悔しい。
と、揺らめく松明の炎に目が行き疑問がよぎった。
「そういえば室内で松明とか大丈夫なんですか? 酸素は消費しているのでしょう?」
「魔力が尽きれば架空物資は消滅するわ。酸素濃度はすぐ戻るから平気よ」
窒息の心配はないのか。
「架空物資の保管は出来ます?」
「え? ええっと、いいえ不可能だわ」
アナスタシア様は首を横に振った。
「魔力式ジェットエンジンの架空燃料物資は酸素以外の気体の存在を無視するわ。容器に閉じ込めることは可能だけれど、空間座標的に重なった物理物質と架空物質を分離することは困難ね。というか仮に分離出来でも、すぐに無に帰るもの」
そっかー、予めロケットエンジン用の架空燃料物質を保管しておこうと思ったのに。
「そうだ、真空中で架空物質を生成すれば?」
それなら分離する手間もない。
「頭いいわね、レーカ君。その方法は考えつかなかったわ」
でも最終的に霧散することは避けられない、か。
…………空間座標的に重なる?
「この松明は魔法の炎なんですよね」
「そうよ」
床に落ちていた、火の灯っていない松明を拾う。
魔法で着火。
「それ、科学的な炎?」
「はい、気が済めばすぐ消すのでご勘弁を」
この炎は酸素を消費するので長時間地下室で使用出来ない。
松明同士の炎を近付ける。
炎が干渉することなく重なった。
「まさかと思ってやってみたけど、なんだこりゃ」
「どうしたの?」
アナスタシア様に重ね合わせを見せると、なんだと言わんばかりに頷いた。
「化学変化の炎と魔力の炎は、まったく別の視点、別次元の現象ですもの。同時に同座標に成立しちゃうのよ」
無茶苦茶だ。深く考えると頭がおかしくなりそう。
「魔法は神の敷いた理の上に成り立っているわ。自然の摂理とは矛盾するころもあるのよ」
……これをエンジンに転用したらどうだろう?
即ち、言わば―――
「魔力式ジェットと化学式ロケットのハイブリッドエンジン?」
「そのとーり!」
ガイルに自慢げに説明する。
暇そうにしていたのでわざわざ倉庫まで呼んだのだ。正直誰でも良かった。犬とか猫でも許可。
アナスタシア様に魔法の神秘について習った後、俺は新たなエンジンの制作に取りかかった。
魔法と科学の複合エンジン。あまりの複雑さに解析魔法を使用しているのにも関わらず制作は難航し、完成品を見たのは作業開始から二週間後である。
数多くの失敗を乗り越え、それは完成した。
「静止状態から時速一〇〇キロまでは水素ロケットエンジンで稼動。それ以上はラムジェットエンジンが始動し、更にスロットルを解放すればラムジェットと水素ロケットの同時起動状態となる」
「同時って、別の駆動原理を同時に? 可能なのか、そんなこと」
「魔法と科学の合わせ出汁だ」
科学オンリーのロケットエンジン。
魔法オンリーのジェットエンジン。
混合技術ではなく、それぞれを住み分けさせて独立することで相互干渉を回避したのだ。
「この世界の人ってどうしても中途半端に魔法に頼っちゃうんだよ。科学だけで頑張っている地球舐めんな」
「お前だって解析魔法の恩恵に与っているだろ」
「つまりは、このエンジンは双発が重なった状態なわけだ」
「無視すんな」
更に更に! とエンジンを台座に固定。
「大出力アフターバーナーを組み込んだことにより、最大出力は前人未踏の150kN!」
アフターバーナーとは排気に燃料を再び混入させ、過剰燃焼させる加速装置である。
出力は一気に約二倍。しかし、魔力消費は数倍となる。
到底一つのクリスタルでは賄えない魔力は、俺自身が供給することにした。
シールドナイトのクリスタルも高純度なのだが、全力運転となれば魔力の追加供給とシステム管制が必須となる。
だから、制作するレース機必然的に複座の予定だ。
「難しい話は置いといて、刮目するといい! エンジン、コンタクト!」
燃焼室に酸素と水素が注入され、最初の点火が行われる。
「吸気は? 一〇〇キロ以上の速度じゃなくては起動しないんだろ?」
「酸素タンク用意しているから大丈夫!」
言ってる側からジェットエンジンに切り替わった。
炎の色が変わり、轟音が膨れ上がった。
排気ノズルがこちらを向いているわけでもないのに、あまりの風に立っていることすら困難となる。
「いい音だ! このエンジンは当たりだぜ! どうだ、よく回るだろう!」
「当たりもなにもお前が作ったんじゃねぇか! あと回るような稼動部ないだろ!」
形式美という奴である。
「いい加減にしねぇと土台から飛んじまうぞ!」
「ああ!? まだまだだ、ハイブリッドシステム起動!」
「やめんかー!?」
ジェットエンジンとロケットエンジンの同時起動!
台風すら生温い殺人的な風圧に、思わず身体強化魔法で踏ん張る。
ガイルは魔法が苦手なので俺に掴まっている。
「お前、いい加減に―――」
「これでラスト! アフターバーナー全開!」
エンジン後方よりアームが展開される。
あまりに強力、大規模なアフターバーナーはエンジンの半分程度のサイズとなってしまった。
バカ正直に一体化してはエンジン全長だけで一〇メートルを越えるので、必要時にのみ後方に展開されるように設計したのだ。
光の帯だった排気は正しく炎となり、熱波が周辺の植物を焼き尽くす。
ショックダイヤモンドが長く尾を引き、エンジンは熱せられ光を帯びる。
「っ、軍人時代だってこんなエンジンなかったぞッ」
「ふはははははは、燃え上がれ、吹き飛ばせ! いっそ飛んで行っちまえー!」
飛んで行っちまった。
「……は?」
台座が地面から千切れ、酸素タンクを引っ張り上げエンジンが浮き上がる。
徐々に加速するエンジン。
さながらそれは、在りし日に父と遊んだロケット花火。
「あはは、綺麗だな」
「現実逃避するなっ」
エンジンはあっという間に空へと昇っていき、雲の中へと消えた。
「…………。」
沈黙が痛い。
「ま、まあそのうち落ちてくるだろ」
「あるいは月面に突き刺さって終わるだろ」
『あはははははは』
ガイルと笑い合う。
「なにがおかしいのかしら?」
アナスタシア様の、すっごく低い声が背後から聞こえた。
ガイルと正座させられお説教を受ける。
「ナスチヤ、俺はただ呼ばれただけでな……」
「お黙りっ!」
「はい、スイマセン」
縮こまるガイル。完全にとばっちりである。
「ははは、ザマないなガイル」
「なにか可笑しいのかしらレーカ君?」
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
「あ、エンジン落ちてきた」
雲から鉄柱が抜けるのに気付く。
「『フュージョン・レイ!』」
アナスタシア様の魔法の弓矢がエンジンを貫いた。
彼女の等身を遙かに越える巨大な弓。引き絞られた弦が弾かれると、極太のレーザーがエンジンを飲み込む。
「……ガイル、ねえアレなに?」
「俺も詳しくは判らないが、空気中の水素を融合させて、そのエネルギーを光に変換する魔法だそうだ」
核融合レーザーかよ。
『こえー』
アナスタシア様は光の弓を握り潰す。無言で。
『こえー』
「……いい加減にしなさい、貴方達」
『彼』は苛立っていた。
『彼』はその空の覇者だった。
風より速く、音より速く。誰も『彼』を止められない。
そんな『彼』に、奇妙な物体がぶつかったのだ。
炎と轟音を撒き散らすソレは、『彼』に突撃した挙げ句グリグリと、そりゃあもうグリグリと頭をこねくり回す。
空飛ぶ鉄柱は意思を持つかのように執拗に『彼』を追い回し、ど突き、張ったき、ビンタし、抉り、ようやく燃料が尽きて地上へ落ちていった。
イラッときた。
凄くイライラッときた。
虚仮にされたままで収まるほど『彼』は忍耐強くない。
『彼』は鉄柱を睨み、その音をしかと記憶する。
再びその音と出会った時に、決して聞き逃さない為に。
「つーかお前、なに他の出場者が亜音速機で出場しようとしている中で超音速機作る気マンマンなんだよ」
アナスタシア様の説教を右から左に聞き流しつつ、ガイルに訪ねられた。
「新型エンジン、名称は付けるのか?」
エンジンの名前? そうだなぁ……
「魔改造ラムジェットエンジン?」
「魔界ゾーンラムレーズンエンジン?」
そんなことは一言も言っていない。
ソフィー「…………。」
エンジンの開発は沢山のお金と時間を必要とします。それを時間短縮する為に設定されたのが解析魔法です。
今回はちょっと展開に無理がありますね。「科学と魔力のハイブリッドエンジン」をやりたいが為に強引に話をもっていった感が。




