暗殺者、悪役令嬢に転生する
「何てキレイなのかしら…」
私は、うっとりと自分の指先を見つめた。
薄く切った人差し指からは、ポタポタと血が滴り落ちている。
鉄のような匂いと生暖かさが心地良い。
私は昔、清掃員と呼ばれていた。
今よりずっと昔、この世界に生まれる前の前世の話。
日本という国に生まれ、親に捨てられ、児童養護施設という場所で育った。
施設の先生はとても厳しくて「掃除しろ、掃除しろ」といつもうるさかった。
おかげで私は、キレイ好きになった。
だから清掃員は天職だったのかもしれない。
汚れは早いうちに落とす。それが一番楽だ。
汚物だろうと人間だろうと手順は同じ。
お察しの通り、普通の清掃員ではない。
私は、幼い頃から痛みに強かった。と言うか、痛みというものがよく分からないのだ。自分の痛みも人の痛みも、ただの現象としか思えない。
普通ではない清掃員の仕事は、そういう欠落した人間が向いているそうだ。
そんな私がどういう訳か、前世で大流行していた乙女ゲーム『天使と黒バラの誓い』の悪役令嬢ミラベルに転生してしまった。
ゲームはやった事がないが、内容は聞いた事がある。
確か、ヒロインが様々な困難を乗り越えて、王子様と結ばれる話だったと思う。
となると、おそらくミラベルの立ち位置は、ヒロインを虐める当て馬の役だろう。
「ミラベル、話がある!」
ノックもせずに勢いよく部屋に入ってきたのは、婚約者のリュシアン殿下。ポンコツ。
そして、その傍らでプルプル震えているのは、男爵令嬢のフルール嬢。あざと可愛い系。
どうやら、退屈な世界の物語が始まったらしい。
「ミラベル! 貴様が裏で糸を引き、フルール嬢を陥れようとしていたことは全て把握している! 茶会ではーーー夜会でもーーー挙げ句の果てにーーーーーー」
あー長い。長すぎて途中から聞く気が失せた。
リュシアン殿下は、廊下にまで響く大声で怒鳴り散らしているが、特に何も感じない。
内容は全て身に覚えのないことだった。
とにかく全部、私が悪いらしい。
否定するのも面倒だから、話に乗ってあげよう。
私は扇子で口元を隠してニッコリ微笑む。
「そうですわね。それが何か?」
「なっ………開き直るのかっ!? この悪女め!」
「悪女、でございますか? わたくしはただ、目障りなゴミを排除しただけですのよ?」
「ゴ、ゴミを排除だと!? 貴様は、何て酷いことを言うのだ! フルール嬢はーーーでーーーーーだぞっ!」
喚き散らす王子を無視して、フルール嬢を見つめる。
庇護欲がそそられるピンク色の瞳。
その愛らしい瞳の奥には、隠しきれない愉悦と優越感が滲み出ていた。
あぁ、同じだ。私には分かる。
この世界から少し浮いてる異質な感じ。
たぶん、この子も転生者なのだろう。
「ミラベル様、ひどいですぅ……私はただ、リュシアン殿下と仲良くしたかっただけなのに」
「フルール嬢、もういい。そもそも、こんな毒婦を妃に迎えようとしたのが間違いだったのだ。婚約は破棄させてもらう。 ミラベル、貴様を国外に追放する!」
そして三日後、放り出されたのは隣国との国境にある終焉の森。呼び名からして、ろくでもない。
普通の令嬢なら泣き崩れるシーンでしょうね。
だけど私は嬉しくて堪らない。
だってこれでやっと、自由になれるのだもの。
この森は強悪な魔物達の巣窟。足を踏み入れたら二度と戻ることができないと言われている。
「さっさと行け、この悪女めっ! 今までの行いをここで反省するんだな!」
護衛という名の見張りが去った後、暗闇から無数の気配が近づいてくるのを感じた。
これは…………テラーウルフの群れ?
赤い目をギラつかせて、長くのびた牙の間からダラダラと涎を垂らしている。
体長は3メートルくらいあるかしら?
複数の巨大が唸り声を上げながら距離を詰めてくる。
「……うふふふ、あはははははははは!」
気づいたら私は、笑っていた。
この生物を切ったら、どんな感触がするのかしら?
どんな血の色をしていて、どんな声で鳴くのかしら?
最後の瞬間は、どんな顔をするのかしら?
知りたい。どうなるのか、全部。
高揚感に身を任せ力を込めると、前世でナイフを扱っていた感覚が、魔力という新しい力と結びつく。
妙な感覚だが悪くはない。
「さあ、お掃除を始めましょう」
数分後、森は静寂に包まれた。
一列に並べた骸の前で、名残惜しげな吐息が溢れる。
また無意識に並べてしまったらしい。
転生してもこの癖は直らないのね。
むせ返るような血の匂いが懐かしい。
私は、狼の濁った眼球を抜き取って、優しく口づけを落とした。
◇
一年後、我が祖国は壊滅の危機に瀕していた。
新たな妃候補であるフルール嬢の魅了魔法に惑わされて、内政も財政もガタガタになっていたのだ。
さらに、終焉の森から現れた謎の組織によって、国境が脅かされていた。まぁ、その正体は私なんだけどね。
「報告します! 国境の砦が陥落しました!」
伝令の兵士が差し出した人相書きを見て、リュシアン殿下は絶叫した。
そこに描かれていたのは、二度と戻ってくるはずのない悪女ミラベルの姿だったから。
私は、森の魔物達をねじ伏せて、一つの軍隊のようなものを作り上げた。
言葉の通じない魔物達を従わせるのは、人間を扱うよりもずっと簡単だった。
城門を破壊して、玉座の間へと足を踏み入れる。
そこには、真っ青な顔をした国王陛下とリシュアン殿下とフルール嬢の姿があった。
どうやら、お妃様はすでに逃げてしまったらしい。
「お久しぶりでございます、リュシアン殿下。この国は、ずいぶん汚れてしまったようですわね?」
「ミ、ミ、ミラベル……! こ、こんなことが許されると思っているのかっ!?」
殿下の隣で顔を引きつらせているフルール嬢には、もはやヒロインの面影は一つも残っていない。
私は、彼女のあごを人差し指で優しく持ち上げる。
「ねえ、フルール様。貴女は、この世界を乙女ゲームだと思っていたのでしょう? 攻略対象と結ばれれば、それでハッピーエンドだと。でもね、ハッピーエンドの先も物語は続くのよ?」
「ひぃっ、い、いやぁぁぁ……!」
彼女の愛らしい瞳が絶望に歪み、幼子のように失禁する姿を見て、私は諭すように言った。
「お掃除の基本は、汚物を取り除くことですわ」
指を鳴らすと、背後に控えていた魔物達が涎を垂らしながら彼らに近づいていく。
「大丈夫、殺したりなんてしません。あなた方には、わたくしが森で作った実験場で『人はどこまで恐怖に耐えられるかの検証』をしていただきます」
◇
私は玉座に座り、新たな仕事を始めた。
国中の腐敗した貴族を排除し、無能な王族を地下牢へ送り、代わりに有能で合理的な人物を配置したのだ。
感情を徹底的に排除した統治。それは、この国にかつてないほどの繁栄をもたらした。
「ミラベル様、本日の処分者リストです」
新たに補佐官となった青年が、事務的に書類の束を差し出す。青年の手は、わずかに震えていた。
私はそれらに目を通し優雅にペンを走らせる。
「あぁ………何て素晴らしいのかしら! すべてが論理的で整然としている。これこそが、わたくしの求めていた完璧な世界!」
城の外では、私の考えに賛同してくれた領民達が、秩序正しい生活を送っている。
文句を言う者など一人もいない。
そのような者は、この国には不要なのだ。
乱れはやがて秩序を崩壊させ、国が汚れてしまう。
それはとても良くないこと。
私は姿見の前に立って、自分の右頬と左肩の肉をナイフで削ぎ落とす。
ドクドクと血が流れ、身体が少し震えた。
生暖かさが生きていることを実感させてくれる。
これは、前世で傷を負った箇所。この痛みは、自分への戒めのようなものだ。
「うふふふふふ…… あははははははははは!」
急に、笑いが込み上げる。
楽しそうな笑い声は、赤く染まった玉座の間にいつまでも響き渡っていた。
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